AWC ヴォールの紅玉(14)       青木無常


        
#3470/5495 長編
★タイトル (GVJ     )  96/10/ 6  17:26  (200)
ヴォールの紅玉(14)       青木無常
★内容

    12 四臂の魔物

 ふっ、ふっ、ふっ、ふっ――
 跫音をひそめて接近する獣の声が二人の前方でふいにとぎれた。
 完全な闇の中に視線をこらしても、影さえとらえることはできない。
 黒色の眸が、飢えた視線をダルガとエレアの上に凝している不気味な光景が、想像
力にかきたてられてエレアの脳裏をかすめた。
 ふるえながら、ダルガにしがみつく。
「離れろ、邪魔だ」
 困惑したようなささやき声が命じたが、いわれてよけいに必死になって剣士の背中
にしがみついた。
「ばか、襲われたら――」
 声にあからさまにいらだちがこもったとたん、がふ、とうなり声を立てて闇が襲い
かかってきた。
 力まかせにエレアをつきとばし、ダルガは襲撃者を手ではらった。
 毛深い胴に手がふれたが、とらえきれずに闇へと逃がす。
 くそ、とうめいた。
 剣は天幕の中だった。
 致命的な油断だった。
 感触と声からして、襲ってきたのは犬科の獣らしい。暗闇の中さだかではないが、
払った腕に牙か爪を立てられたはずだ。
 ぐふぐふぐふと抑えられた獣の声が闇中を移動し、ダルガの周囲に半弧を描いた。
 そして今度は、前触れなしにいきなり飛びかかってきた。
 爪のたった前脚が肩にかかり、ダルガは後方にたおれこみながら手をつきだした。
 ふうっ、ふうっと生臭い息が顔に吹きかかる。
 幾度か、喉らしき部位をとらえかけたが、そのたびに獣はぶるると激しく首をふる
って捕縛を逃れた。
 毒づきながらダルガは姿勢を入れかえる。
 地面に、獣の毛深いからだをおしつけた。
 腹に足をかける。
 蹴りつける、というほどのいきおいにはならなかったが、獣はそれでも、ぎゃふ、
と悲鳴をあげて後退した。
 ざり、がり、と立てた爪が砂利を擦過する音が移動する。
 ダルガは無駄と知りつつ闇に向かって凝視を送りながら、身体の方向を息づかいと
気配に向けて移動させた。
 ふいに、足をとられた。
 大きめの小石の上に不用意に足場を求め、安定をなくしたのだった。
 ぐらりとよろめき、片手をついた。
 砂利がこすれて、さらに上体のバランスをも失った。
 く、とうめきながら身を低くする。
 がぎりと、牙が顔のすぐ横で鳴った。
 まったくの僥倖だった。
「くっそ……!」
 うめきながらやみくもに手をふりまわす。
 手ごたえはなく、はふ、はふ、と唾液まじりの異臭が幾度も喉もとに近づいては遠
ざかった。
 いつ咬み裂かれるかわからない。
 いつ、喉もと深く牙がつきたてられてもおかしくはなかった。
 ふりつづける手もあちこち傷を負い、痛覚がこうるさく増加する。
 ふいにその手が、何か棒状のものをつかんだ。
 反射的に、握りしめていた。
 がふ、と獣はうめいた。
 同時に、つかんだ棒状のものが激しいいきおいで左右にふられた。
 前脚か――!
 とっさに思いいたり、咬撃が来る前につかんだ手に力をこめてふりあげた。
 重い獣の体躯が宙へと舞い上がり、びちりと川原に叩きつけられた。
 ぎゃん、と獣は吠える。
 かまわずダルガはもういちど、獣のからだを大きくふりあげ、叩きつけた。
 ぎゃん、ともう一度獣は吠えた。
 三撃めをくらわそうとして――手首にするどい痛みをたてつづけに二度、感知して、
思わず反射的に手をひっこめてしまった。
 ざりざりと地をならしながら獣が後退する。
 低いうなり声をあげた。
 今度ばかりは、不用意に襲いかかってはこなかった。
 だが、ダルガ自身も満身創痍だった。
 利き腕の右腕は、あちこちがずきずきと痛んで感覚がなくなりかけている。
 脚にもあちこちに痛みが走っていたし、幾度も打ちすえたせいで腰にも鈍痛がいす
わっていた。
 なによりも、剣がないことが致命的だった。
 肉体ひとつでは戦えないのか――狂おしくダルガは思い、奥歯をかみしめた。
 くふ、くふ、と息を荒げていた獣の声がちいさくなっていった。
 いよいよ来るか、とダルガは身がまえた。
 どうすればいいのかは、まるで見当もついてはいない。
 なすすべもなかった。
 と、そのとき――
 ぞくりと、ダルガの背中がふるえた。
 恐怖だった。
 何に対する恐怖かは、よくわからなかった。
 だが方角は、たしかに獣がいるほうだった。
 なにがなんだかわからぬままに、ダルガは目をむいた。
 瞬間、か、と、獣が短く吠えた。
 息をのむ。
 どこから来るのか、と全感覚を闇中に解放した。
 衝撃はどこからも来なかった。
 獣の荒々しいうめき声だけが、前方で激しくあがっていた。
 もがいているようだ。
 が、なぜもがいているのかはわからなかった。
 呆然と、視線をこらす。
 暗闇の中に、何か巨大な質量をもったものがたたずんでいるように見えた。
 小山のようなものが、うごめいているのだ。
 なんだ? とダルガは思わず声に出していた。
 答えは、獣の苦鳴となって返ってきた。
 断末魔の苦鳴だった。
 同時に、ぐぎりと異様な音を耳にしたような気がした。
 何か、軟骨のようなものをむりやりひねってふたつに裂いたような音だった。
 苦鳴がふいにとぎれて、静寂がおしよせた。
 その静寂の底から突き出てくるようにして、異様な音が聞こえてきた。
 ぴちり、ぴちり、という音だった。
 何の音なのかわからなかった。
 見えぬ闇に目をこらす。
 なにかが、立っていた。
 仁王立ちになっている。
 夜空にむけて、それが腕をかかげているようだった。
 かかげた腕の先に、あわれなほど小さく見える獣の体があった。
 ぐったりと、力なく四肢をたれている。
 死んでいるのだろう。
 血がしたたっている。
 落下する位置に――頭、らしきものの影があった。
 おぼろなシルエットは人間のように見える。
 ただし、サイズがふつうではなかった。
 ダルガの倍近くある。
 ラガスやソムラとおなじほどの、巨体であるようだった。
 だが、その巨体から噴き上がる存在感は、ラガスやソムラとはくらべものにならな
かった。
 狂気といってもいい。
 猛り狂った大型の野獣が放つ存在感だ。
 その巨大な存在が、ぴちり、ぴちりと音を立てているのだ。
 獣のからだから落下する血のしたたりと、音のあがるタイミングとが一致していた。
 ――血をすすっているらしい。
 ヴァラヒダの魔か、とダルガは息だけでささやいた。
 影が、ダルガのそのささやきを聞きつけた。
 頭部がぐらりと動く。
 ダルガのほうに。
 しばし、したたる血を受けることさえ忘れたかのように、巨大な影はダルガを凝視
しつづけていた。
 が、やがてふたたび顎をあげ、血をすすりはじめた。
 ふ、と息をつき、くそ、と小さくうめいて、ダルガはじりじりとあとずさりはじめ
た。
 剣なくして対抗するすべはなかった。
