#3326/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 7/16 21: 8 (195)
エマ降誕 4 永山
★内容
王子の頭を彼女の手がとらえる。ぐいと上を向かされた。
モニターがあった。遠くて画面のサイズはよく分からないが、映像ははっき
り見える。
どこかの海だ。その真ん中に立っているのは−−何だ?
背景にかすかに映る島影と比べても、その巨大さは明らかだ。海面から上だ
けでも十メートルはある生物。
風をはらんだ帆船の帆を想起させる身体に、三角の頭が着いている。巨大な
目に四角い口。紫っぽい肌が、ぬらぬらと陽光を照らし返す。
肩の辺りから腕が伸び、左右で計四本に分かれている。それを振り回し、好
き放題に暴れていた。下半身は海面下だが、直立二足歩行をしているらしい。
「……」
「ディナよ。ひょっとしたら、記憶にあるかしら? テレビ番組で、『いんち
き映像』として、たまに流されていたから。当時、一世一代のジョークだって
世界中で絶賛されたわ」
「……MCM」
「知ってるのね。あなたが生まれてすぐぐらいだっけ? ヨーロッパの小国に
現れた、コラン沼の怪物。実在するのよ」
女医は世間話をする調子だった。
「……さっきニュースでやってたの、これですか……」
「そう。だけど、あなたに見てほしいのはこれじゃない」
腕時計を見る女医。
「あと五分もすれば、エマの乗ったアドヴェが到着する。彼女は戦うのよ」
「なん」
舌がうまく回らない。
「女の子一人戦わせる気かしら。私達が何のために急いだと思ってるの? さ
あ、乗る!」
「……嫌だ」
「何ですって?」
「そんな勝手、聞いてられない。自分にできるはずないじゃないか。今の時代、
男より女が弱いって訳でもないでしょ」
言い終わった刹那、王子の左頬は熱くなっていた。よろめくほど強烈な平手
打ちだった。
「甘えるな!」
歯ぎしりしながら、女医は王子の胸ぐらを掴んでくる。
「もしもエマがやられたら、もう終わり! そうなってしまわない内に、アド
ヴェの乗り手を少しでもたくさん見付けなきゃいけないのよ! ディナは待っ
てくれやしないわ!」
「自衛隊の仕事ですよ」
「無駄よ、無駄。過去にあった、ジョークめいたMCM報道は全て事実。つま
り、通常兵器による攻撃はMCM−−ディナには通じない。それどころか、少
少の攻撃はエネルギーとして吸収してしまう節が見られる。市街地でそれ以上
の手が打てるはずないでしょうが。時代が変わったってのに、住民を手早く避
難させるマニュアルだって確立されてないんだからね、この国は」
「何と言われたって……死にたくありません。戦争なんて嫌いです」
「死にたくない? だったら戦え。自分でどうにかできるんなら、君なんかに
頼まない。いい? 現時点であなたしかいない。あなたにしか乗れないんだ、
あれは!」
手を放す女医。少し息をついた。
「戦争じゃないわ、狩よ。獲物が大きいだけ。馬鹿をやらない限り、こっちが
命を落とすことはない」
「でも」
言いかけた折に、先のモニターに変化が現れた。
「エマが着いたわ」
画面をぼんやりと見つめる王子。
(アイドルがロボットに乗り込んで怪物と戦うなんて……ふざけている。冗談
にもならないよ)
飛来してきた赤い機体のアドヴェは、ディナの真後ろに降り立った。相当な
至近距離。
『戦闘可能予測時間、残り六六〇秒』
アナウンスメント。当然、操縦者にも伝えられているに違いない。
ディナがアドヴェへ振り返ろうとする正にその折、アドヴェが右腕を振り上
げ、そして下ろす。
ををををん。ディナが奇怪な声を上げた。
見れば、ディナの左腕の一本がそぎ落とされている。
