AWC  岩手旅行記(三)      [竹木貝石]


        
#3990/5495 長編
★タイトル (GSC     )  97/ 7/ 4   9:21  (151)
 岩手旅行記(三)      [竹木貝石]
★内容

   6月22日(日)

   3 北国の列車

 ぐっすり眠って、6時過ぎに目が覚めた。
 朝食は豪勢で幾品もあり、定子が予め私の為に魚の骨を取り除いてくれるという、
妻や息子がびっくりするくらいの気の利かせ様である。白味噌の味噌汁があんなに美
味しかったのは初めてのことで、特に愛知県育ちの私は、味噌汁といえば田舎の手作
り味噌かナカモ製の赤だし味噌でないと満足しない筈なのに、今朝のは本当にうまか
った。

 8時15分に家を出て、息子夫婦が大宮駅まで送ってくれるという。
 東川口まで徒歩5〜6分の距離しかなく、これなら車はいらない。
 武蔵野線に乗り、南浦和で京浜東北線に乗り換えたが、息子が毎朝会社へ出勤する
時は、府中まで約50分、腰掛けて居眠りしながら行けるそうで、やはりここにマン
ションを買ったのは正解だったようだ。
「今度はいつ名古屋へ来るんだ? WINDOWSの入ったパソコンがあるぞ!」
 と私が言うと、
「そういえば買ったと言ってたねえ。でも今年の夏は無理だろうなあ。」
 と息子が答えた。

 大宮発9時18分のやまびこ15号 6号車3番のD席とE席、仙台着10時46
分→一ノ関11時13分→新花巻11時33分→盛岡着11時46分である。
 昨日息子に教えてもらったことだが、東北新幹線は、JR東海のひかりに当たるの
がやまびこ・こだまに当たるのがあおば、上越新幹線では、ひかりに当たるのがあさ
ひ・こだまに当たるのがときだそうで、秋田行きはこまちと呼ぶ。しかし、私の感覚
だとあまり速そうな名前に思えない。
 かつて国鉄の長距離列車にはすてきな名前がたくさんあった。はつかり・日本海・
北斗・白鳥・ゆうづる・みちのく・北上・すずらん・ライラック・オホーツク・大雪・
石狩……、北国への夢とあこがれをかき立てるような素晴らしい命名ではないか!
今でもそれらは何処かの列車に使われているのかも知れないが、最近の新幹線の名前
には今一つ魅力が乏しい。
 列車の振動に身を任せ、そんなことを考えながら瞑想にふけっていると、過ぎし日
の思い出がよみがえってきて、いい知れぬ郷愁と寂しさを誘う。

 札幌盲学校に就職が決まり、二人の兄に付き添われて、初めて北海道へ渡ったのは
23歳の春のこと、その時乗ったのは、寝台列車北斗のうちでたった1輌だけの座席
指定車だった。

 その後何度札幌から名古屋・東京を往復したことか! 1年の間に4回も津軽海峡
を渡ったこともあり、当時飛行機は庶民が利用出来る乗り物でなかったため、列車で
隣に座った人に乗船名簿を書いてもらっては、青函連絡船に乗り換えたものだ。
 昭和40年前後の交通事情で、札幌〜名古屋間の移動には丁度一昼夜(24時間)
を要し、その後徐々にスピードアップされて、上野〜青森間が特急『はつかり』で8
時間になった時には、文明の脅威を感じたものだ。それでも長時間列車に座っている
と、肩が凝り頭痛がしてくる。
 札幌と名古屋のほぼ中間くらいが盛岡に当たり、ここまで来ると確かに、
「随分遠くまで来たなあ!」
 と感慨に打たれ、それは夕方のことも真夜中のこともあるが、駅の拡声器(スピー
カーなどとは言いたくない)で、
「盛岡あー、盛岡あー」
 と駅名を告げるのを聞くと、旅情とも孤独感ともつかない一種名状しがたいわびし
さに襲われるのであった。
 その盛岡まで、時速270キロの超特急で上野から3時間、東京〜大阪間と同じ時
間で移動出来る時代となったのである。

 昔は寝台券や座席指定券を手に入れるのに、何時間も駅の窓口に並び、それでも買
えない時は、プラットホームに座り込んだものだ。
 札幌で亡くなった祖母の遺骨を郷里のお墓に納めるべく、妻と生後7ケ月の長男と
三人で名古屋を往復したことがあり、夏休みの暑いさ中、乳児を連れての旅行は大変
だった。その時も指定乗車券が買えずに、上野駅のプラットホームに新聞紙を敷いて、
その上に息子を寝かせ、急行列車みちのくの発車5時間も前からすわり込んでいたの
に、それでも満員のため、危うく座席を取り損なうところだった。
 その息子が今や34歳にもなり、自分のマンションに親を接待するようになったの
も、思えば不思議ではある。

 一ノ関も花巻も盛岡でさえも、今まではただ札幌〜東京を往復する途中の駅名に過
ぎず、1度も降り立ったことはなかった。それらの町を、これから旅行出来ると思う
と嬉しい!


