AWC 勝たねばならない理由 (上)   永山


        
#3641/5495 長編
★タイトル (AZA     )  96/12/24  23:33  (147)
勝たねばならない理由 (上)   永山
★内容
坂木、伏兵に屈す
 **オリンピック、男子柔道七十八キロ級でメダルの期待された日本の坂木
大成は、緒戦となった二回戦はオーストラリアのトッドマンに背負い投げから
一本勝ちを収めたものの、続く三回戦、ユトヴィアのバークリッジに判定で敗
れた。坂木はこの試合で両肘を負傷、敗者復活戦に回る権利を放棄し、メダル
には手が届かなかった。(十七面に詳細)

 金:レッド=バークリッジ(ユトヴィア)
 銀:ナム=サンコン(韓国)
 銅:ピーター=テルゲン(オランダ)
   レネ=ガルト(フランス)
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 坂木大成(日本・J工業)は三回戦敗退

*バークリッジ選手のコメント
 自分の国では柔道は普及し始めたばかりだと言うのに、こんな大きな大会で
勝てて、夢のような気分だ。誰も僕をマークしていなかったんだろう。今回は
運が良かった。これからもっと練習して、本当に強くなる。


 柔道場の扉が、そろそろと開けられた。女性の事務員が姿を見せる。
「坂木さんにお客様です!」
 坂木は相手の襟へと伸ばしかけた手を宙で止め、声に振り返った。
「ありがとう。どちらに行けばいい?」
「こちらに足を運ばれるそうですから、そのまましばらくお待ちください」
「分かった」
 事務員が行くのを見送ってから、坂木は練習相手に軽く一礼した。
「聞いての通りだ。すまないな」
「いえ、稽古をつけていただけただけで、光栄ですよ」
「時間が許すのなら、またあとで来るよ」
「ぜひ、お願いします」
 坂木は相手の若い男の態度に笑みを浮かべ、悠然ときびすを返した。緑の畳
に、汗の滴が落ちる。
「あ……。しまったな。着替えなくていいのかな」
 つい、独り言が出た。どんなお客さんなのか聞いていなかった。
 駆け足で道場の外に出る。
「えっと」
 見渡すと、それらしきスーツの人物がいた。十メートルほど向こうにいて、
視力の悪い坂木には顔が確認できないが、道場の方をずいぶん熱心に眺めてい
るとは分かった。黒っぽい鞄を手に、堂々と立っているその体躯はがっしりし
ており、長い手足を持っている。
 やはり着替えねばなるまいと考え、坂木は引っ込もうとした。
 が、声をかけてからの方がよかろうと、思い直した。
「私が坂木です。もうしばらく」
「坂木?」
 日本語の発音ではなかった。
 坂木が戸惑っている間にも、相手はどんどん近付いてくる。
「私です」
 アクセント等、微妙におかしなところはあったが、なかなか達者な日本語だ
った。
 相手が目の前五十センチほどに近付いたとき、初めて坂木は男の顔を認識で
きた。忘れようにも忘れられない顔……。
「あなたは……」
「お久しぶりです。レッド=バークリッジです」
 浅黒い肌をした若者が、懐かしさとうれしさを表情一杯に浮かべるのが見て
取れた。

