#3645/5495 長編
★タイトル (FJM ) 96/12/28 13:20 (188)
ヴェーゼ 第5章 侵攻前夜 3 リーベルG
★内容
3
シティ・ブリスベーンの最下層第47レベルにあるその施設は、データ上は「統
合政府所属第332バイオ水耕研究施設」と登録されていた。これはカモフラージ
ュではあったが、実際に研究施設も存在しており、万が一、市民団体などが余計な
好奇心を起こして見学を申し込んだとしても、担当職員が少しも慌てる必要になっ
ていた。
公式には存在しないはずの第48レベルには、統合軍特殊作戦部隊用司令センタ
ーがあった。統合軍が、善良な市民には説明できないような作戦を遂行する際に、
ひそかに使用されるセンターである。このような司令センターは、あちこちのシテ
ィに散在している。むろん維持・運営予算が公式に計上されることはない。
マンチェック中佐は、指揮官シートに座って、VVに展開されるシティ・ドレス
デンの封鎖状況をチェックしていた。
「中佐」オペレータが報告した。「魔法使いアンソーヤ他一名が到着しました」
「ここへ通せ」
すぐにアンソーヤが、いつものようにドナを従えて足早に入ってきた。マンチェ
ックは立ち上がって敬礼したりはしなかった。アンソーヤは軍人ではないからであ
る。
「中佐、状況は?」
「およそ6時間前」マンチェックは説明を始めた。「シティ・ドレスデンで変死が
報告されました。シグによるVRサービス中に、身体の30カ所が細胞レベルで融
解しています」
「アスワン・クランクハイト?」
「MIはそう判断しました。政府は極秘に緊急閣議を開き……」
「ドレスデンの抹消が決定された、というわけか」アンソーヤは皮肉な笑いを浮か
べた。
「封鎖、です」マンチェックは冷たく訂正した。
「言葉を変えたってやることは一緒だろ。それで?」
「は?」
「ぼくはここで何の役を演じればいいんだ?」
「ドレスデンから、魔法的手段で外部にコンタクトが試みられています」
「へえ」かすかな興味の色がアンソーヤの瞳に浮かんだ。「君たちがドレスデンに
対して行っている封鎖は、当然、魔法的要素も考慮しているんだろうね?」
「もちろんです。シグの完全閉鎖を含むあらゆる電子的・物理的封鎖に加えて、シ
ティをすっぽり結界で包む形で魔法的封鎖を形成しています。軍に所属している魔
法使いを20人も動員し、波紋をシームレスに形成するために8体のMIでサポー
トさせています」
「それを突破するのは容易じゃないな」アンソーヤはマンチェックにではなく、ド
ナに対して話しかけた。「ドレスデンには力のある魔法使いがいたっけ?」
ドナはすでにシグにアクセスして必要な情報を得ていた。
「封鎖が開始された時点で、9人の公認魔法使いがドレスデンにいたことが確認さ
れています。その中で、最大の力を持っているのは、一級魔法使いオットー・クラ
ウセンです」
「名前だけは聞いたことがあるな」
「クラウセンは、ドレスデン総合大学で講演を行うために、36時間前にシティに
招かれていました」ドナは報告し、思わず付け加えた。「不運でしたね」
たとえそれに同意していたとしても、アンソーヤは何も言わなかった。
シグから何か情報を受け取っていたマンチェック中佐が、緊迫した表情を向けた。
「封鎖が突破されつつあります。あなたにインターセプトをお願いしたい」
「そんなことだろうと思った」アンソーヤは鼻を鳴らした。「気が進まないな。同
じ魔法使いとして」
「つまらない感傷を楽しんでいる場合ではありませんぞ」マンチェックが声を荒げ
る。「今、アスワン・クランクハイトのことを市民に知られることは、絶対にあっ
てはならないのです。いかなる犠牲を払おうとも」
「人類の未来のためか?」アンソーヤの声は皮肉に満ちていた。
「人類の未来のためです」
