#3817/5495 長編
★タイトル (RAD ) 97/ 4/ 3 23:43 (193)
【OBORO】 =第1幕・花鳥風月=(5) 悠歩
★内容
白壁の塀の角、影になった場所に一台の白い車が停まっていた。
中には黒いサングラスをした、女が一人居るだけだった。
塀の中に、優一郎と麗花が消えていくのを確認し、二十歳前後の若い女は、長い
黒髪をすっと片手でかき上げる。
「朧が、完全体と思われる男と接触したわ」
他に誰も居ないはずの車内で、誰かに語りかけるかのように言った。そして静か
に車を動かす。
影から抜け出した車に、陽光が射す。
女の姿が光に浮かび上がった。
もし女の顔を優一郎が、或いは麗花が見ていたら、さぞや驚いた事だろう。
白い車の中には、麗花と同じ顔を持つ女がいた。
「かん……ぜん…たい、か。俺が、出よう、か」
苦しそうな、男の声。
しかしその姿は、車内にはない。が、無線を通じてでの声でもない。
「大丈夫よ、私に考えが有るの。兄さまは、まだ休んでいて」
ハンドルを握りしめたまま、女は男の声に応えた。
「そう、か。すまない……な、れい……な」
「いいのよ、私はこうして兄さまのと一緒にいられて、兄さまのために働ける事が
嬉しいんだから」
一人きりの車内で、姿無き声と話す女は幸せそうな笑みを浮かべていた。
「兄さま?」
「…………」
「お休みになられたのね」
眠りについた兄を起こさぬよう、女は声をひそめた。
「陽野優一郎、か。兄さまほどの力は、感じられないけれど………」
女はアクセルを強く踏み込み、車の速度を上げた。
「あ、お帰り。お姉」
玄関先の石畳を竹ぼうきで掃いていた少女が、麗花に言った。
ポニーテールの髪が揺れる。
「ふーん、そいつが伯母さんの?」
少女は値踏みをするかのように、まじまじと優一郎の顔を見つめた。その目には
何か優一郎に対する敵意さえ感じられる。
「こら、美鳥。お客さまに失礼でしょ」
相変わらず穏やかな口調で、麗花が少女の態度を否める。
「麗花さん、この子は?」
「妹の美鳥です。美しい鳥と書いて、みどり」
「ええっ、なんだ麗花さん、一人暮らしじゃなかったんですか」
「あら、わたし一人だなんて、言ったかしら?」
言われてみれば、確かに麗花が一人暮らしだなどとは訊いていない。
「でも、妹がいるとも訊いてないです」
「ふふっ。知らないでいれば、初めて会ったときにびっくりして、楽しいかと思っ
たの」
悪戯っ子のように麗花は笑った。
「あんた、麗花お姉と二人っきりになれると思って、期待してたんだ」
人を小馬鹿にするように美鳥は優一郎を見つめる。
その態度に優一郎の言葉も横柄になる。
「俺は優一郎だ。陽野優一郎」
きっ、と自分といくらも歳の変わらないような少女を睨みつける。
一方美鳥も、怯むことなく優一郎を睨み据える。
本当に麗花と姉妹なのだろうか、と疑いたくなるほど、勝ち気な性格のようだ。
身長は優一郎より頭三分の二ほど低いが、同世代の少女としては小さい方ではな
い。
女性的に服を着こなす麗花に対し、自宅にいる気楽さもあるのだろうが、美鳥の
それはラフで男っぽい。
特に目を惹くのは、原色で踊り狂う太陽のような幾何学模様の描かれた、サイケ
デリックなTシャツ。色落ちのしたジーパンにサンダル履き。
黄色の細いリボンでポニーテールにまとめられた長い髪と、Tシャツの胸に膨ら
みがなければ話し方も仕種も、少年のそれである。
「ねえ、お客さんきたの?」
そんな二人の睨み合いに、元気な声が割って入った。
そして庭の方から、頭に二つおだんごをのせたような髪の、小さな少女が駆けて
くる。
水色のTシャツとピンク色の短いスカートを、泥だらけにして。
