AWC  岩手旅行記(二)      [竹木貝石]


        
#3989/5495 長編
★タイトル (GSC     )  97/ 7/ 4   9:20  (171)
 岩手旅行記(二)      [竹木貝石]
★内容

   6月21日(土)

   1 出発から東京

 前もって盛岡までの往復切符と新幹線の指定席券は買ってあったので、その列車に
合わせて、昼頃ゆっくり我が家を出た。
 私は鞄屋の友人にもらった革製のリュックサックを背負い、妻は娘に借りた大きな
ボストンバッグを手に持ったり肩から下げたりしながら、四日間の珍道中に出発した
のである。
 JR新守山駅まで歩いて6〜7分で到着、腰バンドに取り付けた歩数計のボタンを
押すと、
「950歩です。」
 と音声で教えてくれる。今日は気温が高くて蒸し暑い。

 昔のことばかり書いていても始まらないが、ここ新守山駅は、私が名古屋へ転勤し
て来た当時無人駅だった。その頃に比べると乗降客が大幅に増え、駅前広場の整備・
駅舎の改築・点字ブロックの敷設・出改札の自動化等、見違えるばかりとなり、目下
プラットホームの補修工事中である。
 幼い頃から、私の最も愛する乗り物は汽車であるが、今では簡単に乗れないからや
むなく電車に乗る。電車も私鉄よりは国鉄の方が好きだったのに、現在はその流れを
引くJRを利用するしかない。そもそもJRだのSLだのNTTなどと、英語を乱発
するのも日本人として節度がないと思うのは私だけだろうか?

 長距離切符を自動改札機の投入口に入れると、警告音無しで通過出来るのも不思議
であり、他の駅で買った切符もちゃんと識別可能かどうか、一瞬疑問が湧いた。
 プラットホームで待つことしばし、四両編成の上り列車が来て、空席が無かったの
で、反対側のドアの所に立っていると、年輩のおばさんが席を空けてくれ、その隣の
おじさんまで立ち上がって妻に席を譲ってくれた。妻は晴眼者だが、大きな旅行鞄を
持っているし、私の付き添いということで、親切に席を譲ってくれたものであろう。
 世間の人々は誤解しているが、目の不自由な私は座席に座らなくても別段不都合は
なく、確かに視線が定まらず奇異な感じはあるものの、肢体不自由の人に比べれば何
の苦労もないのである。ところが、盲人の姿や雰囲気から判断して、視覚障害者が最
も不便で気の毒な境遇に見えるらしく、乗り物の中では必ず席を譲ってくださる。ま
ことにありがたいご好意であるが、ここで一言、ひねくれたことも書いてみよう。も
しも、これが長距離列車だったら、はたして席を譲ってもらえるだろうか? 小さな
親切は実行出来ても大きな親切は難しい。いずれにしても、今回は長距離旅行に行く
のであるから、私も妻も大変楽で助かった。
 列車は走り出し、大曽根→千種→鶴舞→金山→名古屋終点、私たちはこの中央西線
のお陰でどれほど便利に移動させてもらっているか計り知れない。
 電車を降りて新幹線の改札を抜け、待合室に入って自販機のホットコーヒーを飲ん
だ。このコーヒーがインスタントにしてはいつも美味しい。

 13時5分初 ひかり234号 東京行きの12号車8番のA席とB席に座り、隣の
C席に誰も来なかったし、東京までノンストップ(無停車と書きたいが、ここは英語
の方が使いやすい)なので、その座席にリュックサックを置かせてもらい、のんびり
旅の気分に浸った。
 昼飯代わりに妻がホームで買った名古屋名物天むすと伊勢名物赤福餅を食べている
間に、列車はたちまち豊橋から浜松へと進む。
 阿部川付近でトイレに行ったが、紳士用便所がドアでなくて引き戸だったのでちょ
っと迷った。
 さらにうとうと眠って、横浜に近づいた頃、教え子の卒業生に携帯電話を掛けてみ
たが、接続不良ですぐに切れてしまった。