マンチェックは本気でそう信じているようだった。
アンソーヤは肩をすくめた。彼がここに来たのは、軍部に要請されたからであっ
たが、同時に<ユガ>の13賢者から命令されたからでもあった。少なくともこの
地球上では、誰にも頭を下げる必要のないアンソーヤだったが、さすがに<ユガ>
を敵に回すことだけは避けたかった。今はまだ。
「わかった。仕方がない。中佐。シティ・ドレスデンの正確な方位を教えてくれ。
北を12時とした方向を、秒の単位まで正確にね」
マンチェックは喜色を表して時間を浪費するようなことはしなかった。1秒後に
は答えを口にした。
「10時12分47秒。オットー・クラウセンがいると推定される、ドレスデン総
合大学までの方位です」
アンソーヤは軽く頷いて、口の中で何かつぶやいた。マンチェックは聞き耳を立
てたが、数倍の聴力を持っていても聞き取ることは困難だっただろうし、たとえ聞
き取れても理解することはできなかっただろう。魔法使いの数だけ呪文があるのだ
から。
不意に、センター内の複数のオペレータが、狼狽した報告を乱発しはじめた。魔
法関連のオペレータ、および魔法使いたちである。全ての計測装置が、システムの
計測想定値をはるかに越えた波紋を検出し、MIたちが大慌てで、パラメータテー
ブルの更新に取りかかったのだ。いくつかの物理的スクリーンに、エラーログが狂
ったようにスクロールされ、オペレータの顔に光の乱反射を浴びせかけていく。
冷静だったマンチェックも、今はじめて、アンソーヤが「地球最大の魔法使い」
と呼ばれている理由を理解したように、額に汗を浮かべていた。平然としているの
は、ドナぐらいなものである。
「噂には聞いていたが、まさか、これほどの力とは……」マンチェックはドナに囁
いた。「あの少年の力があれば、アキレス……いや、レヴュー9への作戦もそれほ
ど困難ではないに違いないな」
「アキレス・プラン。アンストゥル・セヴァルティへの武力侵攻作戦。別に隠すこ
とはありません。中佐。私を含めて、アンソーヤのスタッフは、トップレベルのア
クセス権限を与えられていますから」ドナは優雅に微笑んだ。
「これはどうも」
「中佐をがっかりさせたくないのですけど」ドナは笑みを絶やさぬまま語を継いだ。
「アンストゥル・セヴァルティには、アンソーヤを小指で翻弄できるほどの力を持
った魔法使いなど、珍しくもありませんよ。私は現に、その一人と出会ったのです
から」
マンチェックは鼻白んだ。
二人はアンソーヤに顔を向けた。まだあどけない面影を残した少年は、目を閉じ
て、何かを考え込むように微動だにしない。その身体の中に、シティひとつを熱い
ガスに変えてしまうことも可能な力が宿っていると想像することは、ドナにとって
も困難なことだった。
シティ・ドレスデンを封鎖する電子的障害と、周到に張り巡らされた魔法的トラ
ップの間を、オットー・クラウセンの霊体は、茨の道をナイフ一本で切り開くよう
に進んでいた。
----誰だ!トラップが誰何した。我が主の許しなくして、この道を通り抜けようと
するのは誰だ!
どうやら多少は知性を残したトラップも配置されていたらしい。オットーは霊体
に鋭い剣をイメージさせて応じた。
----何ゆえに行く手をさえぎるのか、うとましき下僕よ。我、クムランの第八階梯
において洗礼を受けし者。我が力は雷撃に勝り、我が知は調和をもたらし、我が償
いは大地の呪いを沈黙せしめる。
----下がられよ、我が主の意に逆らう者よ。トラップはやや勢いをそがれたものの、
依然としてオットーの行く手を遮っていた。
----その主に伝えよ。我が行くは、万物に保証されたる由なる地。たとえ、千もの
戦船が遮ろうとも、我は閃光のごとく、この道を行くと!
----下がられよ!
----下がられよ!
