#3991/5495 長編
★タイトル (GSC ) 97/ 7/ 4 9:21 (175)
岩手旅行記(四) [竹木貝石]
★内容
5 ホテル紫苑の夕べ
会員・役員は、劇場の前から3台のバスに分乗し、つなぎ温泉のホテル『紫苑』に
向かう。
途中約30分、結構でこぼこ道もあって、私の歩数計のメーターが千歩以上加算さ
れた。
仙台行きが取りやめとなり、妻の宿泊を後から申し込んだせいか、ホテルでは、京
都の林先生たちと四人部屋に割り振られた。妻はよその人に気を使う質だから、多少
具合が悪いかと思ったが、むしろ林先生の方から異議が出て、急遽私たちは十一階の
12号室に移された。
紫苑は和風ホテルということで、畳敷きにベランダがあり、座椅子や座敷テーブル
も備えてあって、これは正に私好みだ。しかも四人部屋を二人で使うのだから、広々
として気分がいい。
エレベーターや部屋の窓からは、多目的ダムの『御所湖』が足下に望まれ、夕陽が
美しく輝いて、快晴の日には岩手山が湖面に影を写すとか…。
昔は女中さんと呼んだが今は何と言うのか、部屋の係りの若い女性が、
「館内は浴衣で結構でございます。」
と言ったので、私は安心して早速着替えた。
ところが、夕食時間に宴会場へ下りてみると、誰一人浴衣掛けの人は居ないと妻が
言う。
「そんなのはかまわないさ。さっき館内は自由だと言ってたじゃないか。」
私は平然とそう言っていたが、六人一組で丸テーブルを囲み、着々とグループ編成
が出来ていくに連れて、なお一人も浴衣を着た人が現れないと聞いて、急に恥ずかし
くなった。女性客が多いからといって、私一人だけが浴衣というのは目立ちすぎる。
急いで妻と一緒にテーブルを離れ、十一階の部屋へ行ってシャツとズボンに着替え
てから食堂へ戻って来た。
だが、先ほど私たちの座っていた席は埋まってしまい、一人ずつバラバラの席しか
残っていないとのこと、来賓や役員が挨拶している間、会場の入口に立ったまま、ホ
テルの係員が席を融通してくれるのを待たねばならなかった。浴衣も目立つがこれも
目立つので、妻の機嫌はしだいに悪くなっていくようだ。
昔からこれと似たような行き違いはよく在って、私の思いこみや独断・無鉄砲や非
常識が、しばしば妻に恥をかかせて来た。致命的なことではないとはいえ、これも盲
人の欠点の一つであろう。
随分長く待ったように感じたが、それほどではなかったかも知れない。とにかく、
一つのテーブルを七人掛けにして、そこに割り込む形で仲間入りさせてもらうことが
出来たのでほっとした。
特に右隣の女性は、如才なく話しかけたりビールを注いだりして、こちらの居心地
の悪さを軽減してくれた。
私もあまり人見知りの強い方ではないから、岩手見物の話・邦楽関係の話・海の幸
やみやげ物の話などを聞いた。
彼女は浜松在住の琴の師匠で、名古屋の『宮城会』にも所属していたという。
「わたしは晴眼なんですけど、脚が悪いんです。だから視覚障害の人たちとの関わり
も大切に思っています。」
とも言っていた。
宴会は、自己紹介のようなテーブルスピーチのような形で進められ、マイクを持っ
て一人ずつ話をするのであるが、声が小さくてほとんど何も聞き取れない。何処へ行
っても、話の上手な人は少ないものだ。
そう考えている所へマイクを渡された。
今日の私は全然重要な存在ではないので、出しゃばって挨拶などしてもよいのかど
うか多少遠慮したが、皆の話があまりに下手なので、つい〈正義感〉を発揮してしま
った。
大勢の前で挨拶や話をする場合、私はいつも以下の点に十分留意するよう心がけて
