#4215/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/11/30 4:39 (200)
防壁密室の殺人 5 永山
★内容
「私のために、問題を解いてくれるんじゃないんだもんね。ふーんだ」
すねた風に言う彼女の手を取り、法川は強く握った。弁解を始めないところ
を見ると、私が来るまでに、この件についてはすでに決着しているらしかった。
「犯人がひそかを襲うようなことがないとは言い切れないだろ。その芽を摘み
取るために、犯人探しをするのさ」
風見が満足げに二度、うなずいたのを見計らい、私は口出しした。
「それで法川。犯人の目星はついたのか?」
「無茶を言うなあ。まだ動機らしきものを聞き出せていないから、そういう方
向から攻めるのはやめたんだ。毒殺手段を検討しているところさ。容疑者を絞
り込むのはまだまだ先」
法川は気分を換えるためか、起き上がって、風見と並んでベッドの縁に座る。
「毒を入れる方法か。僕はその場に居合わせなかったが、話を聞くと、相当に
不可解な状況じゃないか」
「そうだね……。缶の中身−−コーラに毒が混ざっていたのは、間違いないと
思う。青酸特有の香りが、液体からもしたんだ」
「あ、気になってたんだが、君達が異変に気付いた時点で、遊佐氏が絶命して
いたのか? もしまだ息があったのなら、誰かが水を飲ませてやった、何てこ
とがあったんじゃないか?」
「さすが、推理作家」
にやりと笑った法川は、しかし首を横に振った。
「誰も水を持って走り寄ってはいない。それに、僕らが六一二号室へ入ったと
き、遊佐さんは死んでいたんだよ。遊佐さんの芝居に乗じて、犯人が本当に遊
佐さんを毒殺した線はないよ」
私が尋ねたかったのは、つまるところ、こうだ。
遊佐氏は皆を驚かせるため、さも毒入りの缶飲料を飲んだかのように苦しむ
演技をする。そのあと、事情を知る者が持って来た水を飲むが、結局は動かな
くなる……という芝居をしたあと、「冗談、冗談」と笑って起き上がる。そん
な計画を立てていたのではないか。
それを事前に知らされた犯人は、与える水そのものに本当の毒を仕込んでお
き、遊佐氏を殺害する。古典の部類に入る毒殺トリックだ。
法川の証言から、この線は消える。
「遊佐氏に缶を渡したのは誰だい?」
「細かく言うと、お茶の時間にしようと言い出したのが津込さんで、缶を冷蔵
庫から持ち出し、配り始めたのは広崎さん。ところが、リレーのようにして配
ったからね。一つの缶が複数の人の手に渡った場合もあるんだ。それに、あの
ときは事件が起こるなんて、想像もしていなかったから、はっきりしない」
意外にも、法川も記憶していないらしい。
「それじゃあ、遊佐氏は缶飲料の種類を、自分で指定したのかな? コーラが
飲みたいって」
「うん、それは確かだ。はっきり言った」
「……関係ないかもしれないが、もしかして、今日いる面々の中で、コーラを
飲むのは遊佐氏ただ一人だったとか? それなら犯人も狙いやすくなる……」
「ははは。誰が何を飲むかって、そんなこと、誰が把握できるんだい?」
小馬鹿にしたように笑う法川。むっとする私へ、彼は朗らかな調子で説明を
加えた。
「互いに初対面の人間が多いんだぜ、今日の集まりは。あらかじめ何らかの方
法でコーラに毒を仕掛け得たとしよう。で、僕やひそかがコーラを飲みたいと
言い出したら、どうするつもりなんだ? 無関係の人間が死ぬのをよしとする
なら、もっと簡単に殺すはずじゃないか。極端な話、皆殺しにしたっていい」
「……そうだな。だが、待ってくれよ、何か見落としが……。そうそう、犯人
は本当に遊佐氏を殺そうとしていたのか。まだそれが分からない」
「その線は、もちろん無視できないね。ただ、遊佐さんは脅迫状を受け取って
いた。しかも、脅迫状の文面通り、毒殺されてしまった。犯人の狙いが遊佐さ
んだったのは、かなり高い確率で当たっているんじゃないかな」
「ああ、そうか」
私は頭をかいた。脅迫状のことを忘れていた。取り繕う意味もあって、分か
り切ったことを敢えて質問する。
「あらかじめ、缶の蓋をほんの少し開け、毒を入れたというのは無理かな」
