#3819/5495 長編
★タイトル (RAD ) 97/ 4/ 3 23:44 (188)
【OBORO】 =第1幕・花鳥風月=(7) 悠歩
★内容
高い天井を見つめながら、優一郎は寝付けなかった。
環境が変わったせいだろうか。
何週間も敷かれたままの、湿り気を帯びた自分の布団ではない。陽の匂いがする、
柔らかい布団。おろしたばかりの、夏物の毛布。
余計な物のない、片づいた綺麗な和室。
昨日まで寝ていた部屋の環境より、何十倍も落ち着いた環境。
なのに優一郎は寝付けない。
『興奮して、眠れなくなるようなガラじゃないと、思ってたんだけどな』
考えたこともなかった、従姉妹の存在。
しかも例外は有ったものの、美しい、或いは可愛らしい四人もの姉妹。
今日は話し合われなかった、遺産のこと。
自分は紙の上に落ちた、一滴の墨ではなかった。ちゃんと過去から続いてきた、
線の上に立つ存在だった。
それを知ることが出来ただけでも、従姉妹たちと会って良かった。
音を立てないように、布団から出る。
柱に掛けられた時計は、午前二時を回っていた。
下の方が何かの花を刻んだガラスになっている、障子を静かに開けて廊下にでた。
ほんの少し、雨戸が開いていた。
部屋にクーラーは付けられていたが、自然の風が通るようにと優一郎が希望した。
その希望に、麗花は簡単に応じてくれた。見たところ、特にこの家にセキュリティ
のシステムが備えられている様子はなく、断られるかと思ったのだが。
家の中に男性がいる安心感からか、もともとこの辺りで事件が起こった事がない
のか、優一郎には分からない。
とにかくクーラーの風は、身体が悪くなるようで嫌いだった。
『そう言えば、プロ野球選手とかは、現役時代には決してクーラーを使わないって
訊いたな』
そんな事を思い出し、笑ってしまう。
別に自分は特別、何かスポーツをしている訳でもないのにと。
雨戸を少し広めに開けると、廊下に腰を降ろして両脚を庭の方へ垂らす。
庭先から、心地よい風が吹いてくる。
軒先の風鈴が、心地よく鳴る。
誰が手入れをしているのだろう。
月明かりに照らされた庭の草木が、美しいシルエットを見せている。
ころころころ、りりりりり、じーじーじー
虫たちが静かに歌う。
『あれは確か、ミツカドコオロギの声だ。こっちは、お、エンマコオロギじゃない
か? クツワムシもいる。それと………オケラの声だな』
幼い頃、父に教わった虫たちの鳴き声を探す。
懐かしい父母の顔が浮かんでくる。
『なんでだよ、ずっと忘れていたのに』
目が熱くなる。
忘れていた、いや忘れようと努めていた父母の想い出。
−−ねえ、なんで虫たちは鳴くのかな?
−−生きているからだよ。
−−生きているから?
−−そうだ。生きているから、その証を示そうとして、「ぼくはここにいる。ここ
にいるんだ」そう主張しているんだよ。
−−なんか、わかんないよ。
−−ははは、そうか。
『今日の俺はおかしいな』
流すまいと努力していた涙が、ついにこぼれ落ち、頬を伝う。
借り物の寝間着の袖で、強くこする。
誰も見てはいないのに、なんとなく恥ずかしい。
『名月や、か』
恥ずかしさをごまかそうと、月を見上げた。
『名月や 虫の音寂し 夏の夜 なんてな』
およそ風流などと言う言葉とは、縁遠い優一郎だったが、今夜は感傷的になった
せいだろうか。
学校の授業以外では触れたこともない、俳句などを詠んでみる。
『待てよ………(名月)ってのは、秋の季語か? なら、この句はおかしいよなあ。
あ、そうだ。(夏の夜)を(秋の夜)にすればいい。あれ? でも夏場に秋の句を
詠むってのも変だよなあ』
しばらく考え込み、ふと自分は何をしているのだろう。何で真剣に俳句のことな
んて考えているのだろう、と思う。
途端におかしくなり、笑ってしまった。
静かな夜に、笑い声が響き、はっと口を押さえる。
『いけない、いけない。麗花さんたちを、起こしてしまう』
周りに気を遣う。
ただ面倒なだけ、鬱陶しいだけの事だと思っていたのに、いまの優一郎にはそれ
も心地いい。
『麗花、美鳥、音風、真月、か。面白いな………みんなの名前の、後ろの字を並べ
ると(花鳥風月)になる。もしかすると、この家には短歌とか俳句とかの心得のあ
る人が、いたのかも知れないな』
そんな事を思いながら、虫たちの声に耳を傾ける。
こうしていると、本当に自分が風流人になったようだ。
たが、そんな気持ちも長くは続かなかった。
不意に尿意をもよおしたのだ。
「やっぱりガラじゃない、って事か」
優一郎は苦笑しつつ、トイレに向かった。
