#4198/5495 長編
★タイトル (BYB ) 97/11/21 19: 7 (192)
迷宮音楽祭A つきかげ
★内容
そのジークの耳に、囁き声があった。
(変よ、ジーク。あんたの目の前の男も、あの館も)
(おお、ムーンシャインか)
ムーンシャインは、魔族の精霊である。死んだ魔族の魂は、邪神グーヌの元へ
帰ると言われていた。しかし、成人になる前に死んだ魔族は、大抵その強い思念
が地上にとどまる事になる。ムーンシャインは幼く(といっても数億年以上生き
る魔族の感覚であるから百年は生きていたと思われるが)して魔道士に殺された、
魔族のようだ。
ムーンシャインは、元々メイリンの娼館にとり憑いてた。それほど強い怨念は
持っていなかったようで、気配を感じさせる程度の存在で人間に関わろうとはし
なかったらしい。
魔道の心得のあるフェイランが、ムーンシャインと名付けた。時折、フェイラ
ンと戯れる程度の精霊だったムーンシャインは、なぜかジークが気に入りある日
ジークにとり憑くこととなる。ムーンシャインはジークの心の中に囁きかけ、ジ
ークは心の中で応えることができた。
ジークは、それ以来ムーンシャインの話し相手となり、仲の良い相棒となって
いる。ムーンシャインには人間の目に見えない様々のものが見える為、ジークと
しても結構重宝していた。
(あの男、生者ではないわね)
ジークは、目を丸くした。
(亡霊?そんなふうには見えないけどな。第一亡霊だったら、フェイランが気付
くよ)
(そう簡単では、なさそうね。ま、すぐに判るわ。用心してね)
(あいよ)
その会話を聞いていたのかどうかは不明だが、突然レオンが背中から凄まじい
殺気を放つ。ジークはとん、と後ろにさがり、左手を前に出して構えをとった。
「いや、すまん」
レオンは謝ると、振り向いて会釈した。
「一応、確かめさせてもらった。どの程度の腕かを」
ジークは、くすくす笑って構えを解いた。
「危ないなぁ。へたしたら殺してたよ、あんたを」
「ああ、確かに私では、到底太刀打ちできぬ腕をお持ちのようだ。それと、ジー
ク殿は武器を身につけておらぬが、何をお使いになるのかな。どんな武器でも、
ご用意致すが」
「いや、俺のはラハン流の格闘術でね、武器は使わないというか。この左手が武
器みたいなもんさね」
ジークは、ぐいと左手の袖を捲り上げる。そこに現れたのは、星無き夜の闇の
ような、漆黒の左手であった。
無言で問いかけるレオンに、ジークは説明する。
「ギミックスライムというやつを、知ってるだろ。不定形の生き物で人間の身体
を喰いながら、喰った部分の擬態をするというやつ。おれの左手はギミックスラ
イムなんだが、ただのギミックスライムじゃなくて、黒砂蟲というやつなんだ。
黒砂蟲は身体の表面を、鋼鉄より堅い黒砂鉄で覆って身を守る。俺の左手は、鉄
の剣をへし折ることができる」
「黒砂掌か」
「なんだ、知ってんじゃん」
ジークはへらへら笑う。レオンは無表情のままだが、ジークはレオンが驚きを
感じているような気がした。
「黒砂掌はただの伝説と思っていた。ジーク殿、おぬしであれば、もしや」
「へぇ、なによ?」
「いや、何でもない」
レオンとジークは、高い壁の続く館の前へ来た。ジークは門に刻まれた紋章を
見てみたが、記憶には無いものだ。主要な貴族の紋章は知っているつもりだった
ので、意外な気持ちになる。相当に古く、しかも地方に本拠がある豪族らしい。
高い壁に覆われている為、真っ正面に立つと館の内部は伺い知ることができな
い。レオンがとん、と門を押すと巨大で頑丈そうな門は音も無く開く。
庭園は手入れが行き届いていないのか、主の好みなのか、鬱蒼とした自然の森
林のようになっている。その庭園の木立を貫く道を通り、レオンとジークは館の
正面玄関にたどり着いた。
玄関の巨大な扉も、レオンが押すと音もなく開く。薄暗い玄関ホールを二人は
突き抜け、長い廊下に入った。
館の内部は複雑な迷路のように曲がりくねっている。ジークは導かれるまま、
いくつもの角を曲がり階段を昇り降りして館の奥へと入っていった。ジークはあ
っとう間に方向感覚を失い、入り口がどこだったか見当もつかなくなる。
