#3464/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 96/10/ 6 17: 5 (200)
ヴォールの紅玉(8) 青木無常
★内容
ダルガはひょいと肩をすくめてから、うなずいてみせた。
憎悪にみちた目でエレアがにらみつけるのには、あえて気づかないふりをした。
その様子を横目に見ながら、シェラがダルガにうなずきかえし、
「わかりました」
と代表して答えた。
ほう、と安堵がソルヴェニウスと、そしてわきにひかえる二人の衛兵からまでも流
れてきた。
ちらりとエレアに視線をはしらせる。
下唇をかみしめ、小刻みにからだをふるわせながら刺すような視線でダルガとシェ
ラをにらみつけていたが、当主の孫は何も口にしようとはしなかった。
「感謝の念にたえません」
執事が、深々と頭をさげた。
「それはいいから、サドラのことだ」
ダルガがいった。
「昨夜、このふたりからきいた話じゃ、サドラ自身が妖怪となってこの館をおとずれ
たそうだな。いったいどういうことだか、説明できるか?」
「その質問が、若君の身になにが起こったのか、という意味であれば――答えは否、
です。この屋敷にどういった怪異が起こり、それにサドラさまが……サドラさまであ
ったものが、どのように関わってきたのか、という点であれば、ご説明できますが」
「そのことなら、だいたいはきいている。となると――たとえば、ヤツはなんのため
にそこのお嬢さんを所望しているのか、だが」
癇のつよそうな顔が、きっとダルガを見かえした。
ソルヴェニウスの制止をうけるのを警戒してか、あえて口はひらかなかったが、刺
すような視線で少年をにらみつけている。
その視線を平然とうけとめながら、ダルガは執事をうながした。
「生け贄にさしだせ、と――妖魔の要求はそれだけです。なんのためであるのかは、
私どもにもわかりません」
答えに、ダルガの口調がじれったげになった。
「その妖怪がサドラだとなぜわかったんだ? 似たような顔をしていたのか? そも
そもそのサドラとヴァラヒダの魔物どもとやらとは、なにか関係が――」
いいかけた言葉は、眼前にひろげられた手のひらにさえぎられた。
しわがれ、ひからびた手のひら――占爺パランであった。
ぎくりとしたように、ソルヴェニウスが目をむいていた。
首からさげた宝石を、握りしめるようにしている。気分がたかぶったときの癖なの
であろう。
ダルガは言葉を中断されたことにむっとしながら眉根をよせて占爺を見やり――入
口近くの部屋の壁を凝然と見すえる老導師の様子に気づいて、ハッと口をつぐんだ。
「占爺……」
いぶかしく呼びかけかけたシェラにむけて占爺は「シッ」とするどく制止をかけ――
ゆっくりとした動作で椅子から立ちあがった。
そして――瞼をとじる。
見える片目だけ。
シェラとソルヴェニウスがいぶかしげに目をすがめて、そんな占爺の様子をうかが
った。
アリユスは興味深げに身をのりだす。ダルガは――どうやら、なにが起こっている
のか心得ているらしい。緊張した面もちで、老導師の挙動を注視していた。
見えるはずの左目をとじ、光を宿さぬ白子の隻眼を壁の一角にすえ、パランは慎重
な足どりで二、三歩をふみだした。
現実の像を映さぬアルビノの片目が、その代償に神威の異世を見透すとでもいうの
か――
混濁した凝視をひとしきり壁の一角にすえたまま、パランはアリユスに呼びかけた。
「おまえさん、魔道士というからには、炸裂する妖力をさえぎる“壁”のたぐいをは
りめぐらせることはできるかの?」
アリユスはゆったりとした動作で立ちあがりながら、ええ、できるわ、と簡潔に答
えた。
「よかろう」
凝視を解かぬまま小さくうなずき、やせ枯れた指で壁の一部を指さした。
「そこから来る。ふせいでくれ」
いっさい問いかえさずアリユスは「わかったわ」と短くこたえて胸前で指をからま