 そのままの格好でいいですと言われた坂木は、眼鏡だけ取ってきて、かけた。
間違いなく、二年前に自分が負けた男だ。その彼が、今どうして眼前にいるの
か、分からない。
「よい道場です」
 道場の壁際に立ち、感嘆しているバークリッジ。
「あー、バークリッジ、さん」
「何でしょう?」
「ご用件は……」
「ご用件。私はあなたに会いたくて来たのです。それだけです」
 坂木の困惑は強まった。
「それだけのために? 何故、私なんかに……。あなたの国からここまで、飛
行機でも時間がかかるはず」
「日本に来た主目的は、ビジネスです。それに幸い、私はお金持ちになれまし
たから、大丈夫です」
「は、はあ」
 外国人の口からお金持ちなどという単語が出て来るのを目の当たりにすると、
おかしな気持ちがした。
「お金持ちになれたのは、オリンピックのおかげです」
「……ああ、金メダルを取って……」
 声のトーンが落ちたと、自分で分かった坂木。スポーツを金銭と結び付けた
くない意識がどこかで働くのかもしれない。
 相手の真意を測りかねながらも、坂木は愛想笑いを浮かべた。
「国の英雄という訳ですね」
「そ、そうです。でも、そのことで私は坂木さんに謝りたい」
「謝る……?」
 太い首を傾げる坂木。実際、意味がさっぱり分からない。
「何故、あなたが謝るんですか」
「私は勝つために、優勝するために、何でもしました。もちろん、ルールの範
囲内で許されたことに限られます。私は必死に研究しました。相手が嫌がるこ
とをして勝とうと思いました」
 早口になったバークリッジの口元を見据えながら、坂木は思い出していた。
オリンピックで当たったとき、彼は確かに嫌な戦法を取ってきたものだったな、
と。その、徹底的に肘関節を狙う戦法にペースを乱された坂木は、攻め手を欠
いて時間切れまで持ち込まれ、旗判定に泣いたのだ。挙げ句に、両肘を痛めた
坂木は、やむなく敗者復活戦を辞退したのである。
「そんなこと、気にしなくていいでしょう」
 確かに嫌な戦法だったが、反則ではない。坂木にしても、今さらどうこう言
うつもりは毛頭ない。
「そう言ってもらえるとほっとします」
 実際に胸をなで下ろすポーズのバークリッジ。
「けれども、空しさを感じたのです。実力で勝ったのではないことは、自分自
身、よく分かっています。お願いします」
 その外国人は、突然、坂木に頭を下げてきた。
「私と戦ってください」
「……何を言い出すかと思いましたが……」
 思わぬ勝負の申し込みに、坂木は顔中から汗が吹き出すのを意識した。
「要するに、勝ちはしたけれどもオリンピックのときの戦い方に納得できない
ので、私と再び戦いに来たのですか」
「そうです。頼みます」
「ううーん。今からですか、その勝負をやるとしたら?」
「はい。調整不足とお言いになるかもしれません。しかし、私も飛行機で着い
たばかりです。条件は五分五分と考えてください」
 熱心な言葉に添えて、真摯な眼差しを向けてくる。坂木は折れた。
「分かりました。やりましょう。はるばる来られたあなたを、むげに追い返す
訳にもいかない」
「やってもらえるのですか? どうもありがとう!」
 大きく手を広げ、バークリッジは満面に感謝の念をたたえている。
 坂木は苦笑しながら、確認をした。
「もちろん、公式戦ではなく、練習試合という形式になりますよ。それでいい
んですね」
「はい、かまいません」
「柔道着は……」
「持って来ています」
 金メダリストは、手にした鞄を軽く持ち上げた。

 バークリッジがかまわないと言うので、審判は先ほどまで坂木に稽古をつけ
てもらっていた若手柔道部員が行うことになった。
(……ほう)
 着替えて現れたバークリッジに、坂木は感心させられた。
(オリンピック以来、国際舞台には出て来ないと思っていたが……なかなかど
うして、鍛え込んである)
 わずかに覗く腕や首筋からだけでも、相手の稽古量は相当なものだと想像さ
れた。ほんの少し、身体が大きくなったようだが、それは不摂生からではなく、
成長しているようだ。やがて階級が合わなくなる日が来るだろう。
(対戦できるチャンスは多くないかもしれないな)
 坂木は気合いが入った。面にこそ出さずに来たが、オリンピックでの敗北以
来、いつかは再戦し、倒してやろうと考えていた。
「坂木選手、よろしくお願いします」
 畳に足を踏み入れる前に、バークリッジはきちんと頭を下げてきた。柔道本
来の礼節であるが、守っていない選手も多い。
「ああ、こちらこそ」
 すでに場内にいた坂木も軽く礼をしてから、審判の若者を見やった。
「頼む。ルールは国際」
「あ、はい」
 いくらか緊張している様子の審判は、裏返り気味の声で「正面に礼!」「互
いに礼!」と発した。そして。
「始めぃ!」
 試合開始。審判の手の中にあるストップウォッチが動き出す。

−−続く




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