#3946/5495 長編
★タイトル (RAD ) 97/ 6/15 23:56 (191)
【迷昧】11 悠歩
★内容
「そして、乱暴を受けた後の静音にはこう言ったのよね。『表向きだけでいい。
お前は元木と付き合うふりをするんだ。それをぼくたち二人の関係の、隠れ蓑に
するんだ。いまはまだ二人の関係を公に出来ない。何れ時が来たら、元木はぼく
がなんとかする。君のことは、ちゃんと責任をとる』って。静音はね、元木さん
のことを訴えるつもりでいたけれど、先生の言葉をプロポーズだと思って従った
のよ………それを殺すなんて」
「違う、断じて違う。第一、証拠もない」
「どうかしら? 少なくとも私は、先生の言葉をいくつか、静音として訊いてい
る。それを警察に話したら、どうなるか試してみましょうか」
「待て、琴音。落ち着いて話をしようじゃないか」
高橋はそっと机の引き出しを開け、何かを手に握った。琴音からは死角になっ
て見えなかったかも知れない。だが裕樹には、それがなんであるかはっきりと見
て取れた。折りたたみ式のナイフ。握りしめた手を後ろに隠し、立ちあがって琴
音へと近寄って行く。
折りたたまれた刃が伸ばされる瞬間、裕樹は準備室のドアを開いていた。
「琴音ちゃん、危ない!」
そのまま、高橋の脚にしがみつく。
「うぉっ」
バランスを崩した高橋が倒れ込んだ。手にしたナイフが、琴音の横を掠めて行
く。
不意だった上、片手を隠していた高橋は、上手く手をつく事が出来なかったよ
うだ。鈍い音が室内に響く。
「裕樹くん」
「琴音ちゃん、こっち」
いち早く立ち上がった裕樹は、琴音の手を取り美術室へ向かった。咄嗟に施錠
された準備室のドアを開けるより、そちらの方が早いと判断したからだ。
だが、それは失敗だった。
美術室から廊下に出るためのドアも、外から施錠されていたのだ。
「そこは、さっき先生が鍵を掛けたの」
さきほど、足音が一旦美術室の前で止まったのは、このためだったのか。
ここの鍵は、廊下側と室内では別になっていた。つまり、廊下側から掛けられ
た鍵を内側から開けることは出来ない。
「ふん、やってくれるじゃないか」
姿を見なくとも、はっきりと悪意の感じられる声。確かめるまでもないが、裕
樹は声の方へと振り向く。
左手で顔を押さえ、右手にナイフを握った高橋が準備室のドアから現れた。左
手からは血が滴っている。鼻血を出したようだ。
「誰か! 誰か助けて! 人殺しがここにいる」
ドアを叩いて叫んでみる。だが、誰かが駆け付けてくるような気配は無い。部
活動のある時でも、放課後は人気の少ない美術室周辺、やはり誰もいないのか。
「ふん、誰かと思えば橘か………探偵ごっこはいいが、言ったはずだ。遊び半分
で首を突っ込むんじゃないと、な」
静かではあるが、吐き気をもよおすような凄みを込めた高橋の言葉。
「遊び半分、なんかじゃない」
震えを押さえながら、裕樹は応えた。
「ふふん、そうか分かったぞ。お前、琴音にたらし込まれたな?」
高橋の視線が琴音の顔を捉える。いやらしく、おぞましい目だと裕樹は思った。
「哀れだな、橘。お前もこの淫売姉妹に、からかわれていたんだよ。利用されて
いたんだ。まったく、酷い話だよなあ。そのせいで、お前は親切な忠告も無視し
て、事件に首を突っ込んで、挙げ句、殺される事になったんだから。くくっ、で
もいいか? なあ、ヤラせてもらったんだろう? この淫売に」
裕樹は激しい震えを押さえきれずにいた。恐怖もある、がそれだけではない。
この高橋と言う男の下劣さに対する怒り。
「貴様………」
「違うわ!」
裕樹の声に、琴音の声が重なる。
「裕樹くんは、そんなんじゃない。あんたなんかと違う。私は裕樹くんと、本気
だもの」
裕樹にとって、琴音のその言葉だけで充分だった。
琴音と高橋の会話を聞いて、少なからず動揺はした。自分に対する琴音の言動
も全て偽りだったのかと、疑いもした。
しかしその言葉を聞いて、最後まで琴音を信じる決心がついた。片手で琴音を
庇い、自分の後ろへとまわらせる。
腕力に自信も無い上、相手は武器を所持している。どう考えても、裕樹の方に
分が悪すぎる。しかしなんとしても、琴音だけは守り抜かなければ。
「ほう、女を庇うのか。カッコイイなあ〜。じゃあ橘、お前から先に逝くか?
