#3969/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/ 6/24 20:13 (200)
そばにいるだけで 11−3 寺嶋公香
★内容
「あ、うん」
返事してから、唐沢を見た。唐沢は、自転車のハンドルに片手をかけたまま、
動こうとする気配がない。
「唐沢君、来ないの?」
「言っただろ、相羽の家の場所さえ分かればいいと思ってたから。それとも、
涼原さんは、僕に着いて来てほしいとか?」
唐沢は相羽の顔をにやにやと見やりながら、声を弾ませた。
「二人とも……これから行くところは僕の家なんですがねえ」
相羽はふてくされたような声を上げた。
「唐沢も来いよ。ここまで来ておいて、本当に外から見るだけなんて。ただし、
最初に言っておくけど、今日はあまり長居させられないからな」
「ふむ」
考える顔つきになった唐沢。自転車がなければ、腕組みでも始めそうだ。
「んじゃま、マンションの中を見学させてもらうために、着いて行くとするか
な。上がり込みはしないよ」
ようやく話がまとまり、三人で玄関口へと向かった。
マンション内に入ると、唐沢は先ほどの宣言を忠実に実行しているつもりな
のか、盛んに首を巡らせている。エレベーターに乗り込んだときも、しきりに
うなずいていた。
「それじゃ、挙動不審よ」
あきれて純子は笑った。
五階に着き、下りたその刹那だった。
「……あれは」
廊下を先に行く相羽がつぶやき、立ち止まった。見れば、一人の男が立って
いた。純子達から十メートルほど離れているだろうか。向こうは、こちらに気
付かず、各部屋のドアを眺めている様子だ。
「お客さん? 邪魔になるかしら」
「そうじゃない」
不審げに目を細めた相羽。
「何だ? どうして前に進まない」
「しっ」
唐沢の言葉を制して、相羽は二人を押し戻す。揃って、角の陰に身を隠した。
「どうしたの……?」
声を潜め、純子は尋ねてみた。ただならぬ空気を感じ取っている。
「あの男……」
と、顎で示す相羽。臙脂色をした帽子を被った男は、ダークグリーンのジャ
ケットのポケットに両手を突っ込み、ぶらぶらと歩いていた。
「マンションの周りをうろついていた奴だ。ここ三日間ぐらい」
「何? じゃあ、あいつ、どこの家の客でもないんだな?」
「多分」
「……やばいんじゃないか」
唐沢の声が号令になったように、純子達は顔を見合わせた。
「泥棒……かな」
「堂々としすぎじゃないかしら」
「下見しているのかもしれない」
純子と相羽が推測を重ねているのへ、唐沢がじれったさそうに割って入った。
「それどころじゃないだろ。警察、呼ぼう」
「うん……悪いけど、唐沢、頼む。直接警察じゃなく、管理人さんに伝えてほ
しい。一階の」
「言われなくても、行けば分かるだろ」
足音を潜め、唐沢は素早くきびすを返した。
残った純子達は、息を詰めるようにして、再び廊下を覗き見る。
「あ」
思わず出そうになった声を飲み込む。
男は、相羽の部屋の前に立ち止まり、ドアをしげしげと見つめている。
(中を覗こうとしているみたい……)
純子はそう思い、相羽の顔を見上げた。
相羽は緊張した面持ちでうなずき、いくらか迷うような目の動きをする。
その間に、男はブザーのボタンを押していた。
「母さん、帰ってないはず……」
相羽がそうつぶやいたのに反して、インターフォン越しに返事があった。
「はい? どちら様でしょうか」
不明瞭ではあるが、相羽には母親の声だと分かったらしい。表情に、驚きの
色が走る。
「宅配便です」
男がぬけぬけと言った。
明らかに嘘をついている−−。
純子が感じた瞬間には、相羽は飛び出していた。
そうする間にも開くドア。女性の白い手が垣間見えた。
「母さん! 開けちゃだめだ!」
叫び声。
相羽の母の動きが止まる。
同時に、帽子を被った男は一瞬、戸惑った態度を露にしたが、すぐに悪意を
鮮明に、相羽の方へと向かって来た。
(あ−−)
純子は廊下の端に立ち、見ていた。
一番遠くに、飛び出てきた相羽の母の姿。
一番手近に、走る相羽の後ろ姿。
そして真ん中。向かって来る男の右手には、鋭く光る−−。
「いやぁっ!」
純子の悲鳴が、この場の状況に影響を及ぼしたのかもしれない。
不審な男は再び躊躇したのか、瞬間的に足を止めた。
相羽は逃さず、手にした学生鞄で男の右手を殴りつけた。ナイフ−−果物ナ
イフか−−が落下し、回転しながら床を滑っていく。
「あ、あ、あ」
どこか間の抜けた声を上げ、ナイフを追いかける男。帽子が飛び、長い髪が
現れた。男にしては、肌の色が青白い。
気が付くと、純子の目の前に、男が迫りつつあった。
「純子ちゃん! 逃げてっ」
相羽の声に、身体を固くしていた純子は我に返り……いや、返ってなかった
のかもしれない。
何故なら、純子は逃げるどころか、足下のすぐ近くで止まったナイフを蹴飛
ばし、男から再度遠ざける行動に出たのだから。
この頃になると、ようやくマンションの他の住人達がちらほら顔を覗かせ、
さらには唐沢が管理人を引き連れて戻って来た。
予想に反して意外に若い管理人は、なかなか状況把握に長けているようで、
現場を一望するや、さっさと進み出るとナイフを拾い上げた。そして、気軽な
調子で言う。
「すぐに警察が来るから。ま、大人しくしてな、色白のにいさん」
