#3176/5495 長編
★タイトル (RAD ) 95/12/25 0:43 (184)
サンタクロースはヒットマン(5) 悠歩
★内容
男たちの追跡は執拗だった。
商店街を抜け、住宅街も次第に疎らになって行く。
もう康平の息はすっかり上がっていたのに、男たちは始めの頃と全くかわらない
ペースで追って来る。
このまま行けば、体力的にも康平に不利だった。
そして次第に疎らになっていく住宅に、康平は恐怖感を覚えていた。
連中も拳銃を持っているかも知れない。やがて住宅も途絶え、康平が身を隠す場
所も無くなり、第三者に知れる可能性の無い場所に来れば、それを使うかも知れな
い。
そんな事を考えていた矢先。
ぱん。
と、先程康平の手元から発せられたのと、同じような音が響いた。
「ぐっ」
同時に、右足に激痛が走る。
それでも走るのを止めない、止める訳にはいかなかった。
足を引きずる康平の目に、教会が映った。
康平はクリスチャンでもないし、今更神に頼れるような身分でも無い。
それでも教会を見たとき、そこに逃げ込めば助かる、そんな気がした。
ところがその希望も、教会にたどり着いて失望に変わった。
クリスマスイヴだというのに、教会の扉は堅く閉ざされていた。教会は閉鎖され
ていた。
「くそっ、ここまでか」
それでもなんとかならないかと辺りを見回すと、教会の横に幾つかの木箱が積ま
れているのに気付いた。
その木箱を叩きつければ、中に入れるかも。その時の音の事など考えず、康平は
足を引きずり、木箱の元に向かった。
そこで木箱の横の壁に穴が開いているのが判った。かなり窮屈そうだが、康平一
人、なんとかくぐれそうだ。康平は迷わず、その穴をくぐり教会に入った。
壁に背を預けて座り込み、康平は待った。
時が過ぎるのを。
連中がここに来ないことを祈りながら。
やがて、辺りはうっすらと暗くなり始めても、追手が来る気配は無かった。
「助かった………かな? へへっ、これも聖なるチカラ、ってやつか」
周りの全てが敵だと思って来た自分が、たまに信じた男のためにこんな事になっ
たと言うのに、土壇場で神頼みをしている事がおかしかった。
「イヴなんだよなあ、今日は」
誰に向かってでもなく、康平は呟く。
「畜生、痛てぇなあ」
右足の出血は、まだ続いていた。
「なんだ俺………サンタの恰好のままだ。フフッ………イヴの晩、サンタが教会で
ひっそりと息をひきとる………ってのも、クリスマスらしい………かな」
出血のためか、気分が悪い。
追手からは逃れたようだが、このままでは出血のために命を落としかねない。な
んとか止血しなければ。
康平はそう思って半身を上げたが、止めた。なんだかどうでもよくなってしまっ
た。ここで生き延びたところで、この先、いいことなど有りはしない。
あんな街中で発砲して、警察が放っては置かないだろうし、倉田や高畠も黙って
はいまい。
ならばここで命を落としても、何も変わることはない。寧ろここで死ぬ方が、楽
かも知れない。
「きぃーよーし、こーのよーる、ほーしは、ひーかり………姉さんからの、クリス
マスプレゼント………何が入ってたんだっけなあ………」
どうしても思い出せない。
あんなに嬉しかったはずなのに。自分は自分が思っている程、姉の事を思ってい
なかったのだろうか。そう思うと、命を落とすかも知れない事より、それが悲しかっ
た。
姉に会いたい。
今またその想いが強く沸き起こる。
せめて生きているか、何処かで幸せに暮らしているのか、それだけでも知りたい。
十字架の上の神子に願って見るが、答えが返って来る訳もない。
「救いの神子は まぶねの中に 眠りたもう いとやすく」
他に誰もいないはずの声に、歌声が響いた。
薄暮の中、そこだけか輝く様に小さな影を伴って。
康平は、自分が劇場で映画を観ているのではないかと思った。
それ程までに歌声は美しく、影は神秘的で、とても目の前で現実に存在するもの
とは、信じ難かった。
「追手………の訳はないよなあ。こんな追手になら、殺られてもいいけどな。する
と、お迎えか………天使が来たって事は、俺でも天国に行けるのかな?」
「ご、ごめんなさい」
康平の言葉は、思いの外に相手を驚かしてしまったようだ。小さな影は、更に小
さくなってしまう。
「すまん、驚かすつもりは無かった………他に、こんな場所にいる人間なんて、思
いつかなかったんだ」
康平にはその影の主が、あの少女である事がすぐに判った。
神は姉の替わりに、この少女を康平の前に使わしたのだろうか。
「サンタさん、けがをしてるの?」
康平の足の怪我に気が付き、少女が駆け寄る。
『サンタ? ああ、そうだった………俺はサンタクロースの恰好のままだった』
少女は本気で康平の事を、サンタクロースだと思ったのだろうか。
まさか。
今時、幼児ならばともかく、サンタクロースを信じている子どもなど、いるはず
がない。他に康平をどう呼べばいいのか、判らないだけの事だ。
少女は持っていたハンカチを裂いて、康平の傷口を縛った。少女のやり方が適切
がどうか、判らなかったが、懸命であることは充分に伝わって来た。
他人の為に懸命になるということは、康平にとって、どうにも理解しにくい事だっ
た。
「姉さん………」
思わず、口に出た。康平に対して懸命になってくれる人間は、他に知らない。
「えっ?」
少女が不思議そうに康平の目を見つめた。
その瞳を見ていると、康平は恐くなった。少女が恐いのではない、少女に自分の
してきた事を見透かされてまいそうで、それが恐かった。
ばれてしまうのではないかと、不安を感じながら、姉に嘘をついた時のように。
そんな時、姉はいつだってその嘘を見抜いていたように。
康平は、その時初めて、自分がまだ拳銃を持っていることに気付いた。
これは、この少女には、この少女にだけは見せたくない。そう思って、こっそり
拳銃を背中に隠した。
「やっぱり、お医者さんに診てもらったほうがいいわ」
幾分、出血は治まったが完全ではない。
「だれか呼んでくる」
「待て、駄目だ!」
康平は少女の腕を掴んで止めた。
他の人間に見つかりたくない。警察にでも通報されれば、一巻の終わりだ。
「ほ、ほら………サンタクロースが、普通の医者に診てもらう訳にはいかないだろ」
苦し紛れとは言え、馬鹿な事を言っている。自分でもそう思った。
「そうね………でも、だいじょうぶ?」
「ああ、君が手当してくれたからね。直に治るよ」
少女は康平の横に座った。
辺りはすっかり、暗くなっていた。
「家にかえらないのかい?」
「うん」
「家の人が心配するぞ」
「うん」
「今日はクリスマスイヴだろ」
「うん」
「こんな所で、何をしてたんだい」
「うん」
次第に話す事が無くなって来た。
沈黙が続く。
いつの間に足の痛みも無くなってきたようだ。
「あのね」
長い沈黙の後、今度は少女の方から話し始めた。
「コウちゃんがね」
その響きに、康平はびくりとなる。まるで姉に自分が呼ばれているようだ。
しばらくして、昨日少女といた男の子が「コウちゃん」と呼ばれていたのを思い
出す。
「コウちゃんがどうしたの?」
「遠くへ行っちゃったの」
「遠くへ?」
「長崎ってとこ」
「!?」
「わたしのお父さんとお母さん、死んじゃったの。それで、わたしとコウちゃん、
ずっと施設にいたんだけど」
似ている。
だがそれは単なる偶然に過ぎない。
康平は思った。
この姉弟は、あの時の康平たちより幼い。
「わたし、ずっと神さまにお祈りしてたの。コウちゃんと、ずっといっしょにいら
れますようにって」
なるほど、閉鎖された教会の中で、キリスト像はやけに埃を被っていなかったが、
この少女が掃除をしていたのだろう。
「でも昨日、コウちゃんは、長崎のおじさんのところに行っちゃった」
昨日………康平と会った時の少女は、弟との別れの直前だったのか。
「神さまにいっぱいお祈りして、いいことをいっぱいすれば、コウちゃんいいっしょ
にいられると思ったのに、だめだったの」
いつしか少女の目に涙が浮かんでいるのを、康平は見逃さなかった。
「きっと、わたしのお祈りがたりなかったんだわ………。でも、コウちゃんのため
には、その方がよかったのかもしれない」
「本当にそう思ってるの?」
「………」
またしばらくの沈黙。
少女は自分の中で、様々な想いを巡らせているようだった。
やがて、少女は康平の腕にすがりついて泣き出した。
「でもやっぱり、コウちゃんといたかった………コウちゃんといっしょにくらした
かったよぉ」
きっと、康平と別れた姉も同じ気持ちだったに違いない。
そう思うと、とてもたまらなかった。
せめて、この少女だけは、この姉弟だけはなんとかしてやりたい。
康平は心底願った。
どうせ自分にはもう、未来はない。
だからこの命を少女のために捧げてやりたいと。
『神様とやら………本当にいるのなら、この願いを叶えてくれ。俺の命、くれてや
るから、この少女に幸せを』
何故か、少女が幸せになれれば、何処かで康平の姉も幸せになれるような気がし
た。
「えっ?」
康平は光を見たような気がして、驚いた。
具体的に、何処で何が光ったというのではない。何処かで光を感じた、確証はな
いが確かに見たという、不思議な感覚で。
「いま、光った」
康平と同じ光を、少女も感じたようだった。
まだ涙の残る顔を上げ、驚いたように、嬉しそうに、康平を見つめた。
「あっ」
康平は、背中に隠した拳銃の事が気になった。背中にあたって痛い。
位置を直そうと、背中に手を回しその手触りがまるで違う事を不思議に感じた。
『おかしい………これは拳銃じゃない』
それを確かめるため、康平は少女に気付かれないように、背中から手に触れる物
を出して、横目で確認した。
「馬鹿な………有り得ない、そんなこと」