#3642/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/12/24 23:35 (138)
勝たねばならない理由 (下) 永山
★内容
どっしり構えながらも、両腕を自らの胸にぴたりと引き寄せている坂木。肘
関節を狙われた経験から、腕を取られないよう警戒する。
ところが、バークリッジの戦法は、二年前とは違った。
身体の向きはやや斜めではあったが、すっと前に出ると、長い腕を伸ばして
きた。坂木の奥襟を掴み、コントロールしようという腹らしい。
予想外の展開に、坂木は警戒心を強めた。上体を起こし、首根っこを押さえ
られないようにする。それからおもむろに、出て来る相手の右足に、己の右足
を飛ばした。
かわされた。
バークリッジは素早く身体を密着させてきて、坂木の身体に組み付くと、不
充分な体勢のまま投げを仕掛けてくる。
「っ!」
両者とも、畳に転がる。互いに寝技に行こうとしたが、降着する。
「待てっ」
審判のストップの声。坂木は息をつきながら立ち上がった。
(戦い方が、まるで違う……)
坂木は、投げそのものは余裕を持って受け流した。しかし、二年前とはがら
りと違う正攻法の相手に、戸惑いを感じる。
(関節を狙わない? それとも、ここぞというときまで温存か……)
「残り時間、三分五十三秒です」
時間の電光掲示ができないので、審判が口頭で伝える。
「バークリッジ選手、オーケーですか?」
伝わっているのかどうか心配したのだろう。若手部員は外国人に尋ねた。
「オーケー」
わずかに乱れた息づかいで、バークリッジは答えた。
試合再開。
バークリッジは再び腕を伸ばしてきた。
(罠なのか?)
適度に手や足を出しながら、逡巡する坂木。
(あの腕を取れば背負えるだろう。しかし、それを待っているとしたら、肘を
やられてしまいかねない)
体格差のため、徐々に押され始めた。このままでは消極的と見なされ、反則
を取られてしまう。
(練習試合で、反則による優劣で勝負を決するのはあまりにも情けない。こう
なったら一か八か)
意を決した坂木は、バークリッジの左腕の手首をがっしり掴むと、自らの身
体の向きを百八十度換え、相手の身体に自分の背を密着させる。相手を腰に乗
せる風に担ぎ、一気に一本背負いをかけた−−。
「完敗です」
腰を床に降ろし、壁にもたれ掛かるバークリッジは、息を弾ませながら汗を
ぬぐった。
「いや、たまたまです……」
坂木は戸惑いを消せぬまま応じる。一本背負いの手応えは充分だった。だが、
何か違う。
「バークリッジさん。何故、あなたは関節技を使わなかったのですか?」
「使えなかった……と言っても信じてもらえないでしょうか」
含み笑いをするバークリッジ。坂木も苦笑した。
「最初は罠かと考えたが、結局、最後まであなたは関節を取りに来なかった」
「……日本式の柔道で、あなたとやってみたかったのです」
「日本式の柔道、ですか」
相手の顔を覗き込む坂木。バークリッジは大きくうなずいた。
「私の考え違いかもしれませんが、日本の柔道は何よりもまず、正統な投げ技
優先ではないですか? 関節技はもちろんのこと、寝技も投げより下のようで
すし、いわゆるレスリング流の投げも卑怯な手と見なされているような気がし
ます」
「……まあ、そうですね。それが?」
「二年前、私は何としてでも優勝したかった。だから、勝つために自分に合っ
た最善の戦法を研究しました。行き着いた結論が、関節技です。本来の柔道と
はかけ離れたスタイルでしょうが、キャリアの浅い私にはこれしかなかったの
です」
「浅いとは、どのぐらいですか?」
「今現在で、柔道歴は六年ほどになるでしょうか。オリンピックの四年前、つ
まり前々回のオリンピックをテレビで観て、柔道を知りました。すぐに始めま
した。我が国には柔道をやっている者がほとんどいませんでした。だから、代
表になるのはたやすいだろうという考えからです」
坂木は感心しないなと首を捻りながら、質問した。
「どうしてそんなに代表になりたがったのです?」
