#4235/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/11/30 22:26 (187)
終天と始天 9 永山
★内容
「明日には船が来るんだったな。くそ、三人も死んで……どうすりゃいいんだ
よっ」
壁を力一杯叩くと、びりびりと痛みが伝わってきた。自らに科す罰としては、
軽すぎる。壁と真正面に向き合って、頭を−−。
「馬鹿! 何やってんだ!」
物凄い怒声と首にかけられた腕の馬鹿力で、私は我に返った。
壁の前から引き剥がされ、転がされた私の上に、善田がのっかっている。
「おい、阪谷? 目ぇ覚めたか?」
見開いた目で、こちらの目を射すくめるように覗かれ、さらに頬を何度かぺ
ちぺちと叩かれた。私は無言で、首を縦に振った。
「額、見せろ」
善田の手が伸びてきて、私の前髪をかき上げる。
「……ふん、石頭め。無傷だ。ま、こぶの一つや二つ、できるかもしれないが」
「すまん」
善田が立ち上がるのへ、私は上半身を起こし、深く頭を垂れた。
「謝る相手は、俺じゃないだろ。てめえから家の壁に喧嘩吹っかけるほど責任
感じてるなら、生徒らにきちんと落とし前つけろや。な?」
私は情けなくなって−−少し泣いた。
南館へ戻る途中、見上げた星空は、皮肉なまでに美しかった。
私と善田だけで事件を考えるつもりだったのだが、海聞の強い主張−−久米
とは親友だったんだからと−−により、彼と尾藤も入れることになった。
「平野は大丈夫か?」
本題に入る前に、生徒達に聞く。精神状態が不安定になっているらしく、と
にかく眠らせようと、善田が睡眠薬を渡したばかりだ。
「夕食前から、部屋にこもりっきりだったそうじゃないか」
「ええ。最初に、苫井先輩が亡くなったときから参ってたみたいですが……」
「今は、部長と副部長が着いてるから、安心して眠れるんじゃないっすか」
尾藤、海聞の順に答えた。三人一緒にいるなら、まだ危険は少ないだろう。
門馬先生は礼子さんを気遣って、靖之さんと一緒にいるはず。
「俺は中立というか、生徒がどうこう、門馬先生がどうこうという気持ちはあ
んまりない」
善田が口火を切った。
「だから、感じたところを正直に言える。久米君が青酸毒で死んだことで、久
米君が犯人でないのはもちろん、生徒の誰も犯人じゃないと感じたのは、阪谷
にも話した通りだ」
「それで……靖之さんが怪しいと本気で考えているのか」
口にしにくい話題に、私の声が小さくなる。
善田は生徒二人に、靖之さんの立場なら青酸毒を比較的容易に入手可能であ
るとの推測を述べ、続ける。
「まあ、君達から見れば、医者の俺だって怪しいかもしれないがね」
「ですけど、足跡の問題が……」
尾藤が言った。やはりと言うべきか、彼女は、私が以前唱えた海を回ってき
たルートを信じなかったようだ。あるいは、海聞が意見したのかもしれない。
「雨が降っているときからあらかじめ、犯人は北館に潜んでいた可能性はどう
だろう?」
善田の説に、私達三人は引かれた。海聞が口を開く。
「南館にいた犯人は、雨が降る間に北館に移動していて、どこかに隠れている。
みんなが寝静まったところで出て来て、苫井さんを殺したってことですか?」
「ん、まあ、そうなるな」
「だけど、帰りはどうするんです? 雨、上がってるから、当然、足跡が残る」
「帰らなかったらいい。ずっと北館にいて、朝早くに、さも北館を訪ねたばか
りという風に装って、目撃者を持つ」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、善田」
どもりながら、私は割って入った。
「それはまさか、門馬先生のことを言っているのか?」
「そうなるな。義理の親子なんだから、靖之さんと共犯でもおかしくない」
「無茶苦茶だ。今朝見たとき、先生の足跡は間違いなく、南館から北館まで続
いていた」
「後ろ向きに歩いて南館に戻り、またなぞるようにして北館に辿り着いたとは
