#3468/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 96/10/ 6 17:19 (200)
ヴォールの紅玉(12) 青木無常
★内容
いななく獣の汗にぬれた首筋をなだめるようにたたきながらデュバルはゆっくりと、
四囲をながめわたしていた。三人の部下が背後からついてくる。
問題の賭場はすぐにわかった。
町を牛耳っているという老タグリなる名の有力者は賭博を奨励していた。故郷の街
バスラスと同様に、賭博はこの町では公然とおこなわれる陽気で血生臭い娯楽である
らしい。
騎上からふわりとおりて、いななく獣を店先の木杭につなぎ、デュバルは酒場をも
かねた賭場の入口に剣呑な視線を向ける。
“闇の炎”らしき人物がここで騒擾をひきおこしたのは、三日ほど前のことときいた。
いまここで出会うことはまずないだろう。
だが、あと三日の距離にまで追いついたのだ。
まるで、心にこれと定めた女に半歳ぶりに再開するかのように、胸が躍るのをデュ
バルは感じた。
追いつづけてきた。
狂おしく求め、狂気のようにその足跡を追いつづけてきたのだ。
夜ごとおとずれる悪夢に背中をつつかれるようにして。
悪夢はくりかえしデュバルをおとずれた。
見えぬ切っ先に胸を裂かれ、かろうじてよける顔面に銀光がかけぬける夢だった。
命だけはとりとめたが、戦士としてのぞみうる最高の位――最強剣士の称号はその
一瞬に剥奪されたのだ。
そしてもうひとつ。
裂かれた顔の傷は縦一文字に顔面に残り、デュバルの左眼から光を奪った。
“闇の炎”と通称される、たかだか十四の奴隷戦士の手によって。
復讐の機会を待ったが、雇い主のバラルカがそれを許さなかった。
デュバルを打ち破って闘技会の頂点に立った奴隷戦士は、おなじバラルカの所有に
なるからだった。
デュバルはバラルカの私有軍隊の長だった。
類をみない剣の才能を見せる少年を相手にすることをなかなか許されない立場だっ
た。
闘技会で不敗の帝王の異名を不動のものにしていなかったら、観客が世紀の一戦を
見せろと“闇の炎”の快進撃がくりかえされるたびに声を大にしていくこともなかっ
たかもしれない。
危険すぎる、そう渋るおのれの雇い主を強引に説得しつづけ、一度だけ、という条
件をつけられようやく対峙し――
そして敗れたのだ。
敗ける、などとはかけらも考えていなかっただけに、衝撃は大きかった。
だが、自分は勝機をつかみきれなかっただけなのだと思っていた。
遊びすぎたのだと。
事実、油断さえしていなければ避けられた一撃も、打ちこめた攻撃もいくつかある、
と思っていた。
屈辱の事実を知らされたのは、闘技会で受けた傷も癒え復讐の念をたぎらせて再戦
をもうし入れ、バラルカに一蹴された直後のことだった。
“闇の炎”はデュバルの、剣士としての命脈を奪ってはならぬ、とバラルカに厳命を
受けていた、というのであった。
つまりデュバルは――手加減をした相手に敗れた、ということになる。
屈辱は憎悪と化して激しく剣士を煩悶させた。
晴らす手段はなかった。
バラルカを裏切る以外には。
二年近くものあいだ、血を吐くような激烈な修業をくりかえしながら、いつそうし
ようか、と考えていた。
あと一ヶ月、“闇の炎”の失踪が遅ければ裏切りは実行されていただろう。
血を吐くほどの憎悪の炎をたぎらせながら狂気のように剣技を磨きつづけ、屈辱を
晴らすだけの腕が自分についた、と思えた時になって――“闇の炎”は、バラルカの
くびきから脱するために姿を消したのであった。
怒り狂ったバラルカの厳命を受け、三人の部下をつれてデュバルは脱走奴隷のあと
を追った。
生かしてつれて帰れ、という条件を与えられたが、守るつもりはまるでなかった。
口にしたことはないが、デュバルの態度から部下の三人もそのことをさとっている
だろう。だが、デュバルを諌める度胸はこの三人にはない。
追いつづけた。
半歳。
ついに、手のとどきそうなところまでたどりつけたのだ。
歓喜にか、それとも憎悪にか、当のデュバルにさえよくわからなかった。
どうあれ、賭場の扉をひらく手がふるえているのは事実だった。
長を追って、三人の剣士も扉をくぐる。
入りがいいとはいえない。
たくさんあるテーブルのうち、客がすわっているのはふたつだけだった。
夕刻、賭場の開帳まではまだかなり間があるとなると、べつに異常なことでもない
のだろう。
デュバルはゆっくりと店内を睥睨し――無気力な雰囲気に打ち沈むテーブルのひと
つに視線をとめた。
片腕の大男が、すすり泣きながら酒の杯を水のようないきおいで飲み干していると
ころだった。
イーレンはもう起きあがることもできなくなっちまったんだ――そんなようなたわ
言を延々とくりかえしていた。
野太い声でぶざまに泣きわめきながら、つぎつぎと運ばれる酒を片端から飲み干し
ていく。
こわい、こわいってうめきながら寝てるだけなんだ、あいつはもう、おれにくちづ
けさえしてくれねえんだ、ぬけがらだ、人間じゃねえ、あの小僧は疫病神だ。
泣きながらわめくようにしてそう口にしていた。
小僧、という言葉にデュバルはぴくりと反応した。
無言で寸時、たたずんだまま鋭い凝視を巨漢に投げかけていた。
が、果てしなくくりかえされる繰り言をひととおり聞きおえた、と思われた時点で、
ゆっくりと歩き出した。
巨漢が泣きながらひとり座すテーブルの正面に立つ。
「おい」
と声をかけた。
びくりと巨体が派手にふるえた。
おびえた小動物のような目で、おずおずと視線をあげる。
眼前にたたずむ、髭面の片目の男の異様な眼光を目にして、ぶざまに巨漢はひいと
声をあげてのけぞった。
ぶるぶると見るも無惨にふるえはじめる。
デュバルの背後で三人が、軽蔑したように鼻をならしながら顔を見あわせた。
復讐鬼は、表情ひとつかえぬままラガスをながめおろし、ふたたび口をひらいた。
「その小僧はいまどこにいる?」
がた、がたがたと、派手な音を立てさせながらラガスは椅子ごとあとずさった。そ
の椅子がふいに、ぎいと抗議のような音を立てて超過重量をささえきれずに砕けて落
ちた。
巨大な尻がバリ、と音を立てて床に落下し、木板をきしませる。
「知、知、知らねえ、おれは何にも、知らねえ」
ぶざまにどもりながらラガスは尻でいざる。もっとも、体重が災いしてか、あまり
効果的な後退とはいえなかった。
デュバルは仏頂面のままつかつかと歩をふみだし、いとも簡単にラガスを追いつめ
ると、その上衣のえりをつかんで――ぐいと引きあげた。
そして、その場につどうだれもが――デュバルの連れである三人の部下までもが「
「呆然と目をむいた。
まるで子どもをつるしあげるように軽々と――巨漢のからだが宙にうきあがったか
らであった。
支点は、デュバルの片腕のみ。
人間技とは思えなかった。
巨漢は悲鳴をあげることさえ忘れはてて、呆然とデュバルの顔をその頭上からなが
めおろした。
成人男子三人分は軽くあるラガスの巨体を片手でさしあげていながら、デュバルの
腕にはふるえひとつ走ってはいない。
「もういちどきくぞ」
デュバルは憎悪を宿らせた視線を睨めあげながら、きいた。
「その小僧は、いまどこにいる?」
「知、知らねえ、ほんとうだ。うそじゃねえ」
ラガスは目をむきながら、からだをもがかせることもできずにぶらんとぶらさげら
れた姿勢のまま、しめられた喉もとからむりやりに声をしぼりだした。
「なんでもいい。知っていることを話せ」
根気よくデュバルはくりかえした。
巨漢は知らねえ、なにも知らねえ、と数度くりかえした後、「だけど」と口にした。
「ヤツら、妖怪退治にいくと、いっていた」
「妖怪退治?」
デュバルは不審に顔を歪めてみせる。
「なんのことだ?」
「ユスフェラの山だ、青い洞窟の、ヴァラヒダの魔物どもだ、あいつら、狂ってる、
いくらなんだってあの妖魔どもにかなうわけがねえ。は、は、離してくれ。頼む」
弱々しくからだをゆする巨漢を、デュバルはなおも不審そうにながいあいだ無言の
ままにらみあげていたが、やがて、ぐい、と後方に腕をひいた。
