#3754/5495 長編
★タイトル (BYB ) 97/ 2/19 18:38 (186)
死霊の都5 つきかげ
★内容
キャロルは、口元をひきつらせながら笑った。
「そう。確かに、デルファイとは死者の王国だよ」
私は、キャロルに問うた。
「あんたは、どう思う。デルファイとは、本当に死者の王国なのか?」
キャロルは、神経質そうに笑っていった。
「おれの考えをいうと、死に際して人間の脳の内部には死の苦痛から逃れる為、
強力な幻覚作用のある脳内麻薬が生成される。クイック・デッドによる死は真の
死では無いため、脳は中途半端な状態で生きていると考えられる。脳内麻薬によ
って生じる無限の夢。その夢が、集合無意識レベルでシンクロニシティを起こし
一つの世界を作り上げた。そいつが、デルファイだと思うね、おれは」
それは、私の想像とほぼ同一のものだった。
「一つ、確認しておきたい事がある」
私は、キャロルに尋ねた。
「ここに、シュラウト王子もいるのか?」
キャロルは無言で、ひとつの棺桶の蓋を開ける。ジュリは、その中身を確認し
た。
「確かにシュラウトだわ」
ジュリは、微かに蒼ざめた顔でいった。そして、突然叫ぶ。
「能書きは、十分よ。クイック・デッドを私に頂戴。死の甘美な夢を味あわせて
もらいましょ」
キャロルは頷くと、ジュリを招いた。私は、ツバキを見る。ツバキは当然のよ
うに、キャロルへ向かう。私は、肩を竦めると、ツバキに続いた。
そして、私たちは黒い錠剤を受け取ると、割り当てられた棺桶に横たわる。中
は深紅のビロードであり、横たわった感触は悪くない。
キャロルは、幼子を寝付かせる母親のような笑みを、ひきつった口元に浮かべ、
私の棺桶の蓋を閉じる。あとは闇。
錠剤を飲んだ後、私は広大な闇の中にいた。それは、全く果ての見えない無限
の闇だ。その闇が、ごうごうと音を立て、荒れ狂っている。
それは、何か巨大な嵐が宇宙を覆っているようであり、幾億もの巨大な黒い獣
たちが、駆けめぐっているようでもあった。
その星無き真冬の夜の、黒く渦を巻き荒れ狂う海のような闇の中を、私は天空
から墜ちる星のようにもの凄い早さで降下している。あるいは、上昇しているの
かもしれない。
闇は猛り狂う風の精霊たちのように、狂乱の雄叫びをあげながら、私の傍らを
通り過ぎる。私は、死せる神の体内に入り込み、その崩壊の瞬間に立ち会ってい
るように思った。
果てしなく思える程長い時を経過した後、私の目の前に、真冬の夜の終わりを
告げる明けの明星のごとき光が出現した。それは、この世の終わりに全ての魂へ
裁きを下す光のように、強く神々しく輝き始める。
光は、星が誕生する時に上げる叫びのように、爆発的な閃光と化して闇を駆逐
した。その光は狂神の哄笑のようにぎらぎらと輝き、私の脳髄を焼き焦がす。
幾億もの太陽が集合したようなその輝きの奥に、私は凶悪な眼差しを感じた。
それは、神のものなのか、私の内奥に眠っていた邪悪な意志なのかは判らないが、
全てを破壊しつくそうとする凶暴な想念を感じる。
私は強大な破壊の意志の視線に、晒された。それは、無数の金属の刃のように、
私の精神を引き裂いていく。私の意識はすでに論理的な判断を、放棄している。
ただ、流される血のように、私の心は墜ちていった。
それは、どこへ?