考えられないか?」
「馬鹿げてる。あの足跡は、全くぶれていなかった。重ねて踏むのは無理だよ。
それに、その考え方には大きな穴がある。君は見かけなかったのかもしれない
が、昨晩の就寝時、門馬先生は南館におられたよ。用足しに立たれたのを、目
撃したんだ。雨が降っている間から北館に留まっていたなんて、絶対にあり得
ない」
「そうなのか……じゃあ、だめだ」
あっさりと放棄し、次を考え始める仕種の善田。非情さに加え、このあきら
めのよさがなければ、犯人探しなんてやってはいけないのかもしれない。
「だが、俺は門馬先生を怪しんでいる。最初に足跡を残したのは、先生なんだ
からな。それに、朝、先生が北館に入る寸前のところをおまえが目撃したのも、
偶然ぽくてできすぎてる感じだ。誰か目撃者が現れるのを待っていたと思うん
だよな」
私は反駁しようとして、ふと思い起こす。今朝、お会いしたとき、門馬先生
は何と言ったか。そう、「やっと起きたな」だ。自分はかなり早起きしたつも
りだったのに、こう言われたのでよく覚えている。善田の見方を聞いた今、改
めて考えると、先生のこの台詞は、待ちかねていた目撃者がようやく出て来て
くれて、ほっとした気持ちの表れと受け取れなくもない。
私は思い切って、感じたままを披露した。
「しかし、足跡は間違いなく、南から北に伸びていました」
尾藤が忘れないでくださいと言わんばかりに、しっかりした口調で告げる。
「どう考えても−−」
海聞は上目遣いになっていた。
「雨が上がらない内に、苫井さん自身が南館に行き、そこで殺されたっていう
線が、浮かぶんすよねえ。ぴたりとはまる」
「何だ、それ? 詳しく聞きたいな」
善田が興味を示したので、海聞は一番最初に思い付いた説を説明した。南館
にやってきた苫井を犯人が殺害し、雨上がり後、遺体を背負って北館に行くと
いうあれだ。苫井が降雨中の時点でまだ北館にいたことから、この方法は成り
立たないと結論付けられている。
「へえ、そんな考え方もあるのか」
「推理小説では、古典中の古典のトリックですよ」
「ふむ。……その、寝る前の苫井君を見かけたのは、誰と誰なんだって? 阪
谷や、海聞君達も見たのか」
指で示され、私は首を横に振った。尾藤と海聞の二人も、同様にする。
「見たのは、弓山先輩と平野さんです」
「ええと、何だな。ああー、苫井君の姿を見たのは、その二人だけってこと?」
「……はい、そうなります」
尾藤が答え、私や海聞に同意を求めるような視線を向けてきた。海聞は全く
知らないため、首を傾げるだけだったが、私はうなずき返した。
「苫井はあのとき、部屋の中にいたんだ。そこのドアを開けて、弓山は言葉を
交わしていた」
「そう思い込んでいるんじゃないのか?」
「どういう意味だ?」
善田の質問に、私は質問で返す。
「思い込まされたと言ってもいい。弓山さんや平野さんて子が、どういう性格
で、苫井君とどんな関係にあるかは知らないよ。だが、その二人が芝居をした
可能性は、ないとは言い切れないみたいじゃないか」
私は言葉をなくした。指摘されてみれば、確かにその通りである。私も尾藤
も、また渡辺も堂島も、昨晩、就寝前の苫井の姿を見ていない。声も聞いてい
ない。単に、彼の部屋で弓山なり平野なりが立って、彼女だけが話しているの
を見聞きしただけだ。
「じゃあ、そのとき、苫井は……南館に行っていたと?」
「その可能性が出て来た訳だ。理由は分からないが、苫井君は親しい女生徒二
人に頼んで、あたかも北館の自室で寝ているように細工してもらった。内密に
北館を抜け出し、やりたいことがあったと考えるのが自然じゃないか」
「南館に向かったと?」
「そうなるだろう。他に行くところなんて、この島にはないようだしな」
ここに来て、海聞の目が輝くのが分かった。
「じゃ、じゃあ、俺のさっき言った、背負ったっていう案、復活ですか?」
「ああ。南館に行った苫井君は、何かをしようとして……失敗したのかねえ?