いる。
第一に、出来る限り話を短くする。
第二に、要点を整理し、最重点を一つか二つにしぼる。
第三に、自分を捨て、聞く人の為を考えて話す。
第四に、そのためには、予め口の中で何回も反復練習してから望む。
第五に、例えマイクが在っても、なるべくよく響く声で、はっきりとしゃべる。
実は、もしかして今夜自己紹介が回ってきたら と、一応は構想を練っていたので
ある。私は立ち上がって次の通り挨拶した。
「私は、お手伝いもせず、演奏もせず、ただ単に観客として、名古屋からまいりまし
た、竹木貝石と申します。…今日は、本当にありがとうございました。」
この短い挨拶の他に、私は何一つ言うべきことは無い。
そして、このうち一番声に力を入れた箇所は、ありが・ほんと・なごや・えんそう・
おてつだい・たけもく この順序であった。
挨拶の効果はたちどころに現れ、私の知り合いで、私が盛岡に来ていることを知ら
なかった人が、何人かテーブルへ訪ねて来てくれた。
宴会修了後、二階の大浴場に行き、温泉気分を満喫した。視覚障害者が一人で大浴
場に入るのは勇気がいるが、大抵は誰か親切な人が案内してくれるので心配はない。
私のすぐ後から、林先生がヘルパーの野中さんに連れられて入ってきた。林先生は、
点字楽譜解説 全5巻の著者であり、若い頃は美しい声のテノール歌手だった。その
話をしたら、大変恐縮されて、
「もう随分昔のことですよ。私は既に77ですからねえ。」
と言われ、私と同年生の山川君や白木君の名前も出て、
「彼らは私の教え子です。もはや退職するような年齢になったんですねえ!」
と、感慨無量の様子だった。
6月23日(月)
6 岩手公園とわんこそば
退職してから睡眠時間が不規則になり、案じていた通り、夜と昼が逆転ぎみとなっ
て、日中うとうと眠っては夜中に起き出してパソコンを始めるというパターンが続い
ている。これから暑い季節になると、ますますこれが極端になるかも知れず、健康の
ためにはあまり良いこととは言えない。
しかし、今回の旅行では割合よく眠れて、夕べも布団に入ると同時にグーグーいび
きをかいていたそうだ。
妻と二人だけで旅に出て、同じ部屋に床を並べて寝ていても、いわゆる男女の交わ
りということは一切無く、この年齢では当然とも言えるが、若い頃から妻とのSEX
は少なくて、それは私の側というよりも妻にその気がないようだ。愛情が足りないと
か優しさが乏しいという感じでもないから、本質的に性行為をあまり好まない体質な
のだろう。もしかすると、妻は私を本当には好きでないのかも知れないと考えること
があり、それならなおのこと無理強いは出来ない。
いずれにしても、そうした関連の話を文章に書かないのは、わざと避けている訳で
はなく書くべき材料がないのであるから、馬鹿正直で単純人間の私にとっては、気が
楽である。
7時から二階の『秀峰の間』で朝食を取った。小型の鉄鍋でベーコンエッグを煮て
食べたのは初めてだ。
食後売店へ行って名産品を物色したが、結局みやげにはわんこそばを買い、例によ
って、私自身のために趣味の品物を買った。鉄瓶型の急須(三千円)と、鉄製の鐘楼
(八千円)で、妻は相変わらずいい顔をしないが、この程度の被害ならやむを得ない
と判断したのか、他の品と一緒にして宅配便に預けてくれた。
鉄製品といえば、この地方では、道路脇などの各所に円筒形の大きな灰皿が置いて
あり、見事な重量感だ。
喫茶店でコーヒーを飲み、荷物をまとめてチェックアウトを済ませる。
今日の午前中は、福祉大会を欠席して盛岡市内を見学し、昼からの行事にだけ参加
