AWC エマ降誕 3   永山


        
#3325/5495 長編
★タイトル (AZA     )  96/ 7/16  21: 2  (192)
エマ降誕 3   永山
★内容

 王子はまどろみの中にいた。
 いつ目覚めたのか、はっきりしない。ずっと起きていたようでもあり、眠り
続けていたような気もする。
 車を降りて、地に立っていた。
「こちらに」
 手を引かれ−−誰に?−−、もつれそうになる足。どうにか平衡感覚を保つ。
 自動ドアを抜けると、白い廊下がだらだらと続いていていた。病院のような
雰囲気。鼻が馬鹿になっているのか、何も匂ってこない。
「冷たい物でも飲むかい?」
「ん」
 ソファか何かに腰を下ろされ、くらくらする頭で考える。
(都築……だったかな)
 感情がほとんど波立たないでいる。風がそよとも吹かない湖面のごとく、平
らかなまま。
「アップルジュースだけど、いいね?」
 都築が手にしているコップを受け取ると、口を付けた。ゆっくり、ゆっくり、
飲んでいく。林檎だ。本当の林檎の味がする。
「様子はどうだ?」
 別の男が現れた。突き出た顎が特徴的だ。切れ者を演出するかのような眼鏡は、
そのフレームが光ることでさらに効果を高めている。
「ああ、尾形さん。ちょっと薬が効きすぎのようです」
「ふん。素人に任せるとこうなるんだな。時間がない。もう連れて来てくれ」
「分かりました。おい」
 左の脇の下に腕を差し込まれる。
 もう一人、やけに色白の看護婦−−いや、女医だろうか−−が現れ、右の方
から引っ張る。
「自分で−−歩ける」
 王子は言った。自分の声がおかしい。抵抗する気力はなかった。
 エレベーターに乗せられた。同行するは、尾形という男と女医。都築はどこ
かへ追い払われてしまっていた。
「何があるんですか」
 ようやく質問を発する知恵が回る。それでも、声に対する違和感が消えない。
「検査だ」
 尾形が答える。
「何の検査」
 そう尋ねたときには、扉が左右に開いていた。
 階数を確かめると、二十四階。かなり高速のエレベーターらしかった。
 廊下を挟んで、ドアがある。女医に付き添われて、その部屋へ入った。
 尾形はよその部屋に入ったらしい。
「さ」
 女医は短く言うと、王子を丸椅子に座らせた。すぐに採血の準備を始める。
(強制献血かい)
 つまらない冗談が頭に浮かんだが、言葉にはならない。
 痛みを感じる間もなく、小ぶりの注射器が赤く色づいた。
「待っていて」
 女医は部屋の奥、カーテンの向こうに引っ込んだ。
 王子が室内を見回そうと頭を動かすと、すぐにまた白衣の彼女が引き返して
きた。手に何かの板を持っている。
「これ、読める?」
「……」
 板に目を凝らす。灰色の表面に、青い筋がぼんやり、浮かんでいるように見
えた。
「読めませんよ」
 ようやく頭のすっきりしてきた王子は、正直に答えた。
「本当に? おかしいわね」
「だって−−これは文字じゃない。仮に文字だとしても、僕には読めません」
「ああ、それでいいの。私の尋ね方が悪かったのね。見えるかどうか、聞くべ
きだったわ」
 安心したように息をつくと、女医は立ち上がり、先と同様に、カーテンの向
こう側に行ってしまった。
「見えるかどうか……。色覚検査か?」
 一人ごちている王子へ、声がかかる。
『王子君』
 上から聞こえた。声の主は尾形らしい。
 その方向を見れば、天井の片隅にスピーカーが確認できた。
「何ですか。早く帰りたいんですけれど」
『最近の中学生は、度胸が据わっていて結構だ』
「恐いですよ。……訳分からなくて」
『恐怖を克服する精神を持っているのであれば、我々としても助かる。血液検
査の方は確認だけだから、すぐに終わる。あとは、お眼鏡にかなうかどうか、
なのだよ』
「……分からない」
『君はエマのファンではないらしいね? それなら、我々は大変な幸運に恵ま
れたことになる』
「説明してください」
 福音エマとはやはり関係あるのかと思い直しながら、王子は天井をにらんだ。
『−−おめでとう。血液検査も合格だ』
 王子はあきらめて、うつむいた。
『顔を上げたまえ』
「見えているのか」
『彼女が来るから、そのままにしててくれ』
 一方的に声は途絶えた。
(何なんだ)
 今度は待たされた。
 少なくとも五分は経った頃だったろう。ドアが開いた。静かに。
 少女が一人。
 ほっそりしている。華奢だが、スタイルはよい。
 青い虹彩が強烈な吸引力を放っている。黒い髪は耳元を隠す程度。人形のよ
うな唇は、呼吸をしてないかのように見える。白のブラウスに赤いスカートが、
全然似合っていない。素足にそのままスニーカーを履いているが、そちらの方
が彼女をよく表している。王子はそんな印象を受けた。
「君は」
 引き寄せられるように、王子は尋ねていた。知らず、立ち上がっている。
 少女が室内へ進み入る。肩の高さがほとんど変わらない、一定のテンポを持
った歩き方。
「この人です」
 手を伸ばせば触れ合えそうな位置まで来て、少女は言った。王子にではなく、
尾形に聞かせるための言葉であろう。
『そうか? では、早速』
 スピーカーからは興奮と慌ただしさがありありと伝わってくる。
 少女はまっすぐに王子を見返してきた。
 そ し て 彼 女 は 言 っ た 。 王子の問いかけを忘れず。
「私の名前はエマ」
 言った。

