#4246/5495 長編
★タイトル (FJM ) 97/12/12 2: 5 (183)
代償 第三部 4 リーベルG
★内容
4
「問題は」榊は、目の前の二人を交互に見ながら言った。「いつ、彼女がお嬢さ
んに対するアクションを起こすかです」
「彼女に対する監視は?」
訊いたのは県警の大野川刑事である。
「今は解いてあります。どうも、先方が気付いたようなのでね。それ以上続ける
と、こっちの正体までバレてしまいそうで」
「全く何をぐずぐずしてるのよ」朝倉祐子が苛立ちを露わにした。「ヤクザにつ
ながりがあるなら、さっさとあの女を拉致っちゃえばすむじゃないの」
三人は朝倉家の応接間で、善後策を話し合っていた。多少なりとも協調の精神
を表しているのは榊だけで、後の二人は、それぞれ異なる理由による不機嫌を隠
そうともしなかった。
「刑事さんの前でそういうことを言ってはいけませんな、お嬢さん」
「何言ってるのよ。だいたい、警察が無能だから、こういうことになるんじゃな
いの」
「お嬢さん。おれはあんたを罪に問わないと約束したが、侮辱まで許した覚えは
ないぞ」
「侮辱されたと思うんなら、さっさとあの女を逮捕しにいきなさいよ」祐子はす
っかり身についてしまった嘲笑で答えた。「そうすれば、誰も無能なんて呼ばな
いわ」
「何の証拠もなしに彼女を逮捕したら、おれは県警中の笑い者になってしまう」
「逮捕できないからこそ、私たちがここに集まっているんですよ」榊が割って入
った。「手段は問題ではありません。とにかく、彼女がお嬢さんに危害を加える
のを阻止すればいいのですから。法律の枠の中だろうと外だろうとね」
資産家の令嬢と、県警の刑事、それに興信所の所長という奇妙な取り合わせの
チームが誕生したのは数日前だった。
チームの目的はただ一つ。橋本由希が、朝倉祐子に対する復讐を果たすのを阻
止することである。祐子は全ての費用を出す。榊は情報収集と物理的な対抗手段
の調達。大野川は警察の介入を妨げる役目だった。むろん大野川には十分な額の
報酬と、退職後、祐子の父親が経営する警備会社へ、部長待遇で再就職すること
が約束されていた。
大野川がこの話に乗ったのは、一つには重度のアルツハイマーで24時間看護
を必要とする母親がいたためである。刑事の薄給では、なかなかいい病院に入院
させることもできない。別の理由として、半年前、直属の上司である課長の性的
な誘いを断って以来、あらゆる点で職場が居づらくなってしまったということも
あった。大野川は独身だったが、腹の出たすだれ頭の50男を相手に欲望をかき
立てることができるほど、女性に不自由しているわけではない。いくら有利な昇
進と昇級をちらつかされても、失うものの方が多すぎる。以来、大野川は冷遇さ
れ続け、真剣に転職を考えているところだった。榊からの誘いは渡りに舟となっ
たわけである。
榊にとっての利益は、祐子が将来にわたってサカキ・リサーチを利用してくれ
る、という表向きのものの他に、祐子の秘密を握ることで金銭的な援助を引き出
すこともできるという口外できないものもあった。さらに、世の中には女子高生
と数時間ベッドを共にするだけで、6桁の金を出す人間もいる。榊はそうした人
間の長いリストを持っていた。彼らに対する「商品」の供給源として祐子を----
祐子自身ではなく、そのクラスメイトや後輩を----利用することも考えていた。
祐子はこうした背景について、一応説明を受けたものの、それほど気にかけた
様子はなかった。この少女にとって、真に興味を抱く対象は自分自身でしかない
からである。
「私は、様々な理由から彼女が行動を起こすとしたら、夏休みが終わるまでのい
つかだと思っています」榊は説明した。「おそらく彼女は、お嬢さんが彼女の正
体に気付いたことに気付いていますよ。前の二人に関しては、ゆっくりと時間を
かけて罠を張る時間がありましたが、今回はそうはいかない。それどころか、ゆ
っくりしていれば、こちらに対抗手段を整えるだけの時間を与えることになる。
とすれば、比較的時間のとれる夏休み中にやるしかないでしょうな」
その意見には、祐子も大野川も反対しなかった。
「今日が18日。夏休みの残りは10日余り。このどこかで彼女は行動を起こし
