AWC 「雪舞い」(6)         悠歩


        
#3618/5495 長編
★タイトル (RAD     )  96/12/24   0:10  (140)
「雪舞い」(6)         悠歩
★内容

「仁史はさっき、わたしが幸せかって訊いたわね」
「うん、訊いた…」
「わたしは幸せだって答えたけれど、ちょっと変えるわ」
「いまは幸せじゃないって言うの?」
「ううん、そうじゃない、幸せよ。でもあの頃も、決して不幸だとは思わなかった」
「?」
「パパの会社が危なくなって、パパもママも毎日のように、いろんな人に頭を下げ
て、夜遅くまで働いて。確かに身体はくたくただった」
「それが不幸じゃないなんて、絶対おかしいよ」
 仁史は抗議する。
 あの頃の自分たちの不幸。
 それが今日まで紗紀たちを怨んできた仁史の心の、いまでは最後の拠り所に思え
たからだ。それが崩れてしまえば、今日の紗紀に対しての行為を正当化する理由が
無くなってしまう。
 しかし、そんな仁史の想いを知ってか知らずか、ママは優しく言葉を続けた。
「それまで住んでいた家も売ってしまって、アパートの小さな部屋で親子三人、肩
を寄せ合うように暮らして来たけれど、わたしはパパやあなたの温もりが感じられ
るようで幸せだった」
「ぬくもり……」
「パパもママも遅くまで働いて、あなたには寂しい思いをさせたかも知れないけど。
わたしはね、どんなに外で辛いことがあっても、どんなに身体が疲れていても、部
屋のドアを開けると嬉しそうな笑顔であなたが迎えてくれる。その笑顔を思うだけ
で、どんな事にも耐えられたの。きっとパパも同じだったと思う」
「ぼくの笑顔」
「そうよ」
 ママは微笑んだ。
 笑顔。
 あの頃、一人で部屋にいることが、何よりも辛かった。
 パパやママが帰ってくる事が何よりも楽しみだった。
 ドアが開いて、パパやママが現れると寒々とした部屋が、春のように暖かくなる
のを感じた。
 涙が出るほど嬉しかった。
 ぼくは笑った。
 出来るかぎりの最高の笑顔で。
 ぼくの笑顔がママを幸せにしていた。
 そんなものが、ママを支えていた。
 でも今は? 今はどうだろう。
 ぼくは笑わない。笑わなくなった。
 テレビゲームも自転車も、洋服も食べ物も。
 友だちの持っている物は、なんでも持っている。
 友だちよりも最高の物を持っている。
 欲しがれば大抵の物は買ってもらえた。
 それが当たり前になっていたから、いまさら喜ばない。
 いま笑うことがあるとしたら、それは友だちより自分が優位にいるという笑い。
「ママは思うの。確かにあの頃、パパとママは苦労した。あなたにも辛い思いをさ
せたかも知れない。でも家族三人が力を合わせて、頑張ってきた。家族がそれぞれ
自分の出来る事を精一杯にやってきた。それは決して不幸な事じゃない。いいえ、
幸せだったって。もちろん、今だって幸せよ。でも、今の幸せもあの頃頑張ってき
た結果じゃないかしら。パパの会社も、もしあの時、あんな風になっていなければ、
今ほど大きくはならなかったのかも知れない…」
 あの頃も幸せだった。
 仁史はママの言うことを完全に納得は出来なかった。
 けれどあの時、パパやママを迎えた瞬間ほど嬉しかった事はない。
 あのアパートを出て、大きな今の家に引っ越して、自分の部屋を持つようになっ
てからは、あの時ほどパパやママと一緒にいる時間はなくなった。
 それが不幸だとは思わない。
 あの頃に苦労した結果、得たものなのだ。幸せでなければならない。
「よく、分からないけど……」
 仁史は口を開く。
 言いたいことはまとまらない、考えもまとまらない。
 けれども口を開いた。
 なにかを話さずにはいられなかった。
「ぼくはこれまでぼくが思ってきたことが、間違いだなんて思わない。思いたくも
ないんだ。けど、ママの言う事も、なんとなく分かるような気もするんだ。気がす
るだけかも知れないけど」
「今はそれで充分よ」
 ママは言う。
「あなたにはあなたの考えがある。当然のことよ。まして、あなたも苦労したなか
で生まれた考えだから、それをママがどうこう言えないのかも知れない。でもね、
人を怨んでも仕方ないと思うの。紗紀さんと何があったか、知らないけれど、それ
はあの子の罪じゃないんでしょ?」
「分からない…」
「えっ」
「ママの話を訊いても、ぼくが間違っていたとは思えない…って言うか、思いたく
ないんだ。でも、ぼくが本当に正しいのか自信もなくなっちゃった。少し考えてみ
たいんだ」
「そうね」
 ママは呆れたのだろうか、いや微笑んでいるようにも見えた。
「あら、ママったら随分長いことお喋りしてしまったみたいね。仁史のお勉強を、
すっかり邪魔してしまったわ」
 時計を見て、ママは言った。
「そんな事ないよ。あ、でも、そろそろ寝ようかな」
「そうね、そうしたほうがいいわ。お休み、仁史」
「お休みなさい、ママ」
 部屋を出ようとしていたママは振り返って言った。
「あ、それから………大事な事を言い忘れたけど、あれから木崎さんの奥さん、毎
月少しずつお金を返してしれているわ。病気のお子さんを抱えて大変だろうに。だ
からパパとママは、あのお金はお貸ししたものだと思うようにしているの」
「………」
 ママが部屋を出ていくのを見送って、仁史は机の上を片づけ始めた。