せ、占爺の指さす位置をにらみすえながら口中で呪文をとなえはじめた。
清澄な気が、眼前に収束するのを占爺は感得していた。
同時に――これは部屋に集うだれもが、目撃していた。
壁が――ぐねりと、歪んだのだ。
泥土のように歪んだ壁がねろねろと粘液質に渦をまき――
はじけ飛んだ。
破裂したように、褐色の、汚物めいた泡沫が占爺めがけてほとばしる。
それがパランの眼前の空間で、見えぬ壁にさえぎられるように弾きかえされた。
飛び散る汚物が、実体を喪失して虚空に消える。
「いまのは――」
呆然とシェラが口にするのを、さえぎるように――
「つぎが本番じゃ!」
占爺が、叫んだ。
同時に、はじけたように粘液質に口をひらいた壁の中から、ぬう、と――異様なも
のが出現した。
褐色の泥でできた人のようであった。
その、泥人形が目をむきながら唇をすぼめ、ふう、と息を吐いた。
異様な粘液様のものが漏斗状に吹き出された。
「はじき――」
呪文をとぎらせたアリユスが、焦慮にまみれた声でいいかけた。
同時に――
見えぬ壁が、破られた。
「おう!」
うめきを残して占爺のやせ枯れたからだが、褐色の粘液に打たれるようにして吹き
飛ばされた。
「占爺!」
叫びつつ、軌道上にすばやくダルガが移動した。
パランの歪躯を受けとめ、いきおいにおされて五、六歩ほどもあとずさった。
「不覚!」
叫びつつ、占爺にかわってアリユスが出現した化物の正面に立ち、胸で結んだ印の
形をすばやくかえた。
短く、するどい呪文をはしらせた。
見えない風が、褐色の妖魔に吹きつけたようだった。
圧力におされて妖魔の顔がどろりと歪み、いやいやをするようにして手をつきだし
た。
「野郎!」
叫びながら、占爺をかたわらに横たわらせたダルガが抜剣した。
呼気を吐きながら、アリユスもまた見えぬ衝撃を妖魔に向けてたたきこむ。
壁からめり出した妖物は、衝撃をうけるたびに顔を歪ませ、うめきあげた。
どちらが優勢かは見るだに明らかだった。
では――妖魔の顔が苦痛にではなく、歓喜に歪んでいるように見えるのは、目の錯
覚なのか。
アリユスの美貌にも、手ごたえを感じられぬのか奇妙な疑問と不審がうかんでいた。
それを見てとったのか否か――
「アリユス、どけ。斬る!」
叫びざま、ダルガが電光のいきおいでふみこんでいた。
制止するいとまもなく、剣士は一気に結界をぬけて妖魔の眼前にふみこんだ。
銀の軌跡が弧を描く。
額から胸わきまで、妖魔の醜い肉体に縦線がはしりぬけた。
ぶわ、と血がしぶき、妖魔の顔が歪んだ。
苦痛に。
そして、歓喜に。
子どもの落書きのような顔だった。
「痛い」
裂けたような口から、泥沼で毒臭まじりの気泡がはじけたような声音が噴き出した。
「痛い」
くりかえした。
唇の端を、笑いの形に歪めながら。
どす黒い血管のうきあがった異様な形のこぶを、てきとうにもりあげこねあわせた
ような醜貌だった。
半身を壁からめり出した形だが、それだけでも背丈は通常の人間より巨大そうだっ
た。
異様に非対称な、子どもが地面に殴り書きしたような肉体だった。
「レブラス……だな?」
ソルヴェニウスが胸もとの紫の宝石を握りしめながら、呆然とつぶやいた。
そのソルヴェニウスに、妖魔はじろりと視線をむけた。
肉の表面に刃で裂いてつくったような双の眸が、うれしげに歪んだような気がした。
レブラス。
ヴァラヒダを守る三魔人の一。
8 サドラ
「痛い」
うれしげにうめきながら魔人は――裂けたおのれの傷口にぐい、と、肉瘤のもりあ
がった異様な両の手をさし入れた。
ねじりこむようにさし入れ――こじあけるようにして、ぐい、と左右にひいた。
めりめりと音が聞こえてきそうだった。
みちみちと肉がはじけ、ぼとぼとと床上にどすぐろい粘液質の血が落下した。
「痛い痛い痛い痛い」
妖人は笑いの形に唇を歪めながら血泡まじりのよだれを飛ばしてわめいた。
醜い全身が、わなないている。――歓喜に?