アドヴェの肘から手首にかけては、鋭利な刃物のようになっているらしい。
たちまち、赤く染まる海面。
「ふ、化け物の血も赤いらしいわね」
王子の隣で苦笑いを浮かべる女医。
切り落とされた腕は、蜥蜴のしっぽ切りのようにばたばたと動いている。水
しぶきが邪魔だ。
ディナが口から何かを発した。細い矢のような光線。
アドヴェの肩口をかすめたようだ。よけるのが精一杯だったか、バランスを
崩し倒れてしまう。またも大きな水しぶき。
『戦闘可能予測時間減少。残り四八〇秒』
「飛行距離の長さがネックになったか」
女医がつぶやく。もはや、王子になんかかまっていられない。そんな態度だ。
体勢をすぐに立て直すアドヴェ。その間も、刻々と告げられる戦闘可能予測
時間。実経過時刻よりも減少の度合いは急だ。
アドヴェは低い姿勢から敵にタックルを決めた。
もがくディナは、狙いも定めず、光線を連続放射。
無論、低く組み付いているアドヴェに当たるはずがない。
ディナは逃げようとして、身体を横に向ける。
再び右腕を振りかぶるアドヴェ。その狙いは−−。
丸太のような尻尾が、海の上を流れていく。水を赤く染めながら。
今度は叫び声はなかった。ディナの口が水面下だったからかもしれない。
アドヴェはその尻尾を拾い上げると、ディナの頭部に巻き付けた。
当然、光線を発すディナ。
ところが、光線は巻き付けられた尻尾から先には進まない。いや、わずかず
つではあるが、尻尾を破壊してはいるようだ。
「−−同じ性質の物に、あの光線は効き目が鈍いのね!」
一瞬の判断の後、女医は歓声を上げた。
エマの操るアドヴェは、動きの落ちた相手を引きずり起こすと、膝を連続し
て股間に当てた。両膝からは、鋭い突起物が出ている。
ディナに急所があるのかどうか不明だが、効果はあったらしい。三発も膝を
もらうと、がくんとくずおれた。
それでも抵抗の意志は衰えていない。すぐさま、三本に減った触手を伸ばし、
アドヴェに絡みつけてくる。
アドヴェは−−エマは、遠慮しなかった。
無造作に両腕を動かすことで、敵の手をことごとく切断する。
さらにアドヴェはディナの身体を両手でかかえ込むと、頭部の角のような突
起を、敵の喉元辺りに突き立てた。血がほとんど出ないまま、肉体の奥深くへ
と沈み込んでいく。
痙攣を起こすディナ。初めは突発的に、次に持続的に、そして最後は間欠的
に震え……やがて止まった。
息絶えたのか? ディナの肌の紫が薄まり、白に近くなっていく。
「やった」
感嘆したような女医の声。
アドヴェの両腕から、ディナの肉塊がずり落ちる。それは、ざぶんと派手な
音を立ててから、水中に、中途半端に浮かんだ。
『戦闘可能予測時間、残り四九秒』
『戦闘を終了します』
エマの声。あれだけの戦闘をこなした直後とは思えぬ、落ち着いた口調だっ
た。落ち着きと言うよりも、最初から感情をどこかに置いてきたかのよう。
『残りのエネルギーが離脱に必要な量に達していません。そのまま待機』
『了解』
アドヴェは仁王立ちしたまま、一切の動きを止めた。
「どう?」
女医は王子へ向き直ってきた。
「これを見ても、心動かされないかしら」
「MCMは死んだじゃないですか」
無理に笑いながら、王子は答えた。
「残念だけど、あれが最後じゃない。MCM−−ディナは他にも何匹もいるわ。
いつ、どこへ出現するか分からないけれど、これから向こう数年の内に、間違
いなく姿を現す」
「……彼女一人で充分じゃないですか」
目を合わさず、王子はもごもごと口の中だけで応じる。
「強いですよ、エマ−−さんは。僕なんかが加わっても加わらなくても、変わ
らない。うまく行くかどうかも分からないし」
「−−呆れた」
大きく肩をすくめる女医。若干、芝居がかっているようで、ため息までつい
