AWC ヴォールの紅玉(7)       青木無常


        
#3463/5495 長編
★タイトル (GVJ     )  96/10/ 6  17: 2  (200)
ヴォールの紅玉(7)       青木無常
★内容
「おい――」
 声をかけながらダルガが、一歩をふみだした。
 瞬間――
 老人は、ひい! と激烈に叫んで足がきながらぐいぐいと壁に身をおしつけはじめ
た。
 壁の内部に消え入ってしまいたい、とでもいいたげな、激しい拒否と恐怖である。
 ふみだしかけた足を凍らせてダルガは立ちどまる。
 老人が――あるいは、その外見をもつ若き剣士が?――口中でなにやらぶつぶつと
懸命になってとなえていた。
 呪文のたぐいかと耳をすますと――
 よるな、よるな、それをよせるな、もうたくさんだ、よせないでくれ、なんでも話
す、いやだ、よるな、やめてくれ……
 そのようなことをくりかえし、口にしているらしい。
 困惑しつつダルガがさがっても、無惨な様子の男はその身を壁におしつけたままう
めき、つぶやきつづけるだけだった。
 四人は無言で顔を見あわせ、今度はシェラがうなずいてみせた。
「あの、もし、剣士さま……」
 微笑みながら極力やわらかく口にしつつ、手をさしのべた。
 とたん、男の喉がひっと音を立て、口にする文句のトーンが一段階あがった。
 足がきながら、ずりあがるように壁と壁の角に身をおしつける。
 ひどいおびえようであった。
「灯りをもちこむだけでこのありさまです」
 抑揚を欠いた口調で、ソルヴェニウスがいった。
「何人たりともいっさいよせつけようとはしません。ちょっとした物音にさえ過激に
反応し、食事にも、水にさえほとんど手をつけようとはしません。おそらく、もう二、
三日と生きられないでしょう。むりやりに話をきこうとすると、このようにわけのわ
からない言葉をくりかえすばかりなのです」
「戻ってきたのは?」
 ダルガの問いに、
「一週間ほど前のことです」
 と青年は答えた。
 四人はなおも呆然と惨状をながめわたしていたが、やがてだれからともなく踵をか
えし、部屋をあとにした。
 灯火が扉のむこうに消える一瞬、ようようのことで男は壁からずりおちるようにし
て身をはがしたようだった。

    7 ヴァラヒダの魔

 三階に位置する、町と山々を一望のもとに見わたせるひろい窓のひらいた一室へと
四人は通された。
 テーブルには酒壷と杯、それにごく簡単な酒肴とがならべられている。
 先刻の庭園でと同様に、上座には老タグリが枯れ木然と腰をおろしており、部屋の
入口に彫像のように衛兵がたたずんでいるのもおなじだった。
 灯火は極力おとされ、腰をおろしたまま夜景がよくながめられるように配慮されて
いる。
「ほかにご質問はございますか?」
 あいもかわらず能面のような顔をして、改めて問う美青年に、席につくやいなやダ
ルガが口をひらく。
「ユスフェラの山、といったか?」
「さようでございます」
「なにがいる?」
 単刀直入に、そうきいた。
 ソルヴェニウスは寸時、言葉をつまらせたようだった。
 が、すぐに淡々とした口調でいった。
「ヴァラヒダの魔物、と土地の者は呼びならわしております。凶悪な、妖魔です」
 話によると、その魔物の正体はさだかではないらしい。
 いつのころからか谷に隣接した山奥深くの“青の洞窟”と呼ばれる場所にそれらは
住みつき、通りがかる者を惨殺するようになったのだという。帰還する者はごくまれ
な上にそのほとんどが先の剣士トーラのように気がふれているため、具体的に何がお
こなわれているのかは噂、伝説のたぐいでしか知られてはいない。
 その伝説によると――魔物はぜんぶで三匹。深山の地の底深く封じこめられたある
強大な魔族の主を守護するためにそこにいるのだという。
 名は、レブラス、マラク、そしてシャダーイル。
 外見や、どのような特徴をもっているのかなどはさまざまな説があって一致しない。
