#4143/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/ 9/30 16:39 (200)
そばにいるだけで 15−8 寺嶋公香
★内容
「無理に書かなくていいじゃない。おばさんのこと、気がかりなんでしょう?」
答える代わりに、相羽の視線が電話機へと向けられる。
つられて、純子も見やったが、呼出し音が鳴るわけでもなし。
「父さんが事故に遭ったとき」
相羽が不意に話し始めた。
彼の横顔を見つめる格好で、耳を傾ける純子。
「あのときも、僕は一人で家にいた。母さんは、買い物だったかな、出かけて
て……。電話が鳴って、知らされて……どうしたらいいのか分からなくなって
た。母さんに伝えようがなくて、電話してきてくれた人も困ってた。相手の電
話番号を聞いて、一旦切って」
相羽は息をついて区切ると、純子へと顔を向けた。
「こんな話、聞きたくなかったら、言って」
「……ん……相羽君が話したいんだったら、いい」
一瞬だけ迷ったが、そう判断した。
「−−どのぐらいの間、待っていたのか分からない。帰って来た母さんに、僕
は事故のことを言った。支離滅裂だったみたいで、何度も何度も聞き返された
っけ。それでも、うまく説明できなくて、電話番号を書いたメモを指差すのが、
やっとだった」
「……」
「それより、母さんが帰って来るまでの時間が、凄く長かった。夢の中にいる
みたいで、感覚がないと言うか……。ずっと独りぼっちのままなんじゃないか
って、そこまで考えた」
「今日は違うわ。相羽君は一人なんかじゃない」
「うん……。君の顔を見たとき、実は、ほっとした。電話があった直後だった
んだよ」
言いながら、目線を外す相羽。さすがに気恥ずかしくなったのかもしれない。
「それでも、また、こんなことに巻き込むのはいけないと思って、最初にあん
な態度、取ってしまって……ごめん」
改めて謝ってきた。
「いいのよ、もう。こっちも、あんな軽口言っちゃって、ごめんなさい。あな
たの気持ち、考えてなかった」
「知らなかったんだから、仕方ないよ。気にしない」
「それなら、いいんだけど……」
口ごもる純子に対して、相羽は語調を元に戻した。
「悪い。何か暗い話、してしまって」
「ううん」
目を軽く閉じ、首を横に振る。
(泣いたわけ、よく分かった。無理ない。もしも自分だったら、もっと取り乱
してるかも……)
「相羽−−」
特に言うことも決めずに話しかけたその刹那、電話の音。
緊張した面持ちの相羽は、唇を噛みしめて、電話まで走る。
純子は座ったまま、その様子を目で追った。
「はい−−相羽です」
固い口調の応対。
が、それも次の瞬間には、高いトーンへと変わる。
「母さん? 何ともなかったんだねっ? よかった!」
弾んだ声に、純子も席を立ち、その場で小さく拍手したくなる。
(よかった。無事なのね)
「うん−−うん−−。何だよぉ、本当に心配したんだからね。そうだよ。−−
え? それだけのこと? 全く、大げさなんだから、梶浦のおじさんも。それ
で、もう全然、何ともないの、母さん? −−うん。分かった。仕方ないけど
……無理しないで。えっ、誰かいるのかって? 何でそんなこと。−−いつも
の喋り方だよ。うん−−うん−−分かってる。ああ、もう、ちゃんと食べてる
よ。そっちこそ、栄養つけないといけないじゃないか。じゃあ、気を付けてよ、
本当に。うん、おやすみなさい」
電話を切ると、相羽は深い安堵をした。
純子は自ら駆け寄って、尋ねる。
「相羽君のお母さん、何ともなかったのね?」
「うん! 倒れたのは本当みたい。でも、仕事続きで、疲労がたまっただけだ
ってさ。ほんと、心配かけてくれるよ」