「先ほども言いました。お金のためです。必要だったのです。私の弟は心臓病
を持っていたのですが、手術費用さえあれば治ると診断されました。そのため
に、なるべく短期間でなるべく多くのお金を得られる仕事を、私は探していた。
やっと見つけたのが、柔道でオリンピックに出て、メダルを取ることです。そ
れも、できれば金メダルを」
捲くし立てるように、バークリッジ。彼の話に、坂木は半ば圧倒されていた。
「オリンピックで銅メダルを取れば、百万ユビーが国から出ます。ああ、ユビ
ーとは私の国のお金の単位です。銀なら三百万、金なら五百万。その他にも色
色とスポンサーが付き、お金が入ってきます。名誉ももちろん手にできますが、
やはりお金です。日本は違うそうですね?」
「あ? え、ええ。まあ、多少は入ってきますが、雀の涙……微々たる物です。
いや、そもそも、我が国ではアマチュア精神が強く、お金を受け取ることは歓
迎されない」
「すみません。こんな理由で柔道を始めたなんて」
殊勝にも、頭を下げてきたバークリッジ。坂木は慌てて手を振った。
「何を。やめてください。国には国の事情というものもあるでしょうし」
「しかし、私の実力は、たった今証明されたばかりです。正攻法ではただの…
…そう、でくの坊、ですね」
自嘲気味に笑うと、畳を眺めやるバークリッジ。
「私が一戦を交えてくれるようお願いした理由と、関節技を使わなかった理由、
お分かりになっていただけましたか?」
「……よく分かりましたよ」
「これからは、投げ技の腕を磨きます」
「それは強くなるためにはいいことだと思う……。だが、私は」
坂木はバークリッジへ改めて向き直り、まっすぐに相手を見つめた。
「関節技を使うあなたと戦ってみたい。そしてできれば、勝ちたい」
坂木の申し出に対し、驚いたように目を丸くしたバークリッジだったが、す
ぐに相好を崩した。
「……サンキュ。分かりました。今すぐは無理ですが、世界選手権かオリンピ
ックのような大舞台で、やりましょう」
「ええ、ぜひ」
「そのときまでに、私は投げ技を身に着け、きっと強くなって見せます」
「金メダリストが、そこまで謙遜することはないでしょう。ははは」
坂木が笑うと、バークリッジもどこか照れたように笑い出した。
飛び立ったばかりの機内で、早くもまどろんでいたバークリッジは、隣の同
僚に揺り起こされた。
「何だ?」
「富士山が見える」
丸窓を指差す同僚に、バークリッジは鼻を鳴らした。
「来るときも見たじゃないか」
「きれいじゃないか。少し潰れたような山だが、実に美しい。日本びいきの君
のことだ、記憶に焼き付けておきたいと思って、起こしてやったんだぜ」
「柔道をやっているだけだよ」
前を向いたバークリッジ。
隣席の同僚は、不思議そうに聞いてくる。
「そう言えば、サカキだったかな? 日本の代表選手と再戦をしてきたんだっ
て? どうだった?」
「負けたよ」
素気なく答えるバークリッジ。
「そうか」
同僚は残念そうに、短く言った。しかしバークリッジの表情は笑っている。
「満足はしている」
「……負けて悔いはないという意味か?」
「うーん、ちょっと違うだろう。坂木の投げを受けてみたかったんだ」
「何でまた、そんな」
「あいつは強い。たまたまメダルには届かなかったが、実力はずば抜けている。
間違いなく強敵になる。だから、技を受けておきたかったのさ。オリンピック
では私のペースに引きずり込んでしまったから、坂木の技の力量を見ることが
できなかった」
「前、おまえのやり方で勝てたんだから、それでいいじゃないか」
「そこまで甘くないさ」
バークリッジは断言すると、口元を曲げて笑った。
「私の戦法を変えるつもりはないがね。相手の技を受けて、防ぐ術を見つける
ことが勝敗を大きく左右する。日本の柔道家は己の戦法をなかなか変えようと
しないから、攻め手さえ完封すれば絶対に勝てる」
バークリッジの口調は、自信に溢れていた。
「次のビジネスは、フランスがいいな。レネ=ガルトに会いたい」
−−終わり