#3614/5495 長編
★タイトル (RAD ) 96/12/24 0: 7 (153)
「雪舞い」(3) 悠歩
★内容
「こんにちは、直樹くん。こんにちは、おばさん」
舞雪の明るい声が、病室中に響き渡る。
「あ、舞雪お姉ちゃん、今日も来てくれたんだ」
六人部屋の一番窓側のベッドで横になっていた少年が、嬉しそうな声を上げて身
体を起こした。
出かけているのか、少年の他には入院患者の姿はない。
「こんにちは、舞雪ちゃん。いつもありがとうね」
ベッドの横で、リンゴを剥いていた女の人…紗紀と直樹のお母さんが微笑んだ。
「今日は顔色いいみたいだね、直樹くん」
そう言いながら、舞雪は人差し指で直樹の額を軽く押す。直樹は、そうやって触
れられる事が好きなのだ。
嬉しそうに笑って、「うん」と答えた。
「あら、今日はお仕事、早番じゃなかったの。お母さん?」
直樹の洗濯物を集めていたいた紗紀が、不思議そうに訊いた。
「ごめん、紗紀。急に人が休んじゃって、遅番頼まれちゃったのよ。直樹の事があ
るんで、一度抜け出して来たんだけれど、これからまた行かないと」
紗紀のお母さんは、剥き終わったリンゴを舞雪たちにもすすめてくれた。
「だから夕御飯の支度、出来ないから悪いけど、なにか適当に食べてね」
「うん、分かった………」
一瞬寂しそうな顔を見せたが、紗紀はすぐに笑顔を作って答えた。
「あの、おばさん」
「なに? 舞雪ちゃん」
「良かったら、紗紀ちゃんわたしんちに泊まってもらって、いいかしら」
「いいの、舞雪ちゃん」
答えたのは紗紀だった。
「でも………」
遅れて紗紀のお母さんが言った。
「ご迷惑じゃないかしら。先週も、お世話になったばかりだし」
「ううん、全然平気。家のお父さんやお母さんも、紗紀ちゃんのこと、気に入って
るもん。それに紗紀ちゃん、頭がいいから勉強も教えてもらえて、わたし、助かる
んだ」
舞雪は「えへへ」と笑いながら、舌を出して見せた。
「それにしたって、いきなり伺っては………」
「ならわたし、お母さんに電話してみるから」
言い終わらないうちに、舞雪は駆け出していた。
「お母さんも大歓迎、ぜひ泊まって下さいって」
病室を出て、二分と経たないうちに舞雪は駆け戻って来た。病院内を全力で走っ
て来たため、大きく肩で息をしていた。
「舞雪ちゃん、病院の中を走ったらいけないのよ」
そう言った紗紀は、とても嬉しそうだった。
「じゃあ、紗紀のことお願いするわ。お母さんには、後でお礼を言っておかないと
…ね」
そんな会話を聞いていた直樹が、「いいなあ、紗紀お姉ちゃん」と、寂しそうに
言った。
「あ、ゴメン、直樹くん………なんか、わたしはしゃぎ過ぎちゃった………」
紗紀も、そんな直樹を見て悲しそうな顔をする。
物心ついてから、六歳になる今日まで家で過ごした時間より、病室で過ごした時
間の方が長い直樹には親しい友だちがいない。
紗紀のように、友だちの家に呼ばれて泊まると言うことが、とても羨ましいのだ
ろう。
「ぼくも舞雪お姉ちゃんちに、行きたい」
「無理を言うんじゃありませんよ」
お母さんが優しくなだめる。
「また夜中に苦しくなったら、大変でしょ」
「ぼく、平気だよ。ちょっとくらいなら、我慢だって出来るし」
とうとう直樹は泣き出してしまった。
「泣かないで、直樹………」
辛そうに紗紀が言った。その目には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「ごめん、直樹くん………直樹くんの気持ちも考えないで、わたし、浮かれすぎて
たね。もうちょっと、もうちょっと我慢、してね。元気になったら、必ず直樹くん
のこと、ご招待するから」
舞雪は「元気になったら」と言う言葉の前に、「手術をして」と言いそうになっ
て、それをやめた。
直樹がその手術を恐がっているのを、知っていたからだ。
三人でしばらくの直樹をなだめていたが、お母さんは仕事に行くために、病室を
出なければいけない時間になった。
「さあ、あなたたちも」