 昔県営住宅で隣に住んでいた広野さんが、横浜から今は仙台に引っ越ししており、
旅行の最初の予定では、私が盛岡で音楽家大会に出席している間、妻だけ広野さん宅
でお世話になる計画だった。ところが、広野さんの体調が芳しくないとのことで、逆
に向こうから横浜へ来るついでに、東京駅の待合室で私が彼女に鍼治療をする約束に
なっていた。
 しかし、東京駅のホームに降りた途端に私の携帯電話のベルが鳴って、広野さんの
声で、
「交通渋滞で車が全然進まないんです。約束の時間に間に合わなくなりました。すみ
ません。」
 と、断りの連絡があった。
 プラットホームでそんな話をしながら携帯電話を操作しているところへ、突然息子
に声を掛けられびっくりした。
「携帯電話なんか買ってどうするんだ。よく田舎のおじさんが大声で携帯電話を掛け
ている様子を見てみっともないと思ってたのに、まさかうちの親父がそれをやってる
とはなあ。」
 と相変わらずの毒舌を吐く。
 嫁の定子も出迎えに来てくれて、八重洲口近くの駐車場まで4人で歩いた。

 息子は私の貧困時代に育ったせいもあり、金銭に細かく、父親に似てけちな性格で
あるが、小金を使わず大金を使う所もある。特に、車には凝り性で、就職して間もな
く、マツダの〈RX7〉を買い、去年ホンダの〈INSPIRE〉に買い換えた。
 息子夫婦は私たち両親を、地下の駐車場からそのINSPIREに乗せ、首都高速
を一周しながら東京見物をさせてくれた。隅田川・荒川、都庁やサンシャインビル・
東京タワー……、私は見えないので想像するしかないが、妻は結構納得し満足してい
た。
 東川口市のマンションに来る途中も、息子が色々説明してくれて、我が子ながら立
派に成長したものだとつくづく感心させられた。


   2 長男の家

 マンション暮らしでなく、一戸建の家に住みたいと思うのは、誰の願いも同じであ
ろう。私も息子が分譲マンションを購入すると言った時、地所だけでも先に買ってお
いて、後から家を立てることは出来ないものかと考えたりした。けれども、そろそろ
息子も社宅を明け渡すべき年齢となり、毎日の通勤時間や、首都圏の土地の値段を考
慮した場合、いかに共働きとはいえ、一介のサラリーマンに一戸建は無理な望みであ
った。まだしも名古屋なら値打ちな場所を見つけることが出来るかも知れないが、息
子が勤めている会社のコンピューター部門は東京にしか無い。
 それで、あちらこちらと物色した結果、ようやく希望通りのマンションを見つけ、
昨年新築の3LDKを購入したのである。その折り、荷物を運ぶより前にと、出来上
がったばかりのマンションを見に行って、窓から見晴らしのよい景色を眺めながら、
息子と嫁・双方の両親の6人がお茶を飲みながら語り合ったものだ。
 あれから15ケ月経った今日、盛岡へは半日遅れるけれども、途中息子たちの家に
一泊し、6人が再び集まる機会を持つことにしたのであった。

 運良く抽選に当たった駐車場は、マンションの前庭に設けられ、自家用車二段積み
の床板が電動式で一段分上がり下がりするように設計されていて、要するに5台分の
スペースで10台の車を格納する仕組みになっている。すこぶる効率的ではあるが、
よほど気を付けて操作しないと、子供や障害者をうっかり体ごと圧死させたり切断し
かねないので危険である。
 その駐車場からマンションの中へ入る辺りは二重ドアになっていて、若干油臭いよ
うなかび臭いようなよどんだ空気が漂っていたが、幸い四階の息子の家の中は全く悪
臭は無かった。
 屋内はまことにきちんと整頓してあり、嫁の定子がいかに清潔好きであるかが伺わ
れ、私は改めて安心するのだった。
 内の嫁は話し方や発音が現代風で、最初私の気に入らなかったのが、月日の経つに
連れて評価を高めてきている。
 そこで笑い話を一つ。
 先日私は妻と次のような会話をした。
「定子はよく気がつく立派な嫁だなあ! やはり俺の息子は偉いよ。」
 と私が言うと、妻が、
「息子じゃなくって、定子さん自身が偉いんでしょう。」
 と異論を唱えたので、私は言った。
「そりゃそうさ。その定子を選んだ息子は、さすが人を見る目があって偉いというこ
とさ。」

