#4134/5495 長編
★タイトル (PRN ) 97/ 9/28 9:36 (110)
流れる雲(前編) 叙朱
★内容
流れる雲 (前編) 叙 朱
大きな拍手の波が康平(こうへい)の体を包み込む。
スポットライトは全部で4個、1階席からの2個がほぼ真っすぐに目に飛び込
んでくる。コンサートにあてられた体育館は予想していた以上の広さだった。ざ
わざわとした館内の人声は大きな暗騒音となって康平の足元に殺到する。あまり
の圧迫感に平衡感覚がおかしくなるのではないかと康平は思った。
眩しいスポットライトの海に銀色に光る一組の椅子を認めて、康平はほっとし
てステージに歩を進めた。モニター用のスピーカが2セット、ステージの最前列
に並んでこちらを向いている。そこから、進行役の女子生徒が康平を紹介する声
が流れる。ハウリング(共鳴)気味で耳に障る。
「サイレントのぉー、今泉康平さんでーす」
また一斉に黄色い声が観客席から上がる。
サイレントというのは康平がボーカルをやっている高校生バンドだった。メン
バーは全員、S高校軽音楽部員だ。あちこちの高校との合同コンサートにはよく
出ていたので知名度はある。しかし今日は康平一人だった。軽音楽部の先輩、山
岸健太に急に頼まれたのだが、他の連中は予定があってだめだったのだ。
女子高のコンサートは熱気がすげえぞ。
そう言って笑ったバンド仲間の言葉がよみがえる。いや、確かにすごかった。
康平のすぐ前に演奏したロックバンドの興奮がそのまま残っている。康平はステ
ージ中央の椅子に腰を下ろしながら、自分に落ち着け落ち着けと呪文を唱えた。
こんなに盛り上がった−ほとんど狂気的とも言える雰囲気の中で歌うのは初めて
だった。しかも、今日は短調のスローな曲を指定されていた。山岸健太のリクエ
ストだった。しかし、こんな雰囲気では歌い出すのには気後れがする。
康平はギターを膝に抱え上げながら、なんとか歌える雰囲気を作らねば、と思
った。マイクロホンの位置を調整しながら喋り始める。
「こんにちは。S高校からきました今泉です。いつもはサイレントというバンド
の一員なのですが、なぜか今日は一人で来ました。女子高ということで緊張して
います。いやあ、ものすごい熱気ですね。でもね、ひとつだけ残念なことがあり
ます。スポットライトが明るすぎて、客席が逆光で全然見えないんです」
話し出すと客席の雑音は潮が引くようにゆっくりと遠ざかった。康平に耳を傾
けて始めたのだろう。康平の一言で、1階席のスポットライトの光度が落ちた。
赤と緑フィルターの光がすっと客席のほうへ引き込まれ、その周囲には白いブラ
ウスにグレイのベストが動いている。このW女子高では髪形まで校則で決められ
ているという噂は本当らしかった。みんな同じように前髪を切り、後ろは二つに
束ねている。手に持っているのも申し合わせたようなストローハットだった。
会場になった体育館の一階はほとんど満席の入りだった。市内でも有名な私立
W女子高の文化祭なのでこの体育館以外にもいろいろな催し物があるはずだが、
ざっと見ても千人くらいは入っているようだ。
「ああ、すみません。照明さん、ご協力ありがとう。おかげで客席の皆さんがよ
く見えます。いやあ、すごい人数ですね。このあと全校生徒集会でもあるのかな」
あははは、と笑い声がはじける。その笑い声が客席の雰囲気を柔らかくする。
客席がリラックスするとステージ側もリラックスできる。どうやら歌い出せそう
だ。
「これから歌うのは<悲しみの詩(うた)>という曲です。これにしろと山岸先
輩から指定されました。山岸先輩は大学生ですが、W女子高フォークソング同好
会の顧問をやっていて、このコンサートの黒幕らしいです。ぼくはもっと明るい
楽しい曲がいいんじゃないかな、と思ったのですが、どうしてもこれを歌えと山
岸先輩が言うんです。ですから、この歌でせっかくの盛り上がりが白けても、そ
れはぼくの責任ではありません」
ここでまたクスクスと含み笑いの波が客席を駆け巡った。十分に客席の心は開
かれているようだった。康平はやっと落ち着いてきた自分を感じた。
「これはぼくの田舎で本当にあった出来事をモチーフにして作りました。ひっそ
りとした小さな海沿いの村をイメージしながらどうぞ聞いてください」
ギターを抱え上げ、Dマイナー(ニ短調)のコードをダウンストロークで弾き、
音階をチェックしてから、康平は歌いはじめた。
<悲しみの詩>
僕は一人、この世に一人、お兄ちゃんもお母ちゃんもいないお家(うち)
暗い土間がいっそう暗く、藁葺き屋根に雨が降ってた・・・
「父ちゃんは去年、交通事故で死んでしもた。それで兄ちゃんと母ちゃん
で一生懸命田圃を作っていたのに、昨日役場の人がやってきて、もう米
を作ったらいかん、て言うた。減反はお国の方針やから守らないかんて
言うた。それで兄ちゃんと母ちゃんは・・・」
兄ちゃんが泣いた、隠れて泣いた、米が作れんと声を上げて。
暗い土間がいっそう暗く、藁葺き屋根に雨が降ってた。
母ちゃんも泣いた、おいおい泣いた、お金が足らんと声を上げて。
暗い土間がいっそう暗く、藁葺き屋根に雨が降ってた。
あくるひ、母ちゃんと兄ちゃんが死んだ。畑仕事の途中で死んだ。
暗い土間がいっそう暗く、藁葺き屋根に雨が降ってた。
自殺ってなあに? 自殺ってなあに?
兄ちゃんと母ちゃんの自殺ってなあに?
誰か教えてよ、自殺ってなあに?
暗い土間がいっそう暗く、藁葺き屋根に雨が降ってた。
僕は一人、この世に一人、お兄ちゃんもお母ちゃんもいないお家(うち)
暗い土間がいっそう暗く、藁葺き屋根に雨が降ってた・・・
しとしと、雨が・・・
最後もDマイナーのコードをゆっくりダウンストロークして、康平は歌を終え
た。
歌い始める前にあれほどうるさかった会場は水を打ったようになっていた。ひ
そひそ声も聞こえない。拍手も来ない。しんとして奇妙に張り詰めた空気があっ
た。
こういう反応は初めてだった。しんとさせる歌ではあるがこの緊張感はいった
いどうしたというのだ。何かがおかしかった。
康平はギターを下ろした。耳をそばだてる。誰かが鼻をしゃくり上げたような
音がした。おや? しゃくり上げは会場のあちこちで聞こえる。それらはすぐに
はっきりした泣き声になった。
いったいどうしたというんだ。
康平は戸惑った。自分の歌が何を引き起こしたのか分からずに、きょとんとし
ている。たしかに「悲しみの詩」ではあったが、聞き手−おそらくはそのほとん
どがこのW女子高の生徒たちに違いない−を泣かせてしまうほどのアピール力を
持った曲とは思えなかった。何か喋ってこの奇妙な空気を和らげようかと思った
が、うまい言葉が見つからない。
仕方なく、軽く礼をしてたちあがり、ステージの袖に向かって康平は歩き出す。
歩きながら急にやり切れなさに襲われた。この選曲は失敗だったのかもしれな
い。山岸先輩がどうしても、というので歌ったのだが、もっと明るい恋の歌のほ
うが良かったのだろう。箸がころんだだけで笑い転げるような女子高校生には、
こんな深刻な歌はだめなんだ。
(以下、後編へ)