#4216/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/11/30 4:40 (200)
防壁密室の殺人 6 永山
★内容
「それに比べると、毒を塗布するタイミングは難しい。難しいってのは、誰が
塗ったのか特定できないという意味だけどさ。最初に冷蔵庫から出した広崎さ
んを犯人だと仮定すると、コーラを飲むのが遊佐さん一人だと分かった時点で
毒を塗った缶コーラを、手近の人に渡せばいい。最終的に遊佐さんの手元に行
くのは確実なんだから。途中で缶コーラを持った人にも、ほぼ同じことが言え
る。要するに、遊佐さんの手に渡るまでに、毒を塗ればいいんだから。あのと
き、何人もの人の手を介していたからね……」
上機嫌が表情から消え、彼は唇を悔しげに噛んだ。犯行発生時、もっと状況
を注意してみていれば、犯人は分かったのにという思いがそうさせるのだろう。
だが、名探偵と言えども神ではない。未来に起こる事態の全てを、正しく予測
するなど不可能だ。
「お、もうすぐ九時だ。一旦、報告し合う時間が来た訳になるぞ」
私は多少芝居がかって、腕時計を見た。
「問三に関しては、まだ何も分かりませんでしたと報告するしかないね」
苦笑混じりに、法川は肩をすくめ、ベッドから立ち上がった。
会議室に集まり、会議を開く。本来の用途に添った、当たり前のことだ。
ただ、議題が非日常的なだけ−−ここから脱出するために、三つの問を解く。
法川は何も分かってないなんて言ったが、暗号の四分の一は解いていた。四
分の一というのは、第三問に出て来る暗号が四つの段階に分かれており、その
一つ目の解読に成功したという意味であり、暗号全体の四分の一を解いたこと
になるのかどうかは、全くもって不明。
「問二の方は、これで合っている思うけれど」
片腕を腰に当てた円城寺は、自信ありげに冊子のとあるページを開き、メモ
を示した。色々試行錯誤を重ねた形跡があって、その中で、「しめきり →
水差しの中」の箇所を強く丸で囲ってあった。
ダイイングメッセージの解釈という問題だったが、はて、しめきりがどうし
て水差しにつながるのだろうか。
「理由を窺いましょうか」
年長者の扇田が仕切る。
答えるのは、当然のごとくアイドル。第二問に当たった他の二人が何も言わ
ないところを見ると、どうやら彼女一人の功績らしい。
「簡単よ。小説家が死ぬ間際に残したメッセージだから、『しめきり』イコー
ル『原稿の期限』と思い込みがちだけど、全然関係なし。それともう一つ注意
しなくちゃいけないのは、犯人の名前を直接表そうとしたんじゃないってこと。
この小説家さんは、ノンフィクション大作を書くためにかなりやばい取材を重
ねたってことになってるでしょ。その結果、思わぬ秘密を握ってしまって、意
に反して命を狙われるようになったんじゃないかしら。小説家は知り得た秘密
をメモの形にして、どこかに隠す。身を守るための当然の心理よね」
「過程や推測はいいから、結論を言ってくれませんか」
扇田がいらいらした口調で言って、指で机を叩く。推理作家としては聞き捨
てならない台詞だが、今は抗議しているときでない。
「メモを水差しの中に隠していたのよ」
円城寺はつまらなさそうに頬を膨らませつつ、どうにか続ける。
「そのことを示すために、血文字で『しめきり』って書いたの。まともに『み
ずさし』って書いちゃ、もし犯人が戻って来たら一発で気付かれてしまうから。
それではお待ちかねの、どうして『しめきり』が水差しになるかだけど、そう
いう呼び方があるのよね。つまんない結論だわ」
「何だって? どういうこと?」
津込がたまらなくなった様子で聞き返す。円城寺はドラマで見せるような、
くすりとした笑みを作ると、問い掛けに答えた。
「私、こう見えてもお茶を少し、やっています。茶道の道具の一つに、水差し
があるの。その水差しにも色んな形があるわ。中でも、首がすぼまった細いタ
イプを、しめきりと言うの。問題の最初の方で、この小説家の代表作がいくつ
か挙げてあるんだけど、その数タイトルの中に『茶道殺人事件』というのが紛
らせてあった。これが伏線なのね」