館の内部は、人の気配に満ちていた。多数の人がここで生活しているようなの
だが、実際に人の姿は見かけない。ジークは深夜のため誰も出歩いていないのだ
ろうと、一人で納得する。
やがて、ジークは大きく殺風景な部屋へつれこまれた。家具は殆どなく、片隅
に椅子がいくつか置かれているだけだ。ふだんは空き部屋のようで、人に使用さ
れていたような匂いが無い。
「しばらくここで待っていてくれ。主がやがて、挨拶にくる」
レオンはそう言い置いて、部屋から出ていった。ジークは椅子を手にとり、腰
を降ろす。
「やっぱり、おかしいわ。この館」
ひょいと、ジークの左肩に漆黒の姿をした体長10センチ程の少女が現れる。
少女の背中にはフェアリーを思わす半透明の羽があった。その少女はムーンシャ
インである。
ジークの左手は、不定形生物であるギミックスライムで出来ていた。本来物理
的身体を持たない魔族の精霊であるムーンシャインは、ジークの左腕を形成する
ギミックスライムを使って自分の身体を作り出す。他人がそばにいる時は姿を見
せることはないが、誰もそばにいないとムーンシャインは姿を顕した。
「どうおかしいわけ?特に何も感じないけど」
「魔法がかかってるよ、ここ全体に。ただ今は少し力が弱まっているふうな」
ジークは首をかしげる。
「それって、そんなに珍しい話じゃないよ。古い貴族は、よく魔族よけの呪いを
館にかけるじゃん」
ムーンシャインは、羽ばたきながらジークの目の前に飛んでくる。もどかしそ
うに、小さな手を合わせながら話す。
「そうじゃなくて、この館がアイオーン界と現世の狭間にあるような」
アイオーン界は現世とは別の次元界であり、精霊たちと龍族の故郷である。そ
こは魔法的宇宙であり、夢幻的空間であった。
ジークはげらげら笑って、ムーンシャインに応える。
「まさかぁ。そんなに強い魔法は感じないよ」
ムーンシャインはむっとなって、妖気をゆらめかせる。ムーンシャインは小さ
くても魔族であり、人間の魔道士には到底まねできないような強烈な瘴気を放つ。
その様は、ジークを慌てさせた。
「い、いや、そうかもしれんな、うん」
「いったでしょ、力が弱まっているって。今夜は月がでない、世界の魔力が弱ま
る夜。もうすぐ魔力は甦ってくるわ」
そう言い終えると、ムーンシャインはすねたようにジークを睨みつけ、かき消
すように消えた。ジークはふうと、ため息をつく。
「そなたは、何者だ」
突然声をかけられ、ジークは飛び上がる程驚いた。慌てて、後ろを振り返る。
「何者か、と聞いている」
再び誰何する声を発したその人は、女である。身につけた純白の長衣は、婚礼
の衣装のようであり、屍衣のようでもあった。
金の鮮やかな髪飾りに縁取られたその顔は、死人のように蒼ざめてはいるが、
神殿に祀られる女神の像のように美しい。くっきりと施されている化粧は、仮面
をつけているように女の顔から表情を奪っていた。
女は、降臨した裁きの天使のように威厳を持って佇んでいる。その威圧感に、
ジークは一歩退く。
女は、肩から大きな剣を下げている。戦場刀だとしても、驚くほど幅広の鞘に
剣は収められていた。長さもおそらく柄の部分を除いても、女の身の丈近くはあ
るだろう。武器ではなく、神器なのかもしれない。
「何者か、ていわれてもねぇ。ただの男だよ。名前はジーク」
ジークがかろうじて返した言葉に、間髪いれず女は再度質問を発した。
「ここで何をしている?」
「何をしているって?いや、ここで待て、て言われたからさ」
「誰を待っているのだ」
「この館の主だよ。あんた誰?いいかげんにしてほしいな。俺さぁ、たいした者
じゃないけど一応は客かと思ってたんだけど」
ジークは、部屋を見回す。扉は、ジークの入ってきたところ一ヵ所のみだ。ジ
ークは扉に向かって座っていたのだから、そこから部屋へ入り込むのは不可能で
ある。かといって、窓もないこの部屋では壁や天井をすり抜けるしか部屋へ入り
込む方法は無い。
それに、女はジークに全く気配を感じさせなかった。この館へ来てから、ジー
クは油断していた訳ではない。むしろ、神経を研ぎ澄ませていた。そのジークに