ます」
「逆に言えば、夏休みが終わるまで、家に閉じこもっていれば、当分機会はなく
なるということだ」大野川が言った。「おれはそっちを勧めるね。こちらのお嬢
さんの家には警報装置もあるし人も多い。いくら彼女でも手は出せないだろう」
「そうとは限りませんよ」榊は薄笑いを浮かべて否定した。「彼女が後のことを
全く考えていなければ、何だってできますよ。火をつけるとか、トラックで突っ
込むとかね。たとえ100人の警官が朝倉家の周囲を厳戒していたとしても、何
かの方法はあるものです」
「じゃあ、どうしろと言うの?」祐子が無表情に、正確に言えば無表情を装って
訊いた。「だから先に、あの女を何とかすればって言ってるのに」
「何度も言っているように、それはできません。彼女の罪が全く立証できない以
上、こっちから手を出せば向こうが被害者になるんです。万が一、彼女を、その
『何とかする』ことに失敗しようものなら、我々は警察の厄介になってしまうか
もしれません。そうなると、彼女は邪魔者なしに、ゆっくりあなたを料理する機
会を窺えるというわけですね」
祐子もそれは認めたが、納得したわけではなかった。
「当然、あなたには具体的な対応策ができているんでしょうね」
「幸か不幸か、橋本由希はお嬢さんをあっさり殺したりはしないでしょうな」榊
はぞっとするような笑いを浮かべた。「じっくり苦しめた上で殺そうと思ってい
ることは間違いありません。そこに付け入る隙があります」
「というと?」
「時間をかけて苦しめようと思えば、まず間違いなくお嬢さんを拉致監禁する必
要がありますな。となれば、お嬢さんの外出時を狙うしかない。こっちはそこに
罠を張りましょう」
「具体的にはどうするんだ?」大野川が訊いた。
「お嬢さんは週に3回ほど、いろいろな習い事にお出かけになりますね?お家の
方には、今週は家で勉強をするとでも言ってもらいましょう。できますか?」
「まあ、できると思うわ」
「お嬢さんはいつもの時間に家を出てください。車はこっちが用意する車に乗っ
ていただきます。ドライバーには腕の立つ人間を手配しますし、バックシートに
もう一人伏せておくかもしれません。彼女が狙ってくるとすれば、その行き帰り
のどこかになるでしょう。こっちは、全ルートを完全に監視下におき、どこで襲
撃されても直ちに応戦できるよう、人数を用意しましょう」
「ひょっとして、私を囮に使うと言っているの、あなたは?」祐子は、私を誰だ
と思っているの、と言わんばかりに榊をにらんだ。「あなたにお願いしたいのは
私の安全を守ることであって、危険にさらすことじゃないのよ。おわかり?」
「これが最も安全なんですよ、お嬢さん。相手の出方を待つだけというのは、相
手にイニシアチブを与えることになります。言うなれば、相手の土俵で踊らざる
を得ない。危険と言うならば、これ以上の危険はありませんよ」
祐子は険悪な表情で榊をにらみ、ついで黙っている大野川刑事に視線を移した。
「刑事さんはどう思うの?」
「気に入らないが、榊の言ったことは的を射ている」大野川は渋々答えた。「あ
んたが本当に、橋本由希を何とかしたいと思っているんなら、自分自身を囮にす
るのがベストだね」
「冗談じゃないわ。なんで私がそんな危ないこと……」
「それだけのことをあんたはしたんだよ、お嬢さん。本来なら、あんたを連行し
なければならんところだ。たとえ直接手を下していなくても、傷害の教唆でな。
あんたが下らない面子を守るために、どれだけの人間が犠牲になったかを考えて
みるんだ。正直に言うが、おれはあんたが危険なめに遭っても自業自得だと思う
ね。いや、むしろ、腕の一本でも折れればいいと、本気で思っているよ」
「なんてことを言うの。あなたは私を守るために、安くないお金をもらっている
んでしょう。言うに事欠いて腕を折ればいいとは何事なの!?」
「素直な気持ちを言っているだけだよ、お嬢さん。おれは起こってしまった犯罪
よりも、これから起こる犯罪を防ぐ方が重要だと思っているが、だからといって
あんたを許すつもりは全くないんだ」
「大野川さん、それぐらいにしておいてもらいましょうか」榊が苦笑しながら口
を挟んだ。「お嬢さんも、気に入らないのはよくわかりますが、大野川刑事の言