用を足し終えて、洗面所で手を洗う。
大きなあくびが出た。
「さあ、風流気分も終わりにして寝よう」
仄かに香りの立つタオルで手を拭き、部屋に戻ることにした。
−−んん
声がした。
「ん、なんだ?」
優一郎は足を止めた。
−−は、あっ
女性の声。
「麗花さんの声、みたいだけど」
優一郎が立ち止まっている廊下の左右には、それぞれ二部屋づつ並んでいた。
手前左の部屋の引き戸が、僅かに開いており、声はそこから聞こえたような気が
した。
そこは麗花の部屋である。
−−くうっ
間違いない。
切なげな麗花の声。
うめき声のようにも聞こえる。
何かあったのだろうか。
「麗花さ………」
心配になって、優一郎は麗花に声をかけようとしたが、部屋の中の様子を見るな
り息を飲み込んだ。
部屋の中には、二つの影があった。
窓から射し込む月明かりで、それが麗花と美鳥であることが分かった。
遅い時間ではあるが、姉妹が同じ部屋に居る事自体は、とりたてて驚くような事
でもない。
たが………。
美鳥のパジャマは胸の辺りまではだけており、そのうなじに麗花の唇が宛われて
いる。
目を閉じた美鳥の顎は上を向き、堅く結ばれた唇は何かを堪えているようだった。
そして美鳥のうなじを吸う麗花の唇からは、優一郎が廊下で耳にした、切なげな
声が漏れていた。
−−ううっ
ぎっ。
後ずさりする優一郎の足下で、廊下が軋んだ。
『やべっ!』
二人がこちらを振り向いたような気がした。
しかし優一郎は、それを確認することなく、逃げるように自分の部屋に急いだ。
「はあはあはあ」
息苦しくなって、麗花は目が覚めてしまった。
朧気に天井が見える。
身体を起こそうとするが、力が入らない。
『また、発作が………』
こんな時に。麗花は思う。
よりによって優一郎が来ている夜に。
「くっ」
全身を痛みが襲う。
心臓が激しく脈打ち、全ての血液が沸騰してしまったかのように熱い。
『だめ………まだ……あの子が、完全体かどうかも、確認していないのに』
意識が遠のいて行きそうになるのを、必死で留める。
「お姉、麗花お姉!」
がたがたと音を立て、部屋の戸が開けられた。美鳥が駆け寄って来る。
「また発作なのね」
麗花は美鳥に抱えられるようにして、どうにか半身を起こす事が出来た。
「ごめん……美鳥……だい…じょうぶ…すぐ、治まるから………心配しないで」
「もう、そんな事言ったって、顔が真っ青だよ」
泣きそうな美鳥の顔が見えた。
このところ、発作の周期は短くなり、それが続く時間は次第に長くなっている。
その度に、美鳥には迷惑を掛けている。
苦しさより、その事の方が麗花には辛かった。
「やっぱり、悪そうだよ、お姉。ほら、いつものように」
そう言って美鳥は、自分のパジャマのボタンを素早く外し、胸の辺りまでずり下
げる。
「いけない…わ………一昨日だって………あなたの、ほう……が保たない」
「いいの、私はだいじょうぶだから。元気なのだけが、取り柄なんだから」
美鳥は笑って見せた。
「でも………」
「お願いだから早くして! お姉にもしもの事があったら、音風や真月はどうする
の? ううん、あの子たちだけじゃない。私だって、お姉が居なくなったら………
お願い、お願いだよぉ」
美鳥の顔はくしゃくしゃになり、目からはぽろぽろと涙が流れ落ちていた。
「分かった………ありが、とう」
崩れ落ちるようにして、麗花は美鳥の躰に抱きつく。
そして滑らかな肩口からうなじへと、唇を走らせ噛んだ。
美鳥の躰が、びくっ、と跳ねる。
「んんっ」
美鳥の暖かい血が、麗花の口腔に流れ込む。それをごくりと、喉の奥に流すと苦
痛が少し和らいだ。
「はあっ」
麗花の唇から、悩ましげな吐息が漏れる。
赤子が母親の乳を吸うように、麗花は美鳥の血を啜った。
一口毎に苦痛は和らぎ、快楽へと転化していく。
それが妹に大きな負担になっていると知りつつ、止める事が出来ない。
いま、麗花を支配しているのは言い様のない恍惚感。
美鳥はただ、そんな麗花の行為にぐっと目を瞑り、堪えていた。
ぎっ。
何かが軋む音がして、麗花は我に返った。
顔を上げて、音のした方を見る。
美鳥が閉め忘れたのだろう。部屋の戸が、僅かに空いていた。
「あいつ………」
呆然とした顔で、美鳥が呟いた。
「あいつ、て?」
落ち着きを取り戻した麗花は、妹に聞き返した。
「あいつだよ………お姉が連れてきた、優一郎。あいつがいた」
「本当に、優一郎さんだったの?」
「間違いないよ。だって他に、家の中に男なんて居ないもん」
「見られた、かしら」
「分からない」
「………」