AWC 流れる雲(後編)  叙朱


        
#4135/5495 長編
★タイトル (PRN     )  97/ 9/28   9:39  (140)
流れる雲(後編)  叙朱
★内容

      流れる雲 (後編)  叙 朱

「おい、良かったぞ」
 ステージの袖へ下りる階段に山岸健太が待っていた。康平をこの文化祭に出ろ
と誘ったS高軽音楽部の先輩だ。今は市内のK医科大学4回生。医者への勉学の
傍らジャズバンドをやっているらしい。にこにこ笑っている。康平は頭を振り振
り階段を下りた。
「先輩、あの曲はだめでしたよ。なんかすっかり白けさせちゃったようで、申し
訳ないです」
 康平はギターからカポタスト(音階調整器)を外しスチール弦を緩めた。黒い
ギターケースにそそくさとしまい込む。康平はそのまま帰るつもりだった。ギタ
ーケースを抱え上げる。
「おいおい、そんなに腐るなよ。おまえも相変わらずせっかちな男だな」
山岸がそんな康平にあわてて声を掛けた。
「会場がしんとなったっていうのは、歌が良かったからだよ。そうでなければ、
お喋り大好きな女子高生だ、たちまち雑談の嵐で、会場は騒然となる。白けたん
じゃなくておまえの歌がアピールしたってことさ」
 山岸の言葉は慰めにしか聞こえなかった。
「今泉さんの歌、良かったです」
 呟くような声が康平のすぐ後ろから聞こえた。振り返ると、康平のすぐ後ろに
は、次に出演するらしい女子高生二人組がギターを抱えて壁に持たれうつむいて
いた。白ブラウスにグレイのベスト、二つ束ねの髪という典型的なW女子高スタ
イルだ。山岸が女の子二人組に声を掛けた。
「さ、リリアン、君たちの出番だ。しっかりな」
 デュエットは「リリアン」という名前らしい。背の高い方が顔を上げた。
「山岸さん、あたし、怖い」
 小さな声が震えている。もう一人もうつむたまま頷いている。ステージ経験の
少ない者によくある不安だろう、と康平は思った。しかしそれは違ったようだ。
山岸が二人組に話しかける。
「なにが怖いんだ。康平がちゃんとお膳立てをしてくれたじゃないか。ここに来
ている連中は静かに歌を聞ける雰囲気になった。君たちの希望通りになったはず
だ。」
 お膳立て? 康平は聞きとがめる。しかし口は挟まない。二人組の背の低いほ
うがうつむたままで話し出した。
「はい、でもなんだか怖いんです。このまま亮子ちゃんの詩を歌うことが」
 亮子ちゃん? 誰だそれ。
 何か事情がありそうだった。康平はギターケースを閉じてその上に腰を下ろし
た。山岸とリリアンの会話に聞き入る。
「でもこの機会にもう一度亮子のことを思い出してもらいたい、そう言ったのは
君らだろ。だからこそ歌いたいと」
 ばたばたと足音がステージから階段のほうに近ついてきた。幕が少しだけ揺れ
て、すき間から丸い顔が覗く。進行役の女子生徒だった。リリアンの姿を見付け
て口をとがせた。
「おーいリリアン、出番だよ。もうアナウンスしたんだよ。今泉さんが落ち着か
せてくれた客席がほらほら、ざわつき始めてるから、すぐにお願いね」
 その声に促されるように、リリアンはギターを持ち直した。
「さあ、思いきり心を込めて歌ってこい。それが君たちにとっても、そして亮子
にとっても一番なのだから」
 山岸が言い聞かせるようにゆっくりと言い、二人を送り出す。
 リリアンは階段のところで大きく深呼吸をし、そして背筋をしゃんと伸ばした。
それで気持ちが定まったのだろう。そこからはたったっと階段を上って、ステー
ジへと出ていった。
 リリアンを迎えるまばらな拍手が聞こえる。
 マイクロホンの位置を調整するようなノイズ(雑音)と、背の高いほうだろう、
が喋る声が控えにいる康平にも届く。
「この曲を天国の亮子ちゃんに贈りたいと思います」
 そう聞こえた。スリーフィンガーピッキング(3本の指を使うギター独特の軽
快な弾き方)の前奏が始まる。耳を傾ける山岸と康平の目があった。
「外に出ようか」
 康平が問い掛ける前に山岸が提案した。康平はうなずき立ち上がる。
 ステージの裾から壁沿いに体育館の正面玄関に向かって狭い通路が確保されて
いた。照明を調整された暗い体育館には、リリアンの高くて透明なハーモニーが
流れている。
 壁沿いに静かに歩き出した二人に誰も注意を払わない。振り返るとステージ中
央のスポットライトに、ギターを抱えた二人組、リリアンがいた。
「この曲の題名はなんていうんですか」
 足を止めて康平は初めて聞くリリアンの歌に聴きいった。
「光と影。去年死んだ亮子という女の子が残した詩に、俺が曲をつけた」 

