AWC 代償   第一部 13    リーベルG


        
#3907/5495 長編
★タイトル (FJM     )  97/ 6/ 9   5:23  (146)
代償   第一部 13    リーベルG
★内容

                13

 午前中の授業は悪夢だった。何も耳に入らないし、ノートを取る気力も出なか
った。あの夜、田上紀子に謝ろうと思いついたことなど、すっかり忘れていたし、
たとえおぼえていたとしても、実行する気にもなれなかっただろう。
 昼休みになると、美奈代はクラスメイトを避けて屋上に上がると、一人で弁当
をつついた。食欲がないので、ほんのすこしサラダを口にしただけだった。
 屋上には暖かい陽射しに誘われたのか、数人の女子生徒がパンを食べていた。
見覚えのない顔だったから下級生なのだろう。最初、美奈代は頭の中が別のこと
でいっぱいだったため、彼女たちを気にも止めなかった。
 昼食を続ける気をなくして、ふと目を上げたとき、下級生たちがさっと視線を
そらした。まるで、その瞬間まで美奈代を見つめていたかのように。
 またもや恐怖を感じた美奈代は、何も気付かなかったように平静を装うと、弁
当箱を包んでゆっくりと立ち上がった。わざとのんきそうに伸びをして、ぶらぶ
らとドアの方に歩き出した。
 途中でちらりと下級生たちを見ると、美奈代から顔をそむけて、パンをかじっ
ている。まるで美奈代を恐れるように、黙りこくって思い思いの方向を見ている
のだった。
 不意に美奈代は弁当箱を放り出した。まだ、中身が入ったプラスチックの箱は、
大きな音をたて、下級生たちは仰天したように美奈代の方を見た。
 美奈代は、つかつかと下級生たちの方へ歩きだした。
 下級生たちの顔に、そろって狼狽した表情がよぎった。一番近くにいた生徒な
ど、腰を半ば浮かしている。美奈代は立ち止まると訊いた。
「あんたたち、あたしに何か文句でもあるの?」
「い、いえ。別に」
 一人の生徒が顔をそむけながら答える。美奈代の理由のわからない衝動は、そ
の態度でさらに加速された。
「ふざけるんじゃないわよ。いいたいことがあったら、はっきりいいなさいよ!」
 最後の方は、ほとんど叫び声になっていた。
「なんでもないんです、ほんとに」別の生徒が取りなすように答えた。「気に障
ったのなら謝ります」
「気に障ったわよ!じろじろ見やがって!」美奈代はさらに怒鳴った。「あたし
の顔が、そんなに珍しいのかよ!え?この、どあほう!ガキみたいに、ぺちゃく
ちゃしゃべりやがって!」
 いわれのない非難を受け、さすがにむっときたのか、最初に答えた生徒が反抗
心をむき出しにしてつぶやいた。
「そりゃ、先輩は大人ですもんね」
 美奈代の怒りが急激に氷結した。隠れていた恐怖が、またもや浮かび上がって
くる。
「どういう意味よ」
 声が震えていた。それを敏感に感じ取った相手は、嘲るように答えた。
「あたしたちは、先輩みたいにすごいことしてませんもの」
 落雷にも似た衝撃が、美奈代の全身を駆け抜けた。目の前が真っ暗になり、鼓
動が急速に激しくなる。
「やめなって、ばか!」さっき謝った生徒が、慌てて遮った。「ごめんなさい。
失礼します。ほら、行くよ」
 下級生たちはパンの袋をつかむと、立ちつくしている美奈代の横を、そそくさ
と駆け抜けていった。
 最後の一人が、美奈代の放り出した弁当箱につまづきそうになった。その音で
顔を上げた美奈代は、下級生の顔に、まぎれもない憐憫が浮かんでいるのを見た。
 身体の奥から、激しい嘔吐がこみあげてきた。美奈代はうずくまって、その衝
動を解放した。

 午後の授業も、絶え間ない拷問を受けているようだった。
 クラスメイトたちの視線や囁きが、灼けた針のように美奈代の全身を突き刺し
ていた。それらは、普段なら気に止めることもない程度のものだったにもかかわ
らず、大声で怒鳴りつけられ、殴りつけられているように、美奈代に襲いかかっ
ている。午後の二時間が耐えきれるとは、とても思えなかった。
 どうして。美奈代はその言葉だけを頭の中で繰り返した。どうして、みんな、
あたしを見るの?

