AWC ヴォールの紅玉(9)       青木無常


        
#3465/5495 長編
★タイトル (GVJ     )  96/10/ 6  17: 8  (200)
ヴォールの紅玉(9)       青木無常
★内容
 シャボンの内部で、レブラスがうめいた。
「これはなんだ。痛くない。ぜんぜん痛くない。これはよくない。まったくよくない」
「おかしな妖魔だぜ」
 あきれたようにダルガがつぶやいた。
 かぶせるように、
「すばらしい」
 ソルヴェニウスの感嘆の声があがった。
「ヴァラヒダの魔のひとつを、こうも簡単に封印してしまうとは!」
「だまって」
 ちらりとふりかえって、アリユスがいった。
 妖魔にむけた笑顔とはうらはらに、きびしい顔つきをしていた。
 いぶかしげに眉をよせながら、ソルヴェニウスはつづく言葉をのみこんだ。
 ながくはとりあわず、アリユスは妖魔に向きなおる。
「レブラス、問いにこたえなさい。サドラはあなたたちの仲間になったの?」
 とたん、妖魔がこたえるよりはやく、
「父様を侮辱するの?」
 エレアが立ちあがって叫んだ。
「すわってて」
 あわてて、シェラがなだめにかかる。
 とりあわず、アリユスは妖魔をにらみすえたままだった。
 シャボンの内部で妖魔は、裂けたような双眸を見ひらいた。
「ヴァラヒダは復活した」
 問いかけるような顔をしたまま、そういった。
「あらたなる精神をともなって。われらがあるじなり」
 ダルガは鼻の頭にしわをよせた。
「サドラのことを問うたんじゃないのか?」
 対してアリユスは――ふりかえりもせず、答えた。
「そのはずよ。そして、その答えが――ヴァラヒダ?」
 そのとおり、と返答がかえった。
 一同の、背後から。
 ふりかえる一同の前、老タグリの腰かけるすぐうしろの空間に――
 異様なものが、出現していた。
 騒然とした沈黙が空間をうめる。
 幽霊のように、ゆらめく人影。
 後頭部に、ぼやけたような奇妙な乳白色のもやがうっすらと燐光を放っていた。
 その位置からつりさげられてでもいるように、その人影はだらりと両の腕を空中に
たらしたまま、室内を睥睨している。
 腰から下は、やはり乳白色のもやのようなものにつつまれて判然とはしていない。
 口もとに、かすかな笑みをうかべていた。
 後頭部のもやと、全体がゆらめきながら透きとおっていることを除けば、レブラス
のような化物と同類には見えなかった。
 年齢は四十代とおぼしき、ごくふつうの男性のようであった。
 その人影が――
 ゆっくりとめぐらす視線を、ぴたりととめた。
 エレアの上で。
「父様!」
 エレアが叫び、同時に――
「おお、ヴァラヒダ」
 ――レブラスが、口にした。
 きこえなかったように、エレアが亡霊にむけて遮二無二かけよろうとした。
 すばやくソルヴェニウスが、背後から少女の華奢なからだを抱えこんで制止した。
「エレアさま!」
「離して!」
 悲鳴のように叫び、激しくもがいた。
 ソルヴェニウスの予想をこえる激しさだった。
 あっという間に青年の捕縛をふりもぎ、エレアは妖霊にむけて疾走した。
 たん、とその眼前に、黒い影がおどりでた。
 ダルガ――と一同が認識するよりはやく少年は、エレアのみぞおちに当て身をくれ
て昏倒させた。
 くたくたと崩れ落ちる小柄な体躯をうけとめ、呆然と目をむくソルヴェニウスにす
ばやくわたすや、剣の柄に手をあてて向きなおった。
 妖霊に。
「何者だ?」
 身がまえ、にらみあげる姿勢で問うた。
 答えるように、しゅ、う、う、と、妖霊は吐気をはしらせた。