仲間の危機を感じ取ったのか、別のトラップ体が寄ってきた。
その瞬間、オットーの剣が一閃し、トラップたちを切り裂いた。単純な魔法的要
素しか持っていないトラップは、ほんの一瞬抵抗しただけで、あっさりと消滅して
いった。
オットーを取り巻く空間が動揺し、続いて敵意に満ちた。
----阻め!
----阻め!
無数の魔法的トラップが、口々にわめき立てながら向かってきた。剣の形をとっ
たオットーの霊体は、あっというまに数十のトラップを破壊した。だが、トラップ
たちは数に物をいわせて群がってくる。たちまち、剣は取り囲まれ、抵抗を封じら
れてしまった。
そのわずかな時間、戦略MIによって周到に計算されたトラップの配置に、疎と
密が生まれた。分布異常を検知したMIが、ただちにその差を埋めにかかる。再配
置の計算時間は、100分の1ナノ秒以下。
オットーの意識体がトラップ群を一気に抜き去るには充分な時間だった。
ドレスデンから(魔法的な意味で)遠くに離れたとき、オットーは振り返った。
彼の脱出は探知されなかったようだ。獰猛なトラップの群は、囮の霊体を切り刻ん
でいた。
----見事だね。オットー・クラウセン。
突然、すぐ近くから呼びかけられて、オットーは狼狽した。
----誰だ!
----知る必要はないよ。
----どこだ!
勝利感はまたたく間に消え失せ、かわりに冷たい恐怖が心を埋めた。
----魔法使いか。名乗れ!
魔法使いに決まっている。ナノテクノロジーが電子で描き出す幻影など、この魔
法空間に侵入できるはずがない。問題は、オットーほどの魔法使いに気付かれるこ
となく接近したことだ。しかも、叩きつけるように激しい魔法を感じさせながら、
その実体も霊体も見つけることができない。
----オットー・クラウセン。申し訳ないが、君をドレスデンから出すわけにはいか
ない。
----誰なんだ!
----君はぼくを知らないよ。
----ドレスデンが外部から遮断されているのだ!オットーは怒鳴った。誰かに知ら
せなければならない!
----無駄だよ。
----なぜ?
----ぼくが阻止するからさ。不本意ながらね。
とっさにオットーは防御姿勢を取った。
同時に圧倒的な、経験したことのないような強烈な力がオットーに襲いかかった。
突然、マンチェック中佐のVVが、全てブラックアウトした。
「なんだ!」マンチェックは、音声とシグとの両方で叫んだ。答えは音声で返って
きた。
「爆発的な魔法波紋を検知。センサー素子の46パーセントが消滅しました」
「MIが代替素子を展開中」
「魔法的擾乱は回復に向かいつつあります」
「トラップ群、全て正常位置」
「VVシステム、回復します」
マンチェックのVVが甦り、嵐のように情報が表示されはじめた。だが、中佐の
視線は、身動きすらしない少年に向けられていた。
アンソーヤはなおも数秒の間、呪文を唱えていたが、やがてゆっくりと目を開い
た。
「終わったよ。彼は押し戻した」
ドレスデン総合大学では、学生たちが凝固したままのオットー・クラウセンを、
希望と期待をこめて見つめていた。
不意に、どやしつけられたような痛みが、人々の頭の奥深くに生じた。魔法の経
験が深い者ほど、その衝撃は大きかった。
同時にオットーの身体の輪郭が、解像度の低い3Dホロのようにゆらりと揺れた。
オットーは何かを叫ぶように口を開いたが、飛び出したのは言葉ではなく、大量の
血液だった。
人々は悲鳴をあげて後ずさった。
オットーに手首を掴まれたままの女子学生は悲鳴をあげた。飛び散った鮮血に怯
えたのではない。破壊的なまでに強力な波紋が、オットーから伝播されてくるのを
感じ取ったからだった。パニックに陥った女子学生は、身を護る初歩的な呪文すら
思い出すことができなかった。
まもなく、女子学生の身体は、オットーから逆流した波紋によって、ぼろぼろに
されていった。