もしかすると、その凶悪な破壊の意志と一体化すれば、何か崇高な世界が開け
るのかもしれない。しかし、私はより澱んだ、血肉の沼のような世界へと捕らわ
れていく。
おそらくそれが、地上。
私は、堅い石の床の上で目覚めた。鉄格子で閉ざされている所を見ると、牢獄
の一種らしい。私の記憶は、泥酔状態の時のように、曖昧であった。
私は自分の名さえ思い出せぬのに気づき、愕然とする。私がかつて属していた
王国の知識だけが、かろうじて残っていた。私は何者かによって、精神を破壊さ
れ、捉えられたようだ。あるいは、魔導師の見せる夢の中に、居るのかもしれな
い。
そこは、殺風景な牢獄だ。まぁ、牢獄は殺風景なものだが、酷く無機質な印象
がある部屋だった。傍らに簡易トイレがあり、簡易ベッドに薄いマットが敷かれ
ている。
薄暗い黄昏の光を投げかけている照明は、見慣れぬものであった。何らかの魔
法に関係しているようだ。やはり、私は魔導師に捕らわれたのだろうか。
廊下を隔てた向かいにも、牢獄が並んでいる。斜向かいの牢獄にも、囚人がい
るようだ。薄闇の中で、影が蠢いている。
ときおりその影は、意味不明の呪詛の叫びのような声をあげた。それは、呻き
のようでもあり、呟きのようでもある。もしかしたら、ここは狂人の収容所なの
かもしれない。その囚人は、正気の人間とは思えなかった。
足音が廊下の奥から、聞こえてくる。それは、規則正しく、静かだ。おそらく、
衛士のものだろう。
やがて、薄闇の中に奇妙な制服を着た衛士らしき男が、姿を現す。その制服は、
私の記憶にあるどこの国のものとも違った。剣では無く、クォータースタッフの
ような棒を、腰に装備している。
衛士は、私の牢の前に立つ。奇妙な言葉で何かいいながら、扉を開いた。私は、
牢の中に立ち上がり、身構える。衛士は驚く程無防備な姿勢で、私を手招いた。
私は、衛士をその場で殺そうとすれば、殺せたに違いない。何かの罠かと、疑い
が生まれる。
私は、自分が神経を研ぎ澄ました状態にある事を気取られぬよう、自然体で衛
士の指示に従った。私は衛士の後について、磨かれた石の階段を上ってゆく。
上の階も、牢獄のある階と同じように殺風景な所だった。私には全てが麻薬の
幻覚のように、リアリティが欠けて感じられる。今にも壁に床が泥濘と化して溶
け流れてゆき、その下から真の姿を現われそうな気がした。衛士の指示に従い、
私は部屋の一つへ入る。
その部屋には、二人の男がいた。やはり見たことの無い、奇妙な服を着ている。
男の一人が、目で自分の前に座るよう指示した。
「名前は?」
男の言葉は、奇妙な事に理解できた。王国の、古語に近い響きのある言葉だ。
私は、男の問いに首を振って答える。奇妙な事に口をついて出たのは、男と同じ
言葉だった。
「思いだせない」
男は口を歪めて、侮蔑を含んだ笑みを見せる。
「又かよ。例のあの麻薬中毒で頭いかれてんじゃねぇか、え、なんてったかなぁ、
あの麻薬はよぉ」
男は、傍らの相棒に話しかける。相棒が答えた。
「デルファイだろ」
その瞬間、私は色彩を失った世界が突然、色を取り戻したのを見たような、衝
撃を受けた。昇りゆく太陽が、夜を駆逐していくように、私の記憶が戻ってくる。
私は、男に言った。
「私の名は、ケインだ」
「ケインねぇ。身分を証明するものは、あるか?」
私は首を振る。男はせせら笑う。
「いいかい、あんたは、道端にぶっ倒れていたので、我々が保護した。あんたは、
見たところ密入国のようだが、多分麻薬でラリッた脳味噌じゃ、まともに自分の
身元をしゃべられやしねぇだろう。我々は、麻薬中毒の密入国者をいちいち調べ
て故郷へ強制送還する気はねぇんだ」
私の頭は、突然とりもどした記憶によって、混乱の極みにある。部屋が嵐の中
の船のように、揺れて感じられた。私は、かろうじて尋ねる。
「私を、どうするつもりだ」
「帰ってくれ。あんたが、路上生活者であろうと、自分の家をもっていようと、
ただの旅人でもなんでもいい。ここ以外のところへ行ってくれ」
私は、轟音のような耳鳴りと、空の高みから落下しているような眩惑を超えて、
ひとつの疑問が生じたのに気がつく。私は、それを口にした。
「ここは、どこだ」
男は、げらげら笑って言った。
「東京、新宿だ。あんたは、新宿の警察署の中にいるんだよ」
再び、私の頭の中で記憶が閃光を発し、炸裂した。ようやく、荒れ狂う嵐のよ
うな世界が落ち着く。私は2重の記憶を得て、初めて自分の精神が晴れ渡る秋の
空のように、澄んでいくのを感じる。
私は、とても穏やかな気持ちになり、礼を言った。男は皮肉な笑みをみせる。
