#3895/5495 長編
★タイトル (FJM ) 97/ 6/ 9 4:43 (199)
代償 第一部 1 リーベルG
★内容
1
その日、私立星南高校では新年度の始業式が行われた。
冬の寒さがようやく遠のいた、暖かく風のない日だった。
正午前、始業式を終えた四、五人の女子高生が、大声でしゃべりながら県道沿
いの歩道を歩いている。
「ねえ、橋本先生って素敵よねえ」
「藤澤、いいなあ。あの先生のクラスで」
「へへへえ」
三年生の藤澤美奈代は、自分が褒められたかのように得意げな顔で笑った。
「でもさあ、橋本先生ってF女子大なんでしょ?」クラスメイトが不思議そうに
言った。「何で、うちみたいな学校来たのかね?」
「どこもかしこも就職難だからじゃないのお?」
「あたしらも、他人事じゃないよ」
「あんた就職すんの?」
「ぶわあか。将来のはなしよ将来の」
「女子の就職、超超超氷河期だもんね」
「何とかなってるって、そんときにゃ」
「んじゃね」
「ばーい」
何人かのクラスメイトが別れていき、美奈代は残った二人のクラスメイトと、
駅に向かって歩いていた。
「どーする、今日?」美奈代は訊いた。「ゲーセンでもよってく?」
「そーね」
「でも制服じゃマジいよ」
「帰ってから集合しよっか」
そのとき、背後から短いクラクションの音が響き、三人は飛び上がった。振り
向いた美奈代の顔が輝いた。
「あ、先生!」
さっき話題になった教師、橋本由希が、シビックのドライバーズシートから微
笑みながら、小さく手を振っていた。
「わ、ほんとだあ」
「先生!」
由希は、路肩に寄せてシビックを停めると、わざわざ車を降りて、目を輝かせ
ている三人の女子高生に向かって歩いていった。身長は一六七センチ、女性とし
ては背の高い方である。すらりと均整のとれたプロポーションに、地味めだが趣
味のよいスーツを着こなし、漆黒のロングヘアと見事に調和している。切れ長の
双眸と、整った鼻梁、小さめに引き締まった唇からは、理知的な魅力が感じられ
た。
「ねえ、あなたたち」由希は微笑みながら、よく通る声で言った。「これから、
まっすぐ帰るの?」
美奈代たちは顔を見合わせた。
「そうですけど」教師に対する本能的な警戒心を浮かべながら、美奈代は答えた。
「そう。ねえ、なら、私と……先生とお昼付き合ってくれない?」
「えっ!」
「本当ですか!」
「わっ、すっごい!」
「いいんですか、先生!」
「お昼、まだなんでしょ?この辺で、どっかおいしい店教えてよ。まだ引っ越し
てきたばかりで、よくわからなくてさ。都合が悪くなければだけど」
美奈代たちは飛び上がって喜んだ。
「行きます行きます!」
「あたしも!」
「すっごい、ラッキー!」
由希は楽しそうに笑った。
「じゃ、乗って」
美奈代たちは、はしゃぎながらシビックに乗り込んだ。
「後ろ、狭くない?」
「大丈夫でーす!」
「じゃ行きましょう。どこがお薦め?」
ナヴィゲータシートの美奈代が声を張り上げた。
「ペンギンズカフェ!」
「ええー」後ろのクラスメイトが抗議した。「ガキの行く店よ、あんなの」
「あんただってガキじゃない」美奈代は後ろに冷たい視線を投げると、由希に向
き直った。「いろんな種類があっておいしいんですよ。サンドイッチとかピザと
か、飲茶なんかもあるし」
「いいわねえ。じゃあ、そこにしましょう。みんな、一応シートベルト締めてね」
「はーい!」
「場所は?」
「このまま県道まっすぐ行って、市民病院のとこを左です」
由希は慎重に後方を確認した後、きちんとウィンカーを出して、ゆっくりと県
道に滑り出した。運転に戸惑いは見られないし、ハンドルさばきも安定している。
「あ、そうだ。みんな、一応、おうちに連絡しといた方がいいわね」
「えー、いいですよ、家なんか」美奈代が言う。
「どーせ、ろくなもん作ってないし」
「駄目よ」由希は穏やかに、しかし断固として言い、人差し指を立てて左右に振
ってみせた。「お母さんたちが心配するでしょ。ちゃんと連絡しなさい。藤澤さ
ん、そこに携帯入ってるから」
「は……あれ?先生、何であたしの名前を知ってるの?」
「藤澤美奈代さんでしょ。私のクラスの生徒。もちろん知ってるわよ。一人ずつ
自己紹介してもらったでしょ」
「すっごーい!」
「もしかして、クラス全員の名前を記憶しちゃったの?」
「これでも一応教師ですからね」由希は軽く笑った。「藤澤さん。電話しなさい。
みんな電話しないと、お店に行かないわよ」
「ほら、藤澤、早くしなさいよ」後部シートからクラスメイトが急かした。
「わあーってるわよ」
美奈代は言われた通り、グローブボックスの中に入っている携帯電話を取り出
して、家に電話をかけはじめた。
由希は笑みを浮かべたまま、横目でそれを確認していた。
数分で全員が電話をかけ終わった。
「はい、終わりましたよ」美奈代が電話を戻しながら言った。
「よろしい。みんないい子ね」
「橋本先生ってマジメなんですね」
「そう?最初だけかもよ」由希はウィンカーを出した。「あそこね。へえ。きれ
いなお店じゃない」
「でしょでしょ」
まだ一二時前であるためか、店内には空席が目立った。美奈代は先に立って、
窓際にあるボックス席に飛び込んだ。
「先生、ここね」美奈代は自分の隣をばんばん叩いた。
「藤澤、ずるいよ」
「あんた、先生のクラスなんだからさあ」