「狂ってやがる……」
呆然と目を見ひらき、ぽつりとダルガがつぶやいた。
そのダルガに、妖魔レブラスはじろりと凝視を投げかけた。
身がまえる少年に向けてにたりと笑い、
「おまえ」
と、泥を煮しめるような異様な声音で呼びかけた。
「もっとおれを切れ」
言葉の意味をはかりきれず、ダルガはきょとんと妖人を見かえした。
傷口を裂くのに夢中だった手を未練がましそうに離し、妖魔は壁におしつけた。
肉塊を無造作にもりあげたような巨体が、ず、ず、ず、と壁からせりだしてきた。
ぼとりと、汚物のように落下した。
背丈も幅も、軽くダルガの倍以上はありそうだった。
異様な臭気がさすように立ちこめ、その場につどうだれもが刺激に、目じりに涙を
にじませた。
腐臭であった。
「もっとおれを切れ」
臭気をまきちらしながら魔物は告げ、ぼとりと一歩をふみだした。
対峙するダルガは凝然と目を見ひらいていたが――
ふいに、つ、とその目を細めた。
「おれはひねくれ者でな」
口もとに、薄笑いをうかべていった。
「斬れといわれりゃ、いやになる」
鞘におさめた剣の柄からひょいと手を離し、二、三歩、後退した。
化物の醜貌に、あからさまな失望がうかんだ。
「もうおわりか」
不満そうに告げた。
「おれを切れ」
口にして、ずずと足をふみだす。
同じぶんだけ後退し、ダルガはフン、と鼻をならした。
「自殺なら自分ひとりでやってくれ」
指をつきつけてから、腕を組んでみせた。
「もうおわりか」
化物は失望をかくそうともせずくりかえし――
「なら、おれの中に入れ」
両手をひろげた。
ダルガは、ぽかんと目をむき、腕組みを解いた。
「おれの中に入れ。ひとつになろう」
戦慄すべきセリフを口にしながら、妖物はぼとり、ぼとりと歩をふみだした。
さがるダルガの前に――アリユスが立った。
「アリユス――」
ダルガが気づかわしげに呼びかけるのへ、美貌の女はちらりとふりかえって微笑ん
でみせ、
「レブラス?」
眼前の妖魔に向けて、問うように呼びかけた。
「あなたがレブラスね?」
妖魔はこたえず、しばらくのあいだ美貌の女をしげしげと眺めやっているばかりだ
ったが、やがてうなずいた。
「おれがレブラスだ。おまえはだれだ? おれとひとつになるか?」
アリユスはこたえず、握った拳を肩口にかまえた。
「レブラス! ラッハイの名にかけて“空”の檻に退け!」
叫びざま、投げつけるようにして拳をひらき、つきだした。
くあ、とレブラスがうめいた。
同時に――油膜のようなものを表面にはしらせた巨大なシャボンが、妖魔の巨体を
つつみこむようにして出現した。
「おお?」
と化物は目をむき、四肢をあがかせたが、つるつるとすべるばかりで一向に破れる
気配さえない。
「“ラッハイの檻”」
微笑みながらアリユスは宣言し、ゆったりとした足どりで後退した。
「これはなんだ」