#3911/5495 長編
★タイトル (FJM ) 97/ 6/ 9 5:26 (127)
代償 第一部 17 リーベルG
★内容
17
「……それから、彼女にどういったお話を?」
「はい」由希は赤くなった目に、そっとハンカチをあてながら答えた。「まず、
何があったのかを訊きました」
県警の大野川刑事は、手帳にボールペンを走らせると、無言で先をうながした。
まだ若く、三十代前半ぐらいで、背の低い男である。
「藤澤さんの言っていることは、よくわからなかったのですが、誰かにレイプさ
れ、それがみんなに知られてしまった、というようなことを言っていました」
「例のコンピューターに表示された写真のことですな。先生はご覧になりました
か?」
「ええ。後から」
「それから何と?」
「私は、とにかく彼女を落ち着かせなければならないと思い、いろいろなことを
喋りました。よくおぼえていないこともありますけど、そんなことを真剣に悩む
より、犯人を見つけだす努力をしましょう、とか」
「彼女は何か言いましたか?」
「はい。でも、やはり支離滅裂でした。もう、あたしはおしまいなんだ、とか、
あいつらがいつも追ってくる、とか」
「なるほど」
「話しているうちに、藤澤さんは気が高ぶってくる様子でした。私は、とにかく
彼女の手をつかめないものかと、ゆっくりと一歩ずつ前に出ました」
「どのぐらいまで近寄れましたか?」
「さあ」由希は首を傾げた。「もう、手を伸ばせば届きそうなぐらいには」
「でも、間に合わなかった?」
「藤澤さんは、急に叫びました。こんな汚れたあたしを先生に知られたくなかっ
た。そう言って、後ろに倒れ込むように手を離したんです。私は慌てて手を伸ば
したんですが……」
由希は涙をにじませ、小さく嗚咽をもらした。
「なるほど」
「私の責任です」
「いやいや」大野川刑事は、とまどったように手を振った。「先生の責任ではあ
りませんよ」
「でも、私の話し方がまずかったのかも」
「他の先生にも、お話を伺ったのですがね。先生は、新任にもかかわらず、生徒
さんたちから、絶大な信頼を得ていたそうじゃありませんか。職務を越えて、生
徒の相談にも親身になって乗っていらっしゃったと言っておられましたよ。どの
先生もね、橋本先生だから、少しでも話ができたに違いない、と口を揃えていま
す」
「それでもやはり悔いが残ります」
「不可抗力ですよ。責めを負うべきは、先生ではなく、彼女を自殺にまで追い込
んだ別の人間ですよ」
由希は涙を拭った。そして、怒りのにじんだ声で訊いた。
「藤澤さんの遺体の解剖は?」
「ええ。ご両親の許可をいただいて、昨日の夕方のうちに済ませました。全身打
撲で即死だったようです」
「あの、藤澤さんは、本当に、その……」
大野川刑事は由希の訊きたいことを察した。
「ええ。間違いなく暴行を受けています。一週間から十日ほど前です。処女膜の
損傷痕が残っていました。時間が経っていますので、精液や体毛の痕跡は残って
いませんが。それに、何人かの生徒に送りつけられたビデオテープと写真を分析
したところ、間違いなく被害者であることが確認できています。合成した形跡も
ありません」
「そうですか。気の毒に。こんなことになる前に、話してくれていたら……」
「まあ、なかなか話しづらかったでしょうしね」
「あのコンピュータの写真は誰が?」
「今のところ、わかっていません。ええと、なんでしたっけ……ホームページか、
そのデーターを用意した……」大野川刑事は手帳をめくって名前を見つけだした。
「谷先生によれば、昨日の一時限めに同じ授業をやったときには、あんな写真の
データーはなかったそうです。おっとデータですね。最近は、コンピュータとか、
データとか語尾を伸ばさない発音をするそうですね。さっき、谷先生に言われま
したよ」
大野川刑事は笑ったが、由希は曖昧にうなずいただけだった。
