AWC 「雪舞い」(5)         悠歩


        
#3617/5495 長編
★タイトル (RAD     )  96/12/24   0:10  (195)
「雪舞い」(5)         悠歩
★内容


 もやもやとした気持ち。それが何なのか分からない。
 けれど今日、紗紀との事があってから、仁史の気持ちは晴れなかった。
 紗紀にしたことを後悔しているのか?
 いや、後悔なんかするものか。
 あの事件の後、パパやママや、自分がどんなに辛い思いをした事か。
 ぼくは忘れない。
 仁史はそう思った。
 とんとん。
 部屋の戸を叩く音がして、仁史は手にした鉛筆の動きを止めた。
「はい、どうぞ」
 仁史の声を待っていたように、戸が静かに開かれ、ママが部屋へ入ってきた。湯
気の立つミルクを手に持って。
「勉強はまだ終わらないの?」
「うん、もう少しで区切りがつくから。そうしたら寝るよ」
「そう、じゃあこれを飲んで、身体を暖めてお休みなさいね」
 お母さんは机の上にミルクを置くと、部屋を出て行こうとした。
「ねえ、ママ」
 仁史はおママを呼び止める。
「今夜もパパ、帰りは遅いの………」
「いま電話が有ったわ。接待が長引いたから、今日は泊まって来るって」
 最後にお父さんの顔を見たのは、いつだったろう。そんな事を仁史は考えた。
「ママはいま、幸せ?」
 もやもやとした気持ちが、そんな言葉になって口をでた。
「仁史ったら、突然なにを言うの?」
 ママは不思議そうに仁史を見ていた。
「答えてよ、ママはいま、幸せなのか」
「ええ、幸せよ」
 少し考えて、ママはそう言った。
「そう、そうだよね、幸せだよね。あの時よりも」
「あの時?」
「お金が盗まれて、パパの会社が倒産しそうになった頃よりもだよ」
「あなた、なにかあったの? まさか、まさか学校で虐めにでも……」
 心配そうに言うママの言葉に、仁史はどきりとした。
「やだなあ、ぼくが虐められるわけ、ないじゃない」
 笑って否定する。
 そう、虐めになんてあってはいない。あってはいない………
 自分が紗紀にしたことは、虐めなのではないか。
 そう考えた途端、仁史の胸は痛くなった。
 ちがう、あれは虐めなんかじゃない。彼女の父親のせいで、自分たち家族は辛い
思いをしたんだ。
 だからあれくらいのことをする権利はある。
 しかし、いくら自分のした事を正当化しようとしても、もやもやとした気持ちは
晴れない。
「それならいいけれど………何かあったのなら、ひとりで悩まないで、ちゃんと話
しなさいね。ママもパパも、きっと仁史のちからになるから」
「だいじょうぶだよ、ママ。本当に虐められてなんかないから」
 ママは虐めを苦に、仁史が自殺をするのではないかと心配したのだろう。それを
察した仁史は、笑って否定した。
「それに、ぼくは、そんなに弱くないな」
 そうさ、強いんだ。
 仁史は思った。
 あの惨めで苦しい頃を堪えてきたのだ。あの頃と比べれば、いまは天国だ。
 どんなことがあったて、負けはしないと。
 そうだ。
 だからぼくは高いブランドの服を着る。
 あの頃着ることが出来なかったぶんだけ。
 だからぼくは紗紀を責める資格がある。
 あの頃ぼくらが苦しんだぶんだけ。
「そうさ、そうなんだ」
「えっ、なにが?」
 思わず口に出してしまった言葉を、ママが聞き返してきた。
「ん、あ…なんでもない。そうだ、ママ」
 ママだって同じに違いない。ママだって、あの頃は辛い思いをしていたんだ。
 借金取りに頭を下げ、おばあちゃんの形見の着物や宝石を売って、毎日夜遅くま
で働いて。
 きっと、あの男を怨んでいる。
「あいつのこと、怨んでるでしょ?」
 思い切って、訊いてみる。
「あいつて」
「パパの会社のお金を盗んだヤツだよ」