 さくっ、さくっ、と心地よい音が響く。
 舞雪と紗紀はアスファルトの道を避け、わざわざ霜柱の立った土の上を選んで歩
く。
 二人の小さな足跡が、霜柱の上に点々と刻まれていく。
 ほっ、ほっ、と白い息が二人の口もとからたち昇る。
「あー、もうだめ。わたし、ギブアップ」
 紗紀は霜柱の上から、ぽんと跳ねてアスファルトの上に飛び移る。
「うー、足が冷たくなっちゃった」
 たん、たん、と紗紀はその場で足踏みをする。それにあわせて編み込まれた長い
髪が、くるん、くるん、と弧を描く。
 思わず足を止め、舞雪はその姿に見とれた。
「どうかしたの?」
 そんな舞雪の視線に気が付いたのだろう。紗紀が不思議そうに言った。
「ん、紗紀ちゃんて可愛いなあって思って」
「やだ、舞雪ちゃん、なんかへん」
 紗紀はくすりと笑った。
 その笑顔だよ、と舞雪は思う。
 同じ女の子の舞雪が素敵に思うのだから、男の子たちにはもっと魅力的に見える
に違いない。
 紗紀はもっと笑うべきだ、と思う。
「でも舞雪ちゃんは、足、平気なの」
 いつまでも霜柱の上に立っている舞雪に、紗紀は言った。
「わたしはまだ、ぜんぜん平気」
「舞雪ちゃんって、寒いのに強いね」
 紗紀は感心しているようだ。
「うん、逆に暑いのは苦手だけど、寒いのや冷たいのって、平気なんだ。冬に生ま
れたせいかな」
「クリスマスだよね、舞雪ちゃんの誕生日。なんか素敵」
「そうでもないよ。誕生日のプレゼントと、クリスマスのプレゼントと一緒だから、
なんかそんだもの」
 言ってから、しまったと思う。
 紗紀にはクリスマスも誕生日もない。
 それを知っていながら、無神経なことを言ってしまう、自分を心の中で罵った。
「今年は雪が降るといいなあ」
「えっ」
 舞雪の想いを察したのか、気にもとめなかったのか、紗紀は笑顔で話しを続けた。
「ホワイトクリスマスって言うでしょ? やっぱり、クリスマスには雪が降ってく
れると、気分が出ていいなあ。わたしが小さい時に一度、あったけれど………」
 笑顔が消え、ふと寂しそうな表情になる。
 お父さんのいた頃の、クリスマスを思い出したのかも知れない。
「だから、直樹にも一度くらい、雪のクリスマスを見せてあげたいなあ、なんて思っ
たの」
 再び笑顔になって紗紀は言った。
「あ、舞雪ちゃん、急がないと遅刻するわ」
「わっ、大変。走ろう、紗紀ちゃん」
「うん」
 二人は駆け出した。




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