全く気配を気取られることなく姿を顕したとなると、妖魔か精霊の類と思える。
「私はトーヤ」
女は、傲岸な口調で言い放つ。ジークはムーンシャインに気を投げてみるが、
さっきのやりとりで拗ねたせいか、答えが無い。
トーヤと名乗った女の紅く塗られた唇のはしが、つっと上がる。それは、獲物
を捕らえた獣のような笑いであった。
「なるほど、おまえか」
トーヤの言葉にジークは戦慄を感じ、一歩下がる。
「なんだよ、それは」
「おまえが、今月の使い手という訳だ」
トーヤはその常識はずれに巨大な剣を、一瞬で抜き放った。それは、厳密には
剣と呼ぶべきものではないようだ。
それは双胴の剣である。二本の細身の刀身が、柄から延びていた。その切っ先
は、三日月型に湾曲した小刀で繋がれている。
その三日月型の小刀から柄に向かって、金属の糸が4本張られていた。全体的
には武器というよりも、竪琴を思わせる。武器で構成された楽器というべきか。
トーヤはその巨大な剣(楽器)を提げて、一歩踏み出す。その眼差しには、凍
りついた殺気が潜んでいた。
「なぁ、何か誤解が無いか?俺は」
「腕がたつという理由で、ここへつれてこられたのだろう」
ジークは後に下がってゆき、背中が壁にあたった。
「いや、そう、だったけか?」
「どうでもいい、おまえだ、私が待っていたのは」
ジークは闇色の左手を前に出し、構えをとる。腹を決めた。どうやら戦うしか、
無いようだ。
トーヤは動き出さない。その長大な剣は、おそらく振るうことはできないだろ
う。とはいえ、どのように使うものであるか見当もつかない為、ジークは攻撃の
為に踏み込むことを躊躇った。
ジークとトーヤが対峙した状態で、時が流れる。ジークは、相手の出方を見る
ことにした。手の内の読めない相手に、先の先をとれるとは思わない。後の先も
無理だろう。とりあえず、運を天にまかせて相手が動くのを待つしか無い。
ジークは気を研ぎ澄まし、トーヤの動きを待つ。そのジークの耳に、静かな音
が聞こえ始めた。
遠くに聞こえる潮騒、あるいは静かな雨音。深い地下室で囁かれる声、風が揺
らす山上の木々の音。
そんなざわざわとした音が、耳鳴りか幻聴かと思える程の音量で、絶え間なく
聞こえてくる。そしてその音は、次第に高まってきた。
少しずつ満ちてきた潮が気が付くと自分の足下に及んでいたように、その音は
はっきりと部屋全体を満たすほどに高まっている。それは大量の水が流れ落ちて
いく音のようであり、森の中を吹きすさぶ風の音のようでもあった。
部屋全体が鳴っているように、音が高まる。その音は水が部屋を満たすように、
部屋じゅうを埋め尽くした。
ジークは確信する。その音が、トーヤの持つ剣から発されていることを。そし
て、剣の糸がよりはっきりとした音をたてた。それは水晶を打ち合わせて鳴らし
たような、透明で澄んだ音である。
トーヤは剣を動かした。その動きに伴い、糸の発する音も様々に変化してゆく。
その音はうねるよう調子を変えながら、曲を奏で始める。
糸の発する澄んだ音は歌としかいいようのない旋律を、奏で始めていた。誰も
聞いたことのないような夢の世界の歌。
トーヤが剣を振り回すにつれ、その歌の音色や音程が変わってゆく。それは無
数の楽隊が様々な旋律を奏でながら、行き交っているようでもあった。あたかも
それは、音の万華鏡である。
ジークはふと、自分の左手が共鳴し始めているのに気づき、愕然とした。ジー
クの闇色の左手も、トーヤが持つ剣の歌にあわせて歌い始めている。その歌は、
左手の指先から手のひら、手首、腕、肩へと次第に昇ってきた。
やがて旋律は螺旋状に旋回しながら、ジークの全身を覆っていく。いまや部屋
全体が歌の旋律に、共鳴しているようだ。
ジークは、自分が歌と一体化していくのを感じた。それは、超越的な大いなる
存在へ組み込まれ、その一部になっていく感じだ。ジークの心はすでに麻痺して
いる。
ジークは白衣のトーヤが奏でる無限に変化していくその歌に、陶酔を感じた。
その陶酔の果てには星なき闇夜のような黒き死がある。ジークはその闇の縁を、
歌を聞きながら覗き込んでいた。
そしてジークは、歌に呑まれる。