AWC 代償   第一部  2    リーベルG


        
#3896/5495 長編
★タイトル (FJM     )  97/ 6/ 9   4:44  (158)
代償   第一部  2    リーベルG
★内容

                2

 四月の間、三年二組の美人教師は、三年生だけでなく全校の生徒たちの話題を、
ほぼ独占した。隠し撮りした由希の写真が、主に男子生徒の間で流通し、金銭が
らみのトラブルさえ発生するほどだった。
 由希の元には、毎日のようにラブレターが男女の別なく届いていた。高校生が
教師にラブレターを出すことは、それほど珍しいことではない。もちろん、ラブ
レターを受け取る教師は、由希だけではなかった。由希が他の教師と一線を画し
ていたのは、ときには性的な文句ばかりが並べられているような手紙であっても、
自筆で返事を書いたことだった。そのことは、最初のラブレターが届いた後、由
希自身が生徒たちの前で約束していた。
 その日、由希は朝のホームルームで、連絡事項を伝えた後、落ち着いた態度で
スーツのポケットから封筒の束を取り出して、教卓においた。生徒たちは、ざわ
めきとともにそれを見つめた。封筒は全てていねいにペーパーナイフで開封され
ていた。
「昨日」由希は静かに言った。「先生のところに、何通かの手紙が届きました」
 生徒たちは不安と好奇心の視線を交差させた。
「手紙をくれたことは、とても嬉しく思うわ。でも、残念なことに、ほとんど差
出人の名前がなかったのよね」
 由希は封筒のひとつを空中でひらひらさせた。表に由希の名前が書かれている
が、裏には何も書かれていない。薄いグリーンの封筒で、スクーターにまたがっ
た猫が隅の方に印刷されている。
 同じ種類の封筒はなかったから、内心で冷や汗をかいた生徒が一人いたかもし
れない。だが、由希は差出人を追求しようとはしなかった。
「ここでひとつ約束をしておきます。先生のところに届いた手紙は、必ず読んで、
必ず返事を書きます。もちろん中身は絶対に秘密にします」
「どんな手紙でもですか?」最前列の生徒がおそるおそる訊いた。
「もちろん」由希はにやりと笑った。「ちょっとぐらいエッチなやつでもオッケ
ーよ」
 教室中がどっと笑い崩れた。
「だけど、いい?」笑いがおさまるのを待って、由希は続けた。「返事を書きた
くても、誰に書いていいのかわからないと困るでしょ?だから、必ず名前と住所
を書くこと。それがない手紙は、読まないで捨てることにします」
 教室内はざわめいた。
「おそらく男子諸君の中には、こう考えている人もいるでしょう。私が赤面する
ぐらいエッチな手紙を書いてやって、どんな返事が来るか見てやろうってね。ど
う、そう思ったでしょ?ん?」
 照れくさそうな苦笑いを、何人かの男子が浮かべた。
「もちろん、そういう手紙も大歓迎です」
 ざわめきが大きくなった。口笛が鳴らされる。
「でも、そういう人たちに言っておきます。本当に文章だけで、誰かをエッチな
気分にさせようと思ったら、単に卑猥な言葉を並べるだけじゃ駄目よ。それこそ、
官能小説でも書くつもりでやらないとね」
 始業のチャイムが鳴った。由希は封筒をポケットにしまうと出席簿をつかんだ。
「以上。あ、そうだ。手紙に何を書こうと、世界史の成績には影響しないことは
約束します。それでは解散」

 由希は全ての生徒に対して平等だった。三年二組の生徒たちは、由希が担任で
あることが何の優先権にもなりえないことを、まもなく知らされた。由希は相談
を受ければ、何年生の生徒だろうと喜んで耳を傾けたし、授業でわからない部分
を訊かれれば、放課後、何時間でも付き合った。由希は一度でも話をした生徒の
顔と名前は忘れなかったし、一人ひとりの質問内容まではっきりと記憶していた。
 三年二組の、特に女子は、何とか優越性を保持しようと、由希に会うための整
理券を発行してみたが、一週間もたたないうちに由希自身によって中止させられ
た。企画した生徒たちは失望したものの、それは由希に対する信頼を強めること
につながった。

 しなやかに均整のとれた肢体を持ちながら、色気とか性的魅力は、由希の人気
の要素のひとつではあったが、それらがリストの先頭に位置していたのは、最初
の数日でしかなかった。由希の外見に惹かれた生徒たちは、すぐに、その内面の
方により強く惹かれていった。もちろん、平均以上の美貌を有しているのだから、
その気になれば、周囲に男をはべらすことは容易であったにちがいない。世間一
般を吹き荒れている、女子の異常な就職難の影響は星南高校にも及んでいて、何
年も女性教師の採用は見合わされていた。そのため、由希が来る前は、最年少の
女性教師でも既婚の三二才だったのだから。
 何人かの独身男性教師が、早速、由希にアプローチしたことは言うまでもない。
だが、全ての試みは失敗に終わった。デートどころか、一緒にお茶を飲むことさ
え、達成した教師は皆無だった。由希がそれらの誘いを断る理由はたいてい、生
徒の勉強や相談に付き合うというものだった。そして、大抵の場合、それは単な
る口実ではなかったから、教師たちも何も言えなかった。