それは命に関わるほどの失敗だった。殺してしまった方はさぞかし慌てたろう
なあ。北館に部屋のある苫井君が、南館で死んでいたとなると、当然、南館に
いた者が怪しまれる。最初は、遺体を外に放置する道も考えたかもしれないが、
雨上がりの地面に足跡が残ってしまうことに思い当たり……明け方、遺体を背
負って北館へ行くというトリックを実行した。これなら足跡を付けても、怪し
まれないと予想できるからな」
私は息苦しさを覚えながらも、確かめずにはおられなくなった。
「門馬先生が、犯人なのか?」
「これまでの推測が当たっているとして、少なくとも、共犯者ではある。足跡
から言って、遺体を運んだのは先生になるんだから」
「……動機が分からないと、全然納得できない」
「それを言われると、弱い。分かるはずない。先に、続く二つの事件を検討し
ておこうじゃないか」
善田の呼びかけに私は声も出ず、代理の形で海聞が応じた。
「弓山さんが殺されたのは、誰にでもできる状況っすよね? アリバイがあっ
たら、ややこしいが」
「先生、阪谷先生は今日の朝十時から十一時、門馬さんがどうされていたか、
知っています?」
尾藤に、顔を覗き込まれるようにして質問され、私は力なく首を振った。
「知らない。その頃、私は君達と事件について調査したり、話し合ったりして
いただろ。門馬先生は……自由にされていたと思う」
「可能、ですね」
尾藤の言葉には返事せず、私は別の問題を持ち出した。
「久米が死んでいた部屋は、密室状態だった。あれはどうなるんだろう? 荒
れが解けない限り、誰が犯人かなんて、言えないんじゃないか」
「あ、そのことなら、俺、一つ閃いたんすけど」
海聞が手を挙げた。全く、次から次へと思い付く奴だ。
「ホースが外されてたでしょう? 何か意味があるのか、事件に関係あるのか
気になって、考えてたんです。それで、あのホースを伝わせ、鍵を久米のポケ
ットに送り込んだんじゃないかって思った」
「ホースを伝わせるって?」
「あのホース、太いから、中に鍵を入れたら、そのまま滑っていって、ポケッ
トまで到着するんじゃないかな。糸みたいにぴんと張る必要はないから、やり
やすいはずですよ」
「なるほどな。格子の間も楽に通るし、回収も容易。ただ、元の状態に仕舞い
込むのが面倒だったのか、犯人はホースを放置してしまった、ということか」
善田が感心したように腕組みをした。それから、私へと目線をよこしてくる。
「どうだろう? 二つ目と三つ目の事件は、誰にでも成し得ると分かり、一つ
目は北館にいた者が犯人か、そうじゃなければ門馬先生が関与している。そし
て青酸系の毒物を用意するのは、高校生には相当難しい。−−門馬先生を犯人
とする考え方に、どこかおかしな点はあるか?」
「……見つからない」
私は疲れた。
「もう、先生に直接聞く。失礼は承知で、はっきり聞く。そして事実であれば、
説明を求めよう」
意を決して、そう口走った直後、私は大事な一点を思い出した。
「平野が……危ないかもしれない」
「え? どうして」
聞き返す声に答えるのも忘れ、私は席を蹴った。
昨日寝る前に平野が苫井と話をしたことを、私は門馬先生に漏らしている。
もしも本当に先生が犯人であれば、平野の証言は嘘だと承知しいてるはずであ
り、後々、平野が真実を語ることを恐れるだろう……。
私は部屋を飛び出し、一瞬迷ってから、平野のいる部屋を目指した。
息を切らせて北館に入るなり、平野に付き添っているはずの堂島と渡辺が並
んで歩く姿を見つけ、焦る。
「お、おまえ達っ。ひ、平野はどうした?」
掴みかからんばかりの勢いで尋ねる私に、二人は驚いたような視線を返しな
がら、しかしのんびりした調子で答える。
「あの子なら、だいぶ前に眠りました」
「今、今は? 今、平野は一人か?」
「それが、門馬さんが部屋までお越しになって、私達に、交替してあげようと
おっしゃ−−」
渡辺の言葉を最後まで聞かず、私は平野の部屋を目指した。
「やめるんだ!」
−−続く