う通り、他に方法はないんですよ。あなたに危害が及ぶようなことは絶対にあり
ません」
「保証してくれるの?」
「保証しますとも」
「じゃあ、私がかすり傷でも負ったら、あなたに支払う報酬を半分に減らすこと
にするわ。文句ないわね?」
「半分ですと?」榊は唸った。「それはちょっと……」
「保証するとまで言い切ったのなら構わないでしょう」相手に同意を求める口調
ではなかった。「あなたもよ、刑事さん。報酬が欲しければ、私をしっかり守る
ことね」
大野川は、音声と仕草の両方でそれに答えた。ふん、と鼻を鳴らし、そっぽを
向いたのである。
むっとした祐子がさらに言葉を継ごうとした途端、軽やかな電子音が鳴り響い
た。祐子が、そばに置いてあった携帯電話を取り上げる。
「はい。朝倉です……え?どちらさまですか?ちょっと!」
あまりにも短く終了した会話に、榊が不思議な顔をした。
「どうかしましたか?」
「誰だか知らないけど」祐子は肩をすくめた。「郵便受けを見ろ、って言って切
っちゃったわ」
「橋本由希ですか?」
「男の声だったわ。聞き覚えのない声ね」祐子は立ち上がった。
「どこに行くんです?」
「決まってるじゃない。ポストを見てくるのよ」
「もしかしたら爆発物かもしれない」榊は慎重な考えを口にした。「うっかり開
けると危険です」
「よし、おれが見てこよう」大野川が立ち上がった。「他人の家の郵便物を見る
資格なら、警官がもっともましだろう。違法行為には違いないが」
大野川が出ていってから数分間、祐子と榊は、何らかの騒動が起こることを、
半ば期待しながら待っていた。爆発音、人の怒鳴り声や悲鳴、救急車やパトカー
のサイレンのいずれかが耳に届いても不思議ではない。混乱に乗じて、襲撃者が
飛び込んでこないとも限らなかったので、榊は密かに隠し持った護身用兵器を握
りしめていた。
だが、再び応接間のドアが開いたとき、大野川がゆっくりと入って来ただけだ
った。祐子と榊は拍子抜けしたように息をついた。
「これが入っていた」大野川は何の変哲もないA4サイズの事務用封筒をテーブ
ルに置いた。「他には何もなかった」
祐子が封筒を手に取った。郵便番号や住所はなく、「朝倉祐子様」と宛名が書
かれている。ワープロの毛筆書体で印字されたものらしい。差出人の名前はない。
軽く振ってみると、かさかさと紙の触れ合う音が聞こえた。
「写真が何枚か入っているようですね」祐子から封筒を受け取った榊が、天井の
灯りに透かしてみながら言った。「特に危険なものは入っていないようです」
祐子はペーパーナイフを出すと、ゆっくりと封を切った。7、8枚のポラロイ
ド写真が出てきた。最初の一枚を見た祐子は息を呑んだ。
写っているのは小沢律子だった。床の上に全裸で四肢を投げ出している。その
身体のいたる所が、赤黒い線上に腫れ上がっていた。大きく目を開いているもの
の何も見てはいないらしい。半開きになった口からは、血の混じったよだれがこ
ぼれ落ちている。
「こいつはひどい」横から覗き込んだ大野川も呻き声をあげた。
震える手で、祐子は次の写真を見た。四つん這いにされた律子が、後ろから太
い竹の棒を突っ込まれている。しかも性器にではなく肛門にだ。
「これは誰なんですか?」榊が訊いた。
祐子は答えず次々に写真をめくった。大きく開かれた律子の両脚の間で、陰毛
が炎を上げて燃えている。乳房にびっしりと画鋲が刺さっている。耳に何かの液
体がそそぎ込まれている。身動きできないように緊縛された身体を、無数の蟻が
はい回っている。前歯を巨大なペンチで強引に引き抜かれている。
さすがの祐子も、正視に耐えず顔をそむけた。職業柄、流血には慣れているは
ずの大野川刑事も胸が悪くなったような顔をしている。
榊も吐き気をこらえていたが、何とか問いを繰り返した。
「これは誰なんですか?知っている人ですか?」
祐子はハンカチで口を押さえながら、律子のことを話した。
「誰がこんなひどいことを……」
答えを口にする者はいなかった。その必要はなかった。三人の脳裏には、ただ
一つの固有名詞しか浮かんでいなかった。
「つまり、これは警告、いや予告と言うわけですな」
榊がわずかに冷静さを取り戻した声で言った。
祐子は、初めて心の底からの恐怖が全身を支配するのを感じた。