ラガスの巨体が、ぶうんと半弧を描いて停止し――ふたたび、逆方向に半弧を描い
た。
そのまま、デュバルの手から解放されて――風船のように宙を舞った。
どばんと派手な音が、賭場の内外に同時にひびきわたった。
もうもうとほこりが舞い上がる。
悪夢のような光景だった。
常人の倍以上もある巨大な体躯が、賭場の端から端まで片手で投げ飛ばされ――壁
をつき破って、瓦礫の山にもたれながら半身以上をだらんと外側にたれさがらせたの
である。
店内に異様な雰囲気が立ちこめていた。
おそろしく濃密な静寂が、さほど広くもない内部にあふれかえる。
「だ……だんな……」
やがて、ようやくのことで我にかえったか、まともな人間ではないと一目で知れる
強もての店主がおびえたようなひきつり笑いをうかべながら揉み手をしつつデュバル
にすりよっていった。
「ここはひとまず席におつきになってもらえませんか? 今日はいい酒が入ってるん
ですよ。なんでしたら――」
ゆらりと、向けられた凝視に行き当たって、口にされかけた店主の饒舌が氷結した。
「ユスフェラの山、とやらのことを話してもらおう」
炎のような口調で、デュバルは問うた。
「おれの仇敵――“闇の炎”ダルガがそこにいる」
11 奪われた心臓
さし染める木漏れ日の角度がかなり傾いてきた。
山にわけ入って二日目の陽が、もうすぐ暮れようとしている。
手持ちの地図によれば、目的地である“青の洞窟”までにはあと一日程度の行程で
あるはずだった。
もっとも、古来よりふみこんで戻ってきた者さえほとんどいない場所の地図である。
あてになるものとは考え難かった。事実、記載とはまるでちがう地形をいくつかこえ
てきてもいる。
ダルガを先頭にして五人は、ほとんど声をかけあうこともなく黙々と進行をつづけ
ていた。
おり重なる潅木を山刀で切り払いながら先頭を進んでいたダルガが、ふいに額に手
をやりながらふりかえる。
息をつきつつ全員を見わたし――眉をひそめた。
「エレアはどうした」
ほとんど同時に、アリユスもまた気がついていた。
「ソムラも見えないわね。遅れているのかしら。さっきまでたしかについてきていた
のだけれど」
ダルガはち、と舌をならして左右を見まわし、ふう、と息をついた。
「休息にしよう。みんな、腰をおろせ」
言葉と同時にシェラが、大きくため息をつきながら手近の樹の幹に背中をあずけて、
ずるずると腰を落とした。口には出さなかったものの、相当疲れていたらしい。
微笑をうかべつつ、アリユスもまた安堵の吐息をつきながら腰をおろす。
山牛の背から水袋をとってシェラにわたしながら、ダルガはつぶやいた。
「川をさがさなけりゃな。近くにあるはずだ」
「水がもうないの?」
夢中になって喉のかわきをうるおしていたシェラが、心配顔で問いかけた。
ダルガは首をふりながら、まだだいじょうぶだ、と口にし、つけ加えた。
「だが、いまのうちに補充しておきたい程度には、減っている」
美貌に罪悪感をうかべたシェラを見て、ダルガは無表情のまま小さく首を左右にふ
ってみせた。
「水を飲みすぎるのはよくないが、あんたはさほどがぶ飲みしているわけじゃない。
あのお嬢さまには……もうすこし自制してもらいたいがね」
いって、踏破してきたルートに視線をやる。
エレアの姿はおろか、ソムラの巨体もどこにも見あたらなかった。
「どこに消えたんだ」
いらだちを秘めた口調に、シェラが気づかわしげな顔をして言葉をそえた。
「そのうち戻ってくるのではありませんか?」
なぜわかる、とでもいいたげにダルガは眉間にしわをよせてシェラをちらりと見や
り、無言のまま腕を組んでしばらくのあいだ待っていたが、やがてしびれを切らした
か、
「見てくる」
いいおわるよりはやく、ふみだしていた。
あ、ダルガ、とシェラが立ちあがってあとを追おうとするのをうしろ手で制して
「そこで待っていろ」とふりかえりもせずにいいのこすや、少年の背中はあっという
間に森陰にまみれて見えなくなった。
呆然と自分を見やるシェラにアリユスは、しようがないわね、とでもいいたげに微