#3471/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 96/10/ 6 17:29 (200)
ヴォールの紅玉(15) 青木無常
★内容
問うた。
ぎろりと、アリユスとシェラを見すえる。
シェラは呆然と妖魔を見かえし、アリユスは目を細めて凝視をかえす。
受けてマラクは、にたにたと笑いながらずしゃりと川原に犬の死体を投げ捨てた。
そして、歩をふみだした。
全身の筋肉が躍動する。
異様な迫力があった。
地響きを立てながら、ゆっくりと、大股に一歩一歩近づいてくる。
アリユスは指先に灯火を立てたまま、胸前で手を組んだ。
印を結ぶ。
闇底で、アリユスのからだが淡く燐光を放ちはじめた。
気合いもろとも、印を結んだ手を鋭くつきだす。
白い風が鋭利な矢と化して、妖魔を強襲した。
同時に、かあ、と妖魔が吼えた。
光る風が、マラクの眼前でスパークと化して飛び散った。
く、とうめき、アリユスは下唇をかみしめる。
は、は、は、は、と妖魔が声を立てて笑った。
笑いながら、ずしり、ずしりと地響きを立ててふたたび前進をはじめる。
アリユスはたてつづけに風矢を放ちつづけたが、攻撃はことごとくマラクの巨体の
前で弾けて消えた。
十歩ほどの距離をおいて、マラクは立ちどまった。
ぎろりと目をむき、アリユスとシェラとを交互に凝視する。
その視線が、シェラの顔上で静止した。
じろじろと見つめ、にたあ、と笑った。
「おまえだな」
いって、四本の腕のうちの一本をぐいとのばした。
シェラはあとずさり、アリユスは絶望的な表情で印を結ぶ。
そのとき――
「待て、化物」
マラクの背後で、低く抑えた声が呼びかけた。
ダルガだった。
妖魔はいぶかしげな顔をしてふりかえる。
剣の柄を手にした少年が、深く腰を落とした姿勢でそこにいた。
視線は、挑発するようにマラクの腰布に連結された二本の大剣にそそがれている。
「ぬけ」
じろりと、妖魔の美貌を睨めあげて、いった。
眉宇をよせた凄絶な美貌が、一瞬後には破顔した。
殺戮の予感に酔う凄絶な笑顔であった。
ずしりと地を鳴らしてダルガと正対し、柄に手をやって無造作に剣をひきぬいた。
「ひき裂いてやる」
笑いながら妖魔は吼えるように宣言し、ぶん、と風をうならせて剣をふりおろした。
ずど、と重い音とともに、後退したダルガの眼前で石が砕けて飛んだ。
マラクの大剣に鋭さはかけらもなかった。
ただただその重量が、なによりも脅威だった。
は、は、は、は、と妖魔は吼えるように笑った。
笑いながら、飛びすさるダルガを追ってやみくもに剣をふりまわした。
石が、岩が、川水がつぎつぎに砕けては飛び散った。
ダルガには剣をぬくいとまもないように見えた。
単純なだけにすさまじい連撃を、横に後ろに飛んで逃げるだけでせいいっぱいのよ
うであった。
「ダルガ!」
アリユスの背後で、シェラが悲鳴をあげる。
援護しようと、アリユスも解きかけた印を結びなおした。
そのとき――展開が訪れた。
風車のように弧を描く大剣の強襲にむけて、ふいにダルガが真正面から突進したの
だ。
あ、と、女たちが声をあげた時にはもう、ダルガはふりおろされる斬撃をくぐりぬ
けて頭から地面につっこんでいた。
ころがりながらマラクのながい脚の下をくぐりぬける。
回転のいきおいをかりてマラクの背中に正対する形で身がまえた。
異常な敏捷さで、マラクもずわりとダルガに向きなおっていた。
が、ダルガの抜き打ちのほうが、わずかに速かった。
「うお!」
銀弧を避けてマラクがすばやく後退する。
ずばりと、その脇腹方向からたくましい胸へと朱線が走りぬけた。
血しぶきが噴出する。
「おお!」
苦痛よりは驚愕に、マラクは目をむいた。
隙を、ダルガは逃さなかった。
鋭くふみこみ、頭上から唐竹割りに剣を打ちおろす。
驚愕がほんの一瞬、マラクから判断力を奪っていた。
避けるか、受けるか、逡巡した。
それが災いした。
横に避けざま大剣をあげた。
がき、と金属的な抵抗が一瞬、大剣を握った手に伝わった。
ふいに、その抵抗が、ぴいん、という音とともに虚空に舞い飛んだ。
直後、右上の一臂に衝撃が走りぬけた。
「が」
と、妖魔が苦鳴をあげた。
受けた大剣はダルガの斬撃によってその刃を両断され――いきおいのまま降ろされ
た一撃がマラクの太い腕を裂いたのだった。
折れた剣を握った腕がぶらんとたれさがり、青黒い液体――血であろう――が、ど
ぼどぼと大量にあふれ出て足下の砂利を真っ青に埋めはじめた。
驚愕しつつ、マラクは後退する。
ダルガはふり切った姿勢からいちはやくかまえ直すや、さらに踏みこんだ。
ぐば、と横薙ぎに刃が払われる。
かろうじて、腹の皮一枚でマラクは避けた。
ダルガの前進はとまらない。
ざざざ、と水しぶきを立ててマラクは川に踏み入った。
水しぶきがダルガの視界を瞬時奪った。
その隙をついて妖魔は左手で残ったもうひとふりの大剣をぬいた。
「おお!」
吼えながら、打ちかかった。
がぎりと、真っ向からダルガは受けた。
異様な膂力がのしかかった。
ダルガの耳もとで、みしり、と長剣の身が不吉な音を立てた。
先の一撃で、ダルガの剣にもまたダメージが刻まれていたらしい。
まずい、と思い、ダルガは気力を集中した。
眼前ににらみおろす凄絶な美貌をにらみかえし、おおお、と吼えた。
吼えながら全身でマラクの巨体を押し返し――一瞬の余裕を強引につくりだして、
ふいにすかした。
大剣が肩口をかすめ、ついでマラクの血のように赤い肉体が前方になだれこんだ。
もつれて倒れかかるのをかろうじて回避し、ダルガはほとんど走るようにして後退
する。
剣をかまえる。
おそらくは、あとひと打ちかふた打ちで、刃は折れて砕けるだろう。
致命傷を負わせるには、手は限られていた。
ダルガは腰を落として低くかまえ、剣先を地にはわせるようにしながらマラクを凝
視した。
対するマラクは――憤怒の形相をうかべた。
人間ごときを相手に、大剣を折られあまつさえ手傷まで負わされるなど考えられぬ
屈辱だった。
目をむき出し、噛みしめた歯をぎりぎりと鳴らした。
そして、吼えた。
野獣そのものの咆哮だった。
巨体が、肉弾と化して急迫した。
弾かれたような凶猛な動きだった。
技巧も何もない。真正面から力にまかせての、圧倒的な攻撃だった。
ダルガは待ち受け、最小限の動きで強襲をよけた。
よけながら長剣の切っ先を、激しくゆれるマラクの左の乳房の下めがけてつきだし
た。
抵抗はすぐに折れて砕け、ダルガはかけぬける風を避けて身をひねった。
瞬間――思わぬ反撃が、襲いかかった。
四臂であることが、ダルガの予想をこえた攻撃を可能にしたのだ。
剣撃はかわしたものの――野太い腕そのものが鉈と化して胸板を打ってくるとは、
予想だにできなかった。
もぐりこんだ腕に弾き飛ばされて、ダルガのからだが宙に舞った。
打ちつけられた。
血へどを吐く。
衝撃が全身をかけぬけた。
マラクの脅威がつづけて襲撃してくるであろうことを、血色に染められた脳内で狂
おしく予想した。
受けて立て、と意識が命じた。
肉体は叩きこまれた衝撃に打ちのめされて、まるで動かなかった。
がぶ、と血を吐いてのたうちまわるだけだった。
マラクは巨体をそそり立たせて、そんなダルガの様子をにらみ降ろしていた。
荒く肩を波打たせている。
が、とどめは刺さずにくるりとふりかえり、アリユスとシェラに向きなおった。
「つれていく」
口にした。
「ヴァラヒダの許へ」
いって、ずしりと歩を踏み出した。
アリユス、とささやくシェラを背後に魔道士は、手のひらを肩口にかまえた。
そして、問うように口にした。
「マラク?」
妖魔が前進をやめていぶかしげにアリユスを見やり、
「命ごいか?」
と口にした。
アリユスがにっこりと笑った。
笑いながら、肩口にかまえた手のひらを握った。
「マラク! ラッハイの名にかけて“空”の檻に退け!」
叫びながら、拳をひらいてつきだした。
にい、とマラクが笑って大剣をふるった。
油膜のようなものを表面にはしらせた巨大なシャボンが出現すると同時に、鋭い斬
撃が大きく弧を描いた。
パン、と弾ける音とともに“ラッハイの檻”が闇空に飛び散った。
「レブラスからきいている!」
嘲るように叫び、そのまま突進を開始した。
驚愕に目を見ひらいたのは一瞬――アリユスは今度はひらいた手のひらを眼前にか
まえ、もう一方の手で手首を握った。
「マラク!」
叫びかけた。
「イア・イア・トオラの名にかけて“風の槍”に打たれよ!」
ごう、と空気が鳴った。
閃光がアリユスの周囲に収束し――逆巻く風と化してマラクを強襲する。
光る螺旋が朱に染まる妖魔の肉体を弾き飛ばした。
その一瞬前に――マラクは、手にした大剣を飛ばしていた。
巨大な剣がしゅるしゅるとうなりを立てながら宙を回転し、風を飛ばした姿勢のま
ま硬直するアリユスの額を柄で直撃した。
苦鳴をあげてアリユスは崩れ落ちる。
同時に妖魔の巨体がずしんと重く地を打った。
「アリユス!」
叫び、シェラが抱え起こす。
アリユスの美貌が苦痛に歪んでいた。
うめき声が喉をふるわす。
意識がもうろうとしているらしい。
「アリユス……アリユス!」
呼びかけるが、反応はなかった。
かわりのように――むくりと、赤い巨体が起きあがった。
ずしりと地を鳴らして立ちあがり、首を左右にふる。
そしてぎろりとシェラを見やり――裂けるような笑みをうかべた。
「おまえの守りは、悪くはなかった。ずいぶんと手間どったものだ」
いってふたたびにたりと笑い、歩を踏み出した。
「……来ないでください!」
シェラは決然と口にし、印を結んだ。
呪文を口にし、気合いを打ちこんだ。
マラクの赤い胸の上で、淡い青の光がいくつも弾けては消えた。
は、は、は、は、と哄笑しながら、マラクは委細かまわず歩を踏み出し、逃げよう
とするシェラの肩をすばやくとらえて向きなおらせた。
にらみかえす少女に向かってにい、と笑って見せ、胴をまきこむようにして抱えこ
んだ。
そのまま、肩口にかつぎあげる。
そして、ずしり、ずしりと地をふるわせて、歩きはじめた。
右上の一臂が半分がたちぎれてだらりとたれさがっていたが、苦痛など微塵も感じ
させぬ悠揚とした歩きかただった。
倒れふす剣士と魔道士には一瞥さえくれず、肩に少女をかつぎあげたまま闇奥へと、
歩み入っていく。
アリユスもダルガも、うめきながらもうろうとした視線でその光景を見やっていた。
地に手をつき、応戦しようとするのだが起きあがることさえできなかった。
やがて哄笑だけが長く闇に残された。