 それでも、その中から共通するきわだった特徴をあげるなら、妖魔は三体とも成人
男子の倍ほどの体長を有しており、一匹は角のある獣の姿で、また一匹は女の姿をと
ることがあるのだという。
 膂力は強く、一撃で人間などひきつぶしてしまうほどのものらしい。
「そいつらが守護している“魔族の主”てのは?」
 ダルガが問う。
「それがヴァラヒダと呼ばれるものです。もっとも、実在しているのかどうかは、や
はりわかりませんが」
「まともな状態で帰還した者はひとりもいない?」
「はい。ただ……」
 とその時、ソルヴェニウスがはじめて、迷うようにいいよどんだ。
 ダルガは目を細め、パランはほ、とおもしろそうに喉をならした。
「……ただ?」
 アリユスが優雅に姿勢をかえながら、にこやかに問いかける。
 なおもこたえず、ソルヴェニウスはかたわらの老人に視線をむけた。
 小刻みにこくこくと、老人は人形のようにうなずいてみせた。
「魔物の出没する場所ではありませんが、山にながいこと、こもっている者はいます」
「ほう」
 とパランが感心したように声をあげた。
「名をガレンヴァール、といいまして――」
 ソルヴェニウスがそこまでいいかけたときだった。
「おじいさま!」
 刺すような声音が、薄闇をついてとどけられた。
 巨漢の衛兵二人に守護された入口から、小柄な人影が子犬のようないきおいで飛び
こんできた。
 ながい、淡い色の髪を塔のように結いあげた、気の強そうな顔だちの少女であった。
 年齢は十五、六。ダルガやシェラと同年代とみえた。
 瀟洒なドレスに身をつつみ、髪、額、首、腕、指、そして足首とほぼあらゆる場所
に宝玉の入った飾りものがしゃらしゃらとゆれている。
 そして、これも宝石のように淡い輝きの瞳ですばやく室内を一瞥してダルガたちの
姿を目にとめるや、ふたたび叫んだ。
「下賎の者!」
 と。
 痩身の美青年が、少女からは顔をそむけつつ苦りきったように眉宇をよせる。
 と、そのとき――
「エレア……」
 痰のからんだ声音が、初めて四人に判別できる言葉を発した。
「おじいさま!」
 こたえるように少女が叫び、つかつかと老タグリのもとへと歩をすすめた。
「どういうおつもりですの? このような下賎のやからを、屋敷に入れるなど。わた
くしは父様のなさることにおそれなど抱いてはおりませぬ。召そうとおっしゃるので
あれば、わたくしはよろこんで父様のもとに召されます。おやめください、父様に「
「」
 じろりと、四人の招待客に視線をむけた。
 憎悪の炎が、めらめらとゆらめいていた。
「このような、無頼の者どもをけしかけるなど!」
 吐き捨てるようにしていった。
 エレア、と老タグリはまたしても血がまじっていそうな声音で少女の名を呼び、ふ
るふると力なくふるえる手をさしのべるようにしてあげた。
 と、その手をソルヴェニウスが制するようにそっと握って椅子の手におろさせた。
「おじいさま!」
 なおもかけよろうとする少女――老タグリの孫、エレアに、ソルヴェニウスは優雅
なしぐさで手をあげてみせた。
「おまちください、エレアさま」
 静かだが、決然とした口調で青年はいった。
 とたん――ちいさな拳を握りしめていまにも祖父にくってかかりそうないきおいだ
った少女が、ぴたりとその歩をとめた。
 美貌の青年の顔を、しげしげとながめやる。
 ひそめられた眉の下の目には、おのれの行動をおしとどめられたことに対する非難
以外に、もうひとつべつのものがうかんでいた。
 思慕である。
 どうやらこの豪族の娘は、当主の執事であるこの青年に恋心を抱いているようであ
った。
 青年自身もそのことは自覚しているのであろう。
 冷たい瞳で深々と少女を刺しつらぬくように見つめながら、つづけた。
「おかけください」
 呼応するように、ふみこんでいた衛兵の一人が、エレアのもよりの椅子を後ろにひ
いてみせた。
 対して少女は、息をのみ、結んだ拳をひらいてはもどかしげに胸前でからませあい、