「で、考えられるのが、三時限めに、火災報知器が誤作動して生徒たちが校庭に
避難したときです。このとき、校舎内にほとんど人がいなくなった隙を狙って、
誰かがデーター……データを入れ換えたと思われます。コンピュータルームには、
特別に鍵もかかっていなかったそうですし、コンピューターの電源は全部入って
いたそうです。だから、多少知識のある人間ならば、データの入れ替えには5分
もかからなかったかもしれない、と言っています」
「でも、誰が?」
「わかりません」
「藤澤さんを襲った人ですか?」
「人たち、です。テープでは、少なくとも三人の男にレイプされていましたから」
「その人たちですか?」
「おそらく。ですが、テープや写真は、彼女が暴行を受けてから、一日か二日程
度で生徒さんたちに送りつけられていますから、誰かがデジタル化する時間は充
分にあったわけです」
「生徒の誰か、だとおっしゃるんですか?」
「そんなに怒った顔をしないで下さい。あくまでも、可能性を言っているんです
から」
「怒っていません」
「ならいいんですが」
「ですが、どうしてなんですか?」
「は?」
「誰かはともかく、その誰かは、どうして、藤澤さんがひどいめに遭ったことを、
学校中に知らせるようなことをしたんですか?」
「そこが不思議な点なんですよ」
大野川刑事は手帳をしまうと、すっかり冷めてしまったお茶をすすった。
「女性を暴行した奴が、被害者の写真やビデオを撮ることは、よくあることです。
理由はいくつかあります。写真やビデオそのものが目的の場合。裏ビデオとして、
ブラックマーケットで売りさばくんですな。中には、プロ並みの機材を揃えてい
る連中もあります」
由希は固い顔で頷いた。
「また、被害者を脅迫するネタにする場合もあります。目的は金であったり、被
害者との再度の情交であったりします。ある大企業の女子社員が、社内の機密文
書を持ち出すように強要されたケースもあります」
「藤澤さんの場合は、どちらなんですか?」
「彼女の場合は、どちらにもあてはまりそうにないんです。なぜかと言いますと
ね、どちらにせよ、第三者にテープや写真をばらまいてしまうようなことは、普
通しないんですよ。犯罪の証拠を公表するようなものだし、脅迫にしても、ビデ
オ販売目的にしても、その価値が激減することになりますからね」
「それもそうですね」
「考えられるのは、怨恨の線です。ですが、何と言っても、まだ高校生ですから
ね。ここまでやられるような恨みを買うとは、ちょっと考えにくいんです。特別
付き合っていた相手もいなかったようだし、流行りの援助交際なんかとも無縁だ
った。もちろん、金銭関係での怨恨も考えられない」
「つまり、お手上げですか?」
「厳しいですね」大野川刑事は苦笑した。「一応、ビデオに映っていた男たちの
捜査を開始してはいます。入れ墨が見られたので、どうやら暴力団員らしいんで
す。ですが、まず発見は無理でしょう」
「なぜですか?」
「ビデオは注意深く編集してあって、男たちの顔が全く映っていないんですよ。
普通、直接カメラを向けたシーンはカットしても、ガラスや金属部分への映りこ
みは、よく見落とすものなんですが。入っている声も、藤澤美奈代の声ばかりな
んです。それに、死因が自殺である以上、それほど大量の人員を投入するわけに
はいかない、ということもありましてね。ご両親も、犯人を見つけることには、
それほど乗り気ではないようですし」
「そうですか。藤澤さんのご両親のお気持ちを考えると、必ずしも犯人が見つか
った方がいいとも言えませんものね」
「そういうわけです」大野川刑事は立ち上がった。「いや、どうも、すっかりお
手間を取らせてしまいまして」
「いいえ。ご苦労様でした。また何かわかりましたら」
「ええ、お知らせします。では、失礼します」
由希は応接室から、刑事を送り出すとドアを閉めた。口紅を塗っていない唇は、
笑みを形作っていた。