#3497/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 96/10/ 6 19: 5 (200)
ヴォールの紅玉(41) 青木無常
★内容
怒りの咆哮をあげて妖魔王が血走った目をむける。
間に合わない――!
が――太った魔道士がおのれの勝利を確信した、まさにその瞬間をつくようにして、
激烈な衝撃がガレンヴァールの背にたたきつけた。
アリユスか、と灼熱の後悔に歯がみしながら、衝撃に思わず球をとり落としつつ地
に打ちのめされた魔道士は、怒りに燃える目でふりかえった。
そして思いもかけぬ顔を、そこに見出した。
すずしげな美貌の青年の視線が、自分ではなく何か移動するものを追いかけている
のに気づいて、ハッとして太った邪法師はころがる紅球の行方に目を向けた。
飛びつこうとするより先に――枯れ枝のような手が、それをひろいあげるのを目撃
する。
巨体の衛兵にささえられるようにして老タグリは、よぼよぼとしたその動作にはま
るで似つかわしくないすばやさで――ひろいあげた玉をぺろりと飲みこんでいた。
ち、と、ガレンヴァールの背後でソルヴェニウスが舌をならす。
「“紅玉”はわたしがいただこうと考えていたのですが、ご主人さま」
言葉はていねいでも、口調には憎悪が燃え盛っていた。
首からさげた紫色の宝石に手をやり、異様な声音で呪文をとなえた。
「吐き出してもらいましょうか!」
叫び、宝石を指にたばさんだ手のひらを老タグリに向けた。
紫色の閃光が、球となって枯れ木のような老体に襲いかかった。
起きているのか眠っているのか判別さえつかなかった、しわにうもれた醜貌が、か、
と眼を見ひらいた。
紫色の閃光が命中する直前――ごくりと、大きく喉をならしてのみこんだ。
閃光に打たれて、巨体の衛兵ごと吹き飛ばされながら、にたりと笑った。
息子そっくりの、邪悪な笑顔だった。
「なんてこった」
怒りを通りこしてあきれたようにガレンヴァールがつぶやいた。
その後方でアリユスもまた、
「親子だわ」
と感心したようにひとりごちる。
「おのれ!」
と、憎悪をむき出しにしてかつてのおのれのあるじに向けてソルヴェニウスが疾走
し、飛びかかった。
いましも折れそうな貧弱な老体を、乱暴にゆすぶった。
「吐け! 吐け、この老醜の権化めが!」
わめきながら顎を圧搾し、ひらいた口から手をつっこんだ。
もがき、うめきながら老タグリは執事の手にかみついたが、歯のかけた顎でなかっ
たとしてもソルヴェニウスは屈服するつもりはなかった。
老タグリをたきつけてその妄執をかきたて、幾度となく探索させてユスフェラの様
子をさぐらせてきたのが、ソルヴェニウスであったのだ。
すべて、おのれが“紅玉”を――大地のごとき永遠の生命を手に入れるために企て
たことだった。
ここで妄執にとりつかれた無力な老人にそれを横どりされるわけには、いかなかっ
た。
「吐け! 吐け! 枯れ枝めが! ミイラめが! おまえにそれは必要ない! おれ
のものだ! 吐け!」
わめき、ずた袋の中身をさぐりまわすようにして荒々しい手つきで老人の口腔内を
かきまわしまくった。
死斑のうかんだ老人の顔が、紫色にふくれあがる。
怒りの咆哮をあげながら巨漢の衛兵が、ぬいた剣をソルヴェニウスの頭上にふりお
ろした。
その軌道上に――美貌の青年は、酸欠に膨張しながらなおもかみつく顎の力をゆる
めようとしないしなびた老人の身体を、投げつけるようにして持ちあげた。
ざく、といきおいのままに剣は老人の枯れ枝のような肉体を裂き――
