#3785/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/ 3/11 18:42 (170)
そばにいるだけで 4−7 寺嶋公香
★内容
女の人の手は、グレーの車を示している。
「そ、そうですっ。あの、えっと−−相羽君、ここに何をしに来たんですか?」
ここぞとばかり、質問する純子だったが、女の人は困ったような表情になり、
他の女の人達に顔を向けて迷っている様子を見せた。
「涼原さん?」
そのとき、相羽の声が。振り向くと、助手席から出て来た相羽が、近づいて
くるのが分かった。
「どうして、ここにいるのさ?」
「−−こ、こっちが聞きたいわよっ」
あまりと言えばあまりな相羽の物言いに、純子は声を大きくした。
「幼稚園に用があるとか言って、いきなりマラソンやめたって聞いたから!
心配してるのよ、みんな!」
「あ……。いや、ちょっと、夢中になってしまって」
手で口の辺りを覆うと、もごもごと答える相羽。
「説明してよ。用って何?」
「それは……」
口ごもると、相羽はグレーの車へと振り返った。
運転席にいた男の人が降りてきて、純子達のすぐそばに立った。細い目に眼
鏡をかけたその人は、年齢は若そうだが、がっしりとした体つきをしており、
背も高い。スーツを着こなしているが、その布地にはしわが目立つ。
「言ってはだめですよね……?」
相羽は、男の人を見上げた。
「うーん、難しいところだが、もういいかもしれない」
男の人は、曖昧に笑っている。
「え、でも、このことは」
「感心だな、坊や。だが、たった今、連絡が入ってね。坊やが言ってた車が、
見つかったそうだ」
「本当に?」
相羽は何故か、嬉しそうに叫んだが、純子の方はさっぱり状況が飲み込めず、
いらいらしてきた。
「どうなってるのよ」
と、小声で言いながら相羽の脇腹をつついたが、無視されてしまった。
「それで、あの子は無事だったんですか」
「ああ、そのようだよ。無事保護されて、犯人−−正確には容疑者達の身柄も
確保したと、言ってきたんだ」
「じゃあ、終わったんですか?」
相羽が男の人に聞くのと同時に、たくさんいる女の人達に笑顔が広がるのが
分かった。
(どうなってるの? 犯人とか容疑者とかって)
片手をこめかみに当てて、小首を傾げてしまう純子。
「そうだ。だから、そっちの女の子に、本当のことを説明してかまわない」
男の人はそれだけ言うと、女の人達の方へ歩き出した。
「よかった」
その場にしゃがみ込み、見た目にもほっとしている相羽をつかまえ、純子は
相手の肩を揺さぶった。
「ちょっと。ちゃんと説明して」
「もちろん、するよ。でも、本当によかったって思えてさあ。しばらく待って
よ。どきどきしてる」
仕方なく、純子は手を離し、その場に立ちすくんだ。
座ったままの相羽は目を瞑り、胸に手を当てると、息を深く吸い、ゆっくり
と吐き出した。それを何度か繰り返す。
やがて彼も立ち上がり、最後に一つ息をついてから、切り出した。
「どこから話そう? 驚くだろうけど……さっきの男の人、刑事なんだ」
「え? 何?」
一瞬、自分が聞き違えたのかと考え、耳に手を当てる純子。
「刑事。警察の人だよ」
「は? ……もしかして、あんた、何か」
「冗談はなし」
軽く両手を持ち上げ、苦笑する相羽。
「だ、だけど、刑事だなんて言うから……」
「えっとね……説明しにくいな。簡単に言えば、誘拐事件があって、それを知
らせに、僕はここに来た。それから警察を呼んでもらって、話を聞いてもらっ
て、今、事件が解決したみたいなんだ」
「ふ、ふーん?」
突飛すぎて、どこでどう相づちを打てばいいのか、そもそも相づちを打って
いいものかどうかも分からず、純子は目を何度もしばたたかせた。
(推理劇の筋書きの話をしてるんじゃないのかしら?)
そんな考えまでもが、純子の脳裏をかすめる。
「分からない? 当然か、一から話さないと」
それから相羽は刑事の方に大声で呼びかけた。
「刑事さん! 僕はまだ、いなくちゃいけませんか?」
「ああっと、そうだな。正式な書類が必要なんだよ。できればいてほしいんだ
が、学校に戻らないといけないのかい?」
「そうみたいです」
「小学校が終わったあとも、残っていてくれるかね? それなら今は、戻って
もかまわないよ」
「そうしますっ。行こう、涼原さん」
「行こう……って、あんた、まだ、マラソンの途中よ」
何故だか知らないけれど、マラソンのことが口をついて出た。学校に引き返
すとなった途端、日常の出来事が優先したのかもしれない。
「ああ、そうか。まだ大丈夫かな? 棄権だけは嫌だし」
「多分。……ビリ確実だけど」
純子が答えるや否や、相羽は走り出した。
「先に戻ってて」
と、手を振って。
「先にって、あの」
私もここにいるんだけど……と、途方に暮れた純子は、ふと思い出して、勝
馬の姿を探した。
(……いない。先に帰ったのね!)
