#3462/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 96/10/ 6 16:58 (200)
ヴォールの紅玉(6) 青木無常
★内容
6 生還せし者
山間の田舎豪族にはふさわしからぬ豪邸をたずねた四人を迎えたのは、昨日のラガ
スにも劣らぬ巨躯をほこる、無口な二人の衛兵だった。
彫りの深い、像のような顔立ちをした衛兵はその容貌にあわせるようにほとんど口
をきくことなく、無言のまま四人を先導した。
広大な敷地を、白い高貴なかがやきの石の階段や褐色煉瓦敷のスロープ、瀟洒にか
ざりつけられた遊歩道などを経て、森を背にした庭園へとたどりつく。
西方に夜の先兵が紅の抱擁をひろげていた。
庭園のあちこちにたいまつが灯され、炎のゆらめきの下、山海の珍味を盛り合わせ
たテーブルを前に、ひとりの老人が椅子に腰をおろして目をとじていた。
うつらうつらと、舟をこいでいる。
老人のわきには無表情な、氷のような顔貌をした痩身の青年がひっそりとたたずん
でいた。したてのよい礼装に身をつつみ、首には紫色の玄妙なかがやきを放つ宝石を
さげている。
「ようこそおこしくださいました、こちらが当家の主のタグリさま。そして私は執事
のソルヴェニウスともうします」
無表情に美貌の青年はそう告げて頭をさげる。
それが合図であったように巨漢の衛兵がそれぞれの席をさし示し、アリユスとシェ
ラのために優雅なしぐさで椅子をひいた。
そうして四人が腰をおろしても、二人の衛兵も痩身の青年も、招待主を起こそうと
はしなかった。
所在なげに顔を見あわせるアリユスとシェラを尻目に、ダルガはかるく肩をすくめ
てみせただけで、つ、と身をのりだし、眼前に盛り上げられた料理に手をのばす。
「これ、行儀がわるいぞ」
声をひそめつつ突き出されるパランのひじを、かるく身をひねって避けながらダル
ガは、串焼きにされた獣肉を指で串からひきぬき、口中にほうりこむ。
アリユスとシェラはあわてて正面に腰をおろした老人に、ついでそのかたわらにた
たずむ青年に視線をむけた。
老人はあいかわらず椅子の背もたれに身をあずけて目をとじたまま。
痩身の美青年のほうはといえば、とがめるでもなく無表情の仮面に顔をつつんだま
ま、身じろぎひとつせずたたずむばかりだ。
どうすればいいのか判断がつかず、ふたりは顔を見あわせた。
「うまいな」
そんな周囲の困惑にはまるで無頓着に、ダルガは香辛料をふんだんに使って油で焼
き上げたらしい野菜の山にこれも手づかみで手をのばして口に運ぶところだった。
「この野人めが」
あきれたようにパランがつぶやき――やけ気味にこれも、そのしわがれた手を眼前
にならぶ豪華な夕餉にのばした。
そのとき、痰のからんだような奇妙な声が、ひびいた。
お、とあわててパランは手をひっこめる。ダルガは、野菜炒めを咀嚼しながら異音
のほうに視線をのんびりとむけた。
しわにうもれた枯れ木のような老人が、小さく、よわよわしくからだをふるわせて
いた。
どうやら笑っているらしい。
いまにも砕けて、塵と化してしまいそうな風情だった。
ごぼごぼと喉をならしながら、まるで断末魔の苦痛によわよわしくのたうつように
笑い、老人はわずかに顔を上むかせた。
その動作の意味をいちはやく察したか、かたわらの痩身の青年が遅滞なく老人の口
もとに耳をよせる。
美貌の青年の耳に枯れた唇をおしつけるようにして老人は――どうやら、なにごと
かを告げているらしい。
ずいぶんながい時間が経過したような気がした。
青年ソルヴェニウスが小さくうなずき、一同に向きなおる。
「ようこそおいでいただきました。たいしたもてなしもできませんが、今宵は存分に
酒肴をたのしんでいただきたい――と、主人がもうしております」
細工もののような視線を順々に四人にめぐらし、感情のまるでこもらぬ声音で告げ
た。
げんなりとしているのをおしかくすようにアリユスとシェラが微笑みながらうなず
いてみせる。
ダルガは第二の肉料理に手をのばすところだった。
暮色の頭蓋をおとして手をひろげる深い闇の底で、奇妙な夜宴がはじまった。