俺としても本当はこんな手荒な真似をしたくはないんだが………静音や元木の時
のように、計画を巡らす時間が無いんでな。お前らが死んでから、ゆっくり考え
させてもらうよ」
「認めたわね、静音を殺したって」
口惜しそうな琴音の声。
当然だろう、生まれてからずっと一緒に、いろんな事を分かち合って来ただろ
う姉を殺した男が目の前にいて、何も打つ手がないのだから。
せめて高橋の、最初の一撃をかわす事が出来れば、あるいは反撃の余地も生じ
るかも知れない。だが、そんなアクション映画のような真似が裕樹に出来るだろ
うか。いや、やるしかないのだ。
ナイフを持つ高橋の手が、僅かに後ろへと引かれる。
来る、そう思った時。
がらん、がらん、とけたたましい音が美術室に響き渡った。続いて、ぱんぱん
と手を叩く音と。
「はいはい、先生。そこまでだ」
どこかで聞いた男の声。
高橋も、琴音も、そしてそれが反撃のチャンスである事を忘れた裕樹も、その
声の方を見た。
「あ、刑事さん」
そこには、あの刑事がいた。
事もあろうに、美術室の後方の掃除用具入れの中に。
頭にモップの毛を被り、足許にバケツを転がして。
お世辞にも恰好のいい登場の仕方では無かった。が、裕樹たちにとって最も有
り難い人物の登場だった。
「いやあ、狭いし臭いし、たまらなかったなあ」
「け、刑事がいつの間に………」
高橋は狼狽しきっていた。当然だろう。有り難いと思う裕樹ですら、その登場
には驚いているのだから。
「その橘くんより先に、ここに来てたんだけどねぇ。なんも調べられないうちに、
誰か来たもんで、咄嗟にここに、ね。すぐに橘くんとは分かったんだが………な
んとも出にくくなって」
のんきに笑う。
本当に優秀な刑事なのか、その反対なのか、分からない男だ。
「くそっ、こうなったら貴様も」
「よしなよ。これでも、多少の武術の心得はあるんだよ。それにほら、これがな
んだか分かるだろ?」
そう言って刑事は、手にしていたものを見せた。
携帯電話だった。
「これ、いま繋がってるんだよね。署に、さ」
高橋が捕まり、今度こそ本当に事件は終わった。
その後裕樹が訊いた話では、事件の内容は次の通りだった。
自分に対して本気になった静音を、高橋は疎ましく感じるようになった。そこ
で以前から静音に付きまとっていた元木に目をつけたのだ。
高橋は元木をそそのかす。既成事実さえ作らせてしまえば、静音も元木と付き
合い、いずれ自分の事を諦めるだろうと考えたのだ。
だが根っからの女好きだった高橋は、保身のためとはいえ静音を人にくれてや
る事を惜しく感じた。幸い静音には瓜二つの双子の妹がいる。その双方と関係を
持つことで、下らない自尊心を満足させようと考えた。
静音と別れるための手段を画策しながら、一方では琴音にモーションを掛けて
いたのた。姉妹が頻繁に入れ代わりをしていた事も知らず。
ところが最初言いつけに従い、元木と付き合っているように装っていた静音だっ
たが、ある日それを拒み始めた。元木の暴行が高橋の差し金とも知らずに言った
のだ。元木を訴えると。
当然、高橋はそれを止めようとした。元木が裁かれでもしたら、自分の事も世
間に知れてしまう。説得の末、静音は元木と別れ高橋が正式に婚約してくれるの
なら、と条件を出してきた。しかしこれも出来ない相談だった。そうなれば、静
音に執心の元木が黙ってはいないだろう。
事件当日、静音は学校を休んでいた。琴音の証言から、いつまで経ってもはっ
きりした態度を示さない高橋に対して、静音は焦りを感じていたようだ。早く答
えを出してくれなければ考えがある、そう高橋に電話をしている。
その日学校に女性の声で、高橋宛の電話があった事は、最初に受けた教員の証
言で確認されている。もちろん静音は偽名を使っていたが。
高橋は正式な話し合いをしようと、言って夜の学校に静音を呼びだした。だが
