AWC 青の国(1)   穂波恵美


        
#4149/5495 長編
★タイトル (PRN     )  97/10/26  23:35  (131)
青の国(1)   穂波恵美
★内容
 序章 青銀の少女

 
 野原に、澄んだ声が響きわたっていた。
 黄色のタンポポが緑の絨毯の上に模様を描いている。
 空は抜けるような青空で、白い雲が幾つか浮かんでいた。
 緑の上に立ち、青空に向かって立っているのは、青銀の髪を持つ少女。
 肩より少し長い髪が、ふわふわと揺れる。大きな水色の瞳は、真っ直ぐ空に向けら
れている。
 十二、三才だろうか……頬がふっくらとしていて、いかにも幼い顔立ちだった。だ
が、その声は不思議と神秘的ですらある。
 野原の端にある、大樹の陰に座っていた少年はじっとその声に聞き入っている。そ
ばにいる山羊の群も、一声も発さず無心に草を食べている。
 高く澄んだ声音に、小鳥すら歌うのをやめていた。
 子山羊の世話をしていた少年……リュウサは、いつもの事ながら感嘆を禁じ得なか
った。話をしているときは、ただの綺麗な声なのに歌っているときの声は、まるで天
使のようだ。
 リュウサ、少々細すぎるきらいはあるが、至って健康そうな少年である。穏和そう
な顔立ちで、短めの衣服からのぞく手足は日に焼けて小麦色をしている。一見、どこ
にでもいそうなごく平凡な少年だった。ただ一つ黒髪と黒い瞳を持つことを除いて。
 黒は、炎の魔導師の証し。二十年前に世界を滅ぼしかけた、魔法都市「ヴァンテ」
の暴走は、未だ人々の記憶に焼き付いている。その最たる元凶は、炎の魔導師。リュ
ウサは、その生き残りだった。
 細く高い声が、青空に吸い込まれるように消える。
 しばし、風の音だけが聞こえていた。
「リュウサ、どうだった?」
 少女が、期待に瞳を輝かせて尋ねる。
「上手だったよ、プリシア」
 プリシアと呼ばれた少女が、実に嬉しそうに笑う。太陽の光を笑顔にしたら、こん
な感じになるのではないかと、リュウサは思った。
「ありがと! プリシア、リュウサに褒められるのが一番嬉しいな」
 プリシアは、たたっとリュウサに近寄り、隣に腰を下ろした。
「今度の発表会、リュウサも来てくれないかな?」
「……ごめん、僕は仕事があるから」
「そっか、お仕事じゃしょうがないよね」
 僅かに表情を曇らせて、プリシアは俯いたがすぐにピョコンと立ち上がった。
「じゃ、もう一曲聞いてくれる? 発表会の曲、歌うから」
「なんて言う曲なんだい?」
「うーんとね、『青の国』ていう曲……プリシア好きなんだ」
 それから、草をはむ子山羊の頭をちょんとつつく。
「メルちゃんも、聞いてね」
 チェックのスカートが翻る。白いペチコートがちらりと覗いた。
 野原の真ん中に立ち、プリシアがリュウサを振り返る。
 リュウサは、微笑んで頷いた。
 プリシアは、こぼれるような笑顔を見せると、息を大きく吸い込んだ。
 澄んだ声が、空気に溶けるように広がっていく。
 その声を聞きながら、リュウサは何故か瞼が重くなるのを感じていた。
「……何だ?」
 こんな所で眠り込むわけには行かない。山羊の世話も残っているし、寝てしまった
ことが分かったら、プリシアが拗ねるだろう。
 リュウサは、大きく頭を振った。
 プリシアの歌声が聞こえる。
 澄んだその声に混じって、囁く声が聞こえてきた。
 ……現実ニ、満足シテイルカイ?
 囁きは、頭の中で繰り返される。
 耳障りな、そのくせ惹きつけられる声だった。
 プリシアの声が、だんだん遠くなってゆく。
 リュウサは、ぼんやりとした頭で答えを返していた。
「僕は、今の生活を気に入っている」
 ……本当二? 毎日毎日、働キヅメデモ?
「僕には、仕事がある。お爺さんは血のつながりのない僕に、よくしてくれている。
貧しいんだから仕方ないだろう」
 ……ロクニ友達ガイナクテモ? 魔導師トシテ嫌ワレ続ケテモ?
「プリシアがいる! プリシアは僕を嫌っていない」
 ……今ハソウカモシレナイ。デモ、コレカラ先モソウダト言エルカイ? オマエガ
魔法ヲ使エルコトガバレタラ……
「僕は、魔法なんて使えない!」
 ……忘レテイルダケダトシタラ? 君ニハ、幼イ頃ノ記憶ガナイ。
 囁きは、絶え間なく心の奥にある不安をつつき出す。
 プリシアの歌声は、完全に聞こえなくなっていた。
 ……プリシアモ、君ヲ嫌ウ日ガクルカモシレナイ。
 リュウサの瞼は、完全に閉じていた。
 否定の声をあげたかったが、出来なかった。
 どこか耳障りだった声が、優しさを帯びる。
 ……こちらにおいで、君の望みを叶えてあげる。
 囁く声は、いつしかリュウサの頭いっぱいに鳴り響いていた。


