AWC 代償   第一部  4    リーベルG


        
#3898/5495 長編
★タイトル (FJM     )  97/ 6/ 9   4:46  (148)
代償   第一部  4    リーベルG
★内容

                4

 ゴールデンウィークは、三年生の進学組にとっては最後の休息期間である。今
後は、夏休み、冬休みはもちろん、休日、祝日も欠かさず受験勉強で埋め尽くさ
れることになる。それを考慮してか、由希は連休に宿題を出すようなことはしな
かった。ただし、受験に世界史が必要な生徒に対しては、希望があれば、由希自
身が整理して作成した練習問題を配布してあった。問題の解答は、連休前には間
に合わなかったので、完成次第、生徒の自宅に届けられることになっていた。
 配達は由希が車で回ったが、助手を申し出た生徒が何人かいた。その中で由希
が指名したのは、藤澤美奈代だった。
 生徒に対して、全くえこひいきをしない由希だったが、美奈代は唯一の例外と
いえた。むろん由希が美奈代をあからさまに特別扱いしたわけではなく、生徒た
ちがやっかみ半分で「由希先生のお気に入り」と呼ぶ程度だったが、美奈代は毎
日学校に行くのが楽しくて仕方がなかった。実際には、たいていの生徒の挨拶に
は軽くうなずく程度なのに、美奈代に対しては一言二言言葉を交わすとか、何か
小さな用事を生徒に頼むとき、近くに美奈代がいればたいてい美奈代を指名する、
といった些細なことが繰り返されただけだったのだが。

「これで終わりね」最後の生徒の家の玄関を出たとき、陽は沈みかけていた。「
助かったわ、藤澤さん」
「どーいたしまして」美奈代は嬉しそうに由希に寄り添った。「ねえ、先生。ご
飯おごってくれるんでしょう?」
「もちろんよ。でも、ちゃんと家に連絡を入れるのよ」
「ご心配なく。そのつもりで、出るときにそう言ってきたから」
「あー、ちゃっかりしてるわね」由希は軽く笑った。「じゃ、行きましょう。何
が食べたい?」
「たまには先生の手料理が食べたいな」
「私の?」
「そうそう」美奈代は甘えた声を出した。「ダメ?」
「うーん。いいけど……」由希は躊躇いながら、車のドアを開けた。「あんまり
材料ないから、たいしたものできないわよ」
「だからさあ。まず、スーパーで買い物してから、先生のマンション行きましょ。
あたしも、デザートぐらい作るからさ。ね、そうしよ?」
「わかったわ。じゃ、そうしようか。中華好き?」
「大好き!」
「デザートって何が作れるの?」
「チーズケーキ」
「それって、冷蔵庫で冷やすだけのやつじゃないの?」
「あたり!」
「あれって、結構おいしいのよね」由希はくすくす笑った。「行きましょう」

「わあ、すごい」由希のマンションに足を踏み入れた美奈代は、驚きに目をみは
った。「広いのねえ。高いんでしょ、こういうマンションて」
「親の金で借りてるのよ」由希はスーパーの袋を持って、キッチンに入った。「
ちょっとキッチンが狭いけどね」
「ふーん。じゃ、あたしチーズケーキ作るね」
「はいはい。お皿はそこの棚に入ってるから」
 二人は、それぞれの料理にとりかかった。だが、美奈代のチーズケーキは十分
とかからずに用意ができてしまった。冷蔵庫に皿を入れた美奈代は、エプロンを
外した。
「さあってと。あたしの方はできたわよ。先生の方は?」
「三十分ぐらいかかるかな」由希は包丁で軽快なリズムを刻みながら答えた。
「じゃあ、その間、先生のプライベートを見学しようっと」
「ひょっとして、最初からそのつもりだったんでしょう」由希は諦めたようにた
め息をついた。「まあ、いいけど。あんまり変なもの見ないでよ」
「なに、変なものって?下着とか?昔の男の写真とか?ひょっとしてエッチな道
具か何かあったりして」
「ばか」
 美奈代は由希の声を背中に受けながら、リビングに隣接しているベッドルーム
に入った。
 しわひとつなく整えられたシングルベッド、飾りではない本で埋まった本棚、
きちんと整理された机が置かれている他は、何もないシンプルな部屋だった。テ
レビやビデオ、ステレオなどもなければ、雑誌やレディースコミックもない。美
奈代がここに来たのは突然だったから、部屋を掃除する暇などあったはずはない。
 あまりにもきれいに整いすぎている他人の部屋というものは、ときとして閉塞
感をもたらすことがあるが、この部屋からはそういった排他的な印象を受けるこ
とはなかった。それはおそらく、部屋の構成が見かけよりも、実用的という点に
重きを置かれているからだろう。
 机の上には、ミニタワーのパソコンが置かれていた。ナナオの15インチディ
スプレイと、エプソンのカラープリンタの他に、PDドライブとモデムも接続さ
れている。たいていの仕事はこのPCで行っているらしく、ノートやメモなどは、
最小限しか置かれていない。今日、美奈代が手伝って配布した練習問題の解答を
はじめ、由希が配るプリント類は、全てきれいなDTPソフトで作られていて、
とてもわかりやすく、内容も理解しやすいと評判である。星南高校には、ようや
くデスクトップパソコンが五十台入り、今年度から授業で使用されることになっ
たが、まだろくにソフトもインストールされていないから、由希のプリントは、
このPCで作られたのだろう。
「先生、パソコン使えるんだ」
「ええ?ああ、まあね」由希がキッチンから答えた。「別に今どき珍しくもない
でしょ、そんなの」
「でもすごいよ、やっぱり」
 パソコンそのものには、それほど興味があったわけではないから、美奈代は本
棚に視線を移した。
 世界史の教師だというのに、歴史関連の書籍は数えるほどしかなかった。美奈
代はざっと本のタイトルを追っていった。数冊の辞書の他、教育白書、学校教育
書籍、児童心理学、六法全書、ネットワークとセキュリティの技術書、考古学、
ディケンズの全集、ボードレールとキーツ、与謝野晶子の詩集。たがいにあまり
関連性が薄い取り合わせである。英文のハードカバーやペーパーバックも数冊並
んでいた。
 それらの書籍群の中で、最も広い面積を有しているのは、さすがに教育関係だ
った。五段のうち、二段分を占めている。その中で目についたのは、いじめに関
する本が多いことだった。
「いじめかあ」美奈代はつぶやいた。「流行ってるもんなあ」
 キッチンの方から、中華鍋の音が聞こえてきた。