 かぐろい闇が、その口もとから炎のようにわきあがった。
 そして、尋常と見えた顔に――裂けるような笑いがうかびあがった。
 ぞろりと、舌が唇をなめまわした。
 ――一枚ではない。
 裂けたような口から十枚以上の舌があらわれ、ひとを小馬鹿にするようにしてうご
めいたのである。
「エレアをわたせ……」
 黒い息を煙のように立ちのぼらせながら、妖霊はいった。
「ことわる!」
 ダルガの背後でソルヴェニウスが、宝石をその手に握りしめながら決然と口にした。
 きこえぬように、妖霊はくりかえした。
「エレアをわたせ……贄にする……」
「結界はどうなっている?」
 妖霊と対峙したまま、ダルガはソルヴェニウスにきいた。
「もう、ほとんど」
 言葉をとぎらせてソルヴェニウスはごくりと喉をならした。
「破られているようです。行をなした僧は……前回の襲撃のとき、命を落としていま
す」
 ソルヴェニウスのその言葉をきいてアリユスはいぶかしげに眉宇をよせてみせたが、
ダルガは気づかぬまま、ち、と舌をならした。
 打ちこめば、一撃で両断できる距離だった。
 が、打ちこんで効果があるとは思えなかった。
 眼前にゆらめく妖体が実体をそなえているようには見えない、ということはさしお
いても――
 この異様な鬼気を発する存在に、剣による斬撃が効果を発するとは、どうしても思
えないのであった。
「くそ」
 うめきながら、無意識のうちにあとずさっていた。
 無力感にかみしめた唇の端から、血がしたたった。
「エレアをわたせ……」
 妖霊がつぶやくように口にして、すう、とその両手をさしだした。
 ぎ、と奥歯をかみしめ、ダルガはさらに姿勢を低くした。
 無理を承知で、打ちこむか。
 逡巡を決意にかえようとする一瞬――
 かたわらから、影がすすみ出た。
 ――アリユスか?
 妖霊からは視線をはずさぬまま、ダルガは視界のすみで影を見やってそう思った。
 ちがっていた。
「おひきとりください」
 静かな声音で、妖霊に向けてそう呼びかけたのは――シェラだった。
「いずれわたしたちから、あなたのもとへ参ります。どうぞおひきとりください」
 静かな声音で、決然と、いい放った。
 妖霊は裂けるような笑みをうかべてシェラを見やり――つぎに、その視線を老タグ
リのもとへと、移動させた。
「父上……」
 深く、底ひびく声音が虚無を背負った老人にかけられた。
「望みのものを……私は間もなく手にする……。そのために必要なのだ……エレアが
……!」
 つ、と、その両手をさしだした。
 水を渇望する沙漠の旅人のように。
「娘を……わが愛しき娘を……この手に抱かしめよ……父上……!」
 すう、と、もやのような背後の空間もろともゆっくりと滑空しはじめた。
 く、と喉をならしてダルガは一歩をふみこみ、迎えうった。
 銀線が妖体の額から腹中まで、一文字にはしりぬけた。
 ――いかなる手ごたえもなく。
「くそ、きかねえ!」
 焦慮に色彩られた声で叫び、かばうようにしてシェラの前に立ちはだかった。
「道をあけよ……」
 むきだした目をダルガに向けて妖霊が告げる。
「われは地の底の王ヴァラヒダをとりこみ……融合し……復活した……。残るは永遠
をこの手に入れるのみ……。人なる脆弱な定命のものに、われをさえぎることあたわ
ず……道をあけよ……この、サドラ・ヴァラヒダに……!」
 手をさしだした。
 実体をもたぬその手が、ふれるかふれぬかのうちに――ダルガは、己が全身から力
がすうと吸い出されていくのを感じていた。
 ふみとどまろうとする意志ばかりが空まわり、少年のからだは芯がぬけたようにく
たくたと崩れ落ちた。
「ダルガ!」
