#4151/5495 長編
★タイトル (PRN ) 97/10/26 23:41 (185)
青の国(3) 穂波恵美
★内容
二章 空色の理想
「私の名前は、プリシア……あなただあれ?」
挨拶するときは自分から、という母親の言いつけを覚えていたプリシアは、とりあ
えず自己紹介してから唐突に現れた少年に問いかけた。
空色の半ズボンと上着を身につけた少年は、ポリポリと頭をかいた。袖のない上着
から伸びた細い腕、そして半ズボンから伸びる素足は、青みがかった褐色だった。
「何だ、ソウじゃない……いつもの、幻か」
小さくため息をつく。
その様子に、プリシアはむっとする。
「プリシアは! 自分の名前ちゃんと言ったよ!」
そして、少年の腕をギュッと握る。
「あなたの名前は?」
いきなり腕を捕まれた少年は、驚いたようにプリシアの顔をじっと見ていたが、不
意に叫んだ。
「あんた、幻じゃないのか?」
「まぼろし? プリシアは、プリシアだよ」
眉をしかめて、プリシアは言い返す。
「それより、名前教えてくれないなら、リュウサの場所教えて!」
「リュウサ? あんた、リュウサを知ってるんだな!」
少年は、プリシアの腕を逆に引っぱるとまっすぐに顔を覗き込んだ。
「あんた、オレ達の仲間じゃないみたいだけど……夢魔の幻でもないみたいだ、あん
た、誰なんだ?」
「プリシアは、プリシアだよ! リュウサをつれもどしに来たんだもの」
少年は、まじまじとプリシアを見つめる。
プリシアは両腕に食い込んだ腕の力が、ちょっと痛かった。
「ねえ、そろそろ腕、はなして欲しいんだけど」
「あ、ゴメン! 幻じゃない相手にあったの、ソウ以外にあんたが初めてだったから
……そうか、あんたがあのプリシアか!」
「プリシア、あんたじゃないよ、それにあなたの名前、まだ聞いてない」
焦って手を離した少年に、プリシアはちょっとつっけんどんに言う。
少年は、ますます恐縮したようで、慌てて言葉を継いだ。
「オレ、スカイ……リュウサの中の、一人だ」
「リュウサの中の、一人?」
意味が分からず問い返したプリシアに、スカイと名乗った少年は、扉を大きく開い
た。
「とりあえず、中に入りなよ。お茶でも飲みながら、話そうぜ」
「お茶!? 嬉しい! ケーキあるかな?」
とたんに笑顔になったプリシアを眺めて、スカイがプッと吹き出す。
「な、なんで笑うのぉ?」
「……い、いや。そのケーキはないけど、ゼリーがあるよ」
ぷうっと頬を膨らませたプリシアをなだめながら、スカイはそっと扉を閉めた。
建物の中は、薄い空色の光で満たされていた。
透き通った水色の石を通して入ってくる日光は、優しい空色に染め上げられている
。
足下は、柔らかな苔がおおっていたが、ちっともじめじめした感触はなくむしろ上
等の絨毯の上を歩いているような感じだった。
水晶で作られたような椅子に腰掛けたプリシアは、足をゆらゆら揺らしながら、ス
カイの入れてくれたミルクティーを満足そうに飲んだ。
「おいしい! リュウサが入れてくれたみたい」
硝子のカップのように見えるのだが、不思議と温かな紅茶を入れられても、それは
砕けることはなかった。
「そりゃ、どうも。ゼリーも、うまいぜ」
スカイがどこからか半透明のゼリーを取りだしてくる。
プリシアは、早速スプーンにすくって口に入れた。
「わぁ、あまーい!」
舌の上でとろけるような柔らかさのゼリーは、食べたことのない味だった。
果物のゼリーは沢山作ってもらったが、今まで食べたどれとも違う甘さである。さ
っぱりしているのに、舌で溶ける瞬間は甘味が口の中いっぱいに広がる。
「おいしい! これ、スカイが作ったの?」
「いや、ゼリーはソウが作ったんだ」
スカイは、ちょっと俯く。
空色の髪が、光を受けてその青さをわずかに増した。
「……スカイ、どうしたの?」
ゼリーを食べる手を止めて問いかける。
少年は、顔を上げたがどこか淋しそうな色を瞳に滲ませていた。
「そろそろ、話すよ。オレのこと、ソウのこと、そしてリュウサのこと……」
プリシアは、かちゃんとスプーンをお皿に戻した。
足をぶらつかせるのをやめて、まっすぐにスカイの顔を見つめる。
スカイは、ちょっとリュウサに似ている微笑を唇の端に浮かせた。
「プリシアは、現実の人間なんだろ?」
「げんじつ?」
「うーん、リュウサが動いてる世界から、来たんだろ?」
「うん。プリシア、リュウサと一緒に遊んでたよ」
「で、今ここがリュウサの夢の中ってことも分かってるよな?」
「うん。夢見草食べて、ここに来たんだもの」
素直に頷くプリシアに、スカイはちょっと苦笑しながら言葉を続けた。
「リュウサは、夢魔の誘惑に負けたんだ。それで、自分の作り上げた世界に今閉じこ
められてる」
「自分の作り上げた世界?」
「ああ、夢魔の誘惑はあくまできっかけに過ぎない。リュウサが夢に閉じこめられた
のは、自分で作った檻から抜けられなくなったからなんだ」
「…………?」
「夢魔は、誘うことは出来ても、閉じこめることは出来ないんだ。幻の檻を作ること
は出来ても、それを本当にする力はない。だから、この世界を作ったのはリュウサな
んだ」
キョトンとしているプリシアに、スカイが言葉を探すように空を見上げる。