 リビングのテーブルに並べられた酢豚と、エビチリ、それにフカヒレスープに
舌鼓を打ちながら、美奈代はふと思いついたことを口にした。
「先生、いじめの本がいっぱいあったね」
 由希の箸の動きが一瞬止まった。たまたまうつむいていたため、由希の表情は
美奈代には見えなかった。
「ええ。それがどうかした?」
「ううん。やっぱり先生も教師なんだなあって思ってさ」
「何言ってるのよ」由希は笑ったが、すぐに真顔になった。珍しく躊躇いがちな
口調で訊く。「うちの学校はどうなの?」
「何が?いじめ?」
「そう」
「うーん。そんなにひどいのはないと聞いたことないけど……」
「あるの?」
「うちのクラスじゃないけど、あるみたいよ」
「そう」
 由希は横を向いて、不快げに口元をひきしめた。美奈代はそれに気付くと、不
思議そうに訊いた。
「先生、どうしたの?」
「なんでもないわ」
 そうは言ったものの、由希の顔から明るさは失われていた。何となく不安にな
った美奈代が口を開こうとしたとき、由希が美奈代の目を正面から見つめた。
「藤澤さんは、どう思う?いじめについて」
「あたし?」美奈代は戸惑った。「ええと、どっち?いじめる方?いじめられる
方?」
「どちらもよ。いじめそのものについて、どう思うの?」
「うーん。そりゃ、いじめなんかする奴らはひどいって思うけどさあ。いじめら
れる方にも、何か原因があるんじゃないかなあ」
「たとえばどんな?」
「えー?たとえば、何かをチクったとか、裏切ったとか……」
「なるほどね」
 由希は止めていた箸の動きを再開させた。美奈代は、由希の意図が分からない
まま、自分も食事を続けようとした。そっと由希の顔をうかがったが、いつもの
優しい笑顔は浮かんでいない。
「そういえばさあ」美奈代は沈黙を破りたくて言った。「あたしが中学のときに
も、いじめがあったよ。同じクラスの女の子だったけど」
「そう?」由希の声には感情がなかった。
「うん。その子、自殺しちゃったんだ」
「自殺?」
「うん。屋上から飛び降りたの」
「どうして?」
「いじめに耐えかねてだとか言われてたけど、どうだったのかなあ。遺書も残っ
てなかったし。もう名前も忘れちゃったけど」
「そんなにひどいいじめだったの?」
「さあ。忘れちゃった。でも、普段から暗い子だったし、両親死んじゃっていな
かったし、成績も悪い方だったから。結局、原因はわからなかったみたい」
「いじめの話はもうやめにしましょ」突然、由希が宣言した。「早く食べなさい。
遅くなるわよ。お母さんが心配するでしょ」
「いいのよ、あんな親」
 美奈代は憎まれ口を叩いたが、急いで皿の上をきれいにしはじめた。由希の言
うことに逆らいたくなかったのだ。
 そんな美奈代を、由希はじっと見つめていた。





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