 おどろいてシェラがささえるのに、かろうじて、逃げろ、と口にした。
 従わず、シェラは眼前の妖霊――サドラ・ヴァラヒダに、きっと視線を向ける。
「退け、邪悪なるもの!」
 凛然といい放ち、印を結んだ。
 光が小さくはじけた。
 飛んで、妖霊の顔面をたたいた。
 飛沫のように砕け散る。
 サドラ・ヴァラヒダが笑った。
 笑いながら両の手を、シェラにむけてさしだした。
 ダルガを抱えこんだまま唇をかみしめて立ちつくすシェラの背に――
「もう一度!」
 アリユスの叱咤が、飛んだ。
「もう一度! 炎の呪! わたしが援護する! ――ダルガと同調して!」
 最後の一言の意味をはかりかねて、瞬時のあいだ、躊躇した。
 考えない。
 そう決めて、指示どおり印を結び、気中にひそむ炎を念じて収束させた。
 結節点を、ダルガにすえる。
 渦をまく紅が白光にかわる。
 気合いを打ちこんだ。
 同時に、背後からアリユスの気合いが重なる。
 打ちだされた白光がサドラ・ヴァラヒダの胸部に吸いこまれた。
 消失する。
 だめか――
 絶望感を、シェラは感じていた。
 アリユスは後悔のほぞをかみしめた。賭が外れたのだ。
 すぐに二撃を準備する。シェラとダルガは――すでに戦力から除外していた。
 は、は、は、と笑いながら妖霊がさしだした手をシェラの額にのばした。
 瞬間――
 動作が、凍結した。
 笑いの形に歪んだ口もとがOの字にひらき、むき出した両眼が、信じられぬように
して凝視する。
 シェラと――ダルガを。
 はりめぐらせた銀の細線をはじくような緊迫が室内にあふれかえり――
 一瞬ののち、絶叫がほとばしった。
 妖霊、サドラ・ヴァラヒダの喉奥から。
 十数枚の舌を吐き出すようにしてわななかせ、顎を狂おしくさすりかきむしりなが
ら妖霊は、内臓を嘔吐するごとく絶叫した。
 ほぼ同時に――あばらの浮き出たおぼろな胸部が、弾けるように八方にむかって割
れ裂け、青黒い粘液を炸裂させた。
 追って、炎の幻像が燃えあがる。
 もやに固定されたまま妖霊はうつろな像を激烈にもがかせ、血の息と炎の叫喚とを
たてつづけに吐き出しつづけた。
「ヴァラヒダ――おお、ヴァラヒダ――」
 泥沼がはじけるような不快な声音が呆然と連呼するのを背後にきいて、アリユスは
ハッと我にかえった。
 どうやら、賭は成功したらしい。
 予測をはるかにこえた威力をともなって。
「ダルガ……暗黒の龍……炎……」
 つぶやき――疑問と不審は後まわしにすべき時であることに、思いあたった。
 短く呪文を口にして印を結び、打ちだした。
 見えぬ風の幻像が妖体の顔面で弾け飛ぶ。
 サドラ・ヴァラヒダのおぼろな妖体が、背後にむけて吹き飛ばされた。
 胸部で噴き上がる白熱の業火が、一段とそのいきおいを増した。
 苦鳴が闇を裂いて世界を呪う。
 アリユスの属性は風。
 炎を補完する。
「いまここで……!」
 つぶやき、風の迫撃を連打した。
 ユスフェラの山の底にひそむ魔の首魁をここで討ち滅ぼすことさえできれば、事の
打開は格段に容易になるはずだった。
 全霊をこめて、攻撃を加えた。
 シェラの援護は、あえて望まなかった。修業途上の見習い魔道士であることを除外
しても、少女の属性は水――全力をふりしぼればふりしぼるほど、ダルガを介して燃
やした滅びの炎を鎮静させるおそれがあったからだ。
 打ちつづけた。
 打つたびに妖霊は弾けるようにあとずさり、がくがくと全身を折り曲げてうめき、
わめいた。




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