占爺パランが食事を口にはこびながらも場をとりなすようにつぎつぎと、毒にも薬
にもならぬ四方山話をならべたてたが、それにあいづちをうったり質問の言葉をさし
はさんだりするのは、もっぱらアリユスとシェラばかりだった。
痩身の青年はうっそりと無表情にたたずんだまま、老人が身ぶりで呼ばぬかぎりは
身じろぎひとつしようとはしない。
彫像のような二人の衛兵は庭園の入口で、まるでイームレス神殿の門口にすえられ
た神獣の像のようにまじめくさった顔つきで警護に余念がない様子。
ダルガにいたっては、場をとりつくろおうとするパランやシェラたちにも、眼前の
招待主の動向にもまるで興味を示さず、旺盛な食欲をいかんなく発揮しているばかり
である。
そして――当の、招待主である老人は――これまた眠っているのか目覚めているの
かさえさだかではない、しわに埋もれた醜貌をうつろに背もたれにもたせかけ、とき
おりもぐもぐとなにやら空虚をでも咀嚼するように口のあたりをうごめかすばかりで、
食事に手をつけようとも、会話の輪に加わろうともせずただそこに腰をおろしている
だけだった。
ついにたまりかねたか占爺パランが、となりに腰をおろしたシェラにぼそぼそとさ
さやくようにして問うた。
「以前の会見のときも、このような雰囲気であったのかの?」
こたえるシェラも声をひそめるように、
「はい。そのときは屋内だったのですけれど、やはりおじいさんはほとんどお話しに
ならず、耳うちしたことをあのかたが代弁なさるばかりでした」
もっとも、事件の概要を語るのにいちいちそれほどの手間をかけたわけではなく、
結果的にほとんどの会話は青年とアリユスとのあいだで交わされたため、今日ほどの
違和感はなかったらしい。
それをきいてパランはひそかにほう、と息をつき、
「どうもわしの占いも最近では、ろくでもない結果ばかりを招来するようじゃわい」
ため息まじりにひとりごちた。
どうやらダルガとパランがこの場にいるのも、もとはといえばパランの占術の示唆
するところによるらしい。
となれば――賭場のひらかれたあの酒場で、アリユスたちとダルガたちとが遭遇し
たのも、まるで偶然ではなかった、ということになろうか。
いわば、命運が呼びあった、とでもいうべきなのかもしれない。
ともあれ、奇しくもその接点となる役まわりをになった老人は――
ダルガの旺盛な食欲がようようのことで一段落ついた、とおぼしき時を待っていた
かのように、つ、と紙きれのようにたよりなげな細腕をあげた。
力ない風情だが、にもかかわらず動作のひとつひとつが電光のような効果をおよぼ
すのは、すわっている時の屍体のような静けさとの対照によるのであろう。
青年ソルヴェニウスは遅滞なくうなずいてみせ、ぱん、とひとつ音高く手を打った。
どこにひかえていたのか、無数の侍女たちが立ちあらわれ、卓上の皿をつぎつぎに
さげていく。
それがおわると今度は、まったくべつの制服を身につけた初老の男が十人――手に
手に盆をささげもって静かにあらわれた。
順に、テーブルの上に盆をおろしていく。
盆の上には、革製の小袋が山積みになっていた。
そのうちのひとつを青年が手にとり、無造作に中身をあけた。
金貨がじゃらじゃらとひろがった。
「これが約束の金子です」
ひろげられた金貨を手のひらで優雅にさし示しながら、痩身の青年は淡々と口にし
た。
「おひきうけいただければ、今この場で、盆のひとつがあなたがたのものです」
ふむ、とパランが顎に手をあてながら身をのりだした。
ダルガは目をまるく見ひらいている。
奇妙なのは――シェラとアリユスの反応であった。
アリユスはいつもどおりの神秘的な美貌で平静に金貨の山をながめやっているだけ。
シェラにいたっては――つ、と、目を細めて冷ややかに全体をながめやっているの
だった。
上品で人のよさそうなふだんの様子とは、まるでちがう奇妙な反応であった。
ともあれ――
「いかがでしょうか」
静かにそう問う美青年にむけて、ダルガが手をあげた。
視線での問いかけに、少年はあいかわらずの仏頂面で、