上体をのりだしてうったえるように口にした。
「だって、ソルヴェニウス、父様は――」
「サドラさまはすでにお亡くなりになりました」
 冷然と、美青年はエレアの言葉をさえぎった。
 首からさげた紫の宝石を、にぎりしめるようにして手にしている。
「夜ごとエレアさまをたずねくるのは、サドラさまではありません。あれは……」
「ソルヴェニウス!」
 悲鳴のように、エレアは叫んだ。
 非難と否定であるよりは――哀願と、そして甘やかな慰撫を求める媚びのようなひ
びきだった。
「あれは汚れた妖物にほかなりません」
 断ち切るようにソルヴェニウスは、淡々といい放った。
 呆然としたようにエレアは青年の美貌を凝視した。
 と、ふいに、その瞳からどっと涙があふれ落ちた。
 両手に顔を伏せて泣きじゃくりながらエレアは、引かれた椅子に崩れるようにして
腰をおろした。
 エレア……と、老タグリがみたび、少女の名前を口にした。
 こたえるように、ぴたりと泣き声をとぎらせて少女は祖父をきっと見やり――
 さっと視線を移動させ、真一文字に唇をひきむすんだまま、なおいっそうの憎悪を
つのらせてダルガたち一行をひとにらみした。
「エレアさま」
 とがめるようにソルヴェニウスが口にするのへ、つんと顎をそらして顔をそむける。
 そのまま、傲然と胸をそびやかしたまま豪族の娘はすすり泣きに身を小刻みにふる
わせた。
 そんな少女の姿をしばらく見やり、やがて執事は無表情のまま招待客らに向きなお
った。
「ユスフェラの山にこもっている者の話でしたね」
 淡々とした口調で、話を再開する。
「名をガレンヴァール、というそうです。素性はまったく明らかではないのですが、
話ではザナールの海のむこうからわたってきた魔道士だということです。なにをして
いるのかはわかりませんが、もうずいぶんとながいあいだ、あの山にこもって妖魔の
追求を避けながら暮らしているようなのです」
「その男、見た者はいるのか?」
 とダルガ。
「山に入る前と、その後もいくたびか。まるまると太った格幅のいいにこやかな老人
だということです。ただ……うわさでは、このガレンヴァールなる老人もヴァラヒダ
の魔におとらず剣呑な人物ではないか、といわれております」
「目的は、まるでわからないのか? そのガレンヴァールの目的は」
 瞬時、ちらりと意味ありげな視線が、ソルヴェニウスと老タグリとのあいだでかわ
されたように見えた。
 が、返答はほとんど遅滞なくかえったきた。
「皆目わかりません。あるいは妖魔の眷属ではないか、とさえ申す者もいるようです
が……」
 ふん、と鼻をならしてダルガは顎に手をあてた。
「ほかに、ございますか?」
 慇懃な問いかけに、ダルガはじろりと横目で見やり、
「ある」
 と答えた。
 目顔での問いかけに、酒壷から杯に火酒をみたしてぐいとあおり、口もとをぬぐっ
てから、
「サドラのことだ」
 と口にした。
 きっと、エレアがダルガをにらむ。
 同時に、びくり、と老タグリが枯れ木のようなからだをふるわせた。
 かたかたと口わななかせ、背もたれから起きあがる。
「タグリさま」
 気づかわしげにソルヴェニウスがそっと手をとるのへ、激しいしぐさで老人は耳を
よせさせ、興奮したていでなにごとかを告げた。
「わかりました。わかりました、タグリさま」
 なだめるように青年は老人の背中を羽毛のようにたたきながらおちつかせる。
 老主人がふたたび背もたれに深々と背をあずけるのを待ってからようやくのことで、
ソルヴェニウスは四人に向きなおった。
「ご質問を。ですが、可能でしたらその前に、わが主の依頼を引き受けてくださるか
否かだけでも、お答えいただければ助かるのですが」
 アリユスとシェラがダルガに目をやる。
 とりわけシェラは、すがるような視線だった。よほど老人の様子にあわれみの念を
抱いているのだろう。




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