老タグリの妄執にみちた双眸が、つきせぬ憎悪をこめてソルヴェニウスをにらみつ
けた。
エレア、としわがれた喉が懺悔の呼びかけをしぼり出したのを、ソルヴェニウスは
感覚で感じとっていた。
「愚かなり!」
叫んだ。
「おまえは最初から最後まで、わたしの手のひらの上で踊らされていたのだ! その
ことに、やっと今になって気づくとはな! さあ、吐け! 吐くのだ! この死にぞ
こないの猿めが! 吐け!」
ぐるりと、老人の目がうらがえった。
ふいに全身から力がぬける。
にやりと、美貌の青年は笑った。
「わたしの勝ちだ!」
叫んだ。
その背後から――
「いいや」
憮然とした声が、そういった。
ぎくりとしてふりかえったソルヴェニウスの頭上に――
白光が、ふりかかった。
おお! と叫びながらとっさに後退する。
が、剣先はそれを上まわる速度で前進し――
右肩のわきから背中にくいこみ、そのまま下方に向けて一気に下降した。
胴を縦一文字に断ち割られて、哄笑と驚愕とをその面貌に半々にとどめたまま、ソ
ルヴェニウスは絶命した。
手をつっこまれて絶息した老タグリのからだごと、ばたりと地に倒れ伏す。
なすすべもなく一部始終を見守るばかりだった巨漢の衛兵の前で――ダルガは怒り
にみちた視線を、妄執の権化たちに向けて投げおろしていた。
ぎろりと、その視線をあげてめぐらせた。
ガレンヴァールから――浮遊してことのなりゆきを見守る形の、サドラ・ヴァラヒ
ダまで。
赤子の姿をした妖魔王の上でその視線をぴたりと停止させ――吐き捨てるように、
口にする。
「おまえら、どいつもこいつも最低だ」
ぴしゃりと、決めつけた。
無表情に様子をうかがっていた赤ん坊の顔が――応じて、にたりと笑みをうかべる。
「わたしこそが、至高の存在なのだ」
傲然と、そう告げた。
「ほざけ!」
叫びざま、銀閃が赤子に向けてかけぬけた。
がきりと、見えない壁にはばまれた。
「無力なり」
赤ん坊が異様な声音でうそぶいた。
「このような剣でわたしを屠ることができるなどと考えるとは――あさはかさもきわ
まるな」
いって――ごう、と暗黒の煙を吹きかけた。
打たれたようにダルガのからだが宙に飛ぶ。
打ちつけられた。
アリユスのかたわらに。
ぐう、とうめきつつ、それでも前進しようとするダルガの肩に、女魔道士が手をか
けてとめた。
怒りにみちた凝視を冷徹な、湖のように深い視線で受けとめて、アリユスは首を左
右にふってみせる。
「真正面からでは、あれは倒せないわ」
「では、どうすればいい」
吼えるようにいうダルガの、もう一方の肩にもアリユスは手をかけてむき直らせた。
「あなたの力を貸して。――あのときのように」
めりこんだ壁からからだをひきはがすようにして、シャダーイルはよろよろと前方
に向かって倒れこむようにして立ちあがった。
どうにかおのれの肉体が命令どおりに動くことを確認し、周囲を見まわす。
どう考えても逃げるが得策の状況であることは充分理解できた。
それでも、深山を根城に数百年を生きてきた妖魔が、ほかに生きられる場所などな
いと考えた。
忠実にその復活を待ちつづけてきた下僕を、その超絶の力の足しにするためだけに、
ひとのみにしようとした己があるじに視線を向ける。
歯をむき出して、獰猛に笑った。
「おれの死よ」
うめくようにひとりごち、よろめく足どりで歩きはじめた。
打ちかかってきた少年を一息でおしかえして哄笑しながら、妖魔王は地に伏した老
タグリに視線を向けた。
ソルヴェニウスの腕をのみこんだまま、枯れ枝のような肉体がびくり、びくりと、
