AWC 「雪舞い」(11)        悠歩


        
#3623/5495 長編
★タイトル (RAD     )  96/12/24   0:13  (167)
「雪舞い」(11)        悠歩
★内容


 午前五時四十五分。
 目覚まし時計が鳴るより先に、お母さんは目を覚ました。
 目を覚ましたお母さんは、時計のアラームを止める。
 いつもの朝と同じように。もう三年は、目覚ましのアラームが鳴ったことはない。
「あら」
 洗面所に行こうとして、お母さんは舞雪の部屋のふすまが開いているのに気がつ
いた。「珍しいわね。舞雪、もう起きたの?」
 返事は返って来ない。
「舞雪」
 怪訝に思って、お母さんはふすまを開いた。
 綺麗にたたまれた布団。
 舞雪の姿はない。
「舞雪、どこ、どこなの?」
 夕べの会話を思い出し、不安になる。
 机を見ると、開かれたノートがあった。
 なにか書いて有る。
『お父さん、お母さん、今日までありがとうございました』
 見間違うはずもない、舞雪の字。
 震えるお母さんの手。
「あなた、あなた、起きて下さい」
 お母さんは、もつれそうな足どりで駆け出した。


「よ、よう。おはよう、紗紀」
 珍しく、一人で歩いている紗紀を見付けて、努は声を掛けた。
 紗紀は立ち止まって、後ろを振り返った。
「あ、田崎くん………おはよう」
 疲れたような笑顔。
「今日は、一人か?」
「うん、わたし、病院から来たから」
「そっか」
 それから二人は、お互いに黙ったまま並んで歩いた。
 舞雪さえいれば、話しも弾むのだが、紗紀のような女の子とはどんな会話をすれ
ばいいのか分からない。
「あの、今日は休むのかと思ったけど………いいのか?」
 散々考えた結果の言葉を努は口にする。
「うん、直樹、今朝は落ち着いていたし。わたしは休みたかったけど、お母さんが
学校に行きなさいって」
 話しながら微笑む紗紀が、痛々しく思えた。
「そうか………おまえも、大変だな」
「あっ」
 紗紀が小さく声を上げた。
 角から出てきた男の子と、ぶつかりそうになったのだ。
「ご、ごめんなさい。あ、木崎………さん」
「よう、仁史。おはよう」
 角から出てきた男の子は、仁史だった。
「おはよう、田崎くん。お、おはよう………木崎さん」
「おはよう、結城くん」
 努は、一段と空気が重くなるのを感じた。
『なんか苦手なんだよ、こういう雰囲気』
 秘かに思う。
 とにかく、教室に急ごう。
 舞雪と逢えば、紗紀も少しは元気になるだろう。
 努は思った。

 教室に舞雪の姿はなかった。
 三人はそれぞれの席に着く。
『舞雪のヤツ、こんな日は気をきかせて、早めに来ればいいのに』
 紗紀の方をちらりと見ながら、努は思った。
 いつも以上に、紗紀は寂しそうに見える。
 ふと仁史の方を見ると、いつものように本を読んでいた。ところが、妙に落ち着
きがない。視線が本の上に、とどまっている時間が少ないのだ。頻繁に移動する、
仁史の視線の先には、紗紀の姿があった。
『なにがあったか知らないけど、仁史のヤツ、変わってきたな』
 それはいいことだと思う。
 このまま行けば、もしかすると仁史と紗紀も友だちになれるかも知れない。
 けれどまだそれには、時間が掛かるだろう。
 とりあえず、いまの紗紀を元気づけられるのは舞雪だけだろう。
 ところがその日、始業のチャイムが鳴っても、舞雪は教室に姿を現さなかった。