「うるさいわねえ」
由希は美奈代の隣に座った。
「さあ、注文を決めなさい。今日はあいさつ代わりに、私がおごってあげるから。
ただし他の人には内緒ね」
「わ、やった!」
「ラッキー!」
三人の生徒が、はしゃぎながらサンドイッチやスパゲッティを中心とした注文
を決める間、由希は黙ってそれを見ていた。生徒たちは気付かなかったが、その
視線のほとんどは、さりげなく美奈代の顔に向けられていた。
「先生は?」
「そうねえ……」由希はメニューを眺めた。「ツナスパセットっておいしい?」
それは美奈代が決めたのと同じメニューだった。美奈代は喜色満面で頷いた。
「おいしいよ、先生。あたしが保証するから!」
「そう?じゃあ、私もこれでいいわ。飲み物はホットね」
注文を待つ間、生徒たちの興味は、当然のように美人の新任教師の個人的情報
に集中した。次から次へと、質問が尽きることなく浴びせられたが、由希はうる
さがることもなく、静かな声で答えていた。
注文した料理が並べられた後も、質問は続いた。
「はい、それでは、次の質問です」主に質問を仕切っている美奈代が、自分の料
理もそっちのけで、マイクがわりのフォークの柄を由希に突きつけた。「由希先
生のスリーサイズは?」
「そんなこと知ってどうするのよ」由希は笑った。「ほら、冷めるわよ」
「先生、スリムだもんねえ」
「脚もウエストもほっそりしてるし」
「別にたいしたことないわよ」
「じゃあ、いくつなんですか?」
「それは内緒」由希はウィンクした。
「あー、ずるい!」
「教えてよお」
「駄目。あなたたちだって、そんなに悪くないじゃない」由希は隣の美奈代を見
ながら言った。「藤澤さんなんか、あたしよりグラマーよ」
「藤澤は太ってるだけよねえ」
「あんたケンカ売ってんの?」
「じゃあ、先生。恋人いますか?」
「いいえ。今はいないわ」
「今は……ってことは」美奈代が興奮して追求する。「前はいたのね!」
「まあ、それなりにね。ほら、ちゃんと食べなさい」
美奈代は由希の言葉に従って、サラダを口に放り込んだものの、すぐに訊いた。
「ねえ、大学時代のこと?」
「まあね」
「その人、どうなったんですか?」
「別れたんですか?」
「まあ、そんなところね」
三人の生徒は顔を見合わせた。由希は次の質問が予測できた。
「では、先生」美奈代が真面目くさった声を出す。「重大な質問をします。この
質問に対してノーコメントは許されません。いいですね?正直に、正確に答える
ように」
「どうぞ」
「由希先生、その人とどこまでいきましたか?」
「その人と?」由希も真面目な顔で答えた。「そうね。伊豆かしらね。一番遠い
のは」
一斉にブーイングがあがった。
「ちっがう、違うよ、先生。はぐらかしちゃダメ!」
「そーよそーよ」
「ええ?何のこと?」由希は笑いながら訊いた。
「だからあ」美奈代が苛立たしげにフォークを振る。「だから、その……その人
とした?」
「セックスのこと?」由希はあっさり口にした。「まあね」
生徒たちの歓声は、ほとんど叫び声のようだった。店内は静かではなかったが、
さすがに何人かの客が、由希たちのテーブルを振り向いた。
「こら、あなたたち。静かにしなさい。他のお客さんに迷惑でしょ?」
「でも、冷静じゃいられないよねえ」
「ほんと。男子が聞いたらがっくり来るだろうなあ」
「お願いだから内緒にしといてね。いろいろうるさいしさ」由希は悪戯っぽい視
線を生徒たちに向けた。「あなたたちのも内緒にしといてあげるから」
「えー、あたしたちはねえ」
「ねえ」
「建前を言えばね」由希の声が少し真面目になった。「卒業するまで男の子と手
も握ってほしくないわ。でも、共学だし、一七か一八ですものね。そういうわけ
にはいかないことは分かってる。興味を持つなって言う方が無茶だしね」
三人の生徒たちは、意外そうに若い女教師を見つめた。
「だから、するななんて言わない。私が……先生が忠告したいのは二つだけ。避
妊だけは相手まかせにしないでしっかりすること。それから、最初の相手が全て
だと思いこまないこと。いい?何かあったら相談に乗るわ」
生徒たちは呑まれたようにうなずいた。
「もっとも、私……先生だって、そんなに偉そうなこと言えるほど経験積んでる
わけじゃないけどね」
「なんか意外」美奈代は魅せられたように由希を見つめていた。「先生ってもっ
と真面目なお嬢様かと思ってたわ」
「がっかりした?」
「そんなことないです!」別の生徒が言った。「嬉しいです!由希先生みたいな
先生がいてくれて。先生なら、あたしたちの味方になってくれそう」
「わた……先生はいつだって生徒の味方よ」由希はにっこりと生徒の顔を見た。
「ごめんね。まだ、自分のこと先生って呼ぶのに慣れなくて」
「ホント、よかった。由希先生が担任で」美奈代は由希に寄り添った。「一年間、
楽しくやれそう」
「そうだと先生も嬉しいわ。でも、勉強はちゃんとやるのよ。世界史の授業では
別人のように厳しくやりますからね。覚悟しといて」
「げ」
「あたし世界史得意よ、先生」
「いまいち世界史って苦手なんだけど」美奈代が顔をしかめた。「でも、由希先
生の授業ならがんばっちゃうかも」
由希は微笑んだだけで何も言わなかった。美奈代を見つめる視線が、他の二人
に対するそれとは異なる熱さを持っていることを、三人の生徒たちはとうとう気
付かなかった。