その内部に元気のありあまった子犬を抱えこんででもいるように異様ないきおいでは
ねあがっていた。
「ぬう」
うめきながらサドラ・ヴァラヒダは宙をただよい、もがきまわる枯れたからだに接
近する。
その行く手をはばむようにして、巨漢の衛兵が立ちはだかった。
歯をくいしばって剣をかまえている。
「無駄だ。見ていただろう」
暗黒の吐息とともに、妖魔王は言葉を吐きかけた。
ぎり、と衛兵は歯をかみしめて宙を遊弋する赤子をにらみあげ――気合いとともに、
打ちこんだ。
「愚か者めが」
つぶやき――サドラ・ヴァラヒダは、暗黒を吹きかけるかわりに大きくその口をひ
らいた。
魔法のように、打ちかかった巨体が口腔内に吸いこまれた。
ごくりと喉をならして妖魔王は衛兵をのみくだし、いまやピンポン玉のようにはげ
しくのたうちながら跳ねまわりはじめた老タグリにぎろりと視線を向けた。
「間に合うだろう」
にたりと笑って、暗黒の触手をのばし――
口腔内に手をつっこんだまま絶命した形のソルヴェニウスごと、跳ねまわる老タグ
リの肉体を強引にのみこんだ。
収縮する喉の奥に二つの肉体は消失し――
「おおう」
とうめいて、妖魔王は眼をむき出した。
暗黒を道連れにするように、ぽとりと地に落ちた。
その頭上に――黒い影が立った。
巨体であった。
光沢を放つ異様な皮膚はみごとな筋肉に鎧われて彫像のように盛り上がり、獣の顔
の両端には螺旋状に渦をまく巨大なツノがあった。
ひくひくと痙攣しながら、うつろなまなざしで妖魔王は、おのれの頭上にたたずん
で睥睨する黒い影に視線を向ける。
「シャダーイル……」
よわよわしい声音で、つぶやくようにして呼びかけた。
答えるように黒い巨魔は、仁王立ちのまま口にした。
「おまえが、おれの死だ」
無機的な、それでいて無骨で力にみちた、静かな声音が――宣告するようにしてつ
づける。
「さもなくば、おれが!」
咆哮とともに、ハンマーのような一撃が――今度はまごうかたなく、赤子の肉体の
上にふりそそいだ。
潰されたこぶしがそのまま小さな肉体をごぐりと圧しつぶし――
まるい、小さな後頭部が左右にはじけてひろがり、砕けた頭蓋のすきまからあふれ
出すようにして白い内容物と赤い血とが、びしゃりと地に弾けた。
ひらたくおしつぶされた顔面はちぐはぐに両の目を左右におしひろげ、つぶれた鼻
の下で繭の形にゆがんだ唇がひくひくとうごめく。
その口が――おし潰されたシャダーイルの巨大なこぶしの下で、にたりと笑った。
ごぶ、とあふれてきた血を吐き――
暗黒が膨張した。
35 炎と水
「おお」
とうめくシャダーイルの下で、異様な感触がうごめいた。
ひきつぶされた赤子の肉体がゆらめくようにその輪郭をくずし――まぼろしのよう
に、その存在をうすれさせはじめた。
透明にうすれながら拡散する。
まるで流れる水のように。
「これは……」
呆然とうめくシャダーイルの下からぬけ出すようにして、うすれた輪郭がのびあが
り、さらに膨張した。
わずかに青みがかった半透明の肉体が、天のように立ちはだかって黒い巨魔を見お
ろした。
見おろした、としか表現しようがない。
たとえその存在に、目らしき器官がどこにも見あたらなかったとしても。
そのとき初めて、シャダーイルを恐怖が支配した。
背を向けて、逃げようとした。
果たせなかった。
見えぬ手が、ふわりとシャダーイルの背中をなでた。
瞬間――黒い巨体が塵と化して風に散った。
あとには影ひとつ残らなかった。
「おお……」
と、腰をぬかして一部始終をながめやっていたガレンヴァールがつぶやいた。
「あれが究極の形態か」
呆然と口にする。