怒ったようにしかめっつらを作り、肩をすくめた相羽。
(強がっちゃって)
純子はそのことに気付いたが、くすりと笑うだけで、黙っていた。
「それで、今の状態はどうなの? よかったら、教えて」
「もちろん、いいよ。一晩、休んでみて様子を見るけど、平気なようだったら、
そのまま仕事を続けるんだってさ。ひょっとしたら、一日、延びるかもしれな
いとか言ってた」
「そう。大変なのね……」
「それにしても、困ったことになったな」
急にしゃちほこばった物腰になると、相羽は腕組みをして、首を傾げた。
「何がよ」
「うーん。母さんが帰ってくるのが、一日先になったら、その分の夕食のおか
ず、作ってもらえるのかな」
相羽はにこりともせず、純子を見つめてくる。
「ば、ばかねえ」
気抜けした純子が腰を折って、両手を膝に着くと、相羽は表情を崩した。
「ははは。だって、重要な問題だぜ? 予定が狂う」
晴れた夜空はかなりの星の数を持っていたが、道を照らすには至らない。
「何だか、格好悪いな」
相羽が手元を見ながら言った。問題の左手には、風呂敷包み。中身は、空の
鍋が一つに、空のタッパーが二つ。タッパーの方は、昨日のおかずを入れた容
器なのだ。
送って行くという相羽の申し出を、最初は遠慮した純子だったが、結局、押
し切られる形で受けることに。
「誰が見てるわけでもないから、いいけれど」
「シチュー、おいしかった?」
食事中に聞きそびれたことを、聞いてみる。
相羽は口を開けたまま、しばらく答えずにいる。外灯に照らされたその表情
から推察するに、何やら思い出そうとしている様子だ。
「どうしたの?」
「……悪い。あんまり覚えてないや」
「ふふ、正直ね」
納得の行く答だったので、笑って許せる。
「涼原さんのお母さんには、おいしかったですって、伝えておいて」
「それでもいいけど。ねえ、今夜のこと、私のお母さんにも話さない方がいい
のかな?」
「別に……どっちでも。ま、僕が泣いたってことは、できれば言わないでほし
いな。あはは」
「そんなの、言わないわよ。おばさんのことよ」
「……何て言ったらいいか、よく分からないけど。同情を引こうとしているみ
たいで、嫌なんだ」
「そんな」
純子は歩速を早め、相羽の前に回り込んだ。
当然、二人の足は止まる。
「困ったときはお互い様、よ。そうやって、何もかも隠して、取り返しのつか
ない事態になったらどうするのよ?」
「……極端な話をするんだね」
相羽が歩き出したので、純子は道を空け、再び横に並ぶ。
「極端かもしれないけど、あり得ない話じゃないでしょっ」
「だから、うまい言い方が分からないんだ。つまりさ……今度のことじゃ、お
かずを作ってもらってるわけだろ、僕の立場って」
「うん。それが?」
「そこへ輪をかけて、『母さんが倒れました。もしものときは、またお世話に
なります』みたいな真似、できないよ」
「何言ってるのよ、もう!」
夜道だと言うのに、大きな声で叫んでしまう。周辺によく響き渡ったろう。
「いいの。私は全然、気にしない。お母さんもそうに決まってる。こんなこと
で迷惑かけないようになんて考えてたら、その、先に進まないわ。迷惑になる
のは当たり前。分かった上で助け合えるんだったら、それでいいじゃない。何
がいけないのよ」
「……口がよく動くなぁ。感心した」
とぼけた返事に、純子はがっくり、疲れを覚えた。
「もーっ、こっちは真面目に話してるのにっ」
思わず、相羽の右腕を叩いた。ついでに、つねってやろうかとさえ考えたが、
それはやめておく。
「ごめん。じゃ……厚意に甘えさせてもらいます。もし、涼原さんの方で困っ
たことがあったら、できる限り助ける」
