#3452/5495 長編
★タイトル (RAD ) 96/ 9/23 23:44 (189)
「春愁」(5) 悠歩
★内容
僕だって、若くて健康な男の一人。
一ヶ月もの間、我慢している事のほうが不自然なんだ。
そう思うと、もう一秒たりと我慢をする事が出来ない。
テッシュの箱を引き寄せ、ズボンのジッパーを降ろすと同時に、机の一番下の引
き出しを開けて学校のプリントやテストの下に埋もれた写真雑誌を引っ張り出す。
右手を自分のそれに宛い、左手で本をめくる。
一ヶ月の禁欲によって溜まっていたものは大きい。ページがめくられるのを待た
ず、右手の刺激だけで、それは頂点まで達する。
「あっ」
めくられたページに見た驚き………
テッシュペーパーをあてがう間もなく、僕は白濁した液を絨毯の上にまき散らす。
「ちっ」
慌ててまき散らした物をテッシュで拭き取るが、絨毯の毛は糊付けされたように
なってしまう。今度はウェットテッシュを使い、出来る限り綺麗に拭き取る。もし
かすると、しみになってしまうかも知れない。
とりあえず絨毯にまき散らしてしまった物を始末して、改めて本の開かれたペー
ジを見つめる。
あられもないポーズを取る裸の女性。
それは決して高尚と言える物ではないけれど、その本の使用目的に合った、ごく
当然の構図の写真。しかし………
写真の女性の身体………顔、胸、腹、手足、そして陰部、全てにカッターのよう
な刃物で切り刻まれたあとが有る。
更に調べてみると、全のページで同じように女性の身体は刻まれている………。
「誰が………まさか!」
まさか、とは言ったけれど、それは推測でなく確信。
泥棒が入ったのでない限り、僕の部屋に出入りできる人間は家族だけ。ほとんど
家に居ることのない両親ではないだろう。
だとすれば………
ぎっ! と廊下の床が軋む音。
続いて遠ざかる、小さな足音。
他に誰が居る? この家の中に。
「美里………か」
とても時間が長い。
これほど時間が長く感じられたのは、初めての事。
学校ですれ違いざま、彼女にメモを手渡す。放課後、あの喫茶店に来てくれるよ
うにと。
本当は昨日のうちにでも、電話で呼び出したかった。
しかし家から電話をすれば、美里に聞かれてしまう。
外からかけようかとも思った、が、彼女より先に家の人が出てしまうかも知れな
い。
母親ならまだいいが、父親に出られてしまうのは都合が悪い。
結局、学校で呼び出すしかなかった。
喫茶店に先に着いたのは、やはり僕。でもそれほど待つこともなく、彼女は来た。
最近は二日に一日のペースで、この喫茶店を利用している。だから、彼女にして
みればいつもの待ち合わせと、特に変わったところはなかっただろう。
でも僕の方は違う。
考え過ぎならそれでいい。むしろ、そのほうがいい。
けれど。
「由香里ちゃん」
彼女が席に座るのを待つのさえもどかしく、声を掛ける。
「なあに、真之くん」
「確認したいんだ」
「確認?」
「君がよそよそしい、本当の理由」
「えっ。私、別によそよそしくなんて………」
「いいから聞いて」
僕は昨日、切り刻まれた本を見て思いついた事を話す。
あれは美里の仕業。疑う余地はない。
美里は普通の兄妹に戻ると言う、僕の提案をまだ納得してはいない。
先に兄妹同士で関係をするようになった原因は、僕にある。その僕の方からの、
一方的な申し出に、意地になっているのかも知れない。
あるいは、彼女の存在が先にあって、その為に自分が捨てられたように感じてい
るのかも知れない。
どちらにしろ、美里は兄妹同士での関係を断つことに納得はしていない。不満を
感じている。刻まれた本は、その証。
本が切り刻まれた事は、どうでもいい。
もしそんな程度の事で、美里の気が晴れるなら安い物だ。
だが………
この一ヶ月の間に、美里のした具体的な行動は、本を刻んだ事だけなのだろうか。
怒りの矛先が向いているのは、僕なのだろうか?
本の中のモデルを切り刻んだのは、美里の強い嫉妬の現れではないのか?
もし美里が嫉妬しているのなら、その本当の相手は僕が自慰に使おうとした本の
モデルではないはず。
相手は僕が美里との関係を断つ決心をした、一番の理由である彼女。そこへ向け
られているはずだ。
既に何らかの形で、彼女に対して行動を起こしているかも知れない。
初めて一つになった日以来、彼女が僕との間に距離を置いているように感じるの
も、それが原因になっているのではないだろうか?
まさか具体的に、美里との関係を彼女に知られているのでは………
いや、それなら彼女は距離を置くどころか、こうして二人きりで会う事もしない
はず。
少なくとも、まだ彼女は僕と美里との事を知ってはいない。
けれど美里が彼女に対して、何かをしている可能性は捨てきれない。
僕はその疑問を彼女にぶつけてみる。もちろん美里の事は隠して。
「何かあったんじゃって言われても………」
彼女は少し困惑したよう。
「やっぱり、あれから由香里ちゃんの様子おかしいよ。この前言ったみたいに、お
母さんの話しを気にしてだけの事とは思えないんだ。
何か………何か他にあるんじゃない?」
「べ、別に、何も」
「本当?」
「………」
彼女の視線が俯き加減になる。
やはり何かある。
「お願いだから、話して」
僕は彼女の瞳をじっと見つめて言う。
彼女は僕の瞳を見たり、また俯いたりしながら、しばらくの間考え込む。
そして。
「あのね………」
と、ようやく重い口を開き始めた。
「あの後、私が真之くんの家に行った翌日、つまり日曜日ね。その日から、おかし
な事が続いているの」
「おかしな事って?」
「うん、郵便受けに手紙が入っていたの。ちょうど朝刊に押し込まれたようにして、
郵便受けの中に落ちていたから、新聞よりも早い時間に直接誰かが、投かんしたん
だと思う」
「どうしてそう思うの」
「だって、日曜日は郵便屋さんは休みでしょ? 第一、朝刊より早い郵便屋さんな
んて、聞いたことがないわ。それにその手紙、ノートの大きさの白い紙、B5判だっ
たかしら。に、ワープロで書いた物を二つ折りにして、封筒にも入れないでそのま
ま郵便受けに入れてあったの」
「その手紙、由香里ちゃん宛だったの」
「たぶん………宛名はなかったけど」
「それで、何が書いてあったの」
彼女の答えが返るまで、少し間があく。
思い出すのに時間が掛かったのではなく、あまり思い出したくなかったのだろう。
「始めは『死ね死ね死ね』って、幾つも続けてあったわ。それから『売女』とか、
もっと酷い言葉がいっぱい」
彼女が身を震わせたように見える。
よほど気持ちが悪かったのだろう。
「その手紙のこと、お家の人は知ってるの」
「ううん、いつも朝刊を最初に取るの、私だから。真之くんとの事、お母さんにば
れちゃったばかりで、なんだか話しづらかったのもあったし、余計な心配はさせた
くなかったから、手紙はすぐに捨てちゃった」
「手紙が来たのは、その一回だけ?」
「だいたい週に二回、これまでに八回来てる。それから………」
「他にも?」
「無言電話。これはほとんど毎日。時間も回数も、その日によって違うけど、だい
たい夕方から深夜にかけて………。さすがにこれは、お父さんやお母さんも知って
る………」
思った通り、彼女の身の回りに異変が起きていた。
僕にはその犯人が簡単に想像出来る。もちろんそれは彼女に隠したまま、最後の
疑問をぶつける。
「僕が感じていた、由香里ちゃんとの距離は、それが原因なんだね」
彼女は困ったような表情を見せ、頷く。
「もし真之くんが、そういう風に感じていたなら………そうかも知れない」
「でもどうして、それが僕たちの事に影響するんだろう?
手紙や電話の悪戯で、精神的に参っているのは分かるけど。もしかして由香里ちゃ
んは僕を疑っているのかな」
「えっ………そんな、私」
意地の悪い質問かも知れない。
でも僕は、どうしても知っておきたい。
彼女がどこまでその悪戯に対して、核心に近い推測をしているのかを。
「私、真之くんを疑ってなんていないわ。真之くんが、そんな事をする人じゃない
のは知っているもの。第一、理由がないわ」
確かに、僕にはそんな事をする理由はない。
「それとも、真之くんに何か、心当たりでもあるの?」
「い、いや、まさか」
逆に質問をされてしまう。
「ただ………最初の手紙が、真之くんとああいう事になったすぐ後だったから。も
しかすると、誰か私の他に真之くんの事が好きな人がいて、私たちの事を知って、
嫉妬しているのかも知れない………なんて思ったものだから。
それで警戒し過ぎて無意識に、真之くんと距離を置いていたのかも」
待つ。
そんな悠長な事は、もう言ってはいられない。
家へと急ぎながら、僕は考える。
彼女は「私たちの事を知った誰か」と表現したけれど、分かっているはずだ。
彼女が僕の家を訪ねてから、翌朝手紙を受け取るまでの間に、二人でいるところ
を見た人物は一人しかいない事を。
僕の家に出入りするところを、他の人物に見られた可能性も考えているのだろう。
かろうじて残されているその可能性が、どうにか僕と彼女を繋いでいる。
もし彼女の中で、その可能性が完全に否定されてしまえば、全てが終わってしま
う。彼女との仲も、僕の将来も。
たぶん彼女も、疑いは濃く感じているのではないか?
しかし彼女の常識では考えられない事なのだろう。
手紙や無言電話の犯人が疑い通りの人物ならば、僕に対しても、別の疑いが生ま
れてしまう。
僕と美里との間に、兄妹以上の関係が有ると………。
彼女にとって、とても信じ難い事。だから、他の薄い可能性を捨てきれずにいる。
どちらもあり得ないように思え、しかしどちらも否定しきれない。いまの彼女は、
そんな状態なのだと思う。
だから僕と別れようとはせず、けれどもどこか距離を置くような付き合い方をし
ているんだ。
でも、いつまでもそんな状態では、自然と心が離れて行ってしまうに違いない。
その事自体僕にとって、望むところではないけれど、それ以上にこのまま嫌がら
せが続いて、彼女の疑いが確信に変わることが恐ろしい。
美里をどうにかしなければ。
でもどうすればいいのだろう。
これ以上の説得は無駄だろう。話して分かるものなら、そもそもこんな事態には
なっていない。
ならば他に考えられる方法は、一つしかない。
いや、それは短絡的過ぎないか?
自分で自分を落ち着かせようとするが、焦りのほうが強く、どうしても考えがそ
こに行き着いてしまう。
美里を永久に黙らす………