長い髪を額に張り付かせた男は、ちょうど廊下の真ん中辺りにへたり込み、
はあはあと荒い息をしていた。
「母さん」
相羽が振り返ると、彼の母は間を取ってから、その腕で息子を抱きしめた。
個別に事情を聞かれ、慌ただしかった昨日を思い返しつつ、純子は校門をく
ぐった。
(今朝は、相羽君と会わなかったな……)
昨日のことを詳しく聞こうと思っていたので、残念に感じる。
もう来てるのかもと期待して教室に入ったが、ここにも相羽の姿は見えなか
った。
「涼原さん」
話しかけてきたのは唐沢。いつもと違う真面目な表情だ。
「相羽の奴と一緒じゃないのか?」
「うん。会わなかった。相羽君、まだ来てないのね?」
「ああ、そうみたいだね。昨日のあれ、どういうわけなのか聞こうと待ちかま
えてたんだけどな」
「私も同じ」
純子は周りを見渡した。他に、相羽のことを噂している者はいないようだ。
「唐沢君、昨日のこと、誰にも言ってないのね?」
「こんなもん、言っても仕方ないだろ」
肩をすくめ、髪をなで上げた唐沢。男にしては細い髪だ。
「はっきりとは知らないが、相羽のお袋さんが狙われてたんだって? それじ
ゃ、なおさら。事情が分からない内は、無闇に言えないさ」
「……唐沢君て、意外に、よく考えてるんだ?」
思わず感心して、純子は相手を見上げた。
「失礼な。これでも気配りはするぜ。その辺りの神経、女の子相手のデートで
鍛えているからね。ははっ」
冗談めかしてむくれてみせたあと、唐沢は腰に手を当て、胸を反らした。
「言うわねえ」
「信じられないんだったら、涼原さん、一度デートしてみようか。俺の、気配
りの帝王ぶりを見せて差し上げよう」
「冗談ばっかり。気が向いたらね」
純子が笑ったちょうどそのとき、相羽が姿を見せた。
「相羽、ちょっと」
教室に入るなり、また外に連れ出された相羽。
「何だよ、唐沢。涼原さんまで……」
「話がある」
唐沢が言った。内緒話をするときの口調になっている。
「話? 何の?」
「私達が揃って聞きたい話なんだから、分かってもいいはずよ」
純子の言葉に、相羽はぼんやりとした目つきのまま、ふんふんとうなずいた。
「無理に聞きたいわけじゃないけど、気になるから……だめ?」
「ううん。涼原さんと唐沢には、知る権利があるだろうし」
三人は結局、校庭まで下りてきた。花壇の前に陣取って、話を始める。
「はっきり言って、僕の考えが足りなかった。間抜けだった」
いきなり、相羽は始めた。
呆気に取られる純子達に口を挟ませず、言葉を重ねる。
「後先を考えない自分が……嫌になったよ」
「おおい、分かるように話せよ」
「唐沢、おまえに話すと説明がたくさんいるんだ」
「ほ? 何のこっちゃ?」
眉を片方だけ吊り上げる唐沢。意外と様になっている。
「小学校のときのある事件が関係してる。涼原さんは当然、覚えてると思うけ
れど……」
相羽に見つめられ、純子は首を傾げた。
「焦れったいな。何のことか、はっきり言ってよ」
「マラソンのとき、誘拐犯逮捕に協力しただろ。結果的に」
「あ、あれ。でも、あのことがどう」
関係しているの?と続けようとした純子だったが、その言葉は唐沢の声にか
き消される。
「誘拐犯逮捕? 何だそれ。おい、詳しく話せっ」
非日常的な単語が飛び出したことによほど面食らったらしく、唐沢は相羽に
まさしく詰め寄っている。
相羽がおよそ五ヶ月前の出来事を説明する間、純子は待たされる形になった。
(あの事件と昨日の事件……。どちらも警察が関係してるぐらいしか、共通し
てないじゃない?)
あれこれと考えを巡らせている内に、相羽の話がやっと佳境に入った。
「それで、昨日の犯人は弟なんだってさ、誘拐犯の」
「誘拐犯の弟?」
今日何度目かの、突拍子もない声を上げた唐沢。
「……どうして、その人が相羽君の家に……」
純子が疑問を呈するのに対して、相羽は悔しそうに顔をしかめた。
「仕返ししたかったみたい。あいつの兄が捕まったのは、僕のせいだって。要
するに、逆恨みというやつ。しかも、僕に直接やるんじゃなくて、母さんを狙
うなんて」
歯ぎしりの音がしたようだった。
「あの男、何でおまえのことを知ってんだ? 警察に行って、聞いたんじゃな
いだろうし」
「自分が嫌になったって意味は、そこ。誘拐犯逮捕に協力したとき、警察から
賞状もらったんだ。それが新聞に載ってさ」
「ああ! 納得」
「あのとき、新聞に載る必要なんてなかった。それなのに」
「何言ってんのよ」
思わず、相羽の背中を叩いた純子。
「あなた、あのとき、新聞に名前と写真が出るのを、ずっと渋ってたじゃない。
相羽君は悪くない。私達クラスみんなで囃し立てたせいだわ、出ろ出ろって」
「決めたのは自分自身だから……」
普段に比べると元気のない声でつぶやくと、相羽は校舎へ戻り始めた。
そして極あっさり、付け加える。
「これでおしまい。分かった?」
「え? あの、おばさんは無事なのね?」
唐沢と一緒になってあとを追いかけながら、純子は尋ねた。
「昨日、会っただろ。怪我なんかしていないよ」
「そんな意味じゃないったら! えっと、そう、精神的に参ってしまってない
かって……」
「それは……ま、多少はショック、受けてた。仕事も休んだし」
「大変じゃない!」
階段に差し掛かったところで、大声を張り上げてしまった。
−−つづく