 リビングのソファーや畳の部屋のテーブルで、冷えたお茶を飲みながら、この度の
旅行の話をしたり、末娘(息子たちに取っては下の妹)の北海道みやげのグラスを手
渡したりした。
 ここの窓からも、はるか向こうに都庁・サンシャインビル・東京タワーが望まれ、
筑波山も見えるらしい。
 暫く休憩後、息子が私の退職祝いにMDを買ってくれるとのことで、近くの家電製
品の店へコンポを見に行った。
 安い値段で高機能の機種がたくさん陳列してあり、MDの他にチューナー・CD・
カセットもコンパクトに組み込んである。但し、ほとんどがランプ表示になっている
ので盲人には操作しにくく、よく吟味しないと宝の持ち腐れになりそうだ。
 ひとまずカタログをもらって帰宅し、定子の両親が到着するのを待った。

 やがて呼び出し合図のチャイムが鳴ったので、我々も身軽になって階下に下りた。
 定子の兄が車で両親を送ってきてくれて、久々の挨拶を交わし合ったが、相手方の
お父さんは脳卒中の後遺症で、僅かに脚が不自由なのと話し言葉が不鮮明の他は元気
そうだった。お母さんもいつに変わらぬ優しい人である。
 2台の車で、かねて予約の中華料理店へ赴いた。
 座敷に上がって丸テーブルを囲んで座り、美味しい料理を腹一杯食べ、雑談もはず
んだ。
 我々盲人は自分で料理を取り分ける方式を苦手とするが、今日は定子やお母さんが
私の皿にドシドシ盛りつけてくれて助かった。
 各料理のメニューを息子が読んでくれたが、今は大方忘れてしまった。前菜・フカ
ヒレスープ・中国野菜の炒め物・カニ爪の揚げ物・海老チリ……、デザートはスイカ
だった。動けないくらい食べ過ぎて心配になったが、腹にもたれることもなく、翌朝
はすっきりとして、またご飯をたくさん食べることになる。やはり高級な料理は体を
壊すことがないらしい。
 中華料理の店を出ると、外は大雨が降っていたが、車だから問題はない。
 マンションの四階に戻って、1時間以上雑談をした。相変わらずお父さんの悪ぶっ
た冗談が楽しく、旅行のこと・名産品のこと・名所旧跡のこと・祖父母や叔父叔母の
こと・酒や煙草のこと……。
 手みやげとして、洋風の菓子と、妻の為に日傘をプレゼントしてくれて、この傘が
大層役に立つことになる。
 定子の実家はここより車で30分ほどの距離にあり、9時頃、両親は兄の運転で元
気に帰って行った。

 風呂は洋式で、自動的に湯が補充され、浴室もゆとりがあって、今流行の乾燥機も
付いている。
 風呂から上って、C言語のソースを息子に手直ししてもらった。私はつい3週間前
からCの勉強を始めており、『平均値を求めるプログラム』に取り組んで、丸二日間
頑張ってみたが、うまく動作しないのであった。
 私が自分の書いたソースを記憶を辿って読み上げ、それを息子がノートパソコンに
入力した。音声も設定してあり、アルファベット・数字・仮名文字の他不完全ながら
漢字も読み上げてくれて、記号類や括弧を正確に読まない難点はあるが、結構使い物
になるシステムだ。
 手直しした『AVERAGE.C』は、私が眠った後、息子がNIFTYで、私の
ID宛に送信しておいてくれた。家に帰ってからのお楽しみということになる。
 こうして旅行の初日は終わったが、息子夫婦のマンションは荷物類が整理整頓され
ていて広々とした感じがし、名古屋の私の住まいよりずっと住み心地は良さそうだ。
高層建築よりも一戸建の方が良いことは分かっているが、しかし、使い方しだいでど
うにでもなるものとも言えなくはない。





前のメッセージ 次のメッセージ 
「長編」一覧 オークフリーの作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE