#3492/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 96/10/ 6 18:47 (200)
ヴォールの紅玉(36) 青木無常
★内容
づかむ。
とん、と地に降り立ち、太った小柄な短躯を小島中央にほうり出した。
おうおうとうめきながらのたうつガレンヴァールを赤い妖魔は冷徹にながめ降ろし
ていたが、やがて一息ついたと見て呼びかけた。
「それでは約束どおり、呪文をかけてもらおうか、魔道士」
うめきながらもガレンヴァールは顔をあげ、うなずいてみせた。
「ああ、よいとも、よいとも。約束は守るよ、マラク。それではまずは、その青い湖
につかってもらおうか」
うさんくさげに邪法師をながめやりつつもマラクは、指示どおり青い水のなかへと
その巨体をしずめていった。
ガレンヴァールははいずるようにして水辺に位置をしめ、目をとじて奇怪な異言の
呪文をとなえはじめる。
ほどもなく、マラクが「おお」と歓喜の声をあげた。
炭化した傷口がむずむずとし出した、と思いきや――そこからみるみる、薄紅い皮
膚が盛り上がりはじめたのである。
やがて数分と経たぬうちに、やや色がうすいほかは依然と寸分かわらぬたくましい
半身と二臂とが、むくむくと生えそろっていた。
にい、とマラクはふたたび力にあふれた獰猛な笑みをうかべて、立ちあがった。
ぞぶりと、青い水面に重い波紋がわきあがる。
「とりあえずは礼をいうぞ、魔道士。おまえの死はシャダーイルのあとだ。せめても
の感謝のしるしに、苦しませずに殺してやる。待っていろ」
好き勝手なセリフを吐いて、ぞぶぞぶと青い水をかきわけはじめた。
遠ざかるその背中をながめやりながら、ガレンヴァールは紫色に変色しかけた舌で
力なく唇をぞろりとなめあげ、ひとりつぶやいた。
「さて、この賽の目はどうでるか、だが」
そしてくるりとふりかえり、そそり立つ巨大な岩の柱に視線を投げかける。
よろよろと立ちあがり、生きのびた数匹の“息子たち”をしたがえてその表面によ
りかかった。
「ここか」
つぶやき、岩面をなであげる。
「たしかに、入口があるようだが」
見つけた切れ目に指をはわせつつ、それをどうやってひらくか思案しはじめた。
「手札をあつめておかぬことには、わたしが勝負の場にからむことが不可能になりか
ねんからな」
つぶやき、はいずるようにして一帯をしらべはじめた。
ほどもなく、小さな歓声とともに禁断の扉がひらきはじめた。
30 マラク対シャダーイル
ごふ、と、獣の鼻が炎のような息を吐きかける。
光る凝視を投げかけたまま、アリユスは瞬時の乱れもなく呪文をとなえつづけてい
た。
一刻一刻、結んだ印形を呪文にあわせてめまぐるしくかえていく。
黒い巨魔がうなり声をあげながら手をのばした。
淡い暖色の光を放つ魔法陣が、結界に妖魔の指先がふれたとたんに光を増した。
かげろうのようにわきあがる閃光が、魔怪の皮膚にからんで燃えあがる。
黒い皮膚が、またたく間に焼けただれて溶け落ちた。
骨がのぞく。
その骨もほんの一瞬で、関節から砕け落ちるようにしてぼろぼろと崩れはじめた。
ぐむう、とうめいて巨魔は手をひっこめる。
感覚をもたぬ、と豪語した以上、痛みに退いたわけでもあるまいが、慈悲神ユール
・イーリアの強力無比な護身輪に魔怪たる身を浸食されてこの世から消え失せはてた
のではまるで話にもならない。
しゃふう、と威嚇するように熱い息を結界内の魔道士にあびせかけ、獣の口をゆが
めていった。
「みごとな護身魔術だ。これならば七魔王とて破ることあたわぬだろう。が、これで
はおれたちを調伏するにはほど遠いぞ、魔道士。あきらめて失せるか? 追わぬ、と
は保証せぬぞ」
嘲笑する。
対してアリユスは、視線を眼前の巨魔にすえたまま、まるでよどみなく呪文をとな
えつづけるだけだった。
とまどいつつ背後でシェラも、師の援護のために唱和の姿勢をくずさない。
シャダーイルはそんな二人の様子をしばらくは無表情にながめやっていたが、やが
ていかにもいまいましげに獣の顔をゆがめて、うなった。
「おのれ」
うめくように吐き捨て――口をがばとひらいた。
ごはあ、と、内臓の底からしぼり出したような異様な声とともに――青い霧を吹き
はじめた。
とぎれめなく吹きだされる霧はしばらくもしないうちに結界に護られた半球状の空
間をとりかこむようにして、周囲に青々とみちはじめる。
やがて、見えぬ壁の表面状に異変がおこりはじめた。
みちみちと、何かがはじけるような、溶けるような異様な音を立てはじめたのであ
る。
視線をやると、青い霧は結界の境界上で結露してつぎつぎに泡をはじけさせていた。
それが見ているうちに――ちょっと見には気づかぬほどにごくゆっくりと、ではあ
るが――徐々に、徐々に、結界の有効半径をじりじりとおし戻しはじめているのであ
る。
ちらりと、アリユスの美貌に苦渋の色がうかんだ。
めざとくそれを見てとって、シャダーイルはふたたび嘲笑した。
「どうした、魔道士。ユール・イーリアの結界が魔力によっておし戻されるのが不思
議か。それともきさまのような力もつ道士のことだ。この青い水の正体にすでに気づ
いているのかな」
黒い巨魔はいってアリユスの顔をのぞきこみ、応答せぬまま呪文をとなえつづけつ
つにらみかえしてくるばかりなのを見て、顎をそらして笑った。
「そのとおりだ、魔道士。この水はヴォールの血だ。打たれて散った地神の血液が地
下水とまじって凝固しかけたままたゆとうているのが、この青い湖の正体なのだ。ゆ
えに魔道士よ、われらユスフェラの魔もまた、生まれついての邪悪な妖魔というわけ
ではない。なにしろ、神の血より生まれいでし存在なのだからな」
声を立てて笑いながら、シャダーイルはいった。
「ヴォールの血……?」
背後でシェラが呆然とつぶやくのを耳にしながらアリユスは、呪文をとぎらせぬま
ま心中歯がみする思いだった。
幻視の地で大いなる存在と邂逅して以来、ユスフェラの山中にあるすべての異変が
ヴォールの死とその際にまきちらされた血肉にかかわりがあるのでは、と見当はつけ
ていたが――まさにこうして魔怪自身の口からそれを告げられては、救われぬ思いで
あった。
「さて、どうする魔道士よ。このままではいずれ遠からずおまえたちは結界を破られ
て青い泉にまみれ、のみこまるは必定。されば妄執による転生をのぞめぬおまえたち
では、うつろに輝く燐光となって永劫の空虚とともに“青の洞窟”の壁にただようお
ぼろな存在と化すのみだぞ。結界を解け。解いて、おれと闘え」
いって黒い巨魔は、声を立てて笑った。
シェラはすでに呪文を唱和することさえなかば忘れて、気味悪げに背後の壁に視線
をはしらせた。
山腹にうがたれた入口からずっと、この深く底知れぬ洞窟の壁をおぼろに照らして
いた燐光が、青い水の作用で変容したはての生物の姿だとすれば――この悪夢の深山
はこれまでに、いったいどれだけの罪なきものの存在をのみこんできたというのか。
みちみちとはじける音が、ゆっくりと近づいてくる。
青い霧が結界を浸食する速度が、徐々にはやまってきたような気がしてシェラはご
くりと喉を鳴らした。
これまでか――と、アリユスもまた観念し、呪文をとなえやめて印形を組みかえよ
うとしたまさにその寸前――
「シャダーイル!」
もりもりと粘液質の波を蹴立てて接近しつつ、黒い巨魔の背後からマラクが、憎悪
とも歓喜ともつかぬ炎をその不吉な双眸に宿らせつつ叫んだのであった。
「シャダーイル! わたしを愚弄した怨み、今ここで晴らさせてもらうぞ!」
歯をむき出しにして獰猛な威嚇の表情をうかべつつ、マラクは声高に布告した。
困惑気味にふりかえった黒い巨魔が、皮膚の色こそたがえどほぼ復活をはたしたマ
ラクの半身を目にしてひそかにうめき、鼻頭にしわをよせつつ赤い妖魔と正対した。
「マラク。外法師の口車にのってくだらぬ内輪もめをしているときではない」
無機的な声音にどこかいらだちをこめながら巨魔が口にする。
きく耳もたぬ、とでもいいたげにマラクはずしりと、地響きを立てて岸にその巨体
をひきずりあげた。
炎がただよってきそうな凄絶な笑みをうかべる。
「口車はわかっている」
と、豪語した。
「しょせんは人間ども。われらにとっては虫けらのようなものではないか。それより