することに決めたので、そのむね小山君に断っておいてホテルを出た。
9時半発のバスに間に合うようにと、停留所までホテルの車で送ってもらえて助か
った。
妻が昨日買った岩手るるぶ(見る 食べる 遊ぶ)を読むと、『裁判所前の石割桜』・
『赤煉瓦の岩手銀行中ノ橋支店』・『慶長年間にかけられた上ノ橋の擬宝珠(ぎぼ
し)』など、見ておきたい物は色々在るが、短時間で能率よく回る方法が分からない。
バスでいったん盛岡駅前まで行き、そこから昨日と同じバスで盛岡城跡の岩手公園
に来た。
石垣の間の階段を上って進むと、欅や杉の大木がそびえ、両腕を廻すと二抱えもあ
って、欅もこのくらいの樹齢になると、樹皮がガサガサに浮き上がって剥がれそうに
なるらしい。杉の木の樹皮は昔から『杉かわ』と呼んで、田舎家の壁とか屋根に用い
ていたので、手触りに記憶がある。
何という木か知らないが、木の幹に大きなほこらが出来ていて、中に入ると人一人
生活出来そうな空間があり、現に誰かが住んでいるかとさえ思われた。
岡の上の神社には歴代の南部城主がまつられており、神社の裏手の大きな烏帽子岩
は、築城の時に掘り出された物で、ご神体として当地の人々の信仰の的になっている
とのこと、近づいて触れることは出来ないが、二部屋分の大きさはあると妻が言う。
集合時間に遅れないように、タクシーを拾って、駅前のわんこそばの店『東家』に
来た。
二階へ案内されて、細長いテーブルの前に座り、点字のメニューと「わんこそばの
歴史」を読みながら、皆の到着を待つ。
わんこそばの由来は、飢饉に備えて栽培したそばを大勢で分け合って食べたのが始
まりとか…。店でわんこそばを食べた最高記録は、山梨県の中島さんの569杯だそ
うである。
30分ほど遅れて、福祉大会を終えた人たちが20数人到着し、わんこそば大会が
始まった。
テーブルの左隣に妻が座り、右側に野中君と林先生、向かい側に小山君と千葉さん
が居る。
まず、衣服を汚さないために、金太郎の腹かけのような物を当て、四人の客に一人
くらいの割合で店のお姉さんが付く。
やや大き目のお椀に薬味を入れて蓋がしてあり、テーブルには他にも色々な薬味が
置いてある。お客は自分のお椀の蓋をとり、好みの薬味を入れて待っていると、係り
のお姉さんが、予め小ぶりのお椀に一口ずつに盛り分けてあるわんこそばを御盆に並
べて持って来て、そのお椀から客のお椀へと素早く移し入れてくれる。
「では始めます」
「はいどうぞ!」
「どうぞ!」
「じゃんじゃん!」
「はいどうぞ!」
「がんばって!」
「つぎどうぞ!」
「どんどん!」
「……」
「……」
そばは程良く味付けしてあるが、そのつゆをなるべく飲まないようにしないとたく
さん食べられないそうで、木の桶が置いてあって、時々つゆを桶に空けてはそばを食
べるのである。
お姉さんが空になった小ぶりのお椀を各人毎にテーブルの上に積み上げてくれるか
ら、その数を見れば自分が何杯食べたのかよく分かる。
御盆の上に準備したそばが無くなると、暫く休憩して、お姉さんがおかわりを取っ
て来る。
このようにして、女なら30〜40杯、男なら50〜60杯くらいは食べるのが普
通だという。今回私は32杯しか食べられなかったが、隣の野中君は21歳というだ
けあって83杯食べたし、大向こうでは100杯も食べた人が居た。
実行委員の小山君と千葉さんの挨拶で解散となり、この後、希望者はタクシーで、
桜井さんの待つ〈手で見る博物館〉へ移動することになる。
私は会長の島津成悠先生をやっと捕まえることができ、ご無沙汰の挨拶をした。