「無理だよ。それだと、缶を開けるときの音がしなくなる。ぷしゅっていう、
あれ。遊佐さんは脅迫状のおかげで慎重になっていた。飲む際に、音がしない
異常に気付かないことがあると思う?」
「うーん、ないだろうな。へべれけに酔っ払っているならともかく、遊佐氏は
素面だったんだろ? じゃあ、だめだな」
「そのやり方だと、音だけじゃなく、コーラが気抜けする問題もある」
補足する法川。
「事前に毒を入れるのは無理に思えるよ。缶コーラの製造工程で毒を仕込まな
い限り。まあ、この考え方もないと分かってる」
「どうして? 万が一ってことが……」
「食事の前に、残った缶コーラ数本の中身を、ちょこちょこっと調べてみたん
だ。ほぼ間違いなく、毒は入っていなかった。誰が飲むか分からないコーラに、
しかも一本だけに毒を仕込むなんて、おかしい。毒を用いるからには計画殺人
のはずなのに、それにしては間が抜けてるよ。−−音を気にする暇のない状況
を作り出せないことないな」
急に法川が話の流れを変えてきた。顎に手を当て、思案げにしている。
「音を気にする暇がない? 何だ、それは?」
私が尋ねると、法川は、「まだ全然まとまっていない段階だ」と前置きして
から始めた。
「犯人が、缶の蓋を開け、毒を仕込んでおく方法を採ったとする。最大の問題
は音。音の出なかったことをごまかすために、大きな物音を立てるというのは、
どうかと思って」
「どうやってごまかすんだい?」
こちらが促すと、上目遣いになって答える法川。
「たとえば、遊佐さんが缶を開けるのに合わせて、クラッカーを鳴らす。大声
で話しかける……」
「可能かもしれないが、実際には、遊佐氏が飲み始める直前に、そういう出来
事はなかったんじゃないのか」
「そうなんだよ」
あっさり、法川はうなずいた。
「だから、音をごまかす手段が他にあるか、考えているんだが、見つからない」
その言葉を聞いて、私は別の見方を提示した。
「今さらだけど、自殺の線はないのだろうか?」
「自殺だって?」
法川が、意想外という風に顔をしかめる。
「自殺なら、毒を入れる方法は問題ではなくなる」
「それは分かっている。遊佐さんに自殺する理由があるのかってことだよ」
「こっちが聞きたいよ」
食ってかかってきた法川に、私は肩をすくめた。
「前にお父さんに聞いた話じゃ、遊佐さんはやりたいことをやって、今の地位
に着いたんだよ。不満があるはずがない。お金はどんどん入ってくる、女性は
言い寄ってくる、名も知れて、尊敬さえされる−−ってね」
強い口調の法川は、ふっと力を抜いた。
「厭世観にとらわれた、なんてことはないか。仕事に疲れるとか、同じことの
繰り返しの日々が嫌になったとか」
「そこまで僕に分かるはずないじゃないか。見た目だけなら、そんな兆候は微
塵もなかったんじゃないかな。だいたい、何で、こんな閉塞状況の中で自殺し
なきゃいけない? そりゃあさぁ、あの人は人を担ぐのが好きだったようだけ
ど、本物の自殺をみんなの前でやることないよ」
「分かったよ。自殺はない。僕なんかより、君の方がよく知っているだろうか
らね、遊佐氏を」
彼の激しい口吻に、私は矛を収めた。
我々の話が一区切りするのを待ちかまえていたらしく、風見が叫んだ。
「喉乾いたなあ。ジュースでも飲もうよ」
「ジュースって、会議室に置いてあるやつ?」
法川が暫時、考え込む。残っている缶飲料が安全かどうかの判断をしている
のだろう。やがて私に尋ねてきた。
「飲む前に確かめれば、大丈夫かな?」
「まあ、そうだろう。夕食と同じようにすればいいんじゃないか。僕が取って
来よう。リクエストはあるかい?」
各自の希望を聞いてから私は部屋を出、会議室の冷蔵庫から缶飲料三本を持
って来た。会議室は空だが、電灯は点けっ放しだった。もったいないと思うの
は、貧乏人根性だろうか。
六〇六号室に戻り、二人に缶を渡す。自分の分は開缶せずに、法川は甲斐甲
斐しく風見ひそかの世話を焼く。
「ひそか、貸して。毒味してやる」
「いいわよ。自分でする。だーいじょうぶっ。死にやしないって」
言って、蓋を開けると、手の平に中身を数滴こぼし、舌先を着ける。
「うん。しびれない。苦くもないわ」
「念のため、注意して飲んだ方がいいよ」
「分かってる」