「ん、よろしい。−−改まって言うほどじゃないと思うけど」
「それもそうかな」
顔を見合わせ、純子達は笑った。
ほとんどお喋りし通しだったせいもあって、純子の家の影が見えたとき、何
分ぐらい時間をかけて歩いて来たのか、かいもく見当が付かなかった。
「無事に到着、と」
おどけて言いながら、純子へ風呂敷ごと荷物を渡す相羽。
「ありがと。あの、来る度に言ってることだけど……上がっていく?」
「今日は遅すぎるでしょ」
嬉しそうに笑いながら、でも遠慮した相羽。
「独りぼっちの気分になるから寂しいという理屈も、今じゃなくなったわけだ
しね。ははは」
「ひねくれてるー。お家に一人でいるのは事実でしょうに」
「素直じゃないもので。だけど、お礼だけは言いたいから」
真剣さを取り戻した相羽を連れて、純子は玄関のドアを開けた。
「ただいま!」
元気よく言いながら、荷物を廊下の隅に置く純子。
ぱたぱたと、奥から母親が駆けて来た。相羽の姿に気付いたらしく、途中で
表情が変わった。
先に相羽が頭を下げる。
「こんばんは」
「相羽君、こんばんは。わざわざ送ってくれたの? 悪いわねえ。ほら、純子
からもお礼なさい」
「言われなくたって」
純子が礼を言おうとするより早く、相羽は純子の母に再度、頭を下げた。
「毎日、おかずを作ってもらって、ありがとうございます。あの、とってもお
いしいです」
語尾が少々弱くなったのは、今日のシチューを充分に味わえなかった後ろめ
たさがあってのことに違いない。
「ありがとうね。でも、気にしなくていいのよ。いつもより多めに作ってるだ
けなんだから。それより、今日は足りた? 一人分を二人で食べたようなもの
でしょう?」
「足りました。純子ちゃん、あんまり食べなかったし」
純子は内心、冷や汗と苦笑が出そうになる。
(相羽君こそ、あまり食が進まなかったじゃないの。おばさんのこと、心配し
て喉を通らなかったんでしょうけど)
「この子がもう少し、料理できたらね。その場で作らせるんだけど」
ほほほと笑う母親に、今度は口に出して、文句を言う純子。
「私のこと、悪く言って、どうするのよー」
「できる子は、有り合わせの材料で料理の一品や二品、作れるものじゃないか
しら」
「だったら、教えてよ」
「真剣に取り組むなら、喜んで教えてあげます」
「……あの」
場の雰囲気にいたたまれなくなったのか、相羽が恐る恐るといった調子で、
言葉を差し挟んだ。
「そろそろ、帰ります」
「あら、相羽君、上がっていかないの? お茶を入れようと思ってたのに」
さすが親子と言うべきか、純子の母も同じことを申し出た。
「あ、いいです。留守にしてたら、留守番の意味がなくなりますから」
「本当にいいの? 気を付けてお帰りなさいね」
「はい。どうもありがとうございました」
三度目のお辞儀をして、玄関を出る相羽。
純子は母親へと振り返って、
「見送ってくる。いいでしょ?」
と言うや、返事も待たずに外に出た。
「相羽君。送ってくれて、ありがとね」
「こっちこそ。いてくれて、助けられた気分。本当に、感謝してる」
またまた頭を下げそうな相羽を見て、純子は押し止めた。
「はい、ストップ。もうおしまい、ね。それよりも、おばさんのこと、大事に
してあげて」
「もちろんだよ、決まってる。それじゃ、また明日」
歩き始めた相羽に、純子は手を振る。
「ばいばい! 車とか自転車に注意しなさいよ!」
「分かってるよ!」
暗がりに、相羽の姿が見えなくなるまで見送ってから、家の中に戻った。
母親が待ちかまえていた。
「さてと。どういった経緯があったのか、聞かせてもらおうかしらね」
子供の立場は、やっぱり弱い……。
−−『そばにいるだけで 15』おわり