「そうだな……リュウサは、ずっとこんな世界に心のどこかで憧れていたんだ」
「そうだね、こことってもきれいだし」
プリシアは即座に首を縦に振る。スカイは、自然に微笑んでいた。
「いや、そう言うことじゃなくて……まあいいか」
「?」
「とにかく、リュウサの心はこの世界に閉じこめられてるんだ。オレとソウ……そし
てサイだけが、閉じこもるリュウサの心から抜け出して、自由に動ける」
「ええと、スカイたちは、リュウサの心の中の人なの?」
「うん、たぶんオレはリュウサの望んでいた理想のリュウサなんだ」
「理想の、リュウサ?」
「ずっと憧れていた自分だよ」
プリシアは、よく分からなかった。
それを見て取ったのか、スカイは手早く説明する。
「まあ、とにかくリュウサの心の中にいる別のリュウサの中で、一番強い存在の一つ
だったんだよ」
「ふーん」
「リュウサの心の中で強かったのは、オレとソウ、そしてサイの三人だった」
「ソウに、サイ?」
「ソウは、オレとは逆にリュウサがこうなるんじゃないかって恐れていたリュウサの
姿なんだ。そして、サイはリュウサが忘れたがっている昔の自分」
「どういうこと?」
「二人に、会えば分かるよたぶん」
プリシアは、小首を傾げる。
青銀の髪がふわりと揺れた。
「二人は、どこにいるの? それにリュウサは?」
「リュウサの居場所は、分からない。ソウが、今調べてるんだ……サイは、きっとリ
ュウサの元にいる」
「え?」
「サイは、たぶんリュウサと夢魔をつなぐ一番強い存在なんだ。でもたぶんあいつは
リュウサがこのままでいることを願ってる」
「どうして!?」
プリシアは、大声を上げた。
スカイが大きな空色の瞳を伏せる。
「サイは、一番現在のリュウサに近いから……オレよりもソウよりも、ずっと恐怖に
ついてよく知っているから」
「……よく、分からない」
「オレも、本当はよく分からないんだ。オレとソウとサイはリュウサの一部だけど全
てを共有してるわけじゃないから」
「うーん、難しいことはよく分かんないけどとにかく、リュウサのところにサイって
人がいるんだよね。それで、ソウって人がリュウサを探してるんだよね」
妙に勢い込んプリシアはスカイをを見上げた。その勢いにのまれたスカイはわずか
に身を引いてしまった。
「スカイは、さがしに行かないの?」
無邪気な口調でプリシアが問いかける。
思ったままのことを口にするプリシアには、それはスカイの少年らしいプライドを
ちょっと傷つけるものだと、分からないのだろう。
「オレも探したよ。でも、探すのはたぶんソウの役目なんだ」
少し早口で告げられた言葉に、プリシアは首を傾げた。
「役目?」
「リュウサは、今恐れている。ソウは、リュウサの確定しない未来の恐怖に属する存
在だから、サイほどではないけど、オレよりはリュウサの気配に敏感なんだ」
「リュウサ、何をこわがってるのかな……」
少女の呟きに耳を止めたスカイが、不意に真顔で問いかけた。
「プリシアは、怖くないのか?」
「こわいって、何が?」
「今リュウサの夢にいて、肝心のリュウサは夢魔に囚われてるんだぞ」
「プリシア、別にこわくないよ。だって、リュウサがいなくなったわけじゃ、ないも
の」
プリシアの返答に、スカイは目を細めた。
「オレが、なんで空色なのか、分かったよ」
「え?」
「オレの瞳の色、プリシアと一緒だろ?」
少年の空色の瞳は、確かにプリシアの水色の瞳とよく似た色をしていた。
「あ、そうだね! おそろいだ」
プリシアは、ニコニコ笑う。
「リュウサはたぶんこんな色の瞳を持ちたかったんだ」
「え、でもプリシア、リュウサの黒い目が大好きだよ」
「え?」
目を見開いたスカイに、プリシアは笑顔で告げる。
「スカイの瞳の色も好きだけど、プリシアはリュウサの目の色が一番好き! だって
すごく優しくて安心できるもの」
「……そっか、ありがとう」
囁かれた言葉はあまりにか細くて、プリシアの耳にはうまく届かなかった。
キョトンと首を傾げたプリシアは、細い鐘の音に気が付いた。
薄いレースを重ねるような音が、耳に心地よく響く。
「ソウだ!」
スカイが、勢い込んで立ち上がる。
「あ、まって!」
勢いよく駆け出したスカイを追って、プリシアも椅子から飛び降りる。
走りだそうとしたプリシアは、柔らかな苔に足を取られて体勢を崩した。
「きゃ……!」
そもそも運動神経がいい方ではない。あっと思ったときにはテーブルの角が目の前
に迫っていた。
「プリシアッ!?」
スカイの声が聞こえたのと、転びそうになったプリシアの身体を、長い腕が抱き留
めたのは同時だった。
「あ、ありがとう……」
顔を上げたプリシアの目に、背の高い青年の姿が映る。
黒と見まごうほど深い群青の髪、肌は白っぽいといってもいいはずなのに青黒く見
えた。そして、やはり黒ずんで見える蒼い瞳が、少女を見下ろしていた。リュウサよ
り五、六歳は年上の男だが、それでもどこかリュウサの面影を残した顔立ちだった。
瞳と同じ色のローブを身につけているが、長い裾から覗く足は何もはいていない。
「あなたが、ソウなの?」
呟くプリシアに、青年は凍えるような声音で告げた。
「プリシア……お前が来るのを、待っていた」