 ええ、怨んでいるわ。
 そう答えると思っていた。
 けれどママは悲しそうに顔を曇らせた。
「仁史、あなたは怨んでいるの」
「当たり前だよ。あいつのせいで、みんな惨めな思いをしたんじゃないか。怨んで
いる………あいつも、あいつの家族も」
「紗紀、さんね」
 ママが紗紀の名を口にする。
「紗紀さんとなにかあったの」
「べ、別に。ただぼくは、あいつの娘がぼくと同じ学校の、同じクラスにいること
が我慢出来ないだけだよ」
 ママはゆっくりと、ベッドの上に腰掛けた。そして改まったように仁史の顔を見
つめ、言った。
「あの頃、あなたは小さかったから、まだなにも分からないだろうと思って話さな
かったけれど………それがいけなかったのね」
「なんの……こと?」
「木崎さんが、どうしてお金が必要だったかは、知っているわね?」
「子どもが病気だったからでしょ」
「そう、直樹くんって言ったわね。まだ赤ちゃんだったけれど。生まれてすぐに、
心臓の病気が見つかって、手術しなければ助からなかったそうよ」
「その話は聞いてるよ」
 少しふてくされながら、仁史は言った。
 諭すかのように話す、ママが面白くなかったのだ。まるでママは、紗紀の父親の
ことを怨んではいないように思える。
 それが気に入らなかった。
「ママは、お金を盗んだヤツを怨んでないの?」
 仁史が訊くと、ママ少し考えてから、こう言った。
「初めは怨んだわ」
「ほら、やっぱり。だったらぼくが、彼女に何をしたって………」
「仁史」
 興奮した仁史の言葉を、ママの声がさえぎる。
「やっぱり、紗紀さんとなにかあったのね。あなた、紗紀さんになにをしたの」
 ママの口調は、いつになく厳しいものだった。
 こんなママを見るのは初めてだ。
「………」
 仁史はママの目を見つめた。
 ママの目は、怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。
 いまママだって言ったじゃないか、あいつを怨んでいると。
 同じようにぼくも怨んでいる。
 ぼくやママ、そしてパパに辛い思いをさせたあいつを。
 あいつが死んでいないのなら、その家族を怨んで当然じゃないか。
 パパやママが頑張って、会社はまた大きくなって、贅沢が出来るようになった。
でもあいつの家族は貧しいままだ。
 それなら、ぼくはその事を笑ってやる。
「もし、もしもよ………」
 ママは小さな声で言ったので、興奮していた仁史は、危うく聞き逃すところだっ
た。
「あの時、パパとママは考えたの。木崎さんとわたしたちが、逆の立場だったら、
わたしたちはどうしただろうって」
「なに、それ」
「あなたにはまだ分からないかも知れないけれど、わたしたちも子どもを持つ親と
して、木崎さんの気持ちが理解出来るの。もし仁史が病気になって、手術をしなけ
れば助からないとしたら………。その手術にはたくさんのお金が必要だけれど、そ
んなお金が家にはないとしたら」
「だからって、人のお金を盗んでもいい、って事にはならないよ」
「そう、確かに木崎さんのした事を正当化は出来ない。でもね、子どもを助けたかっ
た、その気持ちは痛いほど分かるの。きっと木崎さんも苦しかったと思う。あの時、
会社がぎりぎりの状態だった事は、木崎さんも知っていたから」
「それは、どうかな」
 半ば揶揄するように、仁史は口を挟んだ。
「あいつは、お金を盗んだら会社がどうなるか分かっていた、ってことでしょ。つ
まりねぼくたちが苦しむ事を分かっていながら、自分の家族が幸せになる事を選ん
だんでしょ。でも、あいつは病気で死んでしまったし、お金を盗んでまで手術して
やった子も入院したまま、しかもあいつの家族は貧乏なまま、いい気味だよ」
 歪んだ笑みが口もとからこぼれる。自分でも嫌な笑みだと仁史は思った。