「あんた、ミスタ・ケインといったか。気をつけろよ。いいかい、おれらは、パ
スポートを持っていない、国籍も判らない、税金もはらっていない、そんな連中
が殺されても殺人とは見なさないんだ。
いいかい、あんたを殺しても、誰も罰されない。判るか。麻薬でふにゃふにゃ
の脳味噌に、ようく叩き込んでおけ。あんたは、野良犬と同程度の権利しかもっ
ていない。そして、この街には、気晴らしで野良犬を殺すようなやつはいっぱい
いる。みんな、あんたが死んでも警察が動かないのを知ってんだ。
よく聞けよ、ミスタ・ケイン。ラリッた頭でようく、考えろ。どうすれば、生
き延びれるのかを。おれは、あんたが道端で撃ち殺されても、レクイエムを歌っ
たりしねぇからな。清掃局に電話するだけだ。野良犬の死骸をかたしてくれと。
そしてそんな事は、この街では、酔っぱらいが道端で反吐をはくのと同じくらい、
日常茶飯事なんだ」
私は、男に微笑みかけ、もう一度礼をいって部屋の出口に向かう。私の視界の
片隅で、男は哀れむような笑みを見せ、一言呟いた。
「グッドラック」
夜が明けるまでには、まだ随分あるようだ。夜の空気は鋭利な刃物のように冷
たく、心地よい。この街には、十三の高い塔がある。星空を地上へ引きずり落と
したように、冴えた煌めきを宿す十三の巨大なガラスの塔は、この死者の街の冷
酷な支配者のようだ。
私は、街の中を歩みだした。十三の塔は、オーラの十三のクリスタルタワーを
思わせる。しかし、この街のガラスの輝きを持った塔は、オーラのあの刻々と輝
きを変える無数の虹を閉じこめたような、巨大な水晶の塔の幼稚な模倣のように
見えた。
愚劣な戯画化、あの壮大で崇高なオーラの光の塔を、へたくそな芸術化が真似
たようなものだ。ここは、確かにオーラの首都、クリスタル市では無い。
しかし、街の風景はどこでも似たようなものだ。そこ、ここに転がる襤褸屑の
ような浮浪者たち。明日には凍死体になっているかもしれないが、誰も気にする
様子は無い。
様々な人種のものたちが、通りかかる。南方の島からきたような、肌の浅黒い
街娼たちがコートの裾から裸の足を見せるが、私が異国人だと見ると去ってゆく。
高地に住む山岳民族ふうの男たちが、故郷の色鮮やかな民族衣装を身につけ、
小さな弦楽器をかき鳴らし、吹き鳴らされる横笛に合わせ、故郷の歌を歌い踊っ
ている。哀しげな歌声は、行き交う人々の間をすり抜け、塔の聳える高みまで駆
け抜けていくようだ。丁度その歌が彼らの故郷の山々を、駆け抜けていたように。
ここには、様々な国の者たちが彷徨い込み、たがいに深く関わること無く、自
分の生を生きているように見えた。オーラの首都と同じように。
南方系の民族の男が、弦楽器をかきならしながら、北の島国の古い童謡を歌っ
ている。男が自分を愛する女に、どうすれば自分の恋人になれるのかを伝えるよ
う頼んでいる歌。
その歌は、私のもう一つの記憶を呼び覚ます。私のこの世界での記憶。
私は、この世界では英国の特殊部隊SAS(スペシャル・エアー・サービス)
に所属していた。しかし、テロリストに妻と子を惨殺されたのを期に、SASを
やめ、国籍も捨てる。私はテロリストへの復讐を終え、タイのバンコクで暫く暮
らした。
法律も警察も金で買える、気儘な街で私はチャイニーズマフィアの用心棒とな
る。しかし、私の雇い主が、カンボジアのあのポルポトの起こした血塗られた革
命にまきこまれ、私はタイを離れる決心をした。
私はその後、ベトナムから脱出しようとしている華僑の用心棒となり、この島
国へ来た。私はその経歴のすべてを、細部に至るまで思いだすことができる。私
の愛用のシグ・ザウエルの心地よい反動も、左手にはっきりと思い出せた。
しかし、私の腕に隠された鞘にあるのはシグ・ザウエルでは無く、水晶剣であ
る。この妖精の羽のように薄く透明で軽い剣は、すべてが幻覚であると私に囁き
かけているようだ。
私の、もう一つの記憶。王国での記憶。
私の父親は、盲目の剣士だった。目は、何者かに抉り取られて失ったと、父は
いつか私に語った。私の父は、肉眼ではなく心の目で、相手の発する気を感じて
戦う。
それは、無明剣とよばれる術である。人間は何か行動を起こそうとすると、そ
のイメージが気となり体から立ち上るものらしい。その気の形から、相手の動き
を事前に察知して後の先をとるのが、無明剣である。
私の父は、無敵かと思える程強い子連れの、刺客であった。私は父と一緒に様
々な国を旅して回ったものだ。その父が一太刀で、倒された。父を殺した相手は、
ユンク流剣術の使い手である。