#3650/5495 長編
★タイトル (FJM ) 96/12/28 13:26 (164)
ヴェーゼ 第5章 侵攻前夜 8 リーベルG
★内容
8
人工的に調節された陽光を浴びながら、公園のベンチに座っていると、何だか年
をとったような気になるな。スカルバーユ・プロザロウは苦笑した。
「来たわよ」チコが囁いた。
スカルバーユは軽く頷き、呑気そうに、美しく咲き誇っている花壇の花々を眺め
た。
視界の片隅に、初老の男がゆっくりとパークエリアに入ってくる姿が映った。一
世代昔の流行だが身なりはよく、これといって目的を持たずに午後の散歩を楽しん
でいる男、という印象しか受けない。
男はアイスクリームショップの前で立ち止まった。スカルバーユを待たせている
ことを承知の上での行動に違いない。スカルバーユは苛立ちを顔に出さないように
花に注意を集中した。
背中合わせになったベンチに、誰かが座る気配を感じるまで、スカルバーユは花
びらの数を数え続けていた。
「待たせたな」男は囁いた。
誘惑に負けたスカルバーユは、一瞬だけ振り向いた。男はコーンの上に乗ったバ
ニラとチョコミントのアイスクリームを幸せそうになめている。
「おいしいですか?」花に目を戻したスカルバーユは皮肉を返した。
「若い頃には、こういうものには見向きもしなかったんだが。最近は誘惑に負ける
ことが多くなってね。味覚や触覚や視覚だけなら、いくらでもVRサービスで体験
できることはわかっているんだが。やはり本物にはかなわない」
「よければビジネスの話をしたいんですがね」
「いいとも」
「ドナ・マドウという女性は、実に奇妙な存在ですな」スカルバーユは少し笑った。
「あれほどまでに巧妙な擬装は見たことがない」
「調査は全て完了したのかね?」
「まだです。中間報告といったところです」
「ふむ。では聞こう」
「最初のガードを突破するのは簡単でした。何年も前から、ひとつの噂がありまし
た。現存する全ての公認魔法使いの力を、遥かに超越した魔法使いがいると。その
事実を知っている者は、統合政府の上層部の1パーセント未満だということです」
男は反応を示さない。スカルバーユは続けた。
「その魔法使いは人工的に作り出されたらしい。年齢は不明ですが、まだ子供で、
名前はアンソーヤ。ドナ・マドウは、その魔法使いの専属秘書なのです」
「それだけかね?」
「いいえ。ここまでは簡単でした。これぐらいならば、別におれでなくとも、多少
裏道を知っている者ならば突き止められるでしょうな」
「続けたまえ」
「ドナの主人は、その魔法使いだけではない、ということを突き止めるのには、か
なり苦労しましたね。あらゆるデータは完璧に整合していました。おれも危うく、
そこで調査をやめるところでしたよ」
「ほう。何が君に調査を続けさせたのだね?」
「彼女の妹、セーラ・マドウです」
「妹ね」
「おれはセーラと個人的に接触し、かなり親しくなることに成功しました」若干、
後ろめたい思いをしていることは話さなかった。「セーラから見た姉の行動データ
を突き合わせて見ると、わずかに、ほんのわずかに差異が見つかるんです」
「なるほど」
「まあ、詳しい方法は企業秘密ですが、そういう別の視点からデータを再構築して
シミュレートしてみると、別のデータへのポインタが得られるわけです。さらにそ
のポインタに、ある限定された情報のゆらぎを与えてやると、数パーセントの確率
で別のポインタが得られる」
「それで、ドナの2番目の主人とは?」
「あなたがよく知っている人物です」
「というと?」 エーデルマン
「シンジケートの6人の最高幹部の一人、<貴人>。事実上のナンバー2。本名、
ヴィリスティード・J・スズキ。あなたのことですよ」
男の反応は、アイスクリームを口に持っていく手が一瞬停止したことだけだった。
もっとも警戒を要する瞬間だった。スカルバーユは、この会見に先だって、考え
られる限りの防護手段を講じてあった。チコが2時間前から公共サービスに侵入し
て、治安監視アイで周囲を警戒しているし、歩道の隅を這いながらゴミを分解処理
している補修ロボットは、圧縮空気で飛ばす炸裂弾頭ダートの狙点を男に定めてい
るはずだった。スカルバーユ自身も、攻撃反応の呪文を幾重にもかけて防御してい
た。だが、シンジケートの幹部がその気になれば、この程度の防御は気休めにもな
らないこともわかっている。
コーンをかじる、サクッという音が聞こえ、スカルバーユはわずかに緊張を解い
た。
「見事だ。スカルバーユ君」
「これが一種のテストみたいなものだったのですか?ええと……」
「エーデルマンの方で呼んでくれたまえ」
「ヘル・エーデルマン」
「そう。ドナ・マドウを統合政府の中枢に潜り込ませたのは、この私自身だ。それ
なのに、なぜ私がドナの調査を依頼しなければならないのか不思議に思っただろう
な?」
「好奇心を感じたことは確かです」
「ある理由から、私はドナがダブルスパイなのではないかと思ったことが始まりだ
った」エーデルマンは話し始めた。「つまり、私はドナを通じて統合政府の情報を