そう促され、舞雪たちも一緒に病室を出ることにした。
酷く寂しがる直樹に、後ろ髪を惹かれる想いをしながら。
「わたしたち、まだ少し直樹くんといてもいいですよ」
病室を出た舞雪は、紗紀のお母さんにそう言った。
「ありがとう、舞雪ちゃん。でもね、わたしがいなくなってからでは、寂しがる直
樹を残して帰りにくくなるでしょ?」
「あっ」
確かにその通りだ、と舞雪は思った。
「紗紀」
紗紀のお母さんは、紗紀に話し掛ける。
「はい、お母さん」
「舞雪ちゃんのお家にお邪魔する前に、家に寄って洗濯物を置いてきてね」
「あ、それなら家のお母さんに洗ってもらった方が………」
「いいえ、それはいけないわ」
舞雪の申し出に、紗紀のお母さんは首を横に振った。
「そこまで、舞雪ちゃんやお家の人に甘える訳にはいかないの」
「でもおばさんは外で仕事をしていて大変だし、紗紀ちゃんだって………」
「舞雪ちゃんのお父さんだって、お仕事をしているでしょ。お母さんだって、お家
のことをやっているでしょ」
紗紀のお母さんは、優しく微笑む。
「それはそうだけど………」
舞雪は口ごもった。「紗紀ちゃんの家には、お父さんがいないから」とは言えな
い。
「それと一緒なの。確かにわたしの家はよその家とは違うけれど、それを言い訳に
人に頼ってはいけないの」
その言葉の意味は、舞雪には良く分からなかった。
良く判らなかったが、自分は紗紀たち家族に対して、何かとても失礼な事を言っ
てしまったように思えた。
「ごめんなさい、おばさん」
「ううん、謝らないで。舞雪ちゃんの気持ち、おばさんとっても嬉しいのよ。舞雪
ちゃんみたいな子が、紗紀と仲良くしてくれて感謝しているの」
そう言われて、舞雪の気持ちは楽になった。そして、少し気恥ずかしく感じた。
一度紗紀の家に寄ってから、二人が舞雪の家に着いたのは午後六時を少しまわっ
た頃だった。
舞雪の家は団地の四階。紗紀の家も、同じ団地内の別の棟に有る。
「お母さん、ただいま。紗紀ちゃん連れて来たよ」
「お邪魔します」
「あら紗紀ちゃん、いらっしゃい」
二人をエプロン姿のお母さんが、笑顔で迎えてくれた。
「お風呂が湧いているから、二人で入りなさいね」
「はあい」
返事をする二人の声が重なった。
「舞雪ちゃんの肌、綺麗」
湯船の中で、紗紀がうっとりとしたような声で言った。
「えー、そうかなあ。紗紀ちゃんの方が綺麗だと思うけど」
シャンプーで髪を泡立てながら、舞雪は答えた。
「ううん、わたしのは青白いだけ。でも舞雪ちゃんのは、本当に雪みたいに綺麗だ
わ」
「でもわたしの手足って、ひゃあ!」
シャワーで髪を洗おうとした舞雪は奇声を上げた。
「ど、とうしたの」
「ん、シャワーが水だった……… わたしの手足って傷だらけだよ」
舞雪はしばらくの間シャワーを流し放しにした後、手でお湯になった事を確認し
て、再びそれを頭に掛けなおした。
「不思議よね」
紗紀の声は、降り注ぐシャワーの音に混じり、どこか遠い所から聞こえてくるよ
うだった。
「舞雪ちゃんて、男の子以上に元気に外で遊んでいるのに。傷なんてちっとも目立っ
てないわ」
「わたしね、回復力が動物並みなのよ」
「なに、それ」
一通りシャンプーの泡を洗い流して、舞雪はシャワーを止める。
「ちっちゃいとき、外で転んだらね、そこに割れた瓶のかけらが落ちてたの。それ
で手を切っちゃって、三針縫ったのよ。でもほら、分んないでしょ」
舞雪は紗紀に右腕を見せる。
「お医者さんも驚いてた。傷跡が、こんなに綺麗に消えたのは初めて見るって」
それから舞雪は、湯船の中の紗紀の肩を軽く叩いて言った。
「さ、タッチ交代。今度は紗紀ちゃんが、髪を洗う番よ」
「えっ、舞雪ちゃんはリンスしないの?」
「いいよ、面倒だもん」
「だめよ」
紗紀は少し怒ったような顔になった。
「舞雪ちゃんは肌も髪の毛も綺麗なんだから、ちゃんとしないと」
「えーでもぉ」
「いいから、ね?」
紗紀の話し方は、まるで子どもをなだめる母親のようだった。
「しょうがないなあ。はあい、分かりました」