AWC 【OBORO】 =第2幕・会者定離=(1)  悠歩


        
#3912/5495 長編
★タイトル (RAD     )  97/ 6/13  23:13  (190)
【OBORO】 =第2幕・会者定離=(1)  悠歩
★内容

 ※作中、【日龍】と書き表している部分は、それで一つの「おぼろ」という
  漢字を表しています。
  これは、にちへんにりゅうと書くその漢字が表記できない為の措置ですの
  で、どうぞご了承下さい。


【OBORO】 =第2幕・会者定離=


「ここは………」
 優一郎は、周囲を見渡す。
 自らの措かれた状況が、全く理解できない。
 自分は確か、麗花(れいか)たちの家の客間で寝ていたはずだ。
 白いTシャツにトランクス。着ている物は、布団に入ったときのままだった。
 当然だ、着替えた覚えなど無いのだから。
 それどころか、布団に入ってからは、一度とて起きあがった覚えも無い。
 なのに優一郎は、立っていた。見知らぬ場所に。
 星一つ見えぬ、厚い雲に覆われた夜空。
 目の前には濃緑に濁った沼。
 後方には先の全く見えぬほどに茂った森。
 生温く澱んだ空気が、優一郎にまとわり、不快な汗が流れ出る。
「夢か?」
 だが嘗て、これほどまでリアルな夢を見た記憶はない。
 汗に濡れ、肌に張り付く冷たいシャツ。
 むせかえるような緑の匂い。
 足の裏の、土の感触。
 そのどれもが、強い現実味を帯びて、優一郎に接する。断じてこれは、夢など
では無い。
 ではなぜ優一郎は、こんな見知らぬ場所にいるのだろうか。
 夢遊病者の如く、意識のないまま自らの脚で、歩いて来たのだろうか。
 優一郎は、森に向かって二、三歩、歩を進めた。
 とにかく自分の居る場所を把握しておきたかった。麗花たちの家から、どれほ
ど離れた場所にいるのかを。
 がさっ。
 茂みが音を立てた。
 誰かいるのか?
 脚を止め、耳を澄ます。
 何も聞こえない。気のせいだったのだろうか。
 しばらくの間、脚を止めたまま周囲を警戒する。
 やはり何も聞こえない。誰もいない。
「おかしい」
 静かすぎる。
 虫の音も、蛙の声も聞こえない。
 沼を背に、優一郎は前方の茂みを睨み据える。
「何かいる」
 高まった鼓動に、自分の頭までが揺り動かされているようだ。目眩がする。
 冷たい汗が、額に流れる。
 人か獣か。
 人が相手なら対処のしようもある。話のしようもある。
 万一、悪意を持った相手であっても、喧嘩には自信がある。相手が飛び道具さ
え持っていなければ、どうにか出来るかも知れない。
 しかし獣であったら………
 このような時刻に、このような場所。
 身を潜め接近するものが、人であるとは思いにくい。
 狐や狸などの小動物なら、虫たちまでが息を潜めるだろうか。
 茂みから目を逸らさず、優一郎は周辺に武器になるものはないかと探した。だ
が棒きれ一本、見つける事は出来なかった。
 最悪、後ろの沼に飛び込むしかない。
 がさっ。
 茂みが揺れる。
 優一郎の緊張は、極限までに達する。
 次の瞬間、茂みから現れたのは中年の男だった。
 その手には、凶器となり得る物も持ってはいない。
 わずかに安堵する、優一郎。しかし、警戒は保ったまま男に問いかける。
「あなたは誰です? ここはどこですか?」
 男は答えない。
 無言のまま優一郎を見るでもなく、呆然とその場に立ち尽くしている。
「あの………」
 再度問いかけようとして、優一郎は男の様子のおかしい事に気がついた。
 目の焦点が合ってはいないのだ。
 阿呆のように、口を半開きにしている。