 新学期が始まってから二十日後、三年生の学年主任、今井が、帰ろうとする由
希に声をかけた。
「橋本先生」
 由希は平静な顔で振り向いた。
 今井主任は四十代後半で、頭髪が半ば以上消失しかけている男だった。身長は
由希と同じぐらいだが、でっぷりと腹が突き出ている。子供のころから歯磨きを
怠ってきたらしいのと、手を休める間もなく吸い続けるタバコのせいで、全ての
歯が黒ずんだ黄色になっていた。おまけに鼻毛が巨大な鼻の穴からちょろちょろ
と覗いている。四種類の齧歯類と、三種類の昆虫があだ名になっていた。
「はい」
「どうだね、今夜。たまには一杯、付き合わんかね」
 下水道に浮かぶ腐乱した死骸を連想させるような口臭が、由希に襲いかかった。
由希はさりげなくスウェイして、その攻撃を回避すると、微笑みながら断った。
「ありがとうございます。申しわけありませんが、今夜は先約が入っております
ので。またの機会ということで」
「まあまあ」今井はにやにや笑いを浮かべながら、由希に近づいた。「そういわ
んと、な。たまには教師同士、親睦を強めんといかんでな」
「いえ、せっかくですが……」
「橋本先生」今井は声を低めた。「私に逆らわない方がいい。あんたなんぞ、私
の思惑次第で、いつでも免職にできるんだよ。せっかく、就職できたんだ。一月
で辞めたくないだろう?」
 職員室には数人の教師がいたが、今井の露骨な脅迫は、由希以外の耳には届か
なかった。だが、教師たちは、今井が何を言っているのかは、おおよそ見当がつ
いているようだった。由希は教師たちを見回したが、誰も助け船を出してくれる
気はない、と知ると自分で反撃を開始した。
「すみませんが、もう一度おっしゃって下さいますか?免職が何ですって?」
「う、いや」今井はとまどったようだったが、まだ新卒の女教師をなめていた。
「だからな、職場の先輩とのコミュニケーションも大切なことだ、と言ったんだよ」
「そうは聞こえませんでした。私はてっきり、命令されているものだと思いまし
たが」
「おいおい。誰も強制などしておらんよ」
「そうですか。では、改めてお断りします」
 最後の言葉は大きくはなかったが、職員室のすみずみまでよく通った。顔をそ
むけていた教師たちも、思わず由希の顔に視線を集中させた。
「そうかね」今井の目が蛇のように細くなった。「では、橋本先生。申しわけな
いが、今日の授業後、資料の整理を頼みたい。過去の進学先と就職先のファイル
が、三年分ほど未整理になっているのでね。明日までにきちんと分類してもらい
たい」
「わかりました」由希は素直に頷いた。「ですが、先ほども申し上げた通り、今
日は約束がありますので、ファイルは自宅に持ち帰って作業をします」
「それは困るな」
「なぜですか?」
「資料は部外秘なんだ。校外に持ち出すことは禁止されているのでね」
 今井はにやりと笑って由希の顔に敗北の印を探した。しかし、そこに見いだし
たのは、敗北や諦めではなかった。反抗や怒りでもない。その表情が意味してい
るものに気付いた今井は、顔色を変えた。それはある種の侮蔑だった。
「それほど、私と二人きりになりないのですか?今井主任」
「な、なに?」
「私を夜遅くまで残して、どうしようと言うんですか?上司としての立場から、
私に関係を迫るおつもりですか?それとも、力で無理矢理ですか?」
「き、きみ……」
「やってしまえば、泣き寝入りするだろうとお考えですか?」由希は全ての教師
たちに聞こえる声で、淡々と続けた。「それともやってしまえば、快楽に溺れて
何も言えなくなってしまうだろうとか?」
「な、なにを言うか!」とうとう今井は声を張りあげた。「勝手な想像で、私を
侮辱するのか!私はただ仕事を頼んだだけだ!」
「今日中にやらなければならない仕事だとは思えませんが。三年も放ってあった
のなら、もう一日ぐらいのびたところで大差ないのではありませんか?」
「うるさい!私の命令に逆らうのか、君は!何もわからん新人のくせに!黙って
言われたことに従えばいいんだ!」
 ほとんどヒステリーを起こす寸前の声だった。顔は真っ赤で、目は血走ってい
る。口臭は耐え難いまでに臭かった。対照的に、由希は冬の冷気をまとっている
ように涼しげな顔をしている。
「確か我が校のモットーの一つに、個性を伸ばし、想像力豊かな心を育てる、と
いうのがありましたね。新入生に配られたオリエンテーションの資料の最初のペ
ージにも書いてあったと思いますが」
「それがなんだ!」
「疑問を抱かず、与えられた命令に唯々諾々と従え、というのは、そのモットー
に反していませんか?」
「あれは、生徒たちに対する言葉だ!」今井は怒鳴った。「君にではないわ!」
「お言葉ですが、生徒たちは、親や教師を見て人格を形成していきます。生徒を
教えるのならば、まず私たちがお手本となるような存在でなければなりません。
教師がタバコを吸いながら喫煙の害を説いても、説得力はまるでありません」
 何人かの教師がくすくす笑った。過去にも、職員室を禁煙にしようとする意見
が上がったことがあったが、今井の強硬な反対によって、没になっていたのだ。
「私に逆らうんだな」今井は歯ぎしりしながら呻くように言った。「よろしい。
いいだろう。おぼえておけよ。この学校にいられなくしてやるからな」
 由希は優雅に肩をすくめただけだった。
 今井は爆発寸前の火山のような顔で由希をにらむと、足音も荒く出口に向かっ
た。教師たちは、暴走する10トントラックが自分に向かってきたような顔で、
そそくさと道を開けた。ドアが乱暴に開けられ、より乱暴に閉じられた。同時に
居合わせた教師たちは、一斉にため息をついた。
 由希は普段と変わらない表情で、今井に中断されたこと、つまり帰り支度を再
開した。教師たちは感心した表情で由希を見つめていたが、ドン・キホーテに対
する類の感心だったにちがいない。





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