#3816/5495 長編
★タイトル (RAD ) 97/ 4/ 3 23:43 (185)
【OBORO】 =第1幕・花鳥風月=(4) 悠歩
★内容
「あっ」
いきなり手を離され、麗花が小さく驚きの声を上げた。
かえって失礼な行動になってしまっと、優一郎は感じたがどうフォローしていい
のか分からなかった。
「立ち話もなんだから、座りましょう、ね」
優一郎の行為を気にした様子もなく、麗花はそう促した。
「少しの間、ここでお話しさせて頂いても構いませんよね? 沖田さん」
「ええ、ええ、構いませんとも」
愛想よく、沖田は笑う。
優一郎と麗花は向かい合って、接客用のソファに腰を下ろした。
沖田はと言うと、麗花からかなりの厚みのある封筒を受け取り、事務所の奥の所
長室へ姿を消して行った。
おそらく、その向こうで封筒の中身の成功報酬とやらを数えているのだろう。
「突然の事で、驚いたでしょう?」
「ええ、ぼくに親戚がいたなんて、考えた事もなかったから」
「私も両親が亡くなってから、初めて母に姉がいたことを知ったの」
微笑みを湛えたまま、麗花は話した。
やはり意識しての笑みではなさそうだ。この女性は普段から、こんな表情でいる
のだろう。
しかし、麗花も存在を知らなかったという事は、駆け落ちした優一郎の母の存在
は、一族の中から抹消されていたと言う事なのだろう。
「それでね、いろいろと伯母さまの事を調べていくうちに、優一郎くんの存在が分
かったの。あなたのご両親も亡くなられていたんですってね。ごめんなさい、一人
で大変だったでしょう」
そう言って、麗花は深く頭を下げた。
「よして下さい。べつにあなた………麗花さんのせいじゃないんですから。あの、
それより、なぜお金を払ってまで、ぼくを探していたんですか?」
「あら、自分の従姉妹の消息を知りたいって思うのは、不自然なことかしら」
それは決して、優一郎をからかったり質問をかわすための言葉には思えなかった。
優一郎は人の言葉を額面通りに受け取るほど、素直ではないつもりだった。だが、
この麗花と言う人の言葉だけは、そのまま素直に聞いて良いように思える。
「けれど、あんなにお金を………ここ以外の興信所とかにも、頼んだそうじゃない
ですか。それにさっきあの所長に渡した封筒、失礼だけどずいぶん入っていたよう
ですけど」
「だって、一刻も早く、優一郎くんを探さなきゃならない訳があったから」
「探す訳?」
「ふふ、優一郎くんって、意外に鈍いのかしら」
麗花はくすりと邪心のない顔で笑った。
しかしこれには少しばかり、優一郎のプライドが傷ついてしまった。
「鈍いって、いくら従姉妹でも初対面の相手に、失礼じゃないですか」
「まあ、ごめんなさい。わたしったら」
優一郎としては、それほど強い口調で言ったつもりはなかった。
ところが麗花は思いの外、慌てふためいて優一郎に詫びを入れる。
それがが、妙に可愛らしい。
最初は自分より麗花の方が歳上に思えたが、その様子を見ていると考えを訂正し
たくなる。
「いいですよ、そんなに気にしてる訳じゃないですから」
「本当にごめんなさい。私って、気を付けているつもりなんだけど、根がそこつ者
だから………」
「だから、気にしてませんって。あの、それより一つ訊いてもいいですか?」
「はい、なにかしら」
「麗花さんって、何歳なんですか。女性に年齢を訊くのは、それこそ失礼なんでしょ
うけど。ほら、従姉妹の歳を知らない、って言うのもおかしいでしょ」
「まあ、ふふっ」
口もとに握った手をやって、麗花は笑った。
その仕種は、まだ夢見る頃の少女のそれである。
「失礼だと思うなら、訊かなければいいのに………うそよ。でも優一郎くんって、
大人みたいな事を言うのね」
「ぼくは大人ですよ」
少し不機嫌そうに応えると、
「また私ったら、ごめんなさい」
再び麗花は慌てた様子で謝りだす。
「謝らなくていいですよ。それより」
きりがないと思った優一郎は、頭を下げる麗花を制し、話を進めさせようとした。
「あ、そうね。21よ、見えないかしら」
「ぼくより四つ、上ですか………見えないなあ。歳下だと言われても、信じちゃい
ますよ」
お世辞ではなかった。
お世辞でそんな事を言うほど、優一郎は女性の扱いに長けてはいない。
見た目は落ち着いた大人の女性であったが、こうして会話をしてみるとその話し
方、仕種は実際の年齢よりも若々しく感じられる。
「フフフ、お世辞のつもりかしら。でも、あなたくらいの年頃の男の子が、そんな
事を言うのはおかしいわよ。それとも、やっぱり私が子どもっぽい、って事なのか
しら」
笑ったり、落ち込んだような表情を見せたり。
短い時間に、麗花の表情は面白いほどに変わる。
「いえ、お世辞のつもりはないし………けど、麗花さんが子どもっぽいって事でも
ないです」
「じゃあ、どういうこと?」
「それは………」
返答に詰まる。
「それより、本題に戻りましょう。ぼくを探した理由って、なんなんですか?」
「あら、上手くごまかしたわね。まあいいわ、世間話はまた今度にしましょう」
麗花の顔が、初めに見た大人の女性へと戻る。
「遺産相続の事です」
それは優一郎には思いもよらなかった理由だった。
「祖父母、そして私の両親も亡くなり、現在朧月家の遺産は私が管理しています。
それを正式に優一郎さんにも相続して頂きたいのです」
いつの間にか優一郎ことを「さん」づけで呼んでいる。