  <光と影> 

  もっともっと見つめてほしい
  一枚のノート、表と裏のページ
  いつかきっと透けてくる、私の気持ち
  お願い、お願い、もっと見つめていて
  あなたに見えてるぺーじには、私の涙は見えないわ 

  回り続けるメリーゴーアラウンド
  乗りそこねたのね、笑顔でいたいけれど
  哀しみにつぶれそうな、私の希望
  お願い、お願い、もっと近くにいて
  ずっといい子でいたいけど、私のため息届かない 

  回り続けるメリーゴーアラウンド
  乗りそこねたのね、笑顔でいたいけれど... 

 山岸と康平は体育館の外へ出た。日差しに目を細める。
 体育館の外は秋風でひんやりとしていた。コンサートが進行中だからか、周囲
には人影はあまりなかった。バザーや模擬店の看板がクリーム色の校舎に立て掛
けられている。それらを見やりながら、二人はゆっくりと歩いた。康平は黒いギ
ターケースを右手に下げている。
 二人はにぎやかな正門方向とは逆のほうへと歩き、閑散としたグランドを横切
った。
 W女子高のグランドは高台にせり出すように作られていた。囲いの金網からS
市街が見下ろせる。山岸は金網のところまでくると立ち止まった。
 空を見上げて、やっと山岸は喋り出した。
「ちょうど去年の今ごろだったかな。俺はK医科大の研究課題ということで一人
の女の子の診療に立ち会った。亮子というW女子高校の一年生だった。学校の定
期健康診断でおかしいということになってK医科大付属病院に来たんだが、日本
ではあまり例のない突発性の難病だった。もちろん、本人には内緒にされた。助
かった例はほとんどないという病気だったからね」
 山岸は金網に手をあてると針金をつかみ、金網を揺すった。
「亮子は明るい元気な娘だった。病院の大部屋でも冗談を連発して入院中の人や
介護の人を笑わせていた。いや、少なくともそう見えた、というべきかな。だけ
ど、たぶん自分が間もなく死ぬことを知ってたんだろうな。病気が進行して、個
室に移されるという夜、病院を抜け出した。そして、あそこの踏切から特急列車
に飛びこんだ」
 そう言って、山岸はグランドのすぐ下に伸びる線路を指差した。ちょうど、青
い車体の列車が減速しながら走りすぎるところだった。列車は踏切で警笛を鳴ら
した。
「亮子は一冊のノートを俺に残した。表紙には、亮子の几帳面な字で自分が死ん
だ後に読んで欲しい、とあった。遺書のつもりだったのかもしれない。その中に
は亮子の生い立ちや夢、病気のことなどがびっしりと書いてあった。幼くして両
親を亡くしたこと。他人の家で遠慮しながら育ったこと。W女子高にはスカラー
シップ(奨学金)をとってやっと進学できたこと。そしてなによりもショックだ
ったのは、自分はずっと演技をしてきた、と書いてあったことだ」
 もう一度、山岸は金網をゆすった。
「両親を早くに亡くし、他人の家で育ち、奨学金でやっと高校へいく。それが彼
女をいい子であり続けさせたのだろう。そして、突然の発病だ。普通なら、自暴
自棄になっても仕方がない。でもな、終わりのほうのページには、それでも生き
たい、生きたい、と書いてあった。生きたい、生きたい。亮子らしくなく、字は
乱れ、ほとんどなぐり書きのようになっていた」
 山岸の声は低く、震えていた。
「リリアンのふたりは、近所に住んでいて小さい頃から知っていた。たまたま亮
子と同じW女子高だというのでノートを預けた。どうしてか分からないけれど、
俺だけが読むべきじゃないと思った。同年代の女子高生にノートを読んで何かを
感じてほしかった。リリアンはノートを親しい仲間に回覧したらしい。やがて亮
子のノートは校内新聞に取り上げられ、全校生徒の知るところになった」
「それから、ちょうど一年ということですか」
 山岸の亮子に対する気持ちを察して、康平は胸が痛くなった。山岸が「悲しみ
の詩」を歌えといった理由が分かったような気がした。あの歌詞は亮子の悲しい
境遇を思わせる。そして、リリアンの歌は亮子の心の叫びだ。
 山岸がまた空を見上げる。目をしきりにしばたかせている。康平も同じように
空を見上げた。鰯雲が浮かんでいる。山岸が雲を目で追いながら呟いた。
「亮子はこんなことも書いてたんだ。
  私は流れる雲、どこへ行くあてもなく、風まかせ、その日まかせ
  私は流れる雲、できるなら、空に溶けずに、あなたに届きたい」 

 (流れる雲−了)




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