#3884/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/ 5/24 11:14 (200)
そばにいるだけで 9−8 寺嶋公香
★内容
「もったいないから、残しちゃだめよ」
状況を楽しんでいるのだろう、富井と井口は顔を見合わせて、いたずらっぽ
い笑みを見せている。もう一人の町田は、やれやれ気の毒に、という感情が顔
に書いてあるも同然。苦笑が絶えない。
「助っ人呼んでいい?」
スプーンを握りしめ、小さな声で相羽が言う。が、即座に却下された。
「だーめ! 相羽君のために作ったんだから」
「じゃあ……『お持ち帰り』をお願いします」
「持って帰れやしないわよ、プリンなんて」
相羽の困り果てた顔を見ながら、純子もプリン−−カラメルシロップがかか
っただけの普通サイズ−−をもらった。スプーンで一すくい、口に入れて、
「ん。おいしくできたのね」
と感想を述べる。よく冷えており、甘みもちょうどよい。強いて言えば、内
部に気泡がやや多くて、舌触りがわずかに悪いが、あげつらうほどではない。
「でしょ?」
うれしげに反応する富井。
「こんなにおいしいのを残したら、罰が当たるわよ」
純子も調子に乗って、からかい気味に相羽に言った。
相羽の方は、恨めしそうに見返してくると、ふうっと息をついた。
「これ以上食べると、晩御飯が入らなくなるよ」
「あ、もしかして、誕生日だからごちそうとか?」
相羽の表情を覗き込むようにして、井口が尋ねる。
「多分。いつも通り、大量に作るんだろうな、母さん。ケーキだって買ってく
れてると思う」
ここぞとばかり、逃げを打つ相羽。そこへ、町田が聞き返した。
「相羽君のお母さんの腕前なら、きっとおいしいんでしょうね」
「さあ? よその家の味を知らないから比較できないけど……でも、自分は好
きだ、母さんの作る料理」
「自分の親なら、当たり前じゃないの」
純子は思ったままを言った。すると富井が反論。
「そうでもないわよう、純ちゃん。うちの親なんか、煮物が下手でさあ。芯ま
で煮えてなかったり、味が塩辛すぎたり。あんまり食べたくないなあ」
「私のところ、お父さんが南の方で、お母さんがこっちでしょ。味付けのこと
でよく喧嘩してたよ。味が薄い、濃い。だしは昆布、いや鰹だ……ってね」
今度は井口が家庭の料理事情を話した。
「今は仲よく、折り合ってるけどさ」
「私の家は、冷凍食品が多いのよねえ。そりゃあ、共働きで大変なのは分かる
けど、電子レンジで温めるだけってのはやめてほしいもんだわ」
町田がぶつぶつと言った。ここで不満をぶちまけられても、対処に困る。
「純ちゃんとこは? 何かない?」
富井から尋ねられ、いつからこんな話になったのよと疑問に感じつつ、純子
は考え考え口を開く。
「うーんとね。一言で表せば、私の家は魚党ね。フライ、煮物、鍋のどれを取
ってもたいてい魚。たまにハンバーグや鶏の唐揚げなんかをリクエストしたら、
晩御飯じゃなくて、お弁当に詰め込まれたこともあったっけ」
「健康的と言えば健康的じゃない? 肉より魚の方が、ヘルシーって感じよ」
「でもないみたい。所詮は食べる量だから。−−あ」
いきなり叫んで、純子は前方を指差した。周りの女子三人も、そちらを向く。
「逃げる!」
相羽が、そーっと席を離れようとしていた。机には、プリンがまだ半分。
「見つかったか」
立ったまま、あきらめた風に顔を片手で隠す相羽。
「全部、食べてよーっ!」
富井に連れ戻され、席に。相羽は殊更ゆっくりと、スプーンを手に取った。
「もうその辺にしたげたら」
見かねたらしく、助け船を出したのは町田。
「だってぇ」
「おいしいのは分かってもらえたわよ。ね、相羽君?」
「うん、もちろん」
相羽はスプーンをもてあそびながら、何度もうなずいた。