「いくつかきいておきたいことがある。いいか?」
青年が無言でうなずくのを待って、質問を口にした。
「まずひとつめだ。山へわけいった隊の規模」
「当家の世継ぎであらせられましたサドラさまを筆頭に、三十人」
よどみなくソルヴェニウスが答えた。
「剣士か?」
「先読みがひとり。あとはすべて、都で剣技をおさめ兵役をおえた剣士です」
「全滅だったのか?」
「ひとりをのぞいて」
淡々とした青年の答えに、一同は目をむいた。
「……サドラのことか?」
当主の息子を呼びすてにされたせいか、ソルヴェニウスはその形のいい眉宇をかす
かによせてみせた。
が、あえてそのことをとがめはせず、答えた。
「いいえ。トーラという名の若い剣士です」
ちらと、ダルガたちは視線をかわす。
「お会いできますか?」
シェラがきいた。
「できればお話をおきかせ願いたいのですけれど」
すると青年は表情をくもらせながら首を左右にふってみせた。
「お会いになっていただくのはかまいませんが、お話しいただくのはおそらく無理で
あろうと思われます」
「それはなぜ?」
おちついた声音でアリユスが問う。
「気がふれているのです」
ぽんと、放り出すように無造作な口調で、ソルヴェニウスはそういった。
四人は無言で顔を見あわせた。
「会ってみたい」
やがてダルガがそういった。
「いますぐが、よろしいでしょうか」
意外そうにでもなく青年が問うのへ、ダルガはうなずいてみせる。
執事は無表情にうなずいてみせると、ふたたび、ぱん、と手をならした。
十人の初老の紳士が再度あらわれ、テーブル上におかれたずしりと重そうな盆を空
気のようにもちあげて下げはじめた。
「ではこちらへ」
同時にソルヴェニウスがいって通廊へと歩をふみだす。
巨漢の衛兵のひとりが、老人のすわる深い椅子を軽々ともちあげ、肩にかつぎあげ
た。
ソルヴェニウス、老人をかつぎあげた衛兵、ダルガ、シェラ、占爺パラン、アリユ
ス、そして衛兵の順で一同は移動した。
屋敷の入口で、灯火の皿を手にした侍女が待っていた。
その侍女を先頭にして天井のやけに高い邸宅に入る。そこですぐに、二人の衛兵と
それにかつがれた老タグリとが道をわかち、侍女にひきいられた五人はながい廊下を
経て地下へとつづく階段をおりた。
灯火の列が煌々と灯されている。一日中この光が絶やされることはないのかもしれ
ない。
やがてソルヴェニウスはひとつの部屋の前にたちどまり、一同をふりむいた。
「こちらです」
ダルガたちがうなずくのを待って、おもむろに扉をひらいた。
暗闇の奥底で、ひ、と、刃を引くようなかんだかい声音がちいさくひびいた。
ソルヴェニウスが侍女にむけてうなずきかける。
それに侍女は一礼してから、ゆっくりと室内に歩をふみいれた。
とたん――
「ひ……ひい、ひい、ひい」
身も背もない悲鳴が、闇奥へといざる気配があった。
逃げる獣を追うように、灯りをかかげた侍女がさらに数歩をふみいれる。
悲鳴は一段とたかくなった。
つづいて歩みいったダルガたちは、窓ひとつない殺風景な部屋の角に、身をおしこ
むようにしてふるえながら悲鳴をあげる老人を発見した。
ゆらめく灯火に風貌はさだかにはわからないものの――それはどう見ても、老人に
しか見えなかった。
先の話では――生還したのは、若い剣士であったはずだ。
ダルガが無遠慮にそう問うた。
「そのとおりです」
と、執事ソルヴェニウスが答えた。
「われわれもいまだに信じられません。ですが――この男は当家で発行している身分
証を所持しておりました。帰還したおりにつけていた制服も、トーラのものと確認さ
れております。顔も、トーラのおもかげが残っていると幾人かが証言いたしておりま
す。もっとも――」
と、痩身の青年はこのとき初めて、表情らしきものをその美貌にはしらせた。
戦慄であった。
「この無惨なありさまでは、あまり当てになる証言ではないかもしれませんが」
部屋の角に身をこすりつけるようにしてふるふると激しくふるえる老人の面貌には、
たしかに常人のおもかげはかけらも残されてはいなかった。
刻印されたものの正体はだれにでも明白にわかる。
恐怖だ。