#4150/5495 長編
★タイトル (PRN ) 97/10/26 23:38 (142)
青の国(2) 穂波恵美
★内容
一章 青の旅人
ひたひたと、何かが身体を包んでいた。
暖かい心地よい感覚、ふかふかのベッドに寝ころんでいるそれによく似ているが、
もっと自然で身体が溶けるような感覚だった。
ずっとそのままでいたい気もしたが、何か忘れている気がして、プリシアは目を開
けた。
まぶしくて、何度かまばたきする。
「そらの色?」
目に入って来たのは、抜けるような青だった。どこまでも高い、ブルー。
ピチャピチャいう音に、ふと気が付く。
ゆっくり首をめぐらすと、自分の手が見えた。桜色の爪が、何故かユラユラと揺れ
ている。
「あれ?」
目をこすろうと、手をあげたプリシアは、手が重いのに気が付いた。
力を入れて、ぐいっとあげると水しぶきが上がる。
「ひゃっ」
その時、ようやくプリシアは、自分が身体を水に浸けていたことに気が付いた。
「ここは……」
起きあがったプリシアの目に、青い景色が広がっていた。
ゆっくりと寄せて返す、青い波。彼方まで水面は広がっていて、その水平線と溶け
合うように青い空が伸びている。プリシアが横たわっていた地面は、サラサラした砂
で出来ていて、その一粒一粒が、キラキラした透き通った薄いブルーをしている。
「青い、世界?」
砂も、水も、空も、全てが青い。
濃淡の差こそあれ、ブルーで構成されている。
「そっか! プリシアリュウサの夢に来れたんだ! でも、リュウサ、どこにいるん
だろう?」
この世界の所有者である少年の姿は、どこにも見あたらない。
そればかりか、プリシア以外の生き物の姿も見あたらなかった。
辺りをきょろきょろ見回していたプリシアは、ふと揺れる青っぽいスカートに首を
傾げた。
「あれ、プリシアこんなかっこうしてたっけ?」
プリシアの着ていたのは、大きなリボンのついたピンクのワンピースの筈だったが
今は真っ白の飾り気のないものだった。周囲の景色の照り返しが、純白を青ざめて見
せている。靴もなくなっていて、裸足に直接触れる砂の感覚がくすぐったい。
立ち上がったプリシアは、体が軽いのにちょっと首を傾げた。水に浸かっていたの
だから、ぐっしょりと濡れているはずなのに、不思議と身体は乾いている。
プリシアは、ぐるりと周りを見渡してみた。
砂原の向こう、ごく薄い水色の何かが光っている。
「とりあえず、あそこに行ってみよう」
他に目立つ物もない。
プリシアは、気合いを入れるように頷くと、そちらに向かって歩き出した。
足の下で砂が、サクサクと独特の音をたてた。陽射しに照りつけられているのに、
ぽかぽかしている程度の熱しか持っていなかった。
プリシア以外の存在は全て透き通っていて、少女の影だけが青い世界に小さな闇を
もたらしていた。
「ふわー、おっきい……」
海辺から見た水色の何かは、近づいたところ半円形の大きな建物のように見えた。
かなり巨大である。
プリシアが首をほとんど真上に向けてようやくてっぺんが見える。
「ここ、お家なのかな?」
壁は、巨大な石で出来ている。透き通っているため氷のようにも見えるが、触って
みると氷特有のひゃっとした感じはない。むしろ、せとものの茶碗のような暖かさが
あった。
「入り口、どこかな?」
ぐるりと周りを歩いてみる。
後ろの方に行くと、海辺からは見えなかったが大きな樹木が何本も天に向かって生
えている。
幹は半透明の白で、葉は薄緑がかった青である。建物と同じように透き通っていて
木々を通った日の光は、色硝子のように砂に色を付けた。
「不思議な葉っぱだな……」
砂に落ちていた葉を拾う。
ひんやりとした肌触りで、目の上にかざすと世界が淡い青緑に染まった。
「おもしろーい!」
一人クスクスと笑う。