もこの胸の痛みのほうがわたしにとってはよほど大事だぞ、シャダーイル! 立ちあ
え!」
わめき、威嚇するようにして大きく四臂をかかげてみせた。
「人間どもとて」
うめくように口にしながら黒い巨魔は、ちらりと背後のアリユスに視線をむけた。
「ゆめ油断ならぬ者はいくらでも存在する。われらがあるじ、ヴァラヒダを復活させ
る鍵となったのも、下界よりおとずれた欲にまみれた人間の妄執であることを、おの
れは忘れたか、マラク。とりわけ今は、この魔道士を放置しておくわけにはいかぬの
だ」
「きく耳もたぬ!」
ぴしゃりと決めつけたマラクの怒りの形相が――ふいにアリユスたちの背後、この
地底の大空間へと一同を導いた洞廊の方角にふと視線をそらして――
笑顔にかわった。
「なればシャダーイル。肩代わりをさせればよかろう」
そういった。
赤い妖魔の不可解な言葉にシャダーイルはいぶかしげに背後をふりかえり――
「なるほど」
と得心したようにうなずいてみせた。
同時にふりかえったアリユスとシェラは、思いもかけず打開の方向に転換しかけて
いた展開が、むりやりもとに戻されたのを知って、深い絶望感を抱く。
ずしゃり、ずしゃりと異様な音を立てて近づいてくるのは――レブラスの醜悪な巨
体であった。
く、とうめいてアリユスはついに呪文をとぎらせ、
「渦をまけ、風の槍! イア・イア・トオラの名にかけて!」
叫びざま、放った閃光ではじけた青い霧を吹きはらった。
シャダーイルが巨体をそらせて哄笑する。
「魔道士、残念だぞ、このおれの手でおまえを屠ることができなくてな」
笑いながらマラクに向きなおった。
「二百年ぶりになろうかな。このようにしておまえと手をあわせるのは」
「それほど時が経ったか」
マラクも裂けるような笑みを満面にたたえつつ、四本の腕の開閉をくりかえしなが
ら悠々とした足どりで前進した。
「このような地の底ですごしていては、時の経つのがはやすぎて困る!」
わめきざま、巨体が突進した。
シャダーイルは一歩も動かず、真正面からマラクの突進を受けとめた。
赤と黒が地響きをたててぶつかりあい、にらみあった。
歯をむき出す。
ぐ、と、シャダーイルが両の手を頭上にさしあげた。
にい、とマラクは笑う。
「腕二本分、ハンデをやろうかシャダーイル」
嘲弄にとりあわず、黒い巨魔はさしあげた手をさそうようにふりまわす。
マラクの赤い腕がふたつ、呼応した。
ふたつの頭上で、がっちりと組み合った。
赤と黒の筋肉が、はちきれそうに盛り上がった。
ぐふう、ぐふう、と耐えがたい臭気をまきちらしながら接近する醜悪な肉塊の山に
正対し、アリユスは印を結びかえながら叫んだ。
「レブラス! ラッハイの名にかけて“空の檻”にしりぞけ!」
叫びと同時に、青い暗黒の底に収束する虹色の壁に向けて――肉瘤の集積によって
できた妖魔は、汚物がはじけるような異様な音で対応した。
びちゃりと、醜怪な妖魔の表皮が内圧に打ちだされるようにして弾け飛び、完成直
前の“空の檻”に打ちかかった。
パン、と小気味いい音とともに呪術の結晶がいとも簡単にはじけて消えた。
ぐふう、と妖魔は顔面をねじ曲げて不気味な笑顔をうかべる。
「あの小人はいないな」
ゆっくりと周囲をながめわたし、うれしげにそう口にする。
「ならば、おれを阻むものはない」
びしゃりと歩をふみだした。
とっさにシェラは背後をふりかえった。
小島の上に救援の姿を求める。
消えていた。
岩柱にぶざまにつりさげられていたはずのガレンヴァールはもとより、その柱の周
囲をなすすべもなくちょこちょことはしりまわっているだけだった、あの金属質な螺
旋の小妖物たちまでもがこつぜんと、その姿を消しているのだ。
いぶかしく思い――小屋ほども直径のある岩柱の一部に、黒い穴が口をひらいてい
るのに気がついた。
「祭壇……」
つぶやき、そのことをアリユスに告げようと視線を転じかけて――
発見する。
頭上であった。
そそり立つ石柱の頭頂近く――それは、金剛石の切り子面がふいに虚空にきざみこ
まれるごとく、何のまえぶれもなくあらわれた。
何もないはずの空間に突如はしった亀裂――
見おぼえがあった。