「あららららら、汚い恰好だねぇ」
美鳥はその少女に呆れたように言った。けれどその声は優しい。
『ふうん、ただ生意気なだけの女でもなさそうだな』
声に出さずに、優一郎は思う。
「ちょっと、お客さまの前に出る恰好では、ないわね」
注意すると言うよりは、泥だらけの少女の姿がおかしくてたまらない。そんな風
に麗花は言う。
「お庭で草むしりしてたの。そしたらねぇ、根っこのがんじょうなのがあって、力
いっぱいひっぱったら、手がすべってころんじゃったの」
自分の失敗がそんなに楽しいのか、少女は顔中で笑って見せた。
あまりにも無邪気な少女の笑顔に、先程まで美鳥と睨み合っていたことが馬鹿馬
鹿しく思えて優一郎も笑ってしまう。
「ああん、お兄ちゃんまで笑ってるぅ」
自分のことを笑われたのだと、勘違いしたのだろう。
「あっ、ごめん。別にきみの事を笑ったんじゃないんだ。えっと………」
「真月(まづき)、朧月真月よ、お兄ちゃん。お月さまの字が二つかさなって、へ
んななまえでしょ」
「真月ちゃんか。ちっとも、へんじゃないよ。可愛い名前だ」
少女は頬を赤らめる。
「ありがとう、お兄ちゃん。んと、よーの………」
「陽野優一郎。よろしく、真月ちゃん」
優一郎が右手を差し出すと、真月もそれに応えようと手を出しかけた。しかしそ
の手も泥だらけであることに気がつき、慌ててシャツで拭いた。
「もう、真月ったら、後で洗濯するのはわたしなんだからね」
「あーん、ごめんなさい美鳥お姉ちゃん」
優一郎はそんな姉妹の会話には構わず、まだ泥の落としきれていない真月の手を
握りしめた。
「よろしく」
真月は一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐに嬉しそうな笑顔になった。
「こちらこそ。優一郎お兄ちゃん」
「さあ真月、いつまでもそんな恰好でいたら、優一郎さんに失礼よ。早く着替えて
らっしゃい」
「はあい」
真月はとたとたと駆けて、玄関の奥に消えていった。
「三人姉妹ですか。賑やかでいいですね」
走り去る真月の後ろ姿を見送りながら、優一郎はぽつりと言った。
「いえ、もう一人居るんです。部屋で寝ているはずだから、後で紹介します」
「あの子は躰が弱いから………」
美鳥が寂しそうに言った。
しばらく案内された部屋でくつろいだ後、美鳥に案内されひと風呂を浴びた。
汗を流し、さっぱりするとすぐ夕食となった。
居間に通され、食卓の上座へと座らされる。
母親を亡くしてから、ずっと一人暮らしの優一郎は大勢で囲む食卓が、これ程楽
しいものかと感じた。
自分の家では電子レンジで暖めただけのレトルト食品を、テレビを着けながら食
べていた。
テレビは観るために着けるのではない。自分の食べる音だけが、室内に響くのが
嫌だったからだ。
ここではテレビは着けられていない。
麗花の話では、テレビを観ながら食事する事の方が多いらしいが、今日は優一郎
を迎えた最初の日ということで、着けていないらしい。
それでも自分の食事する音だけが、部屋にこだまするような事はなかった。
人数分の食事の音で、相殺されると言うのではない。
さすがに初めのうちは、優一郎もなれない環境に多少とも緊張していたし、四姉
妹も口数が少なかった。
その緊張を解いたのは、真月だった。
末っ子の真月は、女性ばかりの四人姉妹の中で育ったためか、特に男性である優
一郎に興味を示した。
好きな色や言葉、勉強の話にテレビや漫画のこと、そんな在り来たりな質問を、
好奇心に目を輝かせて訊いてくる。
もともと物怖じしない性格なのか、女性ばかりの家にやって来た優一郎を、まる
で兄が出来たように思っているのか。