 意識が無いようだった。
「………」
 もしかすると、自分もこの男のようにして、この場に来てしまったのだろうか。
そう思った時。
 強い風が吹いた。
 風は木々を揺らし、沼を波立たせる。
 にわかに優一郎は、騒がしい音の渦に取り囲まれた。
 やがて風が通り過ぎ、周囲の音も消えかけた………
 が、一際激しい水の音が、優一郎の後方から聞こえてきた。
 慌てて振り向くと、水中より出現した巨大な影が、優一郎めがけ飛び掛かろう
としているところだった。
「危ない!」
 優一郎は男を突き飛ばし、自らも土の上を転がる。
 何かが頭の横を掠めて行った。巨大な影の振るった腕だった。
 起き上がり様、自分を襲った影を見た。
「な! 何だ………あれは」
 物欲しそうな目で、優一郎を見る女がいた。
 濡れた長い髪から雫が滴り、所々に藻が絡み付いている。その姿は深夜のテレ
ビで観た、古い映画に出てくる幽霊のようだった。
 肌を隠す物は、何も纏っていない。しかし形の良い若い裸体は、死人のように
青白く、見る者に寒気を感じさせる。
 たが女の姿自体は、それほどの恐怖ではない。
 何よりも優一郎を震え上がらせたのは、女が背負っている、全長三メートル半
ほどの腐肉の塊だった。
 屠殺場から拾ってきた腐肉、内蔵を無造作につなぎ合わせたような人形(ひと
がた)。
 目も耳も、鼻も口もない、ただ腐肉の層だけが刻まれた顔。ぶよぶよとした、
全く均整の取れていない、いまにも崩れ落ちそうな巨体を、左右で太さが異なる
短い脚が支えている。
 左の腕は太く短く、まがりなりにも不揃いな五本の指をもっていた。しかし先
刻優一郎の頭を掠めていった右腕は細く長く、三本の指しかない。爪もなく、や
はりぶよぶよとしたその腕に、然したる力が有るようにも見えないが、事実優一
郎が倒れていた近くの地面が大きくえぐられている。その破壊力は、推して余り
ある。
 その不細工な肉人形が、まるで悪趣味なシャツの柄のように、腹に裸の女を張
り付けていた。
 こんな生物がこの世に存在していたなどと、聞いた事もない。
 夢だとしら年甲斐もなく、随分と幼稚な夢を見ているものだと、優一郎は思っ
た。そして、幼稚でばかばかしくとも、夢であればどれほど良かっただろうとも。
 しかしこれが夢でないと確認し、断言したのは、他ならぬ優一郎自身だった。
 腐肉の化け物、正しくは化け物に張り付いた女は、少しの間優一郎と相変わら
ず夢遊病者のように、虚ろな目のまま倒れている男を見比べていた。
 やがてその視線は、優一郎の方に固定される。
「チカラ………チカラダ。ホシイ、ホシイ、ホシイ………。チカラ……ホシイ、
クウ、チカラ、ホシイ、クウ」
 どこからか空気が漏れているような、耳障りな音声が女から発せられた。意味
は分からないが、化け物は獲物を優一郎に決めたらしい。
 逃げるしかない………
 優一郎に、人外の化け物と戦う術の有ろうはずもない。化け物に背を向け、優
一郎は走り出した。
 焦る気持ちに反して、脚は小刻みに震えて動きが鈍い。その脚が生い茂る草木
に捕られ、思うように前に進まない。
 一方、後を追ってくる化け物には、別段急いでいるような気配がない。一定の
リズムで足音を刻み、優一郎に着いてくる。優一郎の逃走を妨げる草木も、化け
物には何の障害にもならないらしい。
「クソッ、何だって俺がこんな目に………」
 追手の足音に急かされながら、悔しさに涙を流す。
 心地よい布団の中で寝ていた自分が、気がつけば見も知らぬ場所にいて、得体
の分からぬ化け物に追われ逃げまどう。こん不条理な事があっていいのか。