 ようやくその日の授業が全て終わった。時計の秒針を凝視しながら座っていた
美奈代は、教師が教室を出ていくと同時に、カバンに教科書とノートを乱暴に詰
め込み、まっすぐドアから出ていった。本来、美奈代は掃除当番にあたっていた
のだが、誰もそのことを注意しようとしない。
 ドアを閉じた瞬間、それまで奇妙な沈黙に支配されて美奈代の行動を見守って
いたクラスメイトたちが、一斉にざわめきはじめるのが聞こえた。耳を塞ぐよう
に、美奈代は廊下を走りだした。
 素早い行動のおかげで、校舎を出るまでほとんど誰にも会わずにすんだ。校門
に向かって早足で歩き出したとき、掃除を監督に出てきたらしい教師が、何やら
制止の声を発したようだったが、美奈代は気にしているどころではなかった。こ
の忌まわしい場所から、一刻も早く逃げ出したかったのだから。
 脱出まで残り数歩を残した場所で、美奈代は不意に悲鳴をあげて立ち止まった。
 校門をふさぐように、三人の男達が立っていた。
 あの男たちだった。
 美奈代は崩れるように、その場にうずくまった。張りつめていた意識の糸が、
ゆっくりとほつれていく。
 そして視界が暗転した。

「藤澤さん」聞き慣れた懐かしい声が、美奈代を深い淵から引き上げた。「しっ
かりして。大丈夫?」
「先生……」
「ああ」美奈代の半身を抱きかかえていた由希が、安堵のため息をついて微笑ん
だ。「よかった。気がついたのね。もう少しで救急車を呼ぶところだったのよ」
「あたし……」
 ゆっくりと見回すと、校門のすぐ近くだった。はっと気付いて、校門の外に目
をやったが、あの男たちの姿はどこにもない。
 錯覚だったのだろうか。
「すみません。ちょっと立ちくらみしちゃったみたいで」美奈代は小声で言った。
「でも、もう大丈夫だと思います」
「病み上がりだから、無理しちゃいけないわね。車で送ってあげる。立てる?」
「はい」
 立ち上がった美奈代は、周囲に何人かの教師と大勢の生徒たちが集まっている
のに気付いた。どの顔にも、程度の差こそあれ、露骨な好奇心が浮かんでいる。
狼狽と恐慌が甦ったが、由希がそっと肩に手をかけるとやや落ち着いた。
「行きましょう」由希は美奈代を促すと、教師の一人に言った。「すみません。
家まで送り届けてきます」
「わかりました。主任には、私から報告しておきます」
 美奈代は由希によりかかるように歩き出した。今では、由希だけが、この世界
の中でただ一つ信じるに値する温もりのような気がしていた。

 由希のシビックに乗って、しばらくはどちらも何も話そうとしなかった。だが、
数分走ったところで、美奈代はとうとう口を開いた。
「先生」
「ん?なに?」
「あの……」美奈代は口ごもったが、思い切って言葉を発した。「あたしの噂、
何か聞いてませんか?」
「うん、まあ……」いつもは明快な由希の口調が、珍しく躊躇いを帯びていた。
「聞いたことは聞いたけどね。手紙とかも、もらったし」
「どんな噂でしたか?」
「藤澤さんが気にすることないわよ」
「あ、あたし……」
「いいから」由希がちょっと強めに制した。「何も言わなくてもいいから」
「でも……」
「いい?噂なんてものはね、本人が相手にしなきゃ、自然に消えてくものなの。
七五日も待たなきゃいけないのかなあ、なんて心配しなくてもいいの。どんな噂
だろうと、藤澤さんが毅然とした態度を取り続けていれば、自然消滅してくわ」
「そうですか」美奈代はそれほど希望を持つことができなかった。
「明日は学校を休んじゃ駄目よ」由希はちらりと美奈代を見た。「少なくとも、
身体が健康だったらね。休んだりしたら、噂をアンプにかけて増幅するようなも
のよ」
「……」
 まさしく休もうと思っていた美奈代は沈黙した。由希が続けた。
「藤澤さん、先生と約束して」
「え?」
「学校にはちゃんと来るって」
「わかりました」
 美奈代は渋々頷いた。相手が由希でなければ、守る気にもなれない約束だった。
「よかったら、また迎えに行くわよ」
「いえ、大丈夫です。ちゃんと来ますから」
「そう言ってくれると思ってたわ」
 由希の信頼が嬉しかった。
「先生」
「なに?」
「さっき、あたしが倒れたとき、その……」美奈代は言い淀んだ。「誰か校門の
外に立ってませんでしたか?」
「誰かって?」
「なんていうか、ヤクザみたいな……」
「さあ。先生は見なかったけど」
「そうですか」
「どうかしたの?」
「いえ、なんでもないです」
 美奈代は呟くように答えた。やはり、あれは幻覚にすぎなかったのだと、自分
に言い聞かせながら。





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