得ているが、逆に統合政府はドナを通じてシンジケートの情報を得ているのではな
いか、と考えたわけだ。
だが、調べてみると、それは間違いだったことがわかった。ドナが治安警察CT
(カウンターテロ)部門へ内通しているという情報は、内部のある人間の誣告であ
ることが判明したのだ。シンジケート内部にも、権力闘争は存在していてね」
「でしょうな」
「ところがその本来不必要だった調査の過程で、若干、奇妙な点が発見されたのだ。
ささいなことだったが、ドナは私にそのことについて報告していなかった。
私は信頼のおける部下に、秘かに調査を行うよう命じた。数日後、その部下はシ
ティ・ダブリンで汚染物質漏出事故に巻き込まれて死亡してしまった」
「…………」
「事故に巻き込まれたのは偶然といえば、偶然だったかもしれない。事故そのもの
には不審な部分はなかった。だが、私が続いて調査を命じた別の部下は、次の日に
銃器不法所持で逮捕され、数日後、軽犯罪拘留センターの独房で自殺した」
「どうやって?」 ニューロンクラッシャー
「隠し持っていた自殺用の神経活動阻害薬でだ。だが、そいつは治安当局に知られ
ては困るほどの情報は知らなかったのだ」
「なるほど」
「その時点で私は、どういうわけか、シンジケート内部の情報を、知るはずのない
ドナが熟知していることを知ったのだ」
「ドナが調査を命じられた人間を消したと?」
「彼女が、というよりは、彼女の背後にいる存在がだ」
「統合政府ですか?」
「それぐらいならば、君を雇ったりしない」
「とすると、噂に聞く影の政府というやつですか?」
「さあな。私には見当もつかない」
「あなたのボスに訊いてみてはいかがですか?」スカルバーユは提案した。「あの
マクベスならば知らないことはないと聞いていますよ」
「マクベスにはまだ知らせるつもりはない」エーデルマンはきっぱりと否定した。
「そのときは、私が死ぬときだ。マクベスはそういう類の失態を許す人間ではない
のだから」
「…………」
「放っておくこともできないことはない。ささいな矛盾点を無視すれば、ドナは実
に有益な情報をもたらしてくれている。だが、もし、ドナの真の目的がシンジケー
トの利益と反するところにあるとすれば、いつか私はその代償を支払うことになる
だろう」
「そこで外部の人間、つまりおれを雇ったというわけですか」
「そのとおり」
「それはつまり、おれが前の二人と同様暗殺される可能性、いや、危険性があると
いうことですな」
「君ならばそんなことにはならないと信じている」エーデルマンは悪びれる様子も
なく平然と答えた。
「何て勝手な言いぐさだ。もし、本当に影の政府なんてものが、彼女の背後に控え
ているのなら、おれが新しい視点からドナの周辺を探りはじめた途端に、虫ケラの
ように押しつぶされてしまうでしょうよ」
「降りたいのかね?」
「そうしたくなってきましたよ」
「例の報酬を見捨ててまでか?」
「命にはかえられませんからね」
「申し訳ないが、スカルバーユ君」エーデルマンの声が低くなった。「君にはぜひ
とも調査を続けてもらいたいのだ」
「あのですね……」
「もしどうしても降りると言うのなら、私がドナの調査を外部の人間に依頼したこ
とを、それとなく洩らすことになる。それが君だということもだ」
呆然とエーデルマンを見つめたスカルバーユは、次に全身の血液が沸騰するよう
な怒りをおぼえた。
「ふざけるな!」
「私は冗談を言うのは嫌いだ」エーデルマンは真顔で答えた。「調査を続行したま
え。それしかないと思うがね」
「ここであんたを殺してしまえば、おれは安全になる。そういう選択肢だってある
んだ」
「やめておきたまえ。君のMIならばあてにしても無駄だ」
「なんだと?」スカルバーユは戸惑って、一瞬怒りを忘れた。
「呼んでみてはどうかね」
わけがわからないままに、スカルバーユはチコに呼びかけた。
「チコ?」
驚いたことに返事はなかった。そういえば、いつもならうるさく口を挟んで来て
も不思議ではないチコが、今日に限って沈黙を守っているのはおかしい。遠慮など
という言葉とは無縁のMIなのだから。続けて呼んでみたが、やはり返事は返って
こなかった。
「どうだね?返事がないだろう?」
「何をしたんだ?」
「話すつもりはないよ、スカルバーユ君」エーデルマンはゆっくりと立ち上がった。
「心配はいらない。私がここから出れば、君のMIへの干渉は取り除かれる」
スカルバーユは罵りの言葉さえも忘れて立ちつくした。
エーデルマンは歩き出したが、ふと足を止めた。
「シティ・ドレスデンに知り合いはいないかね?」
「は?」何の脈絡もない問いに、またもスカルバーユは困惑し、そのことを腹立た
しく思った。「ドレスデン?」
「そうだ。ドレスデンだ」
「別に。シティ・ドレスデンがどうかしたのか?」
「消されたよ。調べてみたまえ。何かおもしろいことがわかるかもしれない」
スカルバーユが問い返す前に、エーデルマンはそれ以上の質問を拒絶するように
すたすたと歩いていった。