優一郎自身は、この好奇心旺盛な少女がまるで妹のように感じられ、しつこいほ
どの質問責めにも悪い気はしなかった。ただし真月の質問に受け答えするため、い
ちいち箸を止めなければならなかったので、優一郎の食事は進まなかったが。
それでも、出されたおかずに一通り箸を付けその全てに、優一郎の舌は満足して
いた。
ほうれん草のおひたし、鯖の味噌煮、ひじきと蓮根と大豆の煮物、自家製のポテ
トサラダ。炊きたての白いご飯に、豆腐とわかめの味噌汁。
とりたてて、ご馳走と呼べる物はない。
けれど一人暮らしの続いた優一郎には、なかなか口にする機会のなかったものば
かり。
そのどれもが、一口食べる度に、更なる食欲をそそった。
「真月、あなた喋ってばかりいて、全然ご飯が進んでないじゃない。それに優一郎
さんも、ご迷惑よ」
休みなく話続ける妹を、麗花が注意する。妹たちの前では、自分を「さん」づけ
で呼んでくれるのだな、と優一郎は思った。
「ぼくの方は、ちっとも構わないですけど。あの、それより」
「なにかしら」
「まだ紹介してもらってない子も、いるんだすけど」
そう言って、優一郎は自分の左側の奥に座っているパジャマにカーディガンを羽
織った少女の方へ、目をやった。
「あら、そうだったわ。それじゃ、ここで改めてみんなを紹介しますね」
麗花は箸を降ろし、姿勢を正すとまず左の掌で優一郎を示す。
「こちらは陽野優一郎さん、ええっと、高校三年生で17歳、でしたわね」
「そうです」
「私たちのお母さまのお姉さま、つまり伯母さまの息子さん。伯母さまはある事情
で、朧月の家と交流が無かったのだけれど、おじいさまたちが亡くなられて、いろ
いろお話ししなければならない事もあって、来ていただいたの。
みんなもおじいさまや、おばあさま、そしてお父さまやお母さまを亡くして、寂
しいだろうけれど、この優一郎さんもご両親を亡くされているの。
しかも優一郎さんは、それからずっと一人で頑張って来られたわ。
これからは、私たち姉妹と親戚同士として、ううん、家族として仲良くして行き
たいと思っているわ」
家族………永らく忘れていて言葉を訊いて、優一郎は胸が熱くなるのを感じた。
そんな優一郎に麗花は優しく微笑みかけ、
「よろしくお願いします」
と、頭を下げた。
「わたし、優一郎お兄ちゃんの妹になってあげるから」
真月はまるで、何事かを訴えるような眼差しで叫ぶ。
唐突な大声に、優一郎は驚いてしまったが、そんな少女の言葉がたまらなく嬉し
く思えた。
「ありがとう、真月ちゃん」
続いて麗花が簡単に自己紹介をしてくれた。
年齢は21歳で、現在地元の大学に通っていると言うことだった。
「朧月美鳥、16歳。高校一年生、美術部」
左手前に座る、美鳥のぶっきらぼうな自己紹介だった。
「美鳥お姉ちゃんは、シャツなんか自分で絵をかくんだよ」
そう真月がつけ加えた。
『なるほど、さっきの妙なTシャツはコイツが描いたのか』
おおよそ美鳥の絵に関する才能はないように、優一郎には思えた。
「真月、余計なことは言わないの」
美鳥はお喋りな妹を睨んだが、とうの真月は全く動じることもない。三女を飛ば
して、自己紹介を始めた。
「わたしは真月、9歳で小学三年生。んと、すきな授業は国語と、図工と、体育。
あ、でもマラソンはきらあい。きらいなのは、算数と社会。んで、すきな食べ物は
プリンとぉ、イチゴのケーキ。甘い物はみんなすきかな。きらいな食べ物は、えー
と」
「はいはい、もういい、もういい」
右手を扇ぐように振り、美鳥は呆れ顔で妹の話を止めに入った。
けれど怒っている様子はない。口元には僅かに笑みも見られた。
口は良くないが、美鳥はこのお喋りな妹を可愛がっているのだろうと、優一郎は
思った。