「だったら、もういいじゃない」
と、町田が富井と井口をうながす。
「でも、食べる量の問題だよ」
「そんなに食べさせたら、相羽君が太っちゃうじゃないの」
純子は町田の味方、つまりは相羽の味方に回った。
「うーん……それは嫌」
富井と井口は顔を見合わせた。
「それにね」
再び町田。片目をつぶって、何やら薄く笑っている。そして富井と井口に近
付くと、ひそひそ話を始めた。
やがて、聞き手二人の顔が見る間に赤くなった。「きゃっ」とか「やだ」と
いう短い声が小さく聞こえるが、何のことやら純子にはさっぱり分からない。
無論、相羽も同様だろう。
「相羽君、ごめんなさいね、無理矢理食べさせて」
富井と井口は揃って、唐突に謝った。対する相羽は、態度の急変に警戒の色
を浮かべながらも、へどもどと返事した。
「い、いや、その……全部食べるって言ったのに、守れなくてごめん」
「もう充分。残りは私達で片付けておくから」
「そ、そう? だったら、急いでるから」
相羽は腰を浮かすと、別れの挨拶もそこそこに、実習室の扉へと走る。
「ごちそうさまっ。じゃ、また明日!」
それだけ言って、廊下を行く。
「さっきの内緒話、何て言ったの、芙美?」
純子は相羽の姿を見送ってから、町田に尋ねた。
「それはねえ」
町田はおかしそうに、富井らを振り返る。と、当の二人は相羽が残したプリ
ンに手を着けようとしているところ。
「仲よく、半分こよ」
「分かってるって」
果物ナイフを持ち出し、おおよそ半分にプリンを切っていく。
町田は、今度は純子へ耳打ちしてきた。
「残った分を食べれば、相羽君と間接キスしたも同然よって言ってやったの!」
おかしくておかしくてたまらない。町田の口調は、そんな感じだ。
純子もようやく合点が行くと同時に、たまらず吹き出した。
「よくやるよ、もう」
* *
マンションの入口まで来ると、相羽は躊躇することなく階段を選んだ。
と言って、駆け上がるでもなく、少し急ぎ足程度のペースで一歩一歩、しっ
かりと昇っていく。踊り場から見える空には、ちらほらと星が輝き始めていた。
踊り場を通るごとに視点は徐々に高くなるはずなのに、見える空はほとんど
変わらない。そうして四度、踊り場を通過し、五階に到達。
自分の家−−五〇三室の方を見やり、相羽の表情がぱっと明るくなる。
(母さん、帰ってる)
磨りガラスの向こうが白い。その前を通って、玄関ドアのノブに飛び付くと、
相羽はもどかしく思いながら鍵を使って開けた。
「ただいま!」
靴を、普段に比べると乱暴に脱ぎ捨て、かけ込む。
相羽が顔を見せると、台所に立つ母親は目を丸くした。その驚きが表情から
消え、代わりに穏やかに微笑む。
「お帰り。ブザー、押したら、開けたのに」
「仕事、早く片付いたんだね?」
「ええ」
母親は手を拭くと、流しから離れた。居間のクッションの上にある紙袋を取
り上げ、相羽へと手渡す。
「お誕生日、おめでとう」
「あ、ありがとう」
両手でしっかり受け取った相羽。
対して、母親はと言えば、不思議そうな表情をなす。
「あんまりうれしくないみたい」
「ううん。でも、母さん、いつ買ったの? まさか今日は時間ないだろうから」
「先週の日曜、こっそりね。隠し場所、ばれやしないかと冷や冷やし通しよ」
思い出した。前の日曜、休みにも関わらず、確かに母は一人で出かけていた。
相羽にとってそれは珍しいことなので、よく覚えている。
「ご飯、もう少し待ちなさいね」
「あ、手伝うよ」
「今日は信一の誕生日なんだから。座ってなさい」
「でも」
相羽は母親の顔を見上げた。気のせいか、影が差しているような。明かりの
具合かもしれないが。
「お腹が空いてるんだったら、ケーキ、先に食べたら? 買ってあるから」
「それが、実は、今日の部活で」