てみせた。
「役に立たないわ、あなたは」
「……何て言われたって」
少しショックを受けた王子だったが、意志を翻すまでには至らなかった。
「僕は嫌です。エマのファン−−エマの信者でない僕に頼むのが無理なんです
よ。間違ってます。そうですよ」
「……そのようね。次からはより正確を期し、適合者をピックアップするわ」
皮肉な口調だった。
「だけど困ったわぁ。あなた、帰せないのよねえ。私達がやっていることは、
一般には秘密。今日がアドヴェのお披露目となった訳だけど、情報操作で最低
限に抑えられることになっている」
「脅してんですか、僕を」
「そうかもね。いずれアドヴェやディナは知れ渡るでしょうけど、エマという
存在が、実はアドヴェの乗り手を捜すための手段であるってことだけは、もう
しばらく秘密にしておきたいんだな」
「……僕には両親がいます。僕が帰らないと、心配して騒ぎ始めますよ」
「君が希望するなら、真相を打ち明けてもいいわ。その代わり、親御さんもこ
ちらに来てもらうことになるけれど」
王子は女医を見つめた。だが、何も言えない。寒いのだ。寒くて、恐い。
「ご両親を巻き込みたくないのなら、あなたの身柄、事故で行方不明か、外国
留学の扱いにしてあげようかしら。ま、それは私の仕事じゃないから詳しくな
いんだけど、うまくやってくれるでしょうね」
「お、横暴だ」
ぎゅっと手を握りしめる。汗がにじんでいるのが分かった。
「ストップっ。人権とかを持ち出すのはやめてちょうだい。このプロジェクト
には、国の命運がかかっている。人類の命運もかかっている。つまり、地球の
命運がかかっているんだから。あの化け物を放置していたら、他の生物は絶滅
に追い込まれるのよ」
「ま、まさか」
「詳しくは言わないけど、過去に例がある。およそ三八〇〇万年前、全種の四
十五パーセントがやられたわ。四十五パーセントで終わったからこそ、今の私
達があると言っても過言じゃないわね」
「……」
「さあ、いつまでもここでこんな話してたって無駄。決めなさい」
右手の人差し指を立て、王子に迫る女医。エマのアドヴェが勝利してからは、
その表情はわずかに穏やかになったようだ。
だが、王子にとって、得体の知れない存在であることに変わりない。目の前
の彼女も、この建物の、謎めいた組織も。
「絶対に口外しませんから、帰らせてください。お願いします」
口走って、ひざまずいた。土下座してでも逃げたい。こんなことに関わるの
はごめんだった。
「あなた、本当に男か?」
「どうでもいいっ。いいから、早く帰りたいんです! 男じゃないって言われ
たって、ガキだって言われたって、嫌なものは嫌だ!」
「必要としているのよ」
「嫌だ嫌だ嫌だ! 秘密を守るのがそんなに大事だったら、見張りでも何でも
つけてください。僕が喋りそうになったら、撃ち殺していいよ。絶対に喋らな
い。だから、もう巻き込まないで!」
「−−ああそう」
女医の物腰が、これまでになく冷たいものになった。
思わず、顔を上げる王子。
女医は斜め上を見上げていた。上方にいる何者かとアイコンタクトを交わし
たようだった。
やがて、彼女の軽蔑の視線が、王子へ降り注がれた。
「結構。そこまで拒否するならどうぞお帰り。出口はあちらよ。ご心配なく、
見張りなんて着けないわ。着けるだけ、経費が無駄ってもん。たとえあんたみ
たいなのが吹聴したって、誰一人として信じやしないだろうから、きっと」
「……」
最後にまた強烈な精神的な一撃を食らって、王子は完全に打ちひしがれた。
よろめきながら、立ち上がる。平衡感覚がなくなったかのように、視界が揺
らめいた。
モニターには、アドヴェの中から運び出されるエマの姿が映されていた。
−−続く