 一見、造船所風であった。
 天井がやけに高い、密閉された空間には、剥き出しの鉄骨が鈍く光っていた。
赤く、暗い。そんな気持ちにさせられる。
 −−時間がない 私を見て思い出して
 そう言い残し、エマは大きな弓に向かった。
 弓みたいな物はファルターと呼ぶらしい。高さ十メートルぐらいだろうか。
その弧のちょうど中程には、カプセル状の突起物がある。
 さっきから盛んにやり取りされる男女の声は、宇宙船打ち上げのための管制
塔を思わせる。
 呆然と見守っていると、ブラウスから何か別の、身体にぴったりとした服に
着替えたエマが視界に入った。消防の梯子車かクレーンを思わせる機械で、弓
のカプセルへと運ばれていく。
 充分に接近したところで、彼女はカプセルに飛び移った。
 ハッチを開け、中に滑り込むと、すぐに閉める。
 女性の声で、何々オープンと言うのがどうにか聞き取れた。
 微振動を伴い、ファルターのすぐ手前の床が大きく左右に開き始める。何コ
ース分もの二十五メートルプールが作れそうな空間が現れるのに、一分とかか
らなかった。
「あれは……」
 わずかに高い位置にいた王子は、思わず声を漏らした。
 床底にあった空間には、ひと形の巨大な『物』がいた。血の色に似た赤が、
全身のほとんどを占めている。
『インサート開始』
 今度ははっきりと聞き取れた。
 がしゃん。
 大きな金属音が最初にした。ファルターが前方に傾き始めたのだ。
「あっ」
 傾き始めると、あとは迅速だった。音もほとんど耳に届かない。
 やがてファルターのカプセル部が、床に横たわるひと形に接する。人間で言
えば、ちょうど臍の辺りだろうか。いや、それより若干、下かもしれない。
 甲高い金属音が一瞬し、それから、きゅるるるるという間延びした音が続き、
そして消える。
『インサート完了』
 そのアナウンスと同時に、ファルターは元の位置へと戻されていく。
『不調な箇所はない?』
 不意に、話し言葉になった。
 間を置かずに返事。
『ありません』
 淡々としている声。エマのものだ。
『了解。トップシールド、オープン』
 ひと形の真上の天井が、滑らかに開いた。カメラの絞りを連想させる。
『異常なし。発進支援完了』
『発進準備完了』
 再びエマの声。淡々とした口調のまま、急に王子へ呼びかけてきた。
『王子さん。思い出した?』
「え?」
 何のことか分からない。
『あなたは記憶しているはず』
「わ、分からないよ!」
 王子は必要以上に大声で叫んでいた。この場の雰囲気に飲まれ、実年齢より
さらに幼く振る舞ってしまう。先ほどまでの強がりは、もはや完全に影を潜め
てしまっていた。
『行きます』
 エマがまた事務的に言った。
 すると、彼女が乗り込んだのであろうひと形が、上半身を起こした。ついで
膝を立て、二本の足で直立。肩甲骨の辺りから、細長い筒状の物が斜め下向き
に出ているのが見えた。その筒は、内部が青白く光っている。
 次の瞬間、ご、と極短い爆音と共に、巨大なひと形は、天井にできた穴から
空へと飛び立っていった。
 残ったのは温い風の渦。
「さあ、王子君」
 いつの間にか、さっきの女医が後ろにいた。白衣からピンクのスーツに着替
えられていたため、ぱっと見ただけでは分かりにくい。
「な、何ですか」
「来なさい。次は君の番よ」
「……」
 思考回路が断線を起こしかけている。
 王子は声もなく、ただ頭を振った。
「今の、見てたでしょう? あなたにもできる」
「ど、ど……どうして……僕が。訓練を受けた人が乗るものでしょう……」
「アドヴェは乗る人を選ぶのよ。選ばれた者は訓練なしに乗りこなせるの」
「アドヴェって」
「さっき見たあれ。ほら、そこにもう一つ、あるでしょうが」
 女医は細長い、しかし傷だらけの手で下を示す。
 先ほど飛んで行ったアドヴェがいた位置に、次のアドヴェが来ていた。形状
はほぼ同じようだが、橙色をしている。
「あれに乗って」
「冗談はもういいです!」
 伸びてきた相手の手を、乱暴に跳ね上げる王子。そして床を見つめる。ネジ
止めの穴に金属の粉がたまっていた。
 女医の方は、手を押さえて、声を高くした。
「あなたねえ!」
 それから上方に向かって、合図を送る素振りを見せた。
「あれ、ご覧なさい!」

−−続く




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