このままじゃ自分一人が遅れると、純子は慌てて駆け出した。
「最初、見慣れない緑色の車に、知ってる子供が乗ってたのに気付いたんだ。
いつもは赤い軽四に乗ってる、L**幼稚園の子。変だなと思ったから、車を
よく見てみたら、運転手はいつもと違う男の人だった。そのとき、ナンバープ
レートも何となく覚えて」
相羽の説明に、教室中のみんなが、興味津々といった体で耳を傾けていた。
一人、福谷先生だけが困り顔。
「これだけなら、今日は都合が悪くて、違う人が迎えに来たんだろうで終わっ
てたんだけど、そのあと、赤の軽四が通るのを見て、おかしいなって感じて。
万が一ってことがあるかもしれないから、幼稚園に聞きに行ったんだよ」
「だから、幼稚園に用ができた、なんて言ったのかぁ」
立島が言った。感心するのと呆れるのとが、ごちゃ混ぜになっている。
「そうだよ。それで……聞きに言ったら、先に赤い軽四のおばさんが来ていて、
大騒ぎになってた。男が『お父さんの会社の者だ』と名乗り、名刺まで見せて、
子供を連れて行ったんだって、幼稚園の先生が話してた。おばさんはそんなは
ずないと言うから、これは誘拐じゃないかってことになった。
僕は事情を話して、その男の車の色を聞いてみた。でも、幼稚園から離れた
場所に停めていたらしくて、誰も見てなかった。だから、まだ確信はなかった
けど、緑の車に乗っていたのは間違いなく、おばさんの子供だったから、警察
に電話してもらって……覚えていたプレートのナンバーを刑事さんに言ったん
だよ。で、あとは運よく、犯人を捕まえられたってわけ」
説明が終わっても、しばらく静けさが続いた。
「えーっと、警察の人が詳しい話を聞きたがっているから、あとで職員室に来
ること。分かった?」
先生も、どんな反応をしていいのか測りかねて、困惑しているのがありあり
と窺えた。
「はい、さっき聞きました」
「それでね、相羽君。えっと……あなたは立派なことしたんだけれど、あんま
り無茶な行動を取らないようにしなさい。先生、気が気でないわ。先に、学校
の先生の誰かに知らせてもよかったでしょう?」
「少しでも早い方がいいと思って……ごめんなさい」
「う、うーん。早いのがよかったのも分かるんだけど……難しいところね」
先生は、本当に困っている。純子達、他の子らはその様子がおかしくて、た
まらない。
「まあ、いいわ。とりあえず、心配させないでちょうだいよ」
疲れたように大きく息をついて、先生は相羽の頭をなでた。
それから、校長先生を始めとする他の先生達にことの次第を話すため、福谷
先生が出て行ったあと、また一騒ぎが始まる。
「すげーな、このっ!」
勝馬や清水、大谷らが乱暴に相羽を「賞賛」する。
「おい、い、いててっ」
その輪から抜け出してきた相羽の髪は、ぼさぼさになっていた。
「ったく、無茶苦茶しやがる」
「無茶はどっちだよ」
簡単に言い返されて、照れ笑いを浮かべる相羽。
「それにしても、よく覚えてたな、赤い車に乗った子供なんて」
改めて感心した口振りの鈴木。
「マラソンのおかげさ。だけど、順位はビリだったな」
自嘲気味に相羽が言ったのを機会に、例の賭の件が思い出されることに。
「相羽、おまえがあのままゴールしてたら、勝ってたのに」
立島の口調に、非難する響きは全くない。
「しまった、それがあったっけ。まずかったなぁ」
「なあ、今度の俺達の負けは理由があるんだから、勝負なしにしろよ」
清水達が、女子に向かって強制ないしは懇願を始めた。
「どうしようか」
女子はみんな、笑みを浮かべて相談に入る。
「勝負は勝負なんだから、このまま」
町田が主張するのへ、前田が意見を差し挟む。
「そんなこと言ってたら、将来、似たようなことが起きたとき、どうなるの?」
「それもそうね。事故なんかを見て見ぬ振りして……なんて」
「ねえ、相羽君だけ掃除当番から免除したらいいんじゃない?」
富井が言い出した。その意図は見え見えだったが、なるほど、理屈に合って
いるので、女子全員の総意とされた。
「−−てことで、どう?」
町田に告げられた男子達の大部分は、当然のことながら反対表明。
「そういうことになるんだったら、あらかじめ捨て猫でも用意して、そいつを
助けたせいで遅れたって、芝居するぞ」
こんなことを言い出す者もいる始末である。
(マラソン大会はこれで最後なんだから、こんなにもめなくていいのに)
呆れるやら情けなくなるやらで、純子は腕枕に顔をうずめた。
その後ろの席では、特別扱いを受けた相羽が、やれやれといった風情で肩を
すくめていた。
数日経って、新聞の地方版に、誘拐未遂事件の記事が掲載された。その面の
トップ、写真付きと割に扱いは大きく、相羽信一の名前まで出ていた。
それからまた何日かあとの月曜、朝礼のときに、相羽は表彰を受けた。彼自
身は、大げさな儀式をやるのが迷惑そうだったが。
校長先生がそのとき喋った話は、「どんな些細なことにでも、興味を持って、
注意を向けよう」という要旨だった……らしい。
−−『そばにいるだけで 4』おわり