 何も悪いことをした覚えはない、と言えば嘘になる。これまで幾度か、小さな
悪事を行ったことも有っただろう。だが、これほどまでの仕打ちは、あんまりだ。
 いくら走っても、化け物との差は広がらない。
 寧ろ優一郎が疲れていくに従って、少しずつ縮まって来ている。
 追いつかれる前に、人の住んでいる所に出られれば、助かるかも知れない。し
かし、どれだけ走ればいいのか? 皆目見当もつかない。
 五分か、三十分か、一時間か、それとも一日か。
 不意に、優一郎の行く手を遮っていた茂みが消えた。開けた場所に出たのだ。
 人の住む場所に出たのか、そう思った優一郎の期待はすぐに打ち消される。
 優一郎は、もといた場所。あの沼に戻って来てしまったのだ。
「くそっ」
 闇雲に走って、無駄な体力を消耗してしまっただけなのか。
 まさかあの化け物が、こうなるように誘導しながら優一郎を追っていたのだろ
うか。
 悔しさに、爪が食い込むほどに拳を握りしめる。
 後ろを振り返る。
 あの化け物の胸に張り付いた女が、嬉しそうに笑い、舌なめずりをする。こち
らに向かい、ゆっくりと歩を進める。
 逃げ場は無いかと、優一郎は急いで周囲に頭を振る。
「あんた!」
 先刻優一郎が突き飛ばした男が、同じ場所に立っていた。
 優一郎は、その男の胸ぐらを掴む。
「あんた、どこから来たんだ! この近くに、街か村はあるのか? どうなんだ、
答えろ! 頼む、答えてくれ」
 しかし男は、何も答えない。
 相変わらず、焦点の合わない虚ろな目で、優一郎を見ているのかどうかも分か
らない。「ちいっ、駄目か………」
 優一郎が手を離すと、男はよろめいて尻餅をついた。
「ちから………」
「えっ?」
 男が、初めて言葉を口にした。
 虚ろだった視線が、はっきりと優一郎を捉える。
「ちから………ほしい………ちから、ほしい、ホシイ、ホシイ……チカラ、クウ、
ホシイ、クウ………」
 ゆっくりと立ち上がりながら、化け物と同じ台詞を吐く。男の顔には、狂った
ように歪んだ笑みが浮かんでいる。
「まさか!」
 おぞましい予感に、優一郎は震えた。
 その予感を肯定するかのように、男の身体に異変が起きる。
「チカラ、ホシイ………ホシイ、チカラ……」
 それしか知らないオウムのように、同じ言葉を繰り返し、男は自分の着ている
シャツを引き裂いた。手に顔に、剥き出しになった身体に、無数の亀裂が走る。
まるで昆虫の抜け殻を握りつぶしたかのように、亀裂から皮膚がもろもろと崩れ
行く。
 もう一匹の化け物が迫っていることさえ忘れ、優一郎はその様を見つめていた。
 崩れ落ちた皮膚の下から、筋肉、血管、そし内蔵までが姿を現す。理科室の人
体模型さながらに。しかし男の変化は、終わらない。
 どく、どく、どく。
 脈打つ筋肉は、その度に膨らんで行く。激しく膨張する筋肉に堪えきれず、ズ
ボンが破裂する。
 やがて身長が三メートル程度に達すると、筋肉の膨張はおさまる。代わりに、
全身から緑色をした半透明の粘液が分泌され始めた。粘液は、崩れ落ちた皮膚の
代用品らしい。
 男………数分前まで男であった者は、半透明な躯を持った化け物と変わった。
緑色の皮膚の下に見える筋肉や臓器は、深海魚のようだった。
 うおん、とその化け物は唇の無い剥き出しの歯が丸見えの口から、声を発する。
 それに応えるかのように、優一郎の背後で、しゅうと空気の漏れる音に似た声
がする。
 我に返った優一郎は、二匹の化け物に挟まれていた。




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