ここまで来て心配するなと言いたげに、ひそかは片手を振る。
飲み始めた彼女を、法川はしばらく心配そうに見守っていたが、どうやら無
事だと分かると、ようやく事件の話に舞い戻った。
「どうやって毒を入れたか、これに尽きると思うんだ」
「そうだね。大勢の人が集まる場で毒殺を実行するということは、犯人はかな
り安全な方法で毒を混入し得たと考えるべきだろうねえ」
当たり障りのない相づちを打って、私は待った。私がワトソン役になって法
川の推理能力を引き出せるのなら、いくらでも協力しよう。
「うん。−−遊佐さんが部屋に入ったあと、コーラを紙コップにでも移して飲
んでくれてれば、何とかなるんだけどな」
「紙コップの方に毒を仕掛けておくってことか?」
「そうだよ。しかし現実は、缶からストローで飲んでいた。あと、考えられる
毒の混入方法は……」
法川の口から続く言葉はない。私は別の方向を模索した。
「最初の時点で、すでに勘違いがあるんじゃないか。君が見てないところで、
誰かが、『コーラを開けてあげます』とか言って毒を入れ、それを遊佐氏に手
渡したなんてことは……」
「いや、それもない。飲み物について神経質になってた遊佐さんが、人に開け
させる訳ないだろう」
また議論が途切れた。意味もなく、手元の缶を見つめる。
「二人とも、何で飲まないのよ」
のんきに一人、ジュースをごくごくやりながら、風見ひそかがくぐもった声
で言った。かわいらしいと言えば、かわいらしい。
「折角出したのに、温くなっちゃうわよ」
「そうだね」
微笑し、法川は缶の上部に手をかけた。私も一息つくため、缶を手の中で転
がした。浮かんだ水分が手に移る。
改めてラベル見て、炭酸飲料だと知る。自分は何でもよかったので、適当に
選んだから気付かなかった。これも、少しでも蓋を開ければ、液体からはどん
どん泡が出て、気が抜けていってしまうだろうな。そんなことを考えて、さっ
きの風見のように、毒味の儀式をやる。
と、法川がまだ飲もうとしていないのに気付いた。両手で包むように缶を持
ち、じっと見つめている。
「どうかしたのか、法川?」
「……分かったかもしれない」
「え?」
「この方法なら可能だっていう手が見つかったんだ」
言って、法川は手元の缶を指差す。そう、蓋の辺りを。
「簡単なことだったんだ。何で気付かなかったのか、馬鹿らしいぐらいに簡単
だよ。缶の飲み口辺りに毒を塗っておけば、自動的に毒は入るじゃないか!」
「……遊佐氏は、ストローで飲んだのだから、缶の縁に毒を塗っても、無意味
じゃないのか?」
私の疑問を、法川は鼻で笑った。
「違う違う。この蓋の部分、プルタブに毒をたっぷり塗っておけば、毒は缶を
開けると同時に中の液体に混ざるんだ!」
「……そうか」
今の缶は、プルタブと言っても、実際は蓋の一部が缶の中に落ち込む方式だ。
しかもそのベロのような蓋は、中の液体に浸かる。言われてみれば、呆気ない
ほどたやすく毒を入れられるではないか。缶の実物を前にするかしないかで、
発想に大きな違いがあった。
「加えて、缶は冷えていた。水滴が付着しておかしくない状況だから、毒の塗
り付けもたやすかったんだよ。これが犯人判明に直結する訳じゃないけど、難
関を一つクリアできた」
「よかったね、統」
話の流れを理解しているのかどうか、風見ひそかがにっこり微笑み、法川の
二の腕辺りを揺さぶる。
私は苦笑しつつ、確認を取る。
「もし、君の今言った毒殺方法で当たっているとしてだ。ゲーム参加者であれ
は、誰でも毒を仕掛けられたことになるのかな? その、犯人判明に直結しな
いってことは……」
「誰でもっていうのは、言い過ぎかな。少なくとも、あの場にいた者でないと
無理だから、君と扇田さんは容疑の枠から外れるよ」
「は、そりゃありがたい。で、具体的に犯人はいかなる方法で毒を隠し持ち、
どんなタイミングで毒を塗り付けたんだと思う?」
「毒の保持自体は簡単。たとえば、青酸カリの水溶液を脱脂綿にでも含ませて、
それを手に握り込んでおけばいい。青酸カリは水に溶けにくいのが毒としての
難点だけど、事前に準備しておけば不可能ではない」
「なるほど」
私の相槌に、法川は気分よさそうに唇の両端を上に曲げた。
−−続く