静音の条件を受け入れるつもりなど、毛頭ない。元木の事もあったが、高橋自身
別に婚約者が在ったのだ。その姓名については、未だ明らかにされていないが県
議会議員の娘だったと噂されている。
そこで高橋は、静音の殺害を決意。いや、この断定は正しくないかも知れない。
これは警察側の推測である。
この点について、本人は否定しているのだ。この時点でまだ殺意は無かったと。
高橋は元木に、こう告げる。「静音がお前のことを、訴えて出ると言っている。
もしそうなれば、お前の将来は無くなってしまうぞ。どんな事をしてでも彼女を
大人しくさせるんだ」そして、夜学校に静音が来ることも。
警察はこれを殺人教唆にあたる可能性がある、と見ている。
そして夜、高橋はプールの近くに隠れ静音を待つ。場所をそこにした理由は、
高橋に疑惑を感じつつあるらしい静音も、校内なら呼び出しやすい事。プールな
ら校舎から離れていて、また近くに民家が無く、目撃者の出る可能性が少ないた
めだった。
時間よりやや早く、静音は現れた。高橋は身を潜めたまま様子を窺う。間もな
く現れるであろう、元木を待って。
やがて静音の後ろに、人影を発見。だが元木では無かった。静音と全く同じ顔
を持つ人物。
今ではそれが琴音だったと知れているが、その時は高橋にも区別が付かない。
どうしたものかと考えているところに、遅れて元木が現れた。
元木もまた、双子の区別はつかない。最初に目にとまった琴音を静音と思い込
み、特に考えもしなかったのだろう。力任せに突き飛ばし、動かなくなった琴音
を死んだものと思い、慌てて逃げ出した。
困ったのは残された高橋だ。
倒れたのが静音で、そのまま死んでいたのなら元木を犯人として、後は自分の
名前さえ出ないようにすればいい。(この事から、警察は既に殺人の意志があっ
たものと見ている)しかしそれが琴音であるのなら。
隠れていた場所から、飛び出し半狂乱気味の静音へと近づいた。妹へ駆け寄ろ
うとする静音を押さえ、どうにか話を聞き出す。どうやらこちらが静音だと分か
ると、高橋は強引にプール・サイドへ連れて行った。
しかしもう話し合いも何も無い。
妹が倒れた事に興奮している静音は、高橋の手を振りほどこうとした。そうし
てもみ合っているうち、静音はプールに転落。
冷静であれば、溺れる事などなかっただろうが、興奮していた静音はそのまま
ほとんどもがきもしなかったと言う。しかし高橋は静音の生死を確認しないうち
に、またプールへと向かって来る人の気配に気がついた。裕樹である。
慌ててプール・サイドを離れ、高橋は何食わぬ顔で裕樹と合流。そこで初めて、
プールの中の静音を発見したふりをする。
裕樹に電話を掛けるよう命じ、その場から遠ざけると、静音をプールから引き
揚げた。
なんとこの時点では、静音は失神していただけでまだ生きていたのだ。だが彼
女が生きていたとなれば己の身が破滅すると思った高橋は、再び静音の頭を水に
つけ、死に至らしめた。
もしあの時、高橋に言われるまま電話など掛けに行かず、裕樹自身の手で静音
を助け上げていれば………誰も死なずに済んだかも知れないのだ。それを思うと、
裕樹は悔やまれてならない。
静音を殺してもなお、高橋は安心出来なかった。
まず元木の突き倒した方が無事であった。彼女が本当に琴音であれば、静音殺
害現場は見られていない。そのまま付き合いを続ければいい。しかし万が一、彼
女の方が静音であれば、琴音殺害について高橋を疑うだろう。
もう一つ。元木の事である。
一時は静音が自分を訴えようとしている事を知り、動揺していた。それが突き
飛ばした少女は無事で、別の少女がプールで死んだと知って、その犯人が高橋で
あると真っ先に気がついた。
元木は高橋を強請って来たのだ。金額は百万。
弱みを握られた高橋は応じるふりをした。実際三十万を用意し、受け渡してい
る。
受け渡し場所は、元木の自室。そこで高橋は、元木に飲酒の習慣がある事を知
る。