と、プリンを山ほど食べさせられたことを話して聞かせる。
「−−だから、お腹、空かさないと。そのためには手伝いが一番でしょ」
相羽の言い種に、母親は仕方ないわねと軽く肩をすくめ、スペースを作る。
「……それにしても、本当にもてるみたいね」
「何のことさ」
受け答えしながら、ブロッコリーを水切りし、適当な大きさに切り始める相
羽。これぐらいは包丁さばきがどうこうというレベルではない。
「そのプリン、今日があなたの誕生日だから、女の子達が作ったんでしょう?」
「元々、今日の部活はプリンだったの。それに、男は僕一人だから。−−切り
終わったよ」
「鍋に水を張って、火に掛けて。−−生クリームで名前が書いてあっても?」
おかしそうに頬を緩める母親。相羽は鍋を手に持ったまま、短く舌打ちした。
「水に塩、入れるの?」
「いらない。あとは、そうね、もうお皿を出してもらうぐらいしか」
てきぱきと手を動かしながら、母親が指示を出す。
言うことを聞いて皿を運ぶ相羽に、母親から重ねて質問が飛ぶ。
「プリンの他に、何ももらわなかったのかしらね」
「何もないよっ。……あ」
「どうかした?」
「その。一つ、もらったんだった」
「あきれた。忘れてたのね?」
「……」
「もちろん、女の子からなんでしょう? 母さんに見せてくれる?」
「僕も中身、見ていないけど、腕時計だって言ってた」
「腕時計。その子、あなたと話したこと、少ないでしょう」
母親の口調には、断定的な響きがあった。当然、自分の息子の、腕時計をし
ない主義を知っているから出た言葉だ。
「そんなことない。副委員長してる子だから、割と話するよ。それにさあ、僕
が腕時計しないと決めているの、今日の朝まで誰にも話してなかったし」
「そういう問題じゃないの。普段、どれだけ接してるかってこと。いいから見
せてみなさい」
放り出した鞄へ、渋々と向かった。端っこに、縦に入れていた箱を取り出す。
「これだよ」
「まあ、きれいに包んで……。開けてみたら」
相羽が無造作に包みを外すと、母親はやれやれという風に顔をしかめた。
「……これ」
相羽は一瞬、声を失いそうになった。中から出て来たのはアナログの腕時計
だったが、その裏に「to Shinichi from Erika」と刻まれているのに気付いた
から。
「くれた子、何て言う名前?」
手を動かしながら、肩越しに振り返る母親。
「白沼さんだけど」
「あの子からはないの? 涼原純子ちゃん」
「ないよ。何でそんなこと聞くのさ?」
「四月の最初に何人か遊びに来てもらったじゃない? あのとき、見ていたら、
純子ちゃんと話してるときが一番うれしそうだったわよ、信一」
「ば、ばかなこと言わないでよ、母さん。それに、その呼び方、よくない。前
から言ってるだろ、名前にちゃん付けなんて」
顔が赤くなるのを自覚して、相羽は母親に背を向けた。
「あら、いいじゃない。また遊びに来てほしいな。連れて来たら?」
「そう簡単に行けば苦労しないよ」
「ふうん、苦労ねえ」
母親の冷やかすような口調に、相羽は口を滑らせたことに気付いたが、その
まま知らんぷりを決め込んだ。
「そうだわ、ちょうどいいじゃないの」
「な、何がだよ」
「口実ならあるってことよ。撮影について、純子ちゃんときちんと打ち合わせ
しておきたいから。これ、本心よ」
「モデルの話はやめてよ」
ついでに、知らぬ間に決められた沖縄行きの件にも文句を言おうとするも、
寸前で思い止まる。折角の誕生日、些細なことで雰囲気を壊したくない。
「それより早く、ご飯にして」
ごまかすつもりで言ったのだが、反撃にあってしまった。
「変ね。お腹、あんまり空いていないんじゃなかったかしら」
にこにこと笑みを浮かべる母親に、相羽はかなわないとばかり、首を振った。
−−『そばにいるだけで 9』終わり