   4 盛岡

 盛岡駅の構内や周辺を行ったり来たりしながら、案内板やバス停を見てみるが、地
理がよく分からない。
 駅の出入口のひさしにたくさんの南部風鈴が釣り下げてあり、「ようこそ盛岡へ」
のメッセージとともに、涼しげな音色が情緒を誘う。
 駅前に噴水があり、御影石の鮭が、噴水の滝を遡上する形に作ってあって、私は水
たまりに足を踏み入れながら、その二匹の鮭を観察した。
 電話で、今日の会場である盛岡劇場の場所を聞いたら、
「バスセンターで降りて、大きな信号を明治橋の方へ渡り、三つ目の信号を左に入る
と突き当たりになります。」
 と分かりやすく説明してくれた。

 盛岡劇場に来てみると、桜井実行委員長の案じていたような閑散とした音楽会どこ
ろか、入り口にもロビーにも各控え室にも、大勢の人々がいて、なかなか盛大なもの
である。
 受け付けで名前を言ったら、そばに小山君が居て、早速楽屋裏の役員室へ案内して
くれる。妻が小山君のことを
「まだ若々しくて、昔とあんまり変わっていないわ!」
 と言うと、
「髪の毛を染めてるから…」
 と彼は言った。

 舞台の後ろを回って役員室に入ると、盲学校関係らしき人たちが何人か居て、どう
やらさくさんやのぶた君を中心とする学校の人たちが実行委員を勤めている様子であ
る。
 桜井氏が私の肩を叩いて、
「よく来たねえ。いつも口ばっかりで全然来ないんだから…。遠い所を本当によく来
てくれた。」
 と言い、私も懐かしかった。

 弁当の寿司を取り寄せてもらい、その部屋で食べた後、私は会場に入って、午後の
プログラムを全部鑑賞した。
 妻は荷物を置いて、市内見物に出かけ、夕方4時に帰って来たが、盛岡城跡の岩手
公園を少し見た後、デパートに入ったそうである。

 10年ほど前まで、私は西園流尺八を習っていて、〈皆伝〉の免許と「修園」とい
う名前ももらっている。このことについても話せば長い物語があるが、ともかく私は
邦楽の味わいが少しなら分かるような気がする。
 本大会を主催しているのは『社会福祉法人 日本盲人会連合 音楽家競技会』で、私
は長年その正会員になっており、岐阜大会と浜松大会には参加している。参加と言っ
ても、夜の部の「洋楽演奏会」を聞きに行っただけで、邦楽はほとんど聞いたことが
なく、会議には一度も出た試しがない。
 今年は洋楽演奏会の代わりに、今夜ホテルで懇親会を行う。

 邦楽演奏会の点字のプログラムがここに在り、番号・地区名・社中・曲目・作詞者・
作曲者・パート別(楽器別)演奏者の氏名が記載してある。25番のうち私は12番
から最後まで聞いたので、丁度後半の出し物を全部鑑賞したことになる。各地区・各
社中毎の団体演奏(邦楽合奏)の形を取り、聞きごたえのあるものばかりだった。
 年輩の感じだが落ちついた女性のアナウンスで、曲目の解説をしてくれたのは、私
のような素人には大変勉強になる。
 特に感動したのは、次の各演奏であった。

 12 東京、森社中、『楓の花』、松阪検校作曲、11人
 13(順位変更) 名古屋、国風会、『四季の高山』、土居崎検校・三品検校作曲、
4人)
 14 新潟、堀社中、『湖上の舟遊』、斉藤松声作曲、7人
 16 東京、『残月』、峰崎勾当作曲、4人
 19 兵庫、『春の曲』、吉沢検校作曲、4人
 23 有志、『さらし風手事』、宮城道雄作曲、7人
 24 鹿児島、『琉球民謡による組曲』、牧野由多可作曲、8人
 25 岩手、『松竹梅』、三橋勾当作曲、18人

 琴の音色が真に優雅で、尺八や三味線も大層巧い!
 何よりもよかったのは、全ての楽器が完全に調律(チューニング)されていて、音
程を重視する私としては十分満足出来た。さすがは耳の良い盲人の演奏だけのことは
ある。
 私はよく知らないが、森雄士・富田清邦・佐藤親貴などという人たちは、間違いな
く人間国宝級の名人である。

 邦楽の1曲は長いので、時間内に全プログラムを修了出来るのかと心配したが、ほ
ぼ定刻の16時45分に閉会となった。「演奏時間10分以内」という申し合わせが
よく守られていたものと思われる。
 観客が誰も居なくなった会場に、私は暫く一人で座っていた。舞台の上では数人の
係員が静かに後かたづけをしていて、それがいっそう空虚さを助長するように感じら
れる。
「大きな行事とは、すべからくこういうものなのだ!」
 と、妙に悟ったような気持ちになって、私は席を立った。





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