 天幕に戻るまで、化物が獣の血をすするのに夢中になっていればどうにかなりそう
だった。
 ゆっくりと、化物に体を正対させたまま後退する。
 いけそうだ、と思ったとたん――
 ぽう、と闇中に灯火が灯った。
 淡い、蛍火のような灯火だった。
 真ん中、シェラとアリユスの天幕のある位置だった。
 おぼろな光の中に、アリユスの顔がうかびあがる。
 左手をかかげていた。
 そのかかげた左手の、ひとさし指を一本だけ立てていた。
 その先端に、光が灯っている。
 魔道の一種なのであろう。
 淡い灯火は四囲をおぼろに映し出していた。
 闇につつまれた川原のどこにもエレアの姿は見当たらない。
 どうやら、ダルガと獣が格闘しているうちに、いちはやく避難したらしい。
 アリユスの背後には、シェラの顔ものぞいていた。
 そして――
 おぼろな闇の奥底に、引き裂いた獣を頭上にかかげてそれは、異様な眼光を放つ凝
視をぎろりと灯火の方向にむけていた。
 血をぬりたくったように赤い皮膚をしていた。
 なめらかな光沢がその表面を走っている。
 丈はやはりダルガの倍ほど。
 均整のとれた筋肉が隆々と全身をおおいつくしていた。
 はりきった腰部を布がおおい、その腰の両端に巨大な剣がひとふりずつ、ぶらさが
っていた。
 豊満な胸は隠されてさえいない。
 喉もとから、血をぬりかためてつくったような真紅の珠がつらなる首飾りをさげて
いる。
 額にも、金属製の環が飾られていた。
 ゆたかな黒髪を塔のように結いあげ――その双眸は狂ったようにぎらぎらとした光
を放っていた。
 美貌といえた。
 凶猛な、狂気を秘めた噴き出すような美貌だ。
 血まみれの赤い唇が、裂けた。
 にい、と笑った。
 そして――ずしりと、歩をふみだした。
 うごめく腕の上で、生物のように筋肉がもりあがる。
 四本の腕の上で。
 四臂の妖魔。
 ヴァラヒダの魔の一匹は女の姿をとることもある、と、ソルヴェニウスはたしかに
いっていた。
 女であることはまちがいない。すくなくとも、そのゆたかにふるえる胸やみごとな
ほどはりきった腰、脂ののりきった上脚部など、まさに女体のひとつの理想像を顕現
したかのような姿であった。
 その狂おしいほどの美貌もまた、神像のごとく見る者を恍惚とさせるだろう。
 だがそれは――女である以上に、妖魔であった。
 噴き出す火山のような妖気は、気の弱い者であればそれをあびただけでショック死
してしまうかもしれない。
 もりあがる筋肉を誇示する四本の腕よりもむしろ、その眼光と口もとにうかんだ獰
悪な笑みのほうが異様であった。
「……ヴァラヒダの魔のひとりね?」
 呆然と目を見はったまま、アリユスが口にした。
 化物は犬獣の屍骸を頭上にかかげたまま、血まみれの満面に笑みをたたえた。
「マラクという」
 地をふるわすような圧力をこめて、化物はこたえた。
 こたえて、は、は、は、は、は、は、と笑った。
 血まみれの笑い声だった。
 巨体を狂おしくふるわせて、マラクは全身で哄笑した。
 山が崩れてきそうな音声だ。
 身をおり、からだを打ちふるわせて笑いながらマラクは、手にした獣の胸に四本の
腕のうちのひとつを、ごぼりとさしこんだ。
 無造作にそれをひきぬく。
 どぼどぼと血があふれ、獣のからだがマラクの捕縛の中でひくひくとふるえた。
 ひきずりだされた器官は、マラクの手のひらの中では哀れなほど小さかった。
 あふれ出す血を下顎でうけてマラクはごくりごくりと喉をふるわせながらのみほし
た。
 そして、小さな心臓を丸飲みにした。
 ぐびり、と妖魔の野太い喉首が膨張し、収縮した。
 そしてふたたび、にたりと笑った。
「おまえたち、老タグリの家の者か」




前のメッセージ 次のメッセージ 
「長編」一覧 青木無常の作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE