#3238/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 4/ 1 0:45 (200)
卒業 −−奥原丈巳の挨拶−− 3 永山
★内容
「奥原さんなら、信用できますね。−−私、失恋しちゃったんです」
「失恋、ね」
「彼は……イニシャルMにしておきますね。一つ先輩。私が高一のときから付
き合い始めたんです。去年の今頃、彼は大学に入って、遠くに行っちゃった。
それが札幌なんです。でも、離れ離れになっても変わらないって言ってたから、
ちっとも心配していなかった。なのに」
かなり間が開いた。単に言い淀んだのか、それともそのときのことを思い出
していたのかもしれない。
「受験勉強しなきゃいけなかったんだけど、夏休みの終わり頃、どうしても会
いたくなって。そういう気分のとき、彼が帰省してるって聞いたら、居ても立
ってもいられなくなって、内緒で、彼の自宅に行ったんです。そうしたら、彼、
新しく彼女を作ってて……。偶然、きれいな女の人と一緒に家に入って行くと
ころを見ちゃった。同じ大学に通ってるのかな」
取って付けたような明るい調子。聞き役の奥原は、ただ曖昧に相づちを打つ
しかなかった。
「しばらく待っていたら、部屋で二人きりで楽しそうに話すのが見えて……。
そのまま彼とは会わずに帰って、家から彼に電話したんです。彼、Mは、彼女
がいることをまるで感じさせないで、いつもみたいに私に話しかけてきました。
それどころか、家に来いよとさえ言ってきました。もう、凄くショックで……。
それ以来、手紙も電話も一切やめました。表向きは、受験で忙しくなるから
とMに言って。Mのことを忘れました。だから一生懸命に勉強できて、今の大
学に合格できたのかもしれませんけどね。あ、最初はMと同じ大学を目差して
いたんですけど、どうでもよくなっちゃったから、その気楽さもあったのかな」
冗談のつもりなのだろう、小さく笑う中井。でも、聞き手の奥原はとても笑
えなかった。
「それで?」
奥原が相手を促したとき、コーヒーとココアが二人のテーブルに届けられた。
「それでですね」
ココアに口を着けてから、中井は話を再開した。
「今年の一月十五日でした。Mから手紙が来ました。それまでも、私の方から
は返事を出さないだけで、向こうからはたまに手紙が来ていたんですが、この
とき受け取った手紙は、少し内容が違いました。私の受験について少し触れて
あって、そのあとに、早く会いたいという意味のことが熱心につづられていま
した。気持ち、少し揺れたんですけれど、まだ受験が終わっていないって自分
に言い聞かせて、無視したんです。そうしたら、一週間後の二十二日になって
再び手紙が届きました。受験が終わったら連絡がほしい、ぜひこちらに来てほ
しいって」
「一つ、確認させてくれないか。別の彼女がいるようなことは、一言も?」
「はい、書いてありませんでした。……別れてくれたのかなって、期待してい
るんですよね、私」
期待通りになっているのかどうか、それは奥原の関知するところでない。
「私の方からも言わないことにしました。そひミクKヌLリ'圭ーPヒ{命にしていた受
験が終わって、二月の三日、Mに電話したんです。でも、つながらなくて……。
日を改めて、かける時間帯も変えてみたんですが、何度しても出ないんです。
Mの電話、留守番電話ですから、もちろんメッセージを入れました。それでも
何も返事がありません。念のため、手紙も出してみたんですが、結果は同じで
した」
奥原は分かってきたような気がした。
「音信不通になったMが心配になって、急いでホテルに予約を入れ、今日、や
って来たという訳か」
「ええ……」
目を伏せる中井。
「彼氏を捜すんだったら、男が引っ付いていたらまずいんじゃないのか? い
くら道案内役だと言ってもな。まあ、会えたときには、俺が姿を消せばいいん
だが」
奥原の言葉に反応して、中井は顔を上げた。心なしか、目が赤い。
「そんなこと、してもらわなくていいです。最初に言いましたよね。私、ふら
れたんだって」
「ああ。話を聞く限り、ふられたのかどうか、はっきりとは分からないけど」
それどころか、勘違いしている可能性も大いにあると、奥原には思えた。
(例えば、Mの親戚の女性とか)
この点について、今、思考を推し進めるいとまがない。
「……連絡して反応が何もないっていうことは、やっぱりふられたんです。き
っと、あの女の人と縁りを戻したんだわ。あれだけの手紙に書いてきたのに、
十日ほどで私のこと、無視するなんて、それしか考えられません」
「だったら、札幌に来なくていいんじゃないのかな?」
口に出してから、別にしなくていい質問だったなと、奥原は後悔した。
「来なきゃいけなかったんです。けじめをつけたくて」
中井はきっぱり答え、唇を固く結んだ。
「事情はのみ込めた。まず、Mの下宿に行ってみるつもりだね?」
「はい。住所は分かっています」
「そこにいなかったら、どうするか、だな。Mは札幌出身じゃないんだろう?
例えば、帰省していることも考えられる」
「それはありません。確かめましたから」
「−−なるほどね。では、Mが引っ越してしまってたときは? 下宿の管理人
や入居者に当たってみるのは当然として、他に何か手がかりを持っているの?」
「いえ……。大学を訪ねてみるぐらいしか」
途端に表情が曇る。
「大学の事務局ってのは案外、口が堅い。さして期待できないな。Mのアルバ
イト先なんかは分からない?」
「分かりません。すみません」
申し訳なさそうにする中井を、奥原は押しとどめた。
「こんなことで、謝らなくていいよ。自分だって、大したことができる訳じゃ
ない。見落としがないようにするぐらいだ」
「それだけで充分、助かります。お願いします」
「はあ……」
気抜けしたような返事をした奥原。
(期待過多ってのも、重荷だぜ)
頭をかいていると、一つ、思い出したことがあった。
「そうだ、手紙の消印はどこになっていたんだろう?」
「はい?」
「Mからの手紙だよ。持って来てるよね? 先に聞いておくべきだったな。消
印が札幌近辺じゃなかったら、笑い話で済まない」
「すぐ見てみます」
言ったはいいが、中井は、すぐに途方に暮れたような顔つきをした。
「どうしたの?」
「に、荷物、置いて来ちゃいました。手紙を入れたまま……」
奥原もあ然として、何だか力が抜けてしまった。
「……仕方がない。戻るのも面倒だな。まあ、手紙をよこした時点で、Mが札
幌にいたのはほぼ確実だろう。下宿の住所は分かるね?」
「はい、そちらは手帳に」
中井の指さした胸ポケットで、手帳の端がえび茶色を覗かせていた。
「結構。いつまでもこんな風に話していても無駄だ。そろそろ行動開始と行こ
うか」
伝票をつかむと、奥原は立ち上がった。
下宿は、Mの通う大学まで交通の便がよい立地にあった。防寒ないしは防雪
のためか、かなりがっちりした構造のように見受けられる。
「この距離なら、下宿にMがいなくても、すぐに大学に出向ける」
中井の書いた略図を見ながら、奥原はつぶやいた。
「六号室は……二階の端のようだ」
下宿が見えた頃から、奥原ばかり喋っていた。
「緊張してる?」
声による返事はなく、ただうなずいた中井。
「ま、ここからは俺が側にいたらまずいからな。案内はここまで。階段を上が
るぐらい、一人で大丈夫だろ? 雪が積もってるから気をつけないといけない
が」
強張っていた中井の表情が、やっとゆるんだ。
「はい」
明るく答えて、中井は階段のステップに足をかけた。雪に注意して慎重にな
っているのか、まだ緊張がほぐれていないのか、非常にゆっくりとした足取り
だ。
その様子を目で追う奥原。
(Mとやらの姿が見えたら、俺は消えてもいいよな)
ぼんやり、そんなことを考えでいる内に、中井が六号室の前に立ち、ドアを
ノックしているのが見えた。
やがて、中井が奥原の方に振り返った。
「いないみたいです」
泣きそうな声に聞こえる。大げさなと思いつつ、奥原は大きな声で返した。
「鍵はかかっている?」
すると中井は、ドアへと向き直った。ノックするばかりで、まだドアノブを
回していなかったらしい。
奥原はまた心配になってきて、二階に向かった。
「開いていましたけど……どうしましょう」
中井の近くまで来ると、そう聞かれた。
「寝てるだけかもしれないから、上がってしまえば?」
「それは……」
ためらう中井を後押し。
「Mってのと君は親しい仲だろ? 別にかまいやしないさ」
言ってから、Mの本名が気になったので、奥原はそっと表札を見た。意外と
立派な表札が出ていた。
(宗像恭一郎、か)
その名字から、奥原は、テニスをやっている二枚目の男をイメージした。
「でも」
中井がまだためらっているので、奥原は、自分も一緒に入ると言い添えた。
「お願いします。……お邪魔します……」
ようやく決心がついたらしく、中井はドアをそうっと開け、できたすき間か
ら身体を滑り込ませるように、中に入っていった。
続いて入った奥原は、部屋の様子を見て、かなり整理整頓が行き届いている
なと感じた。
(こりゃあ、やっぱ、女がいたかもしれない。宗像がきれい好きという可能性
もあるが……いくらきれい好きな男でも、独り暮らしの部屋に一輪挿しとは、
尋常じゃないぜ)
小さな下駄箱の上には、青い細口の花瓶があり、その中には淡いピンク色を
した花が飾ってあった。
「中井さん、Mはきれい好きだったのかい?」
それでも念のためと、奥にいる中井に聞いてみた。
「−−中井さん?」
返事がない。奥原は大股で奥の部屋に向かった。
「な……」
名前を呼ぼうとして、絶句してしまった。
中井は腰を抜かした格好で、畳にへたり込んでいる。そのすぐ目の前、かな
り髪の長い男が、敷き布団の上であおむけに倒れていた。上半身裸、下はジー
ンズ。脇腹の辺りに刺し傷が認められ、さらに、長髪のせいでよく見えないが、
首の回りに絞められた痕があるようだ。
「しっかりしろっ」
奥原は中井の腕をつかんで、立たせようとした。が、完全に力が抜けている
ようで、途中まで起こした態勢がすぐに崩れてしまった。
「大丈夫か? 気分は?」
彼女の横にしゃがみ込む奥原。ともかく、遺体が見えない位置まで、彼女を
身体ごと押しやる。
「あ、あ……。あれ、宗像さん」
死んでいるのは、やはり部屋の主らしい。
「分かった。何にも触ってないな」
ぷるぷると首を横に振る中井。否定の意を表すのよりも、震えが激しい。歯
の根が合わず、かちかちかちと音が鳴っている。
奥原は身体をいっぱいに伸ばし、遺体へ目をやった。
(死んでから間もないな。冷え込みがどの程度か分からないが。……暖房は入
っていないのか。じゃあ、室温は)
壁をざっと見渡し、寒暖計を探すが、どこにも見当たらない。中井を置いて、
遺体のある部屋も見てみたが、同じだった。
(だめか。まあ、死んだのは遅くても今朝だろう。これからどうするか。警察
に通報して、ここで待っていたら、この子が疑われる可能性はある)
横で震えている中井を見て、想定を巡らせる。
(だが、彼女のアリバイは俺が証言できる。札幌に着いてからのアリバイがは
っきりしているんだから、問題ない。よし)
室内の電話を使う訳に行かない。しかし、中井一人を置いて行くのも難しそ
うだ。結局、彼女がある程度立ち直るのを待って、外に連れ出すしかない。奥
原はできる限りのことをして、中井が回復するまでの時間を有効利用した。
およそ十分後、ようやく部屋の外に出る。
「電話電話、と」
近くには見つからないので、管理人室を探す。そこで電話を借りようという
魂胆だ。勝手に入ったとか何とかうるさく言われるのを避けたかったが、やむ
を得まい。ところが、管理人室も見当たらなかった。管理人なりオーナーなり
は、別の場所にいるのだろう。
「入居者に借りるのが早いか」
そう判断した奥原は、少し迷った末に、五号室のドアを叩いた。隣だから、
宗像と親しくしていたかもしれない。そんな期待をしての選択だ。
−−続く