「間違っていたのかも知れないわ」
 そう言うママの目には涙が浮かんでいた。
「ママ………」
 その涙をみた途端、仁史の興奮は急激に冷めていった。
「あの頃、あなたにも辛い思いをさせたから、会社が持ち直してからは、着る物も
食べる物も自由にしてあげよう。同い年の子どもたちが持っている物さえ、買って
あげられなかった分を、取り戻してあげよう。そう思って、欲しがる物は出来るだ
け買ってあげるようにしてきたけれど、それがあなたから優しい気持ちをなくさせ
ることになったのかも」
「だから………」
 だから、その後が続かない。
 違うよ、ママは間違っていない。ぼくは優しい気持ちだって、ちゃんと持ってい
る。
 そう言いたかった。
 けれど言えない。
 やっぱりあいつは許せない。
 確かに事情も分かるが、パパの会社と自分の家族を天秤にかけて、家族を選んだ
あいつは許せない。
 それを優しさがないから、と言うのなら、その通りなのだろう。
 だが、どう考えてもあいつを許すことが優しさとは仁史には思えない。思えない
があいつの子どもの紗紀に対する自分の態度は………
 間違っていた、正しくない、そう思いたくない。
 思ってしまえば、あいつまで許してしまうような気が、仁史にはしたのだ。
「木崎さん……紗紀さんのお父さまはね、病気ではないのよ。自殺したの」
「えっ」
 一瞬、仁史の思考が止まった。
 自殺と言う、思いもしなかった言葉が、それまで仁史の頭の中を巡っていた様々
な想いを、どこかへと吹き飛ばしてしまった。
「たぶん、その事は紗紀さんも知らないと思うけど。息子さんの手術が成功したの
を知った後、ご自分とわたしたち両方の家族に、申し分けないことをしたと遺書を
残して。
 そのあと、奥さんがわたしたちを訪ねて来たわ。何度も何度も頭を地面に擦り付
けるようにして、謝ったの。奥さんも御主人が持ち帰ったお金の出所を、疑っては
いたけれど、そのまま手術代として使ってしまった。それほど切羽詰まっていたの
ね。
 初めはわたしたちも、とても許す気にはなれなかったけれど………必死に謝る奥
さんを見ていてね、もしわたしたちが逆の立場だったら………仁史が病気で手術を
受けなければ助からない。でもそのお金が無かったとしたら、きっと木崎さんと同
じ選択をしただろう。パパがね、そう言ったの」
 子を思う親の気持ち。それはまだ仁史に理解出来る物ではなかった。
 でも、その時のパパやママの自分に対する愛情の深さに、仁史の胸の中に熱い物
がこみ上げて来た。
「お金がなくなって、確かにとても困ったわ。でもその時の奥さんには、もうお金
は残っていない。木崎さんは自分の罪に苦しんで、自殺してしまった。
 どうせお金が戻って来ないのなら、残された木崎さんの家族を責めて苦しめても
仕方ない。それならば、せめて直樹くんという小さな命が、一時的にでも救われた
事を喜ぼう。パパとママはそう思ったの」
 あの頃、既にパパとママは紗紀たちを許していた。それを知らない仁史は、今日
までずっと恨み続けていた。
「それなら、どうしてそう言ってくれなかったの」
 仁史はそう言いたかった。しかし言えなかった。
 パパやママが許したから、許す。許さないから、怨む。
 そんな問題じゃない。ぼくの心の問題なんだ、と仁史は思った。
 パパやママは関係ない、自分の心が許せるのか許せないのか。
 許せなかった、今日までは。でも今日からは………
 許せるのか、今日まで許せなかったものを。
 例え事実がとうであれ、罪は罪だ。そのためにパパやママは、そして仁史は辛い
思いをしてきた。それは紛れもない事実。




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