なるほど。たった今、問二をぱらぱらと斜め読みしたところ、確かにそのよ
うな記述がある。水差しという単語も物語前半の二箇所ほどで見かけた。さら
に付け足すと、欄外のヒントとして、ダイイングメッセージの意味する言葉は
平仮名四文字とある。「みずさし」に間違いなかろう。登場人物の名字は全て
四文字となっており、一見何のヒントにもなっていないように思わせ、実は重
大な手がかりだったらしい。
「ブラボー!」
どこで覚えたのか、法川がそんな賞賛の声を上げた。大方、外国の旧い推理
小説を読んだのだろう。
「素晴らしいですね。僕もお茶の知識がなかったら、円城寺さんみたいに早く
は解けなかったでしょう」
「ありがと」
ウィンクする円城寺に対して、風見の目つきが鋭くなったように見えたのは、
きっと私の気のせいだろう。
「問一の犯人当ての方は、どうですか」
三谷が尋ねると、扇田達は一様に伏し目がちとなった。
「まだ、これといった手がかりは掴めていません」
広崎が言いにくそうに答える。よほど責任を感じているのだろうか、二時間
前に比べるとやつれたように見える。
私は思わず、同情して言った。
「気にする必要はないですよ。幸い、円城寺さんのおかげで、一つ片付いた。
彼女達に手伝ってもらったら、すぐに解けるでしょう」
「はい、それを願ってます」
ならば話は早い。
次の段階として、円城寺と三谷が扇田達ISS社員グループに加わり、問一
に取り組む。私達には若山が加わって、引き続き問三を考えることに決まった。
光が失われたのは、その刹那だった。
「て−−停電だ!」
突然、会議室内は真っ暗になって、先ほどまで見えていた人の輪郭が、ぼん
やりと闇の空間に浮かんでいる。
皆、口々に悲鳴や驚愕の呻きを漏らしたが、鋭い声が飛んで平静を取り戻す。
「落ち着いて、落ち着いて!」
三谷だった。意外な感じがした。
彼は自らのライターを灯し、かすかな明かりを生み出している。
「ライターやマッチ、ライトの類を持ってる人は?」
その問い掛けに、返事が重なる。
「持ってない」
「煙草は吸わないから」
「給湯室のコンロは使えると思いますけど……」
そんな中で、風見が甲高く叫ぶ。
「蝋燭があるじゃないのよ!」
一瞬、何を言っているのかと不審に感じたが、やがて思い出す。ここ会議室
のテーブルには、蝋燭が置いてあったのだ。
「ようし。私が火を着けて行くから、皆さん、手に取っていってください」
手際よい三谷の行動で、会議室内は徐々に明かりを取り戻す。十本に灯が灯
ったところで、三谷はライターを仕舞った。全員に蝋燭が行き渡り、一本だけ、
テーブルに置かれたままになる。
「扇田さん。どういうことになるんですか」
どうにか落ち着いたところで、三谷が尋ねた。
「停電が起こったのは分かるが……これがうちだけなのか、それともここら一
帯も含めたものかは判断できません。外が見えないのだから」
困惑口調の扇田。蝋燭の炎が揺らぐと、彼の表情も変化するように見えた。
「そういう話を聞きたいんじゃありませんよ。直せるのか直せないのか、だ」
「直せません」
もはや投げ遣りだ。
「あ、あの、システムは動いているのでしょうか?」
若山が不安そうに聞いた。
「停電になったら、このまま機能しなくなるんじゃあ……」
「いや、それは別電源だから……もしもビル内のみの電力ダウンだとしても、
バッテリーが作動することになっている」
安堵の空気が広がった。もしや本当に閉じ込められ、永久に出られなくなる
のではと、冷や汗が背筋を伝った気がする。
冷静になってパネルを見やると、ボタンが薄ぼんやりと光っているのが分か
った。システムが死んでいないのは、確からしい。
「しかし困ったな。真っ暗では不便だ」
津込は、案外楽観的につぶやいている。彼の右手は蝋燭を、左手は広崎の手
を握っているのが見えた。
「一応、皆さん、三本ずつぐらい蝋燭を持って、各部屋に戻りませんか? こ
のままここにいても意味がありません」
「さっさと寝ようということ?」
法川が言った。どことなく、不満そうだ。
「いや、部屋に戻ったら、好きに過ごしてくれて結構だけど。蝋燭に限りがあ
るからね。いつ復旧するか分からないだけに、暗い間はなるべく節約した方が