「他には、ないかな?」
キョロキョロと辺りを見渡す。砂地に落ちている葉は、それ一枚きりだったが、林
の奥の方に薄い紫の輝きが見えた。
「何だろ?」
最初は花かと思ったが、それはユラユラと移動していた。
少しだけ、プリシアの方に近づいた薄紫は、光る羽を持った小さな虫だった。
「チョウチョだ!」
プリシアは、弾むような足取りで木々の間に分け入った。
足の下の砂の感覚が、いつの間にかおがくずのような柔らかいパサパサした物に変
わったのも気が付かない。
「まって!」
蝶は、プリシアを誘うようにゆっくりと移動する。
しかし、あと少しで追い付きそうになると、さっと手の届かない高見にのぼってし
まうのだった。
いつの間にか、木々の落とす影が濃くなっていた。
先程まで淡い緑がかった青をしていた空気は、漆黒に近い深緑に染まっていた。
「おいついた!」
指先が蝶に触れそうになった。が、蝶はすうっとプリシアの指をすり抜けていた。
「え……?」
プリシアは、まばたきした。
蝶を触り損ねたのではない。プリシアの指の間は、蝶が通り抜けられるほど大きく
はなかった。
明らかに、プリシアの指を突き抜けて蝶は飛んでいった。
「どういうこと、なのかな?」
首を傾げる。
しかし、考えても分かるはずがない。
「リュウサと、一緒に遊びたいな……」
ふいに、リュウサの優しい微笑みが浮かんだ。
プリシアが分からない問題は、いつもリュウサが答えを教えてくれた。
食べられる木の実や、擦り傷によく効く草の葉を教えてくれたのも、リュウサだっ
た。
「リュウサ、そだ、リュウサを探しに来たんだ!」
突然不安になり、辺りを見回した。あたりは、深い緑に染まっていたが、幸いそれ
ほど砂浜から離れてはいなかった。
木々の向こう、透き通った水色の建物が、キラキラ光を弾いている。
プリシアは、慌ててきびすを返した。
建物に向かって歩き出す。
蝶の姿はもうなく、木々だけがひっそりとプリシアを囲んでいる。
「リュウサ、一人で淋しくないのかな?」
ここがリュウサの夢と言うことは知っていたが、いっこうに少年の姿は見あたらな
い。
一人でいると自覚した途端、淋しさがこみ上げてきてプリシアは呟いた。
「ここはきれいだけど、やっぱりプリシアは一人じゃ淋しい」
リュウサも淋しいだろうな、と考える。
「よし、早くプリシアが見つけてあげよう!」
ずんずん歩いていたプリシアは、いつの間にかもとの砂浜まで戻っていた。
「やっぱり、この中にいるのかな?」
透き通った水色の建物は、しんと静まり返っている。
プリシアは、建物の周りを再び歩き出した。
半分ほど回っただろうか、プリシアはようやくドアのような物を見つけだした。
真っ白の木の扉に、真っ青のノブがついている。
薄い碧のベルもついていたが、プリシアの身長では届かなかった。
とんとん……
ちょっとドキドキしながら、ノックする。
だが、返事はない。
「リュウサ、プリシアだよぉ?」
最初、いつものように呼びかけたプリシアだったが、リュウサの夢でも誰の家か分
からないと思いつき、慌てて言いたす。
「その、プリシアです、どなたかいませんか?」
だが、言い方を変えてもドアは相変わらず静まり返っている。
「だれか、いませんか!」
プリシアの高く澄んだ声が、空気を振るわせる。
「だーれーか、いませんかーっ」
空にまで反響するような声が、あたりに響きわたる。
扉が開いたのは唐突だった。
勢いよく開いた扉に、プリシアは危うく鼻の先をぶつけるところだった。
「……見つかったのか!?」
意味不明の叫び声に、プリシアは顔を上げた。
鼻を押さえて後ずさっていたプリシアの瞳に、リュウサによく似た少年が映る。
しかし、リュウサより若干幼い少年だ。青空を思わせる大きな瞳をしている。そし
て、短い髪もまた、鮮やかな空色をしていた。