「ふぁっ」
 駅に降り立った舞雪は、胸一杯に空気を吸い込んだ。
 冷たく冷えた空気で、肺が充たされていく。それか気持ちよかった。
「それにしても、いい気持ち」
 もう一度深呼吸をしながら、手足を思いきり伸ばす。
 小学生が平日に一人で電車に乗ることは、想像以上に目立つことだった。ここに
たどり着くまで、何人の人に声を掛けられたか知れない。
 その度に、もう学校が冬休みに入ったとか、前の車両にお母さんがいるのだと言っ
てごまかして来た。
 その後は、出来るだけ目立たないように、身体を縮めるようにして来た。もっと
も、その間も声を掛けられたので、効き目はなかったようだが。
 とにかくまずは目的の駅に着いたことで、やっと自由になれたような気がする。
「さあて、これからどうしょう」
 辺りを見渡してみる。
 駅前は綺麗に整備され、モダンな造りの商店やビルが立ち並んでいたが、人影は
疎らだった。駅前を少し離れた場所には、建物らしい建物は見あたらない。
そういえば、この駅で電車を降りたのは、舞雪の他には二、三人だけだった。
「あっちのほうの、はずだけど」
 初めて来た土地ではあったが、行くべき場所の見当はついていた。いや、初めて
と言うのは正しくない。
 前にこの土地に来たことがある。目も開かない赤ちゃんのころに。もしかすると、
自分の生まれた土地なのかも知れない。
 誰に訊いたのでもない。
 この土地については、お父さんたちも舞雪に話してはいなかった。
 けれど舞雪は知っていた。
 舞雪の心の奥深くから湧いてくる記憶に、この土地のことが刻まれていたのだ。
 そして、自分が何者であるのかも。
 本当は忘れたかった記憶。
 忘れようとした記憶。
 だがいまは、舞雪自らがその記憶を頼りにここまで来た。
 もしかすると、それで紗紀の力になれるかも知れないと言う想いから。
「あの、すみません」
「あん?」
 舞雪はコンビニから出てきた、若い男の人に声を掛けた。
 作業服にジャンバーを羽織った男の人は、弁当の入った袋を腕に下げ、両手をズ
ボンのポケットに入れている。寒いのだろう、呼び止められるとその場でたんたん
と足踏みをしながら、舞雪のほうを見ていた。
「なんだい、お嬢ちゃん」
「あの、真穂露村ってこっちの方角でいいんですか?」
 舞雪は向こうに見える山陰を指さして尋ねた。
「ああん、真穂露村だあ? そりゃあ、お嬢ちゃんが生まれるずっと前に、廃村に
なった村じゃねぇか。たしかに、あの山んなかにあった村だけどよ。よく知ってた
な」
「そうですか、どうもありがとうございます」
 舞雪はお礼を言って頭を下げた。そしてその山のほうに向かって、歩き出した。
「待ちなよ、お嬢ちゃん。それを訊いて、どうしようってんだい」
「わたし、村に行かなくちゃならないんです」
 足を止めずに舞雪は答える。
「村に行くって………おい、誰もいない村なんだぞ。それに、おい、学校はもう休
みなのか?」
 これ以上、ここにいたらまずいと思い、舞雪は走り出した。
「おい、お嬢ちゃん」
 後ろから男の人が呼んでいる。
「ごめんなさい、わたし、どうしても、行かなくちゃ」
 振り向かず、叫んだ。


 駅から少し離れると、あちこちに真新しい雪が残っていた。
 ごく最近降ったのだろう。もしかすると昨日のものかも知れない。
 山沿いに伸びる道路を、もう二十分は歩いただろうか。時計を持っていないので、
時間が分からない。
 車の通りが少ないせいか、特に道路の端には雪が多く、歩きにくい。
 寒さには強いのが自慢の舞雪だったが、お気に入りのオレンジ色のボアつきコー
トの中の身体も冷えてきた。
「寒いなあ………これくらいの寒さでまいってて、これから大丈夫なのかな。それ
に、喉もかわいちゃった」
 心細くなって足を止める。
 見上げると道路は、まだまだ上へと続いている。
 このずっと向こうに、舞雪の行こうとしている場所がある。そして………
 そこに行ってしまえば、二度と戻ってくることは出来ないだろう。
「やっぱり、帰ろうかな」
 お父さんやお母さんの顔が目に浮かぶ。
 手も足も、身体も顔も冷たくなっているのに、目の周りだけが熱くなった。その
熱さが、頬を伝わる。そして次第に冷たくなった涙が、ひとつふたつと、雪の上に
落ちた。
「いまなら、まだ帰れる」
 決心してきたはずなのに、そう思ったらいたたまれなくなる。くるりと向きを変
え、いま来た道を走って戻り出す。
 たくさんの顔が浮かんで来る。
 お父さん、お母さん。
 学校の先生、クラスメイトの一人一人。
 そして、紗紀と直樹。
 駆け足が、歩きにかわり、やがて立ち止まる。
「だめ………やっぱり、帰れないよぉ」
 うずくまって舞雪は泣いた。

 もう迷わない。
 舞雪は決めた。
 わたしはわたしのあるべき姿に帰るのだと。
 辛くない。
 わたしにはたくさんの想い出がある。
 お父さん、お母さん、田崎くん、紗紀ちゃん………
 みんなと暮らした想い出、楽しく遊んだ想い出。
 だから、最後に紗紀ちゃんに返せる物を返し、あるべき姿へ帰ろう。




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