いいと思うんだ」
「懐中電灯はない?」
「残念ながらないんだ。……問題が三つとも解けたら、もちろん話は別だけど
ね。どうなるか、分からないだろ」
それを聞くと、法川は大人しくなった。殺人犯が逃げ出せない状況は続くの
だから、よしとしたのかもしれない。
「我が社のことながら、とんだ防壁システムだな」
散会する際、扇田のつぶやきが印象に残った。
ともかく、大幅に予定が狂ったせいで、額を集めての問題検討会は立ち消え
になった。各人が個々に考えるにとどまる。
その方が、犯人探しをやっている法川にとっては、専念できるのだから都合
いいだろうとは思う。
蝋燭を持って六〇六号室を訪れると、法川は悔しそうに首を傾げていた。さ
すがに風見の姿はない。万一、殺人犯が襲おうとしても、各室は内側から鍵が
かかるから、ロックさえすれば安全である。
「できれば、缶飲料を配ったときの、コーラに触れた人とその順番について、
みんなに思い出してもらおうと考えていたんだ。それがパーになった。」
「そうか。それしかないよな、犯人を突き止めるには」
「せめて、動機だけでも聞けてたら……」
語尾を濁し、頭を振る名探偵。
「まあ、どうせ動機は補足でしかない。重要な犯罪構成要素には違いないけど、
犯人特定の絶対的決め手じゃない」
自らに言い聞かせるように唱える法川。こう思い込むことで、気を楽にした
いと考えているのだ。
「これからどうする?」
「どうかな、大人しく眠るのがいいかな。蝋燭を使っていると、酸素が薄くな
るような感じがする。通気されてるんだから、気のせいに違いないんだけどね」
ジョークのつもりなのか、法川は大げさに肩をすくめた。そして改まった口
調で宣言した。
「思考に明かりは必要ない」
私は人殺しの話を書くくせに、かなり臆病だと自認している。この夜もなか
なか寝付けなかったが、部屋には鍵がかかってるんだ、犯人の狙いは遊佐氏だ
けだったんだと己に言い聞かせている内に、その効果があったのか、はたまた
疲れてしまったのだろう。いつの間にやら、眠りに落ちていた。
目が覚めたとき、やはり真っ暗だったので、今が何時頃なのか見当着けられ
なかった。頭をゆるゆると左右に振りながら、外しておいた腕時計を手に取る。
午前六時を過ぎたところだと分かった。普段より早寝したおかげで、今朝は
自分としては異常に早く目覚めたようだ。
「あと十三時間か」
勝手にそんなつぶやきが出た。自由を得るまで、残り約十三時間。
もちろん、それまでに殺人犯が特定でき、なおかつ問題が三つとも解ければ、
待たずに出られるんだが……それら全てが満たされる確率は低そうだ。
顔を洗いたくて廊下に出る。念のために警戒して、そろりそろりとドアを開
けたが、誰もいなかった。電灯は今も一つも灯っておらず、まだ電気は来てい
ないらしい。どうやら、ビル内部のトラブルに間違いなさそうだ。ひょっとす
ると、殺人犯が仕組んだ可能性もあるが、そんなことをする理由が見当たらな
い。
トイレの水道より、給湯室の方がいいだろうと思い、会議室を覗いてみると、
先に起き出している人がいた。
「円城寺さん、おはようございます」
アイドルは不機嫌そうな顔をしていたが、化粧っ気がない彼女も充分に美人
だった。例のパネルの前で、腕組みをして突っ立っている。
「おはようございます、永峰さん」
抑揚に乏しい口調の挨拶だ。
「三谷さんは?」
「まだ眠ってるみたいです……。それより、これ、何だと思います」
そう言った円城寺は、床の一点を指差した。白っぽい、ふにゃふにゃした模
様ができている。昨晩、寝る前まではこんな痕跡はなかったはず。
私は屈み込んで、目を近付けた。
「……蝋ですね、これ」
パネルの正面に立ったとき、その右側の足下に当たる付近に、蝋の滴ったあ
とがぽたぽたとできていた。
「やっぱり、そうですか……ああ、やっと目が覚めてきたわ」
「誰かがここに来て、何かしてたんでしょうね」
「何かって……パネルの前ですることと言ったら、一つしかないんじゃない?」
それもそうだと強くうなずき、私はパネルを見上げながら立ち上がった。
「誰かが抜け駆けしようと……?」
「多分ね。失敗に終わって、ざまあみろってとこ」
−−続く