「リュウサ?」
 歌い終えたプリシアは、いつものように感想を聞こうと少年の名を呼ぶ。だが、リ
ュウサの返事はなかった。ポプラの幹にもたれて、瞳を閉じている。その表情は、と
ても穏やかだ。
「リュウサ、寝ちゃったの?」
 ちょっと頬を膨らませて、プリシアはポプラの下に走り寄る。
 子山羊のメルが、静かに草をはんでいるその横、リュウサは熟睡しているのかピク
リとも動かない。
「リュウサ、寝ちゃう何てひどいよお」
 少年の骨張った肩に手をかけ、揺する。
「リュウサ、起きて! メルちゃんだって、連れて帰らなきゃ」
 耳元で呼びかけたが、リュウサはまったく動かない。
「……リュウサ?」
 プリシアの声に、不安が滲む。
「リュウサ、ねえリュウサ起きてよ」
 呼びかける声は、半分涙が混じっている。こんな風なリュウサを見たのは、初めて
だった。いつでも、プリシアが呼べば笑って返事をしてくれる筈なのに。
「リュウサ、リュウサッ!」
 そして、プリシアの呼びかけにも関わらず、リュウサの意識は戻らなかった。


「これは、夢魔の仕業ですな」
 村の呪術師が、判断を下したのは次の日の昼だった。
 狭い屋根裏部屋、白いシーツの敷かれた藁のベッドに、眠り続ける少年がいる。窓
の脇には、小さな棚があり、コップに野の花がいけてあった。
 花を持ってきたプリシアは、不安そうに眠り続けるリュウサを見つめていた。少女
をいたわるように、小柄な老人がその肩を軽く叩いてやる。
 少年を調べていた呪術師は、触ったのを恐れるように念入りに手を拭っている。
 一日過ぎても目覚める気配のないリュウサの様子に、プリシアが強引に嫌がる呪術
師を連れてきていた。村一番の金持ちであるプリシアの家という背景に、呪術師の嫌
悪感も折れたのだろう。
「リュウサは、どうすれば目覚めるのですか?」
 リュウサの保護者であるメリーが、緊張に強張った顔をする。自慢のふさふさした
白い髭が、今日は何だかだらんとしていた。
「さて、普通の人間が憑かれたのなら、親兄弟、近しいものが夢に入り込んで呼び戻
すのが一番の手段だが……何分魔導師の子供だ」
「どうやって、夢に入るのです?」
「夢に入るには、この夢見草を食べ、眠っている者のことを思いながら眠ればいいだ
けだ」
 呪術師は、腰に吊していた布袋から、透き通った草を取り出す。
「それでは、わしが……」
 メリーが言いかけたとき、プリシアがその草を呪術師の手から素早く取っていた。
「プリシアが、むかえに行く!」
 宣言すると同時に、口に草を放り込む。
「プリシアちゃん!」
「お嬢さん!」
 メリー、そして呪術師が止めようとした時には、プリシアは既に夢見草を飲み込ん
でいた。 
「メリーおじいちゃん、プリシア、リュウサと一緒に帰ってくるからね」 ピンクの
ワンピースが、ふわりとそよいだ。青銀の髪が、窓から射し込む光に煌めく。プリシ
アは、リュウサの隣に倒れ込んでいた。   






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