「ちょっと待って………そんな、ぼくには関係ない事ですよ」
優一郎とて、お金が欲しくない訳ではない。
しかし突然存在を知ったばかりの親戚から、遺産を受け取れと言われ、「はい、
そうですか」と応えるほど素直ではない。
「だって、ぼくの母は爺さん………その朧月家を捨てた訳でしょ? なら、その遺
産だってもう無関係なはずですよ」
あれから四日後、優一郎は列車の中にいた。
是非相続に応じて欲しいと言う麗花の言葉を、優一郎は頑として拒んだ。
しかし麗花も退かない。
結局、相続するしないの決断は後回しにして、一度朧月の家を訪ねて欲しいと言
う麗花の申し出を受けることにした。
それについては、優一郎も拒否する理由もない。
財産の話はともかく、麗花という女性は優一郎にとって好ましい存在だった。
両親が死んで、天涯孤独となった優一郎の前に現れた従姉妹とは、親戚関係を続
けて行きたい。
母が生まれ育ったと言う家も、見ておきたい。
それに、朧月の家を訪ねている間は、あの田邊とも会わずにすむ。
休みの間であっても、田邊という男は何かにつけて理由を見つけては、優一郎の
前に現れる。
田邊の顔を見ないで過ごせると言う事だけでも、朧月の家を訪ねて行く価値は充
分にあった。
列車を二度乗り継ぎ、四時間で静かな田舎町の駅に着いた。
田舎町と言ってしまうのは、些か語弊があるかも知れない。
小綺麗な黒みがかった造りの駅舎は、小さくなく、一見して観光地のそれを思わ
せる。
最近では珍しくなりつつある、駅員の居る改札口を抜けた優一郎を麗花が出迎え
てくれた。
「よく来てくれたわね、優一郎くん」
若草色のジャケットが陽の光に栄え、眩しく感じる。
「お言葉に甘えて。お世話になります」
頭をぺこりと下げ、優一郎は自分の台詞を不思議な気持ちで捉えていた。
こんな挨拶をして、人様の家に厄介になるなどと言うのは初めての経験である。
一般の家庭に生まれていたのであれば、もっと幼い頃から幾度となく親に連れられ
親戚の家を訪ねているのが当たり前であるのだろうが。
17歳にして初めての体験に、優一郎は僅かに緊張を覚える。
「ここから、ちょっと遠いの。タクシーを使いましょう」
麗花の家にも、車は有るそうなのだが運転できる物がいないらしい。
なんでも以前は専用の運転手を雇っていたらしいが、祖父母と両親の死後、彼を
雇っている必要もなくなり、辞めてもらったそうだ。
しかし運転手を雇っていたという話からも、麗花の家がそれなりの資産家である
ことが想像される。
優一郎は、ふと、いまの自分の置かれた立場が、サスペンスドラマの主人公に似
ていると思った。
天涯孤独と思われたその身に、降って湧いたような遺産の相続話。
突如現れた、美しい女性。
となれば、この後には忌まわしい殺人事件が起こるものだが、心が和んでくるよ
うな麗花の微笑みを見ていると、その考えがばかばかしくなってしまう。
寂しくはなく、かと言って特別に賑わっているでもない商店街を横目に、優一郎
たちはタクシーへと乗り込んだ。
麗花が行き先を告げると、運転手はルームミラーで後部座席を見て、「ああ」と
何かに納得したような素振りを見せ、車を発車させた。麗花の顔を知っていたのか
も知れない。
車が動き出し、優一郎は最初のうちは麗花と他愛もない話をしたり、外の風景を
眺めたりしていた。
窓の外にはいくらかの田畑も見ることは出来たが、特にこの辺りが農業を中心産
業にしている訳ではなさそうだ。
どちらかと言うと、閑静な住宅街の方が多く見られる。
十分くらい車が走ったところで、優一郎はある事に気がついた。
麗花の祖父母と両親はもう亡くなっている。
これから訪れる家には、麗花一人で住んでいると言う事ではないか?
いくら従姉妹とはいえ、若い女性の一人住まいに、男が泊まりに行くというのは、
世間的にも大変まずいことではないのだろうか。
「どうかしたの? 優一郎くん。急に難しい顔をして………どこか具合でも悪いの
かしら」
緊張が顔に出てしまったのだろう。
心配そうに、麗花が顔を覗き込んできた事で、優一郎の緊張はさらにたかまって
しまった。
「いえ、なんでもないですから」
そう応えるのがやっとだった。
駅から十五分ほど走ったところで、タクシーは目的の場所に着いた。
すぐ裏手に山が見え、周囲の家の数は少ない。ただ、そのどれもが広い敷地を有
していた。
先に車を降りた優一郎は、麗花が料金を払っている間、その家を呆然と見つめた。
家を見つめたと言うのは、正確ではない。
白壁の塀に取り囲まれ、黒光りのする瓦屋根しか見て取ることが出来なかったか
らだ。
どうやら、麗花の家は平屋造りらしい。
資産家と言う位だから、もっと豪華にそびえ立つ屋敷を想像していた優一郎は、
僅かに緊張が和らいだように感じた。
しかし麗花に促され、漆喰の施された門をくぐると優一郎は改めて驚かされる事
になった。
「なるほど………ね」
一人納得して、呟く。
とにかく家が広いのだ。
二階建て、三階建てという屋敷は、限られた土地を有効に使うための手段である
のだろうと思う。
広い敷地を持ったこの家は、上に伸ばす必要がないのだろう。部屋が欲しければ、
直接地面の上に造ればよい。
「どうかしたの、優一郎くん」
「いえ、なんでも………」
麗花に声を掛けられ、優一郎はふと我